=============================================================================== − Ghost Writer [霊体化能力者] − Edit by Adeth Windark/2008 =============================================================================== =============================================================================== §第3話 修行と出張 電話が鳴った。この事務所にある電話は、俺の携帯電話だけだ。 「はい・・・ああ、お前か。用件は?・・・ひよこちゃん?・・・ああ、あいつのことか。変なインプリンティングに惑わされてるだけだろ。・・・よせやい、面倒くさい。・・・仕事? そっちの話を先にしろよ。」 俺は椅子を回転させると、さっきからぴったりと張り付いて聞き耳を立てているリリーナをすかした。リリーナはどさりと床に倒れる。 「・・・おいおい、そっちにも俺と同じぐらいのやつがいるだろ。・・・失敗した?・・・重傷なのか?・・・やれやれ。・・・依頼するなら事務所に直接来いっていってるだろうが。え?・・・しかたないな。交渉がこじれても出張旅費だけはもらうぞ。いいな?」 俺は電話を切った。 「出張なの?」 俺はノートPCを開いた。 「ねぇってば、出張なの?」 ブラウザを起動し検索ページを呼び出す。 「どこ行くの?」 最近ではネットでもかなりの事前情報が入手できる。 「ねぇってば」 ニュースログとトラックバックをクリックして関連する情報を何枚も表示する。 「こっち向きなさいよ!(びしっ!」 頭に激痛が走った。この感触は真後ろからの手刀か? 「なんだ、まだいたのか。さっさと帰れ。」 「そんな言い方はないでしょ、この事務所の助手に向かって。」 「(ムカッ)誰が助手だぁ。出て行け!」 俺はリリーナを文字通り玄関からつまみだした。俺は机に戻ると地図サイトを呼び出し、目的地周辺を表示する。 「なになに、ニューヨーク?」 一瞬で戻ってきやがった。 「おい、そこに座れ!」 「? 何よいきなり。」 「お前には俺と同じ能力の才能がある。今は無意識で適当でいいかげんで瞬間的で発作的にしか使えていないが、ちゃんと修行すれば使い物になるだろう。俺の助手になりたいっていうのなら、ちゃんと修行してもらおうか。」 「やってやろうじゃないの。」 「よし、ちょっと待ってろ。」 俺は屋敷の右翼のある部屋へ行くと、埃のかぶったダンボールを持ってきた。それを机に起き、中身を取り出す。 「まずは精神の鍛錬だ。これがDVDプレイヤー。紙と鉛筆。こっちのDVDを全部見て、それぞれの感想を書け。」 「は?」 リリーナは目が点になっていた。積み上げられたDVDは、ナイト・オブ・ザ・リビングデッド、13日の金曜日といった定番のホラーやスプラッタ映画ばかり30本ほど。 「何これ? う、気色悪い。」 「俺の仕事の助手っていうのなら、どんなことがあっても動じない強靭な精神力が必要だ。隕石が振ってきて地球が滅亡しそうになったり、エイリアンに町が占拠されたり、自分の両親が目の前で肉体をバラバラにされて謎の怪物にむしゃむしゃ食われていても、まったく動じない強さがな。」 「・・・これってどこから持ってきたの? あんたの趣味?」 「向こうの部屋にDVDの見過ぎで死んだ奴がいてな、そいつから借りてきた。」 「・・・これって何かのいやがらせ?」 「そうとも言う。」 微笑む俺の顔にパンチが炸裂した。 「いやなら帰れ。文句があるなら帰れ。俺の言うことが聞けないのなら帰れ。」 リリーナの瞳に涙が浮かんだ。 「そんなに毛嫌いしなくても・・・しくしく」 泣き落としか? 俺には通用しない。横からハーブティの臭いがした。 「あの〜お茶が」 「お前はしゃべるな!!」 俺はノートPCの前に座りなおすと、情報の検索を再開した。数分後、必要な情報が得られたと判断した俺は、財布の中身を確認。左腕に腕時計、右に銀の腕輪を装着するとコートを羽織りながら玄関へ向かった。 「いってらっしゃ〜い。」 振り返るとメリルが微笑みながら見送っていた。リリーナはDVDの山を膨れっ面でにらんでいる。俺は玄関を出た。 玄関から数歩のところで立ち止まり、周囲に霊気を展開。自分を霊体化する。重力から解き放たれ、俺は空中に舞い上がった。腕時計で時刻を確認し、太陽の位置から方向を割り出す。俺は足元に霊気を展開すると、少しずつ加速していった。俺は地上から100mぐらいのところを飛行する。眼下には半透明の街並みが矢のように過ぎ去っていった。このやり方はその気になれば(計測したことはないが)マッハ30ぐらいは出せる。しかし、以前やったときは早すぎて自分の場所を見失い、戻ってくるのにかなり苦労した。数秒後、俺は海の上を飛んでいた。海の上では目印になるようなものが無い。俺は太陽の位置を確認しながら進路を補正していった。 −◆− 経費削減と様々な手間を省略するためとはいえ、ニューヨークに到着するころには俺は疲労困憊していた。まずは両替だ。ユーロを手持ちいっぱいまでドルに変える。次は飯。手近なイタリアン・レストランに入り、パスタを3人前注文する。腹がいっぱいなったらもう夕方だった。依頼主との約束は明日の昼にしてある。ドラッグストアでサプリメントと水を買い、コートの内側のポケットにねじ込む。街頭で新聞を3種類ほど買うと、予約してあるホテルへ向かった。 −◆− 朝。静かな目覚めを迎えることができるのは久しぶりな気がする。