赤い日記帳EPISODE2




赤い日記帳



はじめに;
このSSは、「真琴ENDその後」です。
つまりネタバレなんてものじゃあありません。
真琴シナリオクリアしないとさっぱりわからないです。
それをご理解くださいませ。




EPISODE1

『今日は瞬君が笑いかけてくれた。
 私を見つめて・・・。私だけに笑いかけてくれた。
 ・・・・・ああっ、こんなこと書いて誰かに読まれたらどうしようっ!
 ・・・本当は心の日記帳に書き込んで私だけの心の中にしまっておいた方がいいのかもしれないけど、今日のこの日を絶対に忘れないためにもこうやって書き込んでおかないと!
 私おばかだからこんな大切な『瞬君に笑いかけてもらった記念日』を忘れちゃったら大変だもん!

 ・・でも・・瞬君、私のことどう思ってるんだろう・・・馬鹿な女、とか思われているかも・・・ううん!瞬君は優しいもん!そんなことないよ!
 ・・・でも・・・意地悪冴木が変なこと吹き込んだりしたら・・・・あいつただじゃおかないんだから!

 ともあれ今日はとてもいい日でした。
 ・・・・お休みなさい、瞬君。・・なんてね。』

・・・・いくらなんでもこれは俺には無理だ。
こんなもんは恋する乙女にしかできない芸当だぞ。
俺は恋する乙女でもなんでもないし、そもそも「瞬君」なんて奴は俺のクラスには存在しない。
せいぜいが北川潤・・・・・うげ、気色悪ぅ。
思わず俺が北川に思いを寄せる日記を書いているところを想像してしまったではないか。
これが真琴の基準だとするとすごい日記を書いてきそうだな。
かなり楽しみだぞ。

夜、洗面所で真琴に本を返す。
「ちゃんと勉強したんでしょうねえ」
歯ブラシに歯磨き粉を塗り付けながら上目使いに聞いてくる。
「実にドリーミーな日記だ。かなりのテクニックを要する高等技術。俺が極めるのには時間がかかると思う」
沈み込んだ演技を交えつつ、遠回しに少女マンガ的技法日記への拒絶をアピールしてみた。
が、俺のアピールはあっさりと却下された。
「・・・・駄目ねえ。祐一はそんなことだから乙女心のかけらも理解できないのよ。そのためにもちゃんとりりちゃんの心をわかってあげないと」
ちなみに「りりちゃん」というのはさっきの漫画の主人公、「鈴堂美登利」の愛称だ。
「あの気持ち。今日あった思い出を心に留めるだけじゃなくって、溢れる気持ちを書き込んでいく。これが本当の日記なの」
・・・・・絶対に違うだろ。それは。
まあ日記として駄目とは言わないが、それにしたって自分が喜んだとか、そこいらぐらいだろ、「りりちゃん」としては。
他には何もなかったのか?
授業中居眠りして冴木に起こされたことはいいのか?
なっちゃんやあっきーと一緒にバナナクレープを食べたことはいいのか?
恋する乙女にゃそーゆーことは書き込む必要がないのだろうか・・・俺にはわからん。
しゃかしゃかと歯を磨いている真琴にはわかるのだろうか・・・・きっとわかっていないと思う。
「がらがらがらがら・・・・」
うがいを済ませた真琴が俺の手を取り
「今度は「交換日記編」見せてあげる。あと、真琴の日記もついでに渡しておくよ」
と言って部屋に戻ろうとする。
「おい、俺まだ歯磨いてない・・・・」
「あとあとっ!こっちが大事なんだからっ!」
・・・いや、俺にとっては歯の方が大事だぞ・・・・

階段を駆け上がる。
「何で俺まで・・・」
呟きたくもなろうと言うものだ。
「祐一はぶつぶつうるさいの!」
・・・怒られてしまった。
「祐君とは大違いなのよねっ!」
・・・・・祐君?
てことは・・・・真琴が俺に見せようとしているのって・・・・「もえぎ恋愛CHU!」だな!

「もえぎ恋愛CHU!」は交換日記を話の主軸にしている一風変わった少女マンガだ。
日常の風景ーー中学校生活を描いているのにも関わらず、なぜか話は交換日記だけで進行している。
その代わり、もえぎーーー秋草萌技の恋人である祐君こと久遠佑介は彼がもえぎのそばにいる以外は一切登場してこない。
そう。30ページぐらいの連載の中で学校部分が16〜18ページで、残りはもえぎが日記を書くか読むだけでストーリーが進行していくんだ。

