悠久より
陽のあたる場所
潤慶はいつも、俺を抱きしめてくれた。
自分でも信じられない程幼い頃の俺は泣き虫だった。
日本や韓国を行き来する落ち着きのない生活が厭で厭で仕方なく。
大人たちの低い話し声。それはいつも俺の話で。
何もかもがただ――怖かった。
――潤慶はそんなときに現れた。
従兄だと紹介され、ひとつだけ年上だと云われたが、その瞳は聡明でずっと大人びていた。
流れるように動くそれに捕らえられたときは心臓が止まりそうで。
「僕がお前を守ってやる。泣かせたりしない」
今でも忘れられない。
嬉しくて。暖かくて。とても心強かった。
言葉通り、潤慶はいつも俺を守ってくれた。
近所の子どもにいじめられた時も、大人からの冷たい視線からも。
それでも俺が涙を流すなら、そっと抱きしめたくれた。大丈夫、僕がいるよ――そんな風に。
それは何よりも安心出来た。
潤慶はいつも俺より大人で。
絶対に弱さを見せず、いつも笑ってくれた。
「僕は英士のおにいちゃんみたいなもんだからさ」
それで良かった。満足していた。
――俺の大好きな“おにいちゃん”。
月日が経つにつれ、俺は潤慶のことを“従兄のおにいちゃん”としてではなく、一人の人としてきちんと見れるようになった。
そして益々その魅力に引き込まれる。
普段言動に無邪気さを散りばめてその老成した強さを隠しているが、奥にあるものは常に強烈な光を放っていること。
それに裏付けられたひとつひとつの仕草に滲む優しさ。安っぽいものではなくもっと深いところから来る、広く透明な誠実さ。
自分を包む腕の本当の偉力に改めて気がついたときには震えが走る程だった。
――そして俺は思う。
自分の傍にいることに飽きられてこの繋いだ手を離されたとき、どうしたらいいのだろうかと。
怖い。温もりを知ってしまい、独りだった昔以上に独りが怖くなった。
いつしか凡てにおいて背伸びをするようになった。――潤慶にもっと近づけるようにと。
始めは不自然なそれに疲れも感じたが、望んだ通りに俺は年を重ねることが出来た。
それでも潤慶にはいつも敵わない。
――なんとなく、それに幸せも感じた。
そしてまた気がつくと。
俺は従兄弟という関係に不満を感じるようになっていた。
それが自然な形であるというのに。
もっと。もっと欲しいと思った。
包む腕にそれ以上が欲しいと思った。
優しい温かさではなく熱い激しさが欲しいと思った。
――こんな感情、殺さなければ。
哀しくて痛い想いは忘れてしまうのが、俺の学んだ処世術。
血縁としてでもいい。抱きしめていて欲しい。
この腕が離れ、独りになるくらいならば。
黙って。静かに。殺してしまおう。
ところが。
潤慶の温もりは、すうと音もなく消えた。
寄せた波が引くように俺の傍から離れてしまった。
隔てられた余所余所しい態度に――心が悲鳴を上げる。
失ってしまった。独りになってしまった。
――体の裂かれるような痛みに嘘の限界がみえた。
俺が突然口づけると、潤慶はとても驚いたようだった。
一度だけでいい。それだけでいい。もう二度と顔を合わせてくれなくてもいい。
――潤慶、俺を抱いてよ。
涙に堕ちた願いだった。
綺麗でもなんでもない、ただの欲望。
そして潤慶は――俺を抱きしめてくれた。
昔のような優しさに満ちたものではなく、強く、壊れる程に強く。
熱く燃え上がる心に、また涙が溢れた。
このひとがいれば、もう何もいらない。
あれからまた時が経った。
潤慶は昔以上に大人になったと思う。余裕が出てきた、と云うのだろうか。
少しもの思いに耽る表情にも見惚れてしまう。
その感情に前のような罪悪感を感じなくていいのは、とても幸せなことだ。
「――俺、英士がいれば何もいらない」
潤慶はそっと囁くように云う。
心臓が大きく震えた。
「告白しようか。僕、かなり小さいときからそんなこと思ってた」
恥ずかしい奴。
愛しくて愛しくて、涙が出そうなくらいに。
俺もひとつ告白しようか、と云うと目を閉じていた潤慶はゆっくりと俺を見た。
「ずっとそばにおいて」
胸の中に積もっていた想いを、そっと散らすように。
「俺が要らなくなるまで、ずっとそばにおいてよ」
昔からそんなこと考えてた――笑うと、強く抱きしめられた。
ああ、ずっとずっと、俺はこの腕に守られてきたんだ。
悠久より変わりなく包む温もりに、俺はそっと身を委ねた。
END