カフェで朝食をとりながら、買った新聞を端から端まで読む。俺は依頼主のところに行く前に、少し寄り道する予定を立てていた。地下鉄を乗り継いで北へ。良識ある人間、特に外国人や白人なら絶対足を踏み入れない治安の悪い地区。その薄汚れた路地をスタスタを歩いた。周囲のあちこちからの視線を感じつつ、赤レンガ作りの古い建物の扉をノックする。 「誰じゃ?」 しわがれた老婆の声がして、目の高さに細いシャッターが開いた。俺は無言で右腕の腕輪を見せる。鍵を複数箇所開く音が聞こえて扉が開いた。中へ入る。 そこはネイティブな装飾品の店だった。木の彫刻、スカーフ、羽飾りなどがところ狭しと並べられている。扉を開けてくれたのはネイティブの老婆だった。 「何を探してるんだい?」 「何か掘り出し物がないかと思ってね。」 「・・・ちょっと待ってな。」 数分後、老婆は20cm四方ぐらいのガラスケースを持ってきた。中には黒光りする拳ほどの大きさの物体があった。表面は丸く光沢があり、ほぼ球形だが、縦方向に少しつぶれている。これは霊鉱石だ。  霊鉱石・・・霊界でのみ発見される流体金属。使用者の意思によって瞬時に変形を行う希少金属だ。俺が右腕につけている腕輪もこれでできている。十分な大きさの霊鉱石は、それ1つで千の武器と千の道具に姿を変えることができる。 「でかいな。いくらだ?」 その値段は今の手持ちでは手出しできなかった。俺は仕事が上手くいったら買いにくると言って店を出た。 −◆− 依頼主のことろに行く途中、ふと目に止まったものがあった。グラウンド・ゼロ−−貿易センタービル跡地。瓦礫などはもうなく、小奇麗にされた周囲。中心にモニュメントがひっそりと建っている。俺はサングラスを外し、視界を切り替えた。そこにはどす黒い瘴気が渦巻き、塔のようになっていた。何かひっかかる感じがあったが、俺は会合の時間が迫っていることに気づき、足早にそこを後にした。 −◆− 依頼主と会うのは、某高級ホテルの最上階。俺はホテルに入るなりガードマンに呼び止められた。 「俺は人に呼ばれてここに来たんだ。ここままじゃ約束の時間に送れてしまう。俺を引き止めるのはいいが、時間に遅れたらあんたが言い訳をしてくれるのか?」 俺の格好が怪しいのは否定しきれないとしても、いきなり失礼な奴だな。ガードマンが食い下がろうとした時、黒服のSPらしき男が2人、割って入ってきた。 「ミスター・ヤグチですね。お待ちしておりました。」 俺は黒服2人にエレベーターまでつれていかれた。右前方と左後方から挟み込むガードポジションに2人がつく。俺の乗ったエレベータは最上階まで行かず、途中で停止した。 「こちらへ。ボディチェックをさせていただきます。」 ある部屋へ通された。中にはさらに黒服が2人いた。コートを脱がされる。一人がコートの中のものを全て机に出した。中身が半分になった水のペットボトル、サプリメント、昨日買った新聞、財布。サプリメントは全て中を皿に開けられた。腕を上げるように言われ、ボディチェックを受ける。腕時計も外された。警棒のような探知機がかけられる。その探知機は腕輪に激しく反応した。機械は正しい。間違うのはほとんど人間の方だ。 「見てもいいが、傷つけるなよ。大事なやつだから。」 俺は腕輪を渡した。数分後、全て返してもらい身に付ける。えらく厳重な歓迎だな。部屋を出ると今度は目隠しをされた。おいおい、どこの秘密結社に案内してくれるんだ? 歩かされ、エレベーターに乗り、歩かされ、エレベーターに乗り、また歩かされてエレベーターに乗った。俺は目隠しをされた段階から視界を切り替えておいた。これで目隠しに関係なく周囲が知覚できる。俺は途中の道順を全て覚えた。 −◆− その部屋は香水の匂いでいっぱいだった。目の前にいる女性−−依頼主のラスターニャ・スティーブン−−は、香水が服を着ているような感じだった。スタイルも整形でもしているのかというぐらい凄い。おまけに仕草の1つ1つが誘惑するかのようで、全身で”私は誰かにすがらないと生きていけないの”といわんばかりだった。 「話し方がぶっきらぼうなのは容赦願おう。仲介人から聞いていると思うが、報酬はユーロ。キャッシュでもらいたい。何か問題は?」 「ないわ。」 「結構。まずは情報整理。次に現場を一通り見せてもらおう。同じことをもう何度も話しているとは思うが、こっちの質問にはできるだけ正確に答えてほしい。」 「・・・いいわ。」 「まず最初に、あんたの護衛は8人いるようだが、これで全部か?」 「?」 ラスターニャは怪訝そうな顔をしてタバコに火をつけた。こんな質問はされたことが無いらしい。道中、黒服の連中を観察したが、一人だけオーラの形が普通と違う奴がいた。なにがどう違うのかはっきりと捕らえられなかったが、何かひっかかっていた。そいつはラスターニャの左後方にいる。俺は視線に気づかれないようにラスターニャだけを見ることにした。しっかし、いい女だな。香水がきつ過ぎるのとタバコを吸ってるので大減点だがな。 「それは・・・」 「その質問については返答しかねる。セキュリティ上の問題だ。」 黒服のリーダーらしき男が口を開いた。 「なるほどね。これは俺の勘だが、パターンどおり問題を起こしている奴は内部にいる。」 「・・・」 沈黙が流れる。 「先を続けようか?」 誰も返事しないので俺は進めることにした。 「俺の前に同じようなことを依頼したと聞いている。そいつがここへ来てからどうなったのか説明してくれ。」 「えっと・・・」 「それは私が。」 またも黒服のリーダーらしき男が口を開いた。警察の捜査が断念した後、私立探偵を呼んだこと。現場を見て回り、翌日訪れた際、エレベーターの中で死んでいた。