てことは・・あいつ、自分がもえぎで俺を佑介に置き換えるつもりか?
・・・ならすごい楽だぞ。俺にとっては。

「はい、これ!真琴の日記ときょうかしょの「もえぎ恋愛CHU!」よ。しっかり読んでべんきょうして立派な日記を書いてくるように!」
・・・・こいつは・・・
ま、俺から振ったことなんだから仕方がない。
「わかったよ。しっかり勉強して立派な日記を書いておくよ」
真琴は満足そうに頷いている。
「そうそう!祐一だって「祐君」なんだから負けないように頑張るのよ!」
・・・やかましい・・・

『祐君は今日も外を見ていたね。何が見えるのかな?
わたしにも見せて欲しいよ。祐君が見ていた世界を。
見たいよ。だって祐君が見ていた外だもの。きっといつもわたしが見ている世界とは違う世界が広がっているに決まってるよ。
だから・・・いつか。いつか見たいな。祐君と一緒に。祐君が見ていた外の世界を。
                  もえぎ』

『・・・気にしすぎ。もえが見ているのと同じだから。わざわざんなことでページ埋めるな。もっともえのこと書け。俺はもえのことをもっと知りたいんだ。もえが俺のことをどう考えているか、じゃない。もえが普段どんなこと考えているか、どんな食い物が好きか、そういうこと書いてくれ。以上
佑介』

・・・・・・はぁ・・・・・
実は俺、この話何度か読んでいるから内容は覚えてしまっている。
そして・・・・結末も。
あいつ・・・まだ読んでないんだな。この話がどういう終わり方をするのか知らないんだろう。
・・・・・・・俺がそのことを今気にしても始まらないよな。
真琴の日記の方を読むことにしよう。

   『ゆういちはなまいき。ムカツく。
 みてていらいらする。どうしてもゆるせない。

  今日は『みやこの朝顔』を読む。とても面白いので次が早く読みたい。

 今日も肉まんはおいしかった。ちょっと変わった食べ方を秋子さんに教えてもらった。その通りにたべるといつもとはまた違った味わいがあっておいしい。
 ゆういちはこれを読んだら教えて欲しがるだろうな。だってすっごくおいしかったし。でも教えてあげない。だってムカツくんだもん。
もっとべんきょうしてまことを尊敬するようになったら教えてあげよう。

 明日も肉まんを食べてマンガを読もう。

  きっと明日もいい一日。 まこと』

・・・・・謎だ。
ところどころ難しい漢字を書いているのにどうして明らかに俺宛てのところだけ平仮名だけなんだ?
・・・きっとこれも嫌がらせなんだろうけどな。
それにして、だ。
思っていたよりずっとあいつ、わかってるな。日記について。
真琴があまりにも少女マンガの日記を引き合いに出してくるからてっきりまんま同じ文を書いてくるのかと思っていたんだ、実は。
でもちゃんと自分の行動を書いてある。
あいつの行動から心理を把握出来たら、と考えている俺からすれば嬉しい誤算だ。

と、感心してばかりいてもしょうがない。
「今度は俺が書かないとな」
ページをめくり、新しい真っ白なページを今日の行動で埋めていく。
「一応あいつの意向に沿うように書いておこう」
脚色ではないが、少し大袈裟に書いておくことにしよう。

「・・しかし・・・気になるぞ」
とても気になった。
「一体どんな食い方なんだ?」
それは言うまでもないだろう。真琴が日記に書いていた「ちょっと変わった食べ方」のことだ。
想像もつかない。
だから余計に気になった。
「こんな書き方するぐらいだからなあ、あいつに聞いても絶対に教えてくれないだろうな」
うーむ・・・・・ふふ。
思わず苦笑してしまう。
こうやって考えてしまうこと自体が真琴の狙い通りじゃないか。

翌日。

「祐一さん。ちょっと」
秋子さんに呼ばれ、俺はリビングに秋子さんと二人でいた。
「どうかしましたか?」
妙な感じがする。
別に深刻、ってわけでもないみたいだが、秋子さんがわざわざ「ちょっと」とまで言うぐらいだから何かあるんだろう。
ひょっとして、真琴のことか?

「実は真琴のことなんだけど・・・」
やっぱりか。
まあ他に思い付くこともないし、当然とも言える。
「真琴が何かしましたか?」
「・・・・祐一さん」
今までにない秋子さんの表情。少なくともここにきて俺が初めて見る表情だ。
怒っている秋子さんなんて。
「別に怒っているわけではありませんよ」
あら・・・違うのか。
「でも今の秋子さん、怒っているように見えますよ」
俺の言葉に秋子さんはわずかに苦笑する。
「違うのよ。質問しようと思っただけですよ」
質問?
「私も名雪や祐一さんが学校に行っている時、よく真琴と遊ぶんですけど、最近真琴がよく「字を教えて」って聞いてくるから、どうやって真琴にこんなに勉強熱心にさせたのか教えてもらおうと思ったのよ」
今までも字を教えて欲しいとは言っていたけど、必ずマンガを持ってきたから、と付け加えた。
「祐一さんがらみであることは間違いないのでしょう?」
今度は俺が苦笑する番だった。
「実は・・・・」




