※豹さまより強奪戴いたちび潤英シリーズです。
僕の好きなものと君の嫌いなもの
英士は蛙の卵が嫌い。
子どもは結構グロテスクなものが平気なものだけれど、誰にでも得手不得手は存在する。英士にとっての蛙の卵は、まさに不得手のそれで。
それに初めて気が付いたのは、皆で川へ遊びに行った時のこと。
小さな流れの中にあるそれを、英士は直視することもできずに身体を竦ませて、僕の服の裾を握り締めた。何に怯えているのか気付くのは容易なことで。
けれど。
それに気付いてしまったのは、不幸にして僕だけではなかったのだ。
「英士――ぁ」
今日は英士が韓国の僕の家に遊びに来ていて、いつものように、僕の友達と一緒に遊んでいた。僕の友達は当然、英士よりも1つ年が上で、身体能力にも差がでてくる。
だから大抵、英士は僕にくっついて、僕が英士をフォローする形をとる。今も、少しだけ離れた位置にいた英士を僕が呼んで、英士は一生懸命に走って僕の所へ近付いてきた。
僕は立ち止まって、英士に手を伸ばして、彼を迎える。
走って少しだけ赤味が差した相貌が、俄かに微笑みに彩られて。僕もそれを見て、口元を緩めた。そんな英士の様子を、周囲の大部分も微笑ましく眺めている。
英士は可愛いから、僕の友達の中でも可愛がられていた。
ただ。
子供心には、「好きな子ほど苛めたい」という心理が働かずにはいられないらしく。きっと、好きな子に対しては、守りたいか苛めるか、二者択一の気持ちしか存在しない。僕は、自分の気持ちが前者であったことに、時折、酷く満足する。
だって。
英士を苛めたら、泣き顔しか見ることができない。困惑して、悲壮な相貌しか。
けれど、僕は。
「潤慶」
漸く僕に追いついた英士が、僕の名を呼んで笑う。
こんな風に、柔らかく綺麗な声で、自分の名前を紡いでもらうことも、華が綻んだような笑顔を向けられることだってできる。
それは僕の特権。
英士を守る僕の特権。
英士を苛める、全ての人間に言ってやりたい。
英士はこんなに可愛く、綺麗に笑えるんだって。どうしてそれを壊してまで、困らせて、泣かせたいと思うのだろう。
僕は英士を泣かせたくない。笑わせて、あげていたい。
けれど。
僕からの報復を受けることを予想していても尚、英士にちょっかいを出す友達は、決して少ないわけではなく。
そして、それが自分に対する好意から生じているものなのだと理解できるほど、英士はまだ強くも、大人でもないのだ。
「英士、良いものあげるよ」
意地悪な笑顔でそう言って突き出されたものは、ビニール袋いっぱいに入った、蛙の卵。
案の定、英士は一瞬、目を丸くして。
そしてそれを更に突きつけられてやっと、我に返って泣き出した。僕がそれを奪おうとするけれど、なかなか上手くいかなくて。自分の目の前を幾度となく横切るそれに、英士は半狂乱で逃げ出した。英士にそれを突き出した友達はそんな英士の様子を見て、少しだけ後悔の入り混じった風貌を浮かべるけれども、今の僕にそれを構っている余裕などはない。
慌てて、英士の後を追う。
英士は泣きながら走っていく。僕の方がずっと早いから、追いつくのは苦ではなかったけれど。
追いついて腕を掴んで振り向かせた英士の表情に、酷く心が痛めつけられる。
「潤慶……」
こんな風に真っ赤な瞳で、透明な雫が留めなく流れ落ちていくのを見てしまえば。掠れた声で、僕の名が紡がれるのを聞いてしまえば。
友達への、憤怒よりも先に。
僕の心の中を、罪悪感と自己嫌悪が襲う。
「ごめんね、英士」
せめて、自分が側にいるときぐらい、守ってあげなければならないのに。
英士は僕の服を掴んで、未だ泣き止まない。僕は英士を抱き寄せると、自分の肩に英士の頭を押し付けた。濡れた感触が、薄い布を通して伝わる。
「ごめん」
ずっと一緒にいられるわけじゃ、ないから。
英士が1人でいるときは、1人で泣かないといけないから。
「ごめんね」
英士を抱き締める。優しく、優しく。こんなに小さな身体で、英士はあの国ではたった1人、痛みに耐えなければならないなんて、何て不条理なのだろう。
だから。