エレベーターに乗るところはホテルの監視カメラで確認されている。死因は心臓麻痺。 「次はあんたの旦那が殺されたことについてだ。あんたの旦那の護衛は何人だった?」 「それは」 「死んでる人間の護衛の数がわかって何か問題があるのか? こっちには重要なことだ。」 「10人よ。」 黒服リーダーが返答に詰まっていると、ラスターニャが答えた。 「旦那が殺された時、そのうち2人も死んだ。残った護衛は全部あんたに付いている。あってるか?」 「・・・ええ、そうよ。」 「次は旦那が死んだときのことを話してくれ。」 説明は黒服リーダーがした。発見場所はこのホテルの自室。自宅もあるが、金にものを言わせてほとんどホテル住まいだったらしい。朝食後、秘書が黒服の引率付きで部屋に入ると、入り口で護衛が2人死亡。奥で旦那が死んでいたらしい。3人とも殴打されたような後があり、首の骨が折れていた。部屋は完全に密室だった。 「警察の見解は?」 「・・・お手上げだそうよ。このフロアにも監視カメラがいくつも仕掛けてあるけど、誰も映ってないらしいし。」 ラスターニャがすらすら答えた。何度も同じことを言ったのだろう。 「今までの情報からすると、犯人は最低2人だ。依頼は旦那が殺された理由とその手段、そして犯人の割り出し。それでいいな?」 ラスターニャは頷いた。この時点で悪い予感がしていた。こいつは後で的中することになる。 −◆− 俺は現場を一通り見せてもらった後、警察へ行き、事件の調査情報をもらった。担当だったらしい刑事は、迷宮入り確実だと、いろんなことをへらへらと教えてくれた。むろん、プライバシーに関することは教えてはくれないが、死んだ旦那と護衛2人、俺の前任の私立探偵の死因についてはしっかりと教えてもらった。  旦那と護衛2人は首の骨折によるのが直接の死因らしいが、その折れ方は熊かライオンに殴られたようなものらしい。とても人間技には思われず、かといって密室だった部屋に人を殴り倒せるような道具を持ち込んだら、かならずどこかに形跡が残るはずだ。しかしそれも発見できなかった。  俺の前任の探偵は、検死解剖の結果、心臓の一部の血管が詰まり、それによる心停止が死因らしい。肺や肝臓は綺麗なもので、血液検査でも血管が詰まるような体質とは思えないらしい。  旦那の殺される可能性については、逆に多すぎて絞り込めないらしい。彼が勤めていた会社だけでなく、ライバル会社にも敵は多く、まさしく男子家を出ずれば七人の敵ありというわけだ。旦那の死を喜ぶのは、何も会社の関係だけではあるまい。ラスターニャを狙っている男も多いはずだ。この点については、その刑事は「Googleで検索したらん万件ヒットするんで1つずつ見ていけるか!」と言った。それでも上からの命令で可能性の高そうなものたちをリストアップしてアリバイ調査をしたらしい。しかし、全員が白。警察でも旦那と護衛を殺したのと、前任の探偵を殺したのは別の犯人だろうと考えていたらしいが、調べれば調べるほどつじつまの合わないことだらけになるらしい。 俺は資料は見せてもらうだけに留め、警察を後にした。 −◆− 調査開始して2日目。仲介人を通じて情報屋を何人か紹介してもらう。俺が知りたいのはラスターニャの交友関係、そして護衛の黒服どもの情報だった。特に知りたいのはあのオーラが変な黒服のやつのことだ。非合法な手段も駆使して、俺は一日中駆けずり回った。 −◆− 調査開始して3日目。現場検証と称して黒服を1人つけてもらい、ホテル中を歩き回った。どのような手段をとるにせよ、殺害現場までは侵入する必要がある。俺は侵入ルートを検証すると言って、非常階段やエレベーターシャフトの中まで覗かせてもらった。俺についた黒服はあのオーラの変な奴だった。俺は奴に聞こえるように頭で整理している情報を声に出してつぶやいた。 ロビーに出たときのことだ。ラウンジに子供が風船を持っているのに気づいた。よくあるヘリウムを入れた単純なやつだ。可愛そうだがちょっと利用させてもらおう。俺はサプリメントを出してぼりぼりと齧った。手にはこっそりと1個だけ忍ばせておく。ペットボトルを出して飲み始める。周囲を見回すふりをして右側面を黒服から見えないようにし、霊気を指先に圧縮すると、サプリメントを指弾の要領で発射した。 パアン! ラウンジに風船の破裂音が響いた。周囲は一瞬、騒然となる。黒服がそちらを見た隙に、霊気を展開して自分を霊体化する。そして普通の足取りでトイレに向かった。 「おい、どこへ行くんだ。」 何歩も行かないうちに黒服が声をかけてきた。俺は霊体化を解除する。見えてやがるな、こいつ。 「トイレだ。ちと飲みすぎたみたいでね。」 黒服はトイレにまでついてきた。変態野郎め、後で化けの皮を剥いでやる。その後、厨房や従業員ロッカールームなどを見て回った。俺が探していたものは、途中で見つかった。清掃員らしい男が妙なオーラをしていた。顔をよく見るために事情聴取する。お決まりの何か見ませんでしたか、何か聞きませんでしたか、気が付いたことは−−というやつだ。こいつの顔はどこかで見たような・・・。 俺はその日の夕方、依頼主に状況報告に行った。2日に1回は報告することになっている。そして予想していたとおり食事に招かれた。といってもルームサービスだが。ラスターニャと差し向かいで食事をする。この席に座りたがる男は山ほどいるだろう。俺は食事をしながら報告した。警察へ行ったこと、ホテルの中をくまなくしらべて犯人の侵入経路の割り出しをしていること、犯人の絞込みに入っていることを報告した。情報屋にあたった件は伏せておく。 ラスターニャはしきりに酒を勧めてきた。俺は飲まなかった。しかし、食後の酒には無理やり付き合わされた。俺を誘っているらしい。