「英士、見ちゃダメだ!!」

 『それ』に気付いた瞬間、英士の身体は可哀相なほどに硬直して、全ての動きを止めた。

「英士!!」

 直ぐ隣にあった英士を自分の方へと引き寄せて、その瞳を僕の掌で塞ぐ。同時に、英士の身体も崩れ落ちないように、しっかりと僕の腕の中に抱き寄せた。

 細い肢体は、これからの無慈悲な戦いの中に、本当に身を投じることができるのかと訝ってしまうほどに、頼りなかった。

 血の匂いがする。鉄の匂い。鼻腔から全身に伝わって、吐き気を催す匂い。

 日常が乖離している現状を、まだ戦場にいるという事実を認識していなかった脳裏に、僕らは強く突きつけられた。

 目を覆いたくなる光景が広がっている。

「………嘘だ……」

 小さく、消えそうな声が英士の喉から漏れた。

 『友だち』だと、『仲間』だと、英士が信じていたものの、残骸。同じように『友だち』であり、『仲間』であったものが、傷つけたもの。

 残酷な意思を伴って。

 英士の目を覆っている掌に、濡れた感触が伝わった。

「―――……っ」

 英士の唇が、誰かの名前を紡ぐ。それは恐らく東京選抜の誰かであり、目の前にいる人物の名前なのだろうけれども、僕にはそれが誰なのか判らない。

 僕に判るのは、ただ。

 英士が深く深く、傷ついていることだけ。

 耳に英士の嗚咽が届く。

 瞳に触れている掌には、次々と熱い液体が溢れていく。

 抱き締めている腕からは、英士が震えていることがはっきりと伝わってくる。腕の力を少しでも緩めたら、きっと英士はこのまま地面に蹲って、動けなくなってしまうことだろう。

「英士」

「潤慶………潤慶、潤慶……」

 名前を呼ぶと、それに呼応したように、英士は幾度も幾度も、壊れたオルゴールのように僕の名前だけを綴り続ける。

 それに、安心させるようにきつく英士の身体を抱き締めた。

 赦さない。

 全身を、烈火の如き怒りが浸透していく。

 英士を傷つけた。それは、僕の中で最も赦しがたい罪。

「英士」

 目の前にいる『人間だったもの』には、興味はない。魂を失った抜け殻に、僕が何を思えというのだろう。

 情なんて湧かない。例え、目の前にいるものが知らない誰かではなくて、僕の知人であったとしても、僕はきっと、英士みたいに泣いたりしない。

 英士は優しいから。とても、優しいから。

 英士は僕みたいに、人に無関心でいたり、傷つけたりすることを躊躇わないようなことはできない。だからこんな風に、それほど親しくない相手だって、悼んで、涙を流してしまう。

「壊して、あげるよ」

 それでも。

 それでも、それを失ったことで、英士がこれほどまでに悲しんでいるのならば。

 このことが、きっと一生、決して消えない傷を英士に刻み込んでいる結果になるのならば。

「こんなゲーム、僕が全部、壊してあげる」

 そして、僕と英士が2人で生きていくために、このゲームが不必要な存在であることなんて、もう既に判っている。

 勝者になることができるのは1人だけ。英士を選べば僕は隣にはいられない。僕を選べば、僕は英士を永遠に失う。何て不条理な事実。何て不親切な現実。

 そんなことはさせない。

 絶対に、させるものか。

 ゆっくりと英士の瞳を覆っていた手を離すと、案の定、目を見開いて僕を見つめる英士の相貌がそこにはあった。

 それに、ゆっくりと微笑を送ってやる。

「大丈夫」

 いつもの、『従兄のお兄ちゃん』の顔をして、僕は、しっかりとした声で英士に告げる。

「僕が英士に嘘をついたことなんて、なかっただろ?」

 まだ涙の残る目尻にキスをしてやると、英士の身体が小さく震えた。

「壊してあげる。こんな、ふざけたゲーム。こんな、英士を傷つけるようなゲーム」

 僕の価値意識は、常に英士を基準にしてしか有り得ない。

「潤慶」

 縋るように僕を見つめる英士に、僕はもう一度微笑んでキスをした。

 壊してやる。

 幾度も繰り返してきた、こんな陰惨なゲームを、もう2度と繰り返せないぐらいに、ボロボロにしてやる。

 別に、僕が巻き込まれただけなら、ただ、僕だけがこのゲームに参加させられたのなら、僕は大人しく従って、殺人者にでも裏切り者にでもなったけれど。それで、全てが解決するなら、もう一度英士に会うことができるなら、僕は躊躇いなく、僕を邪魔する全ての人間を殺しただろうけれども。

 英士を巻き込んだのは、赦せない。

「このゲームを仕組んだ全ての人間に、英士を傷つけさせたことを後悔させてあげるから」

 地獄で英士に詫びろ。

 そう、心の中で付け足して、僕は英士の手を取って、ゆっくりとその場を離れた。