僕が一緒にいるときぐらいは、せめて、英士を泣かさないようにしようと、心に固く誓っていたはずなのに。
英士を泣かせる対象が、僕であっても友達であってもそれ以外の何かであっても。
その誓いを守ることはなかなか容易ではない。
「ごめん」
その度に僕は、自分の不甲斐なさを責めることしかできない。
もっと僕が強かったら、もっと僕が大人だったら、僕は英士を泣かせずにすんでいるのだろうかと考えたことは一度や二度ではなくて。
英士は漸く泣き止んで、目を掌でゴシゴシと擦った。
「英士」
まだ目元に残っている雫を、指先で掬い取ってやる。
「もう大丈夫だよ、戻ろ」
英士の手を取って笑いかけると、英士もつられて、軽く笑い返した。
ほら。
英士の笑顔は、こんなにも可愛いのに。
とりあえずは、英士を泣かせた友達に、一発ずつ制裁を食らわせてやることとしよう。
そう心の中で誓って、2人で歩み出した。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
キス
英士の頬に、瞼に、額にキスをするのが好きになったのは、いったい何時の頃からだっただろうか。
ただ触れるだけの、優しい口付け。
「英士」
その行為の意味を知っているのは、僕ばかりで。
英士はただ、擽ったそうに身を捩って。
そして、笑う。
「英士」
頬に、触れて。額に、唇を移動させる。
英士に対して僕が抱いているこの感情を、大人は子どもの恋だと笑うのだろうか。
英士は男の子で。僕も男の子で。
そして、僕たちは血の繋がった、従兄弟という関係で縛られた子どもたち。
従兄弟だったから、こんなにも早くから英士に出会えた。きっと、英士がこれから出会い、そして英士に惹かれていく誰よりも早く。
僕が一番初めに、英士を見つけた。
小さな英士の頬を包み込んで、額同士を軽くぶつける。
英士が笑う。
それを見て、僕も笑う。
これが恋でないのなら、他に一体、何がこの感情を形容してくれるというのだろう。
これが、そうでないというのなら。
愛などではないと、嗤うのなら。
僕は一生、愛なんて感じることはない。
大人がどれだけ僕のこの気持ちを嘲笑ったとしても、僕が信じられるのは自分の気持ちだけ。ただ、英士が好きだという、この気持ちだけ。
この気持ちのほんの一部だって、大人は理解しくれない。できるはずがない。
だって、僕ほどに英士を好きな人間はどこにもいなくて。
これから英士を好きになるであろうどんな人間よりも僕の想いは長くて、深い。
それを誰が一体、判ってくれるというのだろう。誰にも判って貰えなくても良い。英士にだけ、伝わればそれでいい。英士が、自分がどれだけ大切に想ってもらっているのかを知って、自分は決して1人ではないのだと知ってくれれば、それで僕は。
この気持ちを、恋でないと、愛でないと言うのなら、誰が他にこの感情に名前を付けてくれるというのだろう。
大人の測りは所詮、自分達だけのもので。
僕のものでは、決してない。
誰も僕にはなれない。誰も英士にはなれない。それならば、僕の気持ちを理解できるものなど、存在するはずがない。
英士の頬を、掌で包み込む。小さな顔は、僕の手で簡単に捕らえられる。けれど、決してそれから英士が逃げることはない。それはどんな形であれ、英士から僕に向けられている信頼の証。
「英士、大好きだよ」
「うん。僕も、潤慶のことが大好き」
その言葉は、いつでもどんな時でも、何よりも確実に、僕のことを満たしてくれる。
英士が好き。
英士がいい。英士しかいらない。
大人になっても、この気持ちが変わることなんて、絶対にありえないから。
そういう気持ちを、『恋』や『愛』と呼ぶのではないのか。
「英士」
顔を近づけて、頬にもう一度、唇を掠らせて。
そのまま、優しく抱き締めた。英士の体温が僕に伝わる。英士の柔らかい髪が、僕の頬を撫でる。
可愛い英士。僕の英士。
いつか、僕が持っているのと同じ気持ちを、英士が持っているのだって僕が知ったら。知ることができたら。
その時には。
また、今みたいに、優しくお互いを抱き締めて。
今度は、「大好き」じゃなくて。
「愛してる」って囁いて、キスをしようね。