オーラの色を見れば一目瞭然だった。 「そろそろ帰って情報をまとめたいんでね。失礼する。」 俺が強引に席を立つと、ラスターニャが後ろから抱き付いてきた。 「ねぇ、今夜は泊まっていってくださらない。あの人が死んでからいつも心細くて。」 いつの間にか黒服たちが姿を消していた。なるほど。慣れたもんだ。普通の男ならこのあたりで理性が吹き飛んでいるところだ。この毒蛇め、そうはいくか。・・・と思ったが、こんなチャンスもめったに無い。俺は脚力を強化し、ラスターニャをゆっくりふりほどくと、瞬時に彼女の背後へ回って当身をくらわせた。意外にあっさり落ちる。倒れる前に抱きとめ、ベッドへ引きずっていった。香水の臭いが鼻腔に充満する。普通の男なら興奮してくるだろうが、俺にとっては臭いが強過ぎて不快だ。さてこいつの心を覗かせてもらおうかと思ったところで、ふと嫌な予感がした。あまりにもあっさり無防備になりすぎる。こいつはそれほど抜け目の無い女ではないはず。とすると・・・。 俺は周囲の空間をコールタールのように真っ黒に上書きしていった。足元から現れた黒い液体が部屋全体を覆っていく。壁や床の間接照明、カーテンの隙間から漏れる光すら遮断するように、漆黒の闇の空間を作り出した。光が全く無い状態だ。視界を切り替え、オーラでラスターニャを確認する。俺は自分を霊体化するとラスターニャの意識に侵入を開始した。 −◆− そこは浅い海のようなところだった。下は暗く底が知れない。周囲はピンクを通り越した紫で、酩酊状態の影響もあるのだろう。こんな水中の風景は、定着する前の変動記憶があることを示している。周囲には大量に泡が浮いていた。泡の中にはラスターニャの記憶と感情が入っている。手近なところに俺が映っている泡があった。連なるように新たな泡が作られては弾ける。どうやら俺とどのように楽しもうかと思案している様子だった。俺は他の泡もざっと見た。・・・こいつは色欲の塊のようだ。誰かといちゃつくものしか見当たらない。泡の仲には護衛の連中の顔もある。・・・誰か足りないな。俺は泡を1つ作り出し、自分が映っている泡にくっつけた。中には適当に彼女とよろしくやった記憶を捏造して入れてある。通常、霊気で作りだしたモノは、数分で崩壊して消えてしまうが、こんな風に記憶の一部に追加してやれば、定着して崩壊しないですむ。 俺は下へもぐった。ほどなく暗いところには入り口が2つと、閉じた扉が1つ見つかった。用があるのは閉じた扉だ。こういうところには思い出したくない、もしくは隠しておきたい記憶が入っている。俺が知りたいのはラスターニャが隠している事だった。俺の予想が合っていれば、旦那が殺害された件について大事なことを隠しているはずだ。俺は一連の泡を確認しに戻った。思ったとおりだった。旦那が映っている泡は1つもない。俺は扉に戻ると旦那の写真を作り出し、それを扉の真中の隙間に差し込む。小さな泡を吐き出して扉が開いた。 −◆− 次は部屋のようだった。広々とした部屋にキングザイズのベッドが1つ。ベッドには本棚がついていた。本棚にはペーパーバックサイズの本が大量にある。俺は一番古そうな本を取り出して中を見た。・・・こいつは誰かとの付き合いの記憶らしい。中身はベッドの上でのものばかりのようだ。俺が見たのは旦那のことが書いてあるものだった。本棚の新しいものを1冊取る。旦那のことが書いてある本とは、新品と古本ぐらいの差がある。無作為に本を選んで中を見てみる。芸能人や著名な連中が多いようだ。ページの大半は白紙だが、書かれているページの量がそいつとの付き合いの量を示しているようだった。かなり新しいと思われる1冊に、あのオーラが変な黒服の奴のものがあった。・・・新しいやつだけをいくつか開いてみる。その中にどこかで見た男のやつがあった。こいつは・・・あの清掃員だった。よく見ると、オーラが変な黒服と顔が似ている。・・・こいつらは兄弟らしい。本の外見とページの具合からしてかなり新しい。日記じゃないので日付はわからないが、交通事故があったとか、天気の話とか、日付を特定できそうな言葉があるので、それを片っ端から覚えておく。黒服のやつの本をめくっていて、気になるところがあった。 『あの人を予定どおりに始末してくれたから』 あの人? 始末? 探していたものは見つかったようだ。俺はその周囲にかかれていることから日付が特定できそうな言葉を拾う。次に清掃員の方を読む。 『知りすぎたみたいだから始末したいって話したら、紹介された。』 『証拠は出ないっていってた。たいそうな自信だわ。』 『警察もお手上げって言ってたわね。どうやったのか知らないけど。』 ・・・俺の前任者を始末したのはこいつらしい。こっちも日付を特定できそうな単語を拾う。必要な情報は手に入った。本を元に戻し、ラスターニャの意識から脱出した。 −◆− 部屋を闇化した状態を解除し、扉から出る。反射的に黒服が2人、身構えた。俺は両手を上げる。 「お疲れらしい。帰らせてもらう。」 一人が寝室を見にいった。俺は廊下に出てすぐにエレベーターに向かう。情報の整理がしたいが、警戒が先だ。ラウンジにあるカフェに入り、コーヒーを注文すると、手帳を取り出して先ほど覚えた単語を書きなぐった。書きながら周囲を警戒する。無造作に座ったように見えるだろうが、この位置は計算してある。照明の量と角度。店とラウンジを仕切るガラス。カウンターに並んだグラスでさえ、俺の眼になる。俺はメモを書き終え、確認しながら視覚を強化した。ガラスの鏡面を1つずつチェックする。やはりいた。黒服が1人。左後方約10m。携帯電話で話をしているように見せかけてこっちを観察している。俺は来たコーヒーをすぐに飲み干すとホテルを出た。 