「・・・・あれ?」
文房具屋。
買う予定だった日記帳がない。
珍しいこともあるもんだなあ。
日記帳にしては派手すぎる、というか鮮やかすぎる、というか、とにかく目立つから敬遠されていて俺以外の人はまず買わないと店のおばちゃんがいつも言っているのに、その棚にある日記帳がなかった。
まあ別に俺のためだけに店のおばちゃんも置いてるわけじゃないんだから、他の誰かが買っていっても別におかしくないのだが。
でも、このためにわざわざ天野と待ち合わせしてまで来たんだ。このまま素直に帰るというのも納得がいかない。
一応おばちゃんに確認してみよう。
「おばちゃん、いつもの日記帳、売り切れ?」
レジ横で商店の天敵である万引きサーチをしているおばちゃんに話しかける。
ちなみに天野はカラーボールペンを物色中。
他にも小学生ぐらいの女の子や中坊ぐらいの男がいる。
「あら、いつものお兄さん」
さすがに同じものを過去四度買いに来ているだけあってインパクトは抜群、つまり完ぺきに覚えられていたりする。
そして営業スマイルは途端に申し訳ありませんモードにシフトチェンジした。
「ついさっき売れちゃったのよ。お兄さんぐらいしか買う人いないのに珍しく。実を言うと私も初めてなのよ。お兄さん以外にあれ売ったのって」
・・・あまりでかい声で言うもんじゃないと思うのだが。マイナスイメージとか考えていない人なんだったっけ。
「そっか・・・品切れか」
「ごめんねえ。お兄さんがかってくれたら仕入れるようにしているから、次ぎ入るの一週間ぐらいかかっちゃうのよ」
前に赤い日記帳へのこだわりをおばちゃんには話してある。だから他の日記帳を勧めたりはしない。そこが有り難かったりする。
「じゃあその時また来ますよ」
ごめんなさいねぇ、と言うおばちゃんに気にしないでと答え、天野のもとに。

「目的の物は買ったのか?」
俺の問いに少し困った顔になる。
「それが・・・売り切れになっていまして・・」
「・・・・・・・それはまた偶然だな」
俺の言葉に今度は不思議そうな顔に変わった。
「どういうことですか?」
「いや、実は俺の方も品切れだ」
「え?」
目を丸くする天野。
珍しい表情だ。カメラが欲しかったな。
「それは・・珍しいこともあるものですね」
「ああ。俺も三十年生きてきたがこんなことは初めてだ」
軽い冗談に天野が薄く笑う。
前はこの程度では表情に変化すら現れることもなかった。
例え薄くてもこの笑顔が見れたことは結構嬉しい。
「で、それは日記帳の代わりか?」
天野が手にしていたのはカラーボールペン。
色は・・・派手好みとは思えないが、オレンジ色を持っているところをみると、その色を買おうとしているとしか思えない。
「代わり、というわけではないのですけど・・・」
持ったボールペンに目を向ける。
「この色が好きでしたから・・・」
天野の「思い出の住人」はオレンジが好みだったってことか。
「それじゃあ天野が買おうとしていた日記帳も・・・」
「はい。オレンジです」
頷きつつそう言った。
「・・・派手好みだったんだな、そいつ・・・」
しみじみと言う。
「しみじみと言わないでください」
すねる天野。
「・・・理由がちゃんとあったんですから」
理由、ねえ。
「んじゃ先にレジ通しちゃおうぜ。その話はここ出てからってことで」
「・・・・・すごい大切な理由があったんですから・・・」
・・・まずったかな。
触れてはいけない部分を刺激しちまったのかもしれない。
かといってここで素直に「悪い」と言ってしまうと天野の気持ちの持っていきようがなくなってしまう。
「大切な理由」をちゃんと教えてもらわないと、な。
と、その件とは別に、俺もせっかく来たんだし、何か買って帰るかなあ。
色々と物色し、結局俺が買ったのもボールペンだった。
「・・・・・派手好きだったんですね、真琴も」
レジを済ませた天野が悪戯っぽい顔をして言う。
これでおあいこ、だな。

「あの子が教えてくれたんですよ」
オレンジに世界が染まる夕焼けを背に、俺と天野は歩いていた。
そこで「大切な理由」について語ってくれた。

『みしおは知ってるかい?』

『オレンジはねえ、「幸福を呼ぶ」色なんだって』

『僕たちの日記、オレンジ色にしようよ!』

「『きっとこの色が僕たちに幸福をもたらしてくれるよ』・・・・そう、言ったんです・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
何も口を挟めない。
それだけ、天野の言葉が響いた。