言うまでもなく、俺には尾行がついていた。やれやれ。今日はおとなしく帰るか。俺はさっさとホテルに引き上げた。殺気は感じられない。いきなり仕掛けてきたりはしないようだ。 −◆− 調査開始して4日目。手近な図書館へ向かう。新聞のコーナーに入り、ここ2週間ほどの新聞を端から端まで読む。手帳に書いたメモと照合し、日付の割り出しをする。夕方近くになってようやく思ったとおりの情報が整理できた。 『ぐ〜』 腹が鳴った。ちゃんと食事をしていないことを思い出し、図書館を出ると、決めておいたイタリアン・レストランに入り、パスタを4人前注文する。尾行はまだついていた。店を出て地下鉄に乗る。相手の出方を見るためにセントラル・パークへ向かった。夕日の差すセントラル・パークをのんびりと散歩しながら情報屋に連絡を取る。金の交渉をし、携帯にメールで情報を送ってもらう。 「やれやれ。」 俺はつぶやいた。情報を整理していくと、後はあの兄弟に直接話を聞けば必要な情報はそろうところまで来た。しかし、聞いても答えてくれないどころか、一悶着あるに違いない。尾行を気にしつつ、ホテルに引き上げることにした。 −◆− 調査開始して5日目。俺は仕掛けて見ることにした。『虎穴に入らずば虎子を得ず』だ。作戦を考えると、準備のためにドラッグストアに買い物に行く。そして朝からホテルに入ると、例の清掃員を探した。地下1階。ここには従業員のための区画がある。俺は従業員の出入りを監視した。ほどなくして例の清掃員が現れる。 「ちょっと話を聞きたいんだが。」 「え? 何ですか?」 「まあ、長話になるんで、ガムでもどう?」 俺はチューインガムを1枚差し出した。ガムの端からはドル紙幣が見えている。 「どうも。」 清掃員はガムを受け取り、そのままポケットに入れる。 「ちょっと思い出して欲しいんだ。×月○日、16:00〜17:00 の間、どこにいた?」 それは前任の私立探偵が殺されたと思われる時間帯だった。 「その時間帯は清掃をしていたと思います。」 「具体的に答えてくれ。何階にいた?」 「4階だったと思います。客が植木を倒して土がこぼれたんでその掃除に。」 「何号室のあたりだ?」 「4025と4026の間です。」 「・・・ありがとう。もう1枚、どう?」 俺はドル紙幣を裏につけたガムをもう1枚差し出した。 「どうも。」 素直に受け取り、やはりポケットへすぐ入れる。 「ありがとう、助かったよ。」 「どういたしまして。」 俺は礼を言い、立ち去ろうとしてから思い出したように振り向いた。間合いは約5m。 「あ、そうそう。もう1つ。どうやって奴を殺ったのか、教えてくれないか?」 「は?」 「あんたが殺ったってのはわかってる。」 「誰のことですか?」 「俺の前に来た私立探偵だ。あんたが殺ったってのはわかってるんだが、どうやったのかわかってなくてね。教えてくれないか?」 「・・・」 清掃員は黙り込んだ。 「誰に頼まれたのか。あんたがどういう利益を得たのかも大体わかっている。協力者もいるだろ。」 「・・・」 清掃員の表情が堅くなってきた。 「俺が何で知ってるか、教えてやろうか? 聞いたんだよ、ある人からな。そしてあんたを邪魔に思ってるらしい。ばれない秘密なんてないんだ。でも口を封じておけば、秘密がばれることはない。」 清掃員の表情に焦りが見えてきた。 「俺が何で来たかわかるか? わからない? じゃあこう言えばどうだ。”あんたは用済み”だ。」 「・・・馬鹿な・・・」 清掃員はぼそりとつぶやいた。手を強く握り締めている。清掃員の肩が小刻みに震えていた。 「誰に言われたんだ、そんなこと。」 「なんだ、名前を言って欲しいのか? お前の協力者の名前も知ってる。そいつの名前も出そうか。」 清掃員は歯軋りをした。次の瞬間、清掃員の体から染み出るように、半透明のロボットのような姿をしたものが出現した。それは清掃員の頭上で滞空し、攻撃をするかのうように構えた。 「やれやれ。間抜けな奴でよかったぜ。お前、ぺ〜なんとかとか、ス〜なんとかとか言う奴だな。なるほどな。どうやって殺されたのか、ようやく納得したぜ。」 清掃員は驚愕に満ちた顔になった。 「・・・お前も同じような能力を持っているのか?」 清掃員はつぶやくように言った。 「”同じような”? ああ、お前とは格が違うがな。」 俺は霊気を練り上げると、頭上で収束させて形にする。俺の頭上には3つの頭を持つ巨大な犬−−ケルベロス−−が出現した。実体化させてないのでこっちも半透明だ。 「な!・・・俺を締め上げたって、何の証拠にもならないぞ!」 俺は邪悪に微笑んだ。 「ああ、わかってるさ、そんなことぐらい。だが、お前が邪魔なのにはかわりないんでね。」 清掃員がうめくと、奴の頭上にいた半透明のロボットは輪ゴムのようなものを発射してきた。防御する間もなく、それは俺の首に命中し、そのまま壁まで吹き飛ばす。首に命中した輪ゴムのようなものは、俺をそのまま壁に縫いつけたらしい。足が床に届かない。そして首がゆっくりと絞まってきた。俺はケルベロスに攻撃を命じる。ケルベロスは突撃し、前足を清掃員に振り下ろす。清掃員はケルベロスの次の攻撃を半透明のロボットで防御すると、そこから逃げ出した。俺はケルベロスに追撃を命じた。ケルベロスは巨体だが、実体ではないので障害物関係なしに直線で走れる。ケルベロスは清掃員を追って壁を通過していった。 俺は手を首に伸ばした。俺の首を締めているのは皮の首輪のようなものだったが、実体ではなかった。しかし、物理的な拘束力は極めて高い。俺の首はゆっくりと絞まってきていた。俺は霊体化し、脱出しようとしたが、首ははずれなかった。 「やれやれ、二元拘束できるのか。」 抜けられないのなら破壊するしかない。しかし、引っ張ったところで俺の腕力では外れそうになかった。首が押さえられ、すぐに息が詰まってくる。締め付けは強く、例え息ができたとしても首の骨が折られるだろう。俺は腕輪に変形を命じた。細い糸のようになって首と首輪の間を通り、その両端はリング状になる。間の紐の部分は首輪の側に向かって棘が並ぶ。出来上がったのはワイヤーソーだった。普通のワイヤーソーならこんな拘束は切断できないが、こいつは霊鉱石でできている。霊鉱石で作った武器は、霊体の状態で物体を、物体の状態で霊体を破壊できる。俺は筋力を強化し、自分の首がワイヤーソーの背で擦れて切れるのもかまわずに引き続けた。ぶちぶちという音とともに首輪が裂ける。切断が終了すると、俺は床に落下した。げほげほと咳込む。首の一部は血でべっとりと塗れており、シャツを赤く染めていた。俺はワイヤーソーを腕輪に戻すと、霊体状態のままケルベロスの気配を追った。 清掃員は非常階段を上へ逃げていた。物理的障害の影響を受けないケルベロスは、清掃員を追いつめていた。清掃員は防御のためになかなか階段を上れずにいる。俺は壁を通過して階段の上に回りこんだ。上から見るとケルベロスの首の1つに奴が放ったらしい首輪がついており、今にもちぎれそうなぐらい締め付けている。 「くそ、こいつ、本体に影響が無いのか!」 清掃員が叫んだ。ケルベロスの首が絞まりきって1つ消滅する。しかし、ケルベロスは攻撃を止めなかった。巨大な前足が清掃員の前に浮かぶ半透明のロボットを叩き落す。それと同時に清掃員が血反吐を吐いた。俺は実体化すると、階段の風景を書き換えた。足元から夜空のような風景が広がる。変化した周囲に気づいた清掃員がわめいた。 「うわぁぁ! なんだこれは!!」 「よう、さっきはよくもやってくれたな。」 「お、お前は! お、俺の首輪をどうやって解除したぁ!」 「やれやれ。格が違うって言ったろ。」 ケルベロスが前足を振り下ろし、清掃員は倒れた。 −◆− 「う・・・は!?」 夜。この高さならビル風が冷たく、体感温度は2度ほど下がる。俺は清掃員に最低限の手当てを施し、このホテルの屋上、避雷針の先端にくくりつけた。ロープはリネン室のシーツを拝借して作ってある。俺は念のため、霊気でロープを作り、ぐるぐる巻きにしておいてから清掃員を揺り起こした。 「よう。」 「お前は!・・・ひぃぃぃぃ!」 清掃員は自分が置かれている状況を理解したようだ。俺は霊体化し、清掃員の前に浮かんでいる。 「おっと、妙な気を起こすなよ。別にお前を殺す気は無い。ちょっと話をしたくてね。」 「話だとぅ!」 清掃員は例のロボットを出現させようとした。しかし、俺が巻いておいた霊気のロープにひっかかって出てこれない。 「な、出せない!? どういうことだ?」 「やれやれ。格が違うって言ったろ。へたに暴れない方がいいぞ。いくらお前でもこの高さから落下したらタダでは済まないだろ?」 「・・・何が聞きたい?」 「ここでクイズだ。」 「は?」 「俺はお前が何をしたのか、ある人物から聞いた。その人物とは誰でしょう? お前もよく知ってる奴だよ。」 「・・・それを聞いてどうする?」 「俺は自分なりに裏付けを取って納得したいだけさ。お前を警察に突き出すつもりはない。そんなことをしても無駄だからな。今は拘束してあるが、俺が納得してここを立ち去れば、お前は脱出するチャンスが得られる。オマケに1つだけお前の質問にも答えてやろう。」 「・・・」 「で、誰だ?」 「・・・ラ、ラスターニャ・スティーブン。」 「お前は何を言われて、どうした?」 「邪魔者を始末してくれたら、一晩付き合ってやるって。」 「邪魔者とは?」 「私立探偵だ。」 「OKだ。お前がどうやって始末したのかは言わなくていい。」 「?・・・何でお前が知ってるんだ?」 「ん? ああ1つだけ答えるって約束だよな。質問はそれでいいか?」 「ああ。」 「お前はもう邪魔者なんだよ。誰だって独占したいだろう? そいうことさ。」 「まさか・・・兄貴が・・・」 「裏切られたってことさ。」 俺は霊気のロープを解除した。 「今、二元拘束を解除した。お前の能力なら脱出できるだろう。どこへでも行くがいい。もうお前には興味も何もないからな。」 俺はホテルの中へ急降下した。 −◆− 俺のシャツの色を見た黒服は、一斉に身構えた。余計な手間を食ったせいで定時報告の時間に間に合わないため、俺は着替えずにそのまま例のフロアへ乗り込んだ。 「なんだその血は?」 「これか? 犯人らしき奴と一人でくわしてね。危うく殺されるところだった。」 「犯人? そいつはどこへ行った?」 「逃げられた。」 「何だと!」 「おいおい、俺は調べるのが仕事だ。犯人をどうこうしろという依頼は受けてない。ところで調査が進展したんで報告に来たんだが、通してくれないのか?」 黒服達に入念にボディチェックされた後、部屋へ通された。 −◆− 「!」 黒服達と同じく、ラスターニャも俺の鮮血に染まったシャツを見て息を呑んだ。 「すまないが、時間に遅れそうだったんでね。そのまま来た。」 俺はソファに座り込んだ。 「犯人が誰なのか判明した。侵入経路、および殺害方法については正確にはわかってないが、おおよその見当はついている。」 「ほ、本当なの?」 「ああ。犯人は全部で3人。内、実行犯は2人。もう1人は犯行を指示した人物だ。」 俺はラスターニャが次の言葉を繋ぐのを待った。しかし、場は沈黙に支配されたままだった。しばしの沈黙の後、黒服リーダーが口を開いた。 「誰なんだ?」 「・・・ここで言ってもいいか?」 俺はラスターニャを見据えて言った。この部屋にいるのは俺を除くと4人。ラスターニャ、黒服リーダー、別の黒服、そしてオーラが変な黒服だ。 「事件の全容はほぼ掴めていると言っていい。しかし、俺はここで引き下がってもいい。報酬は最初の半額にしておく。」 「何だと?」 「待ちなさい。どういう意味かしら?」 「俺がちゃんと報告したら一悶着ではすまない事態になりそうでね。あんたの安全のためだ。」 「・・・私の?」 「はったりか? ・・・本当はちゃんと調査できてないんじゃないのか?」 黒服リーダーが食い下がった。 「本当に話していいのか?」 俺はオーラが変な黒服の方を向きながら言った。黒服リーダーと別の黒服が一斉にそいつを見る。そしてラスターニャは向かなかった。 「ちゃんと報告するのが俺の義務だ。報告を聞いたなら、報酬は全額支払ってくれ。俺が報告することでほぼ間違いなく一悶着起きる。それを回避したいなら、判明した事実は闇に葬り、俺は調査費用として半額だけもらって退場する。どっちがいい?」 またしても沈黙。ラスターニャの肩は小刻みに震えていた。黒服リーダーともう一人は、オーラが変な黒服への不信感を急速に募らせている。俺は待った。しばらくしてラスターニャはバッグから小切手帳を取り出した。すらすらと金額を記入して俺に差し出す。そこには調査料の全額が記入されていた。 「これを受け取って帰って。」 「おいおい、金額が多すぎるんじゃないのか。それに、報酬はキャッシュでと言ったはずだが。」 ラスターニャは黒服リーダーへ小切手を差し出した。 「換金してきて。」 「しかし・・・」 「早く!」 「わかりました。」 「ちゃんとユーロで頼む。」 俺は念を押した。黒服リーダーは部屋を出ていった。 「どうやって調べたの?」 今までと違って厳しい表情でラスターニャが俺を睨んだ。 「俺はプロだ。」 「どうやって調べたって聞いてるの!」 「そいつは守秘義務の範疇だ。答えるわけにはいかない。1つ付け加えておくなら、この一連の事件は、最初から警察の手には負えないものだ。世界にごまんとある迷宮入り事件。最初からそうなるように仕組まれている。誰も手を出すことができないまま、忘れさられていく。そういう事件になるようにな。」 その時、壁をあの半透明のロボットが通過してきた。部屋に殺意が充満する。オーラが変な黒服は反射的に身構えた。ロボットはもう一人の黒服にめがけて例の輪ゴムを発射した。その黒服は吹き飛ばされ、窓に張り付けになる。輪ゴムは首に命中しており、急激に縮んで締め上げ始めた。 「ぐあぁぁぁ! げぼっ!げぼっ! !!!!!」 黒服は首をかきむしった。首を締め上げているそれは、霊体でありながら物体に作用する。霊体に干渉する能力を持たないものにとっては触れることすらできないものだ。 ゴキッ! 鈍い音がした。黒服の手足がだらんとぶら下がる。続いてぶちっという湿った音がして、部屋の絨毯に丸い物体が転げ落ちた。鮮血が飛び散り、カーテンを真っ赤に染める。黒服の体が床に落ちた。 「・・・いやぁぁぁぁぁ!」 ラスターニャがかなり遅れて悲鳴を上げる。ラスターニャは腰砕けになりながら俺の方へ這い寄ってきた。 「たす、助けてぇ!」 ラスターニャは完全にパニック状態になっていた。ここでオーラが変な黒服が部屋を飛び出していった。こっちに向き直ろうとしていたロボットは、突如反転して部屋を出ていく。 「何のつもりだぁ!」 「うるさい、裏切り者がぁ!」 廊下から罵り合いの声が聞こえてきた。続いて空を切る音が続く。 「死ねぇ!」 「お前の能力は通用しないっ!」 空を切る音。殴る音。ぶつかる音。ほどなくして静かになった。 「なんだこれは!」 黒服リーダーが帰ってきたようだ。部屋へ駆け込んでくる。 「!!」 床に転がる黒服を見て、次に俺たちを見た。俺は椅子に座ったまま。ラスターニャは俺の足にすがりついて震えている。 「どういうことだ、説明しろ!」 「・・・さあてね。警察に来てもらったらどうだ? まあ、どうせ何もわからないだろうがね。」 ラスターニャは黒服リーダーに駆け寄った。黒服リーダーはテーブルにアタッシュケースを置いた。 「約束の報酬だ。」 俺は中身を確認した。だが、やはり全額分入っている。俺は半分をテーブルに出すと、ケースを閉めて立ち上がった。 「こいつは部屋のクリーニング代にでも当ててくれ。」 俺は部屋を出た。廊下には首を切り離された黒服の死体が6つ、首の骨が折れているらしい清掃員の死体が1つあった。絨毯にどす黒い染みが広がっている。俺は染みを踏まないように跨ぎ越すと、エレベーターに乗った。1階のボタンを押す。扉が閉まる瞬間、フロアの床とエレベーターの床の間のわずかな隙間から、ゴムのように腕が伸びてきて俺を捕まえた。厚さ1cmほどの隙間から、あのオーラが変な黒服が、引き伸ばされたゴムが戻るかのように飛び出してきた。エレベーターの扉が閉まり、降下を始める。 「そのケースをよこせ!」 黒服の体に重なるように、蛇の頭を持った筋骨隆々な人型の怪物が出現した。その姿は半透明で透けて見える。俺はエレベーターの上へ霊気を集積する。 「面倒な奴だな。さっさと逃げておけばいいものを。」 「黙れ。首を圧し折られたくなかったら、さっさとそのケースをよこせ!」 半透明の蛇男の腕が俺の首をつかんだ。その腕は人間の頭ほども太く、首なんか簡単に圧し折れそうだった。 「なるほどね。お前こそ、その首を噛み千切られたくなかったら、さっさとその腕を放せ!」 俺は上に作ったケルベロスに男の頭に噛み付くように命じた。エレベーターを通過して、巨大な牙をもった口が頭上から襲い掛かる。蛇男は俺を掴んでいた腕を離し、防御姿勢をとる。ケルベロスは蛇男の腕に噛み付いた。 「ぐあぁぁぁぁぁ!」 狭いエレベーターの中に絶叫が響く。俺はケルベロスに男の動きを封じさせたまま、霊体化した。そして後方へ壁を通過し、外へ出る。すでに日が暮れていた。念のため、このまま空を飛んでホテルを離れることにした。 −◆− 俺は屋敷の前に着地すると、がくりと膝をついた。やはりこの移動方法は疲労が激しい。俺は二度とやらないと決めた。 玄関を開けると、屋敷にはハーブティの匂いが漂っていた。匂いが漂っている分、空気が浄化されているようだ。俺は事務所の扉を開けた。中はお茶会の最中らしい。 「あ、おかえりー。」 「おかえりなさ〜い。」 ふと見ると、ここを出る前に言い渡したDVDのダンボールが、部屋の隅に置いてある。やはり感想文はやってないらしい。やれやれ。俺はテーブルにあるクッキーの皿を掴むと、全てのクッキーを口に流し込んだ。ぼりぼりと音を立て、口から破片を撒き散らしながら飲み込む。 「あー、何すんのよー!!」 「大丈夫〜ですよ〜。沢山作ってきましたから〜。」 メリルはクッキーの山を作り直した。 「DVDの感想文はやってないようだな。」 俺はリリーナを睨んだ。 「いやよ、あんなの。もっと他のにしてよ。」 疲れた。眠い。回らなくなってきた頭で、俺は1つ閃いた。 「よし、じゃあ簡単なのを1つやってもらおう。これができなければ本気で追い出すからな。」 「・・・いいわよ。で、何するの?」 「まずソファの端に座れ。」 「こう?」 「そうだ。そのままじっとしてろ。」 俺はリリーナの膝に頭を乗せるようにソファに寝転んだ。 「あらまあ?」 「な、何よ、これ?」 リリーナは赤面していた。メリルは楽しそうだ。 「膝枕だ。知らないのか?」 「これってセクハラじゃないの?」 「黙れ。俺が起きるまでこのままでいろ。以上だ。」 「ちょっと、何よそれ。」 「ぐー」 「・・・」 「・・・」 「あはは〜、寝ちゃいましたね〜。」 「・・・いいわよ、じっとしてればいいんでしょ。・・・疲れてるみたいだし・・・」 「ぐー」 俺はマジで疲れていた。二人が黙り込むと、俺はまどろみの世界へ沈んでいった。 「あの〜」 「何?」 「えっとですね〜」 「何よ? さっさといいなさいよ!」 「えっとですね〜、涎が〜」 後で聞いた話だが、俺はこの時、完璧に寝ていたらしい。それもリリーナの膝に涎を垂らしながら。 「ばかぁー!!!」 俺の顔にパンチが炸裂した。 −第3話、終− =============================================================================== §第3話 解説  調子に乗って書いていたら、えらい長くなってしまいました。 ・『お前には俺と同じ能力の才能がある。』  リリーナの潜在能力は非常に高いです。ただし、ちゃんと修行すればの話。 ・『俺は足元に霊気を展開すると、少しずつ加速していった。』  霊界におけるクラフター『運動強化[BoostedAgility]』を使用した超高速移動です。 ・『ユーロを手持ちいっぱいまでドルに変える。』  矢口探偵事務所がある場所は実はイギリスという設定。なんという驚愕の事実。 ・ネイティブな装飾品の店の老婆  いわゆるアイテムショップです。ここの老婆はネイティブのシャーマンです。 ・グラウンド・ゼロ  合掌。 ・『右前方と左後方から挟み込むガードポジション』  ボディーガードの基本フォーメーション。 ・『刑事は、迷宮入り確実だと、いろんなことをへらへらと教えてくれた。』  実際は顔なじみでもなければそんな簡単に教えてくれないでしょう。 ・『仲介人を通じて情報屋を何人か紹介してもらう。』  仲介人は冒頭、電話で会話していた相手。情報屋はマフィアのボスやゴシップ記者など、仲介人のコネです。 ・『指先に圧縮すると、サプリメントを指弾の要領で発射した。』  クラフター『射出[Firearm] 』を使って発射してます。 ・『見えてやがるな、こいつ。』  霊体化すると普通の人には見えなくなります。 ・『ねぇ、今夜は泊まっていってくださらない』  R指定、もしくは18禁な展開を期待した方、残念でした。 ・『コールタールのように真っ黒に上書き』  隠しカメラ対策。 ・『旦那の写真を作り出し、それを扉の真中の隙間に差し込む。』  ここでは封印型ゲートのキーが”旦那の写真”というわけですが、実際にシナリオでやる場合、ちゃんとそのエリアにヒントを置いておきましょう。 ・『本棚にはペーパーバックサイズの本が大量にある。』  本の数=付き合いのある男の数。 ・『カウンターに並んだグラスでさえ、俺の眼になる。』  尾行対策。逆に尾行する時にも使えます。 ・『ガムの端からはドル紙幣が見えている。』  海外の刑事ドラマだと、写真を見せて、その裏に紙幣をちらつかせて渡して、聞き込みを円滑に行うシーンがあります。 ・『ぺ〜なんとかとか、ス〜なんとかとか』  今回はスタン○使いが相手です。 ・半透明のロボット  遠距離型です。能力は”拘束具”。遅延効果で少しずつ締め付けが強くなります。 ・「・・・お前も同じような能力を持っているのか?」  敵ス○ンド使いにはお決まりのセリフです。 ・『二元拘束』  目標が物体であっても霊体であっても拘束できるということです。なので霊体化しても脱出できません。 ・『続いてぶちっという湿った音がして』  ”首ちょんぱ”です。 ・蛇男。  近距離パワー型です。特殊能力は”ゴム化身体”。狭いところに入れます。 ・膝枕  漢の浪漫です。でもここでやってるのはただのセクハラです。 −第3話、解説、終− ===============================================================================