分かれ道。
ここで二人は別れていく。
だけど、少し踏みとどまって、話を続けていた。
「・・・・私もそう思いました。オレンジ色が私たちを幸せにしてくれる、と」
「ああ」
「夕焼けがオレンジ色になるこの時間に、私たちは暗くなるまで遊んでいたんです」
「・・・・・・・・・・」
「オレンジ色に染まるあの子と私、これで、ずっとこうやって遊べばずっとずっと幸せでいられるんだ・・・・・そう思っていました・・・・」
思い。
想い。
深ければ、深いほど報われないと悲しい。
俺が今天野から聞いているのは悲しいぐらいの想いの深さだった。
初めて耳にする、天野とその相手、との。相手、への。

「でも・・・・・」
消えてしまった。
想いを伝えるべき相手が。
真琴と同じように。
束の間の奇跡。
その束の間に全てを捧げて。

「届かない・・・・」
目から流れているのは、涙。
いつも泣かなかった天野が、涙を流していた。
真琴の存在を知った時も、真琴に別れを告げた時にも、決して泣くことのなかった天野が、今大粒の涙を雫していた。
「すみ・・・ませ・・ん・・・・」
気持ちはわかりすぎるぐらいにわかっていた。
俺だって泣きたい気持ちだったのだから。
理由はつまらないものだ。
買えなかった日記帳。
俺は真琴がいなくなった後でも、ずっとそれを書き続けていた。
自分のところだけを。
一日おきに。
それを続けていればいつか真琴が帰ってくる、そう信じられた。
もちろん根拠もへったくれもない。自己満足だ。
それでもやらずにはいられなかった。
そうせずにいられなかった。
だけど・・・・
切れる、切れてしまう。
想いが、伝える手段が。
店では平静を装っていたが、正直俺も締め付けられる想いを懸命に堪えていた。
そして今また、その気持ちで天野に伝えたいことがあった。いや、正確に言えば俺自身に。
俺自身に言い聞かせるつもりで伝えるんだ、天野に。

まだ、気持ちを切らない方法はあるってことを・・・・

「春がきて、ずっと春だったらいいのに・・・」
口をついて出たのはその言葉。
「・・・・・・・っ?」
涙を拭う手を止め、天野は俺を見ている。
「真琴が俺に言った言葉だよ」

『春がきて、ずっと春だったらいいのに・・・』

「真琴は春が好きだと言っていた」
「・・・・・・・・・」
天野は俺の言葉の続きを待っている。

ぽつ・・・・

ぽつ・・・ぽつ・・・

雨。
雨が降ってきた。
ぽつぽつ、から、勢いよく。
激しく、ってほどでもないがかなりの勢いで。
これって・・・「狐の嫁入り」って言うんだっけか。
夕焼けに染まる空から降り注がれる雨を体に感じながらそんなことを考える。
でも目線は天野に固定している。
天野も雨に打たれながら俺をじっと見つめていた。
待っている。
俺が何を言おうとしているのかを。
何も言わず、ただ待っていた。
雨に打たれた顔、そこを伝うものは、雨なのか涙なのかわからない。
ゆっくりと話出す。
自分自身に言い聞かせるように。

冬。
ここの冬は寒いよなあ。
そらそうか、雪が降る。積もる。
それも日常的に。
かなりの量だと思う。
俺がここに来るまで住んでいたところはこんなに雪を見た記憶がなかったよ。
・・つまり、何を言いたいかというと・・・だなあ。
ここって、凍り付いているんじゃないかと思うわけだ。

「・・・・・・・・は?」
一度言葉を切ったら、一瞬の間をおいて天野が怪訝そうな顔をした。
そらそうだろう。
俺が言いたいのはここからなんだ。手前で止めてわかるはずがない。
「こおり・・ついている、ですか?」
聞き返す天野に頷いて、俺は続ける。

そう。

春が雪を溶かすように。

暖かさを運んでくるように。

冬は凍らせてしまう気がするんだ。
雪で覆ってしまうように。
街も。
木々も。
そして・・・「想い」も。
俺たちの「想い」は今凍っているんだと思う。
冬だから。
凍り付いて。
雪に覆いつくされている。
そんな気がするんだよ。

だから。

春が雪を溶かし、

凍り付いた「想い」も溶かし、

世界中に広がるような陽気になれば

きっと、願いが叶うんじゃないか、と・・・そう思う。

「・・・・・・・・・・・・・・」
俺の都合のいい考え方に、天野は複雑な顔だった。
でも、すぐに微笑んでくれた。
「・・・・・春は、私も大好きです。
 でも、そう思えば、もっと好きになれそうです」
その笑顔は、雨に濡れていた。
でも、その雨も上がっていた。
夕焼けに照らされた笑顔。

そうか・・そうだよな。
雪じゃない、雨なんだ。
冬から春へ。
春はそこまで来ているんだ。

真琴・・・・・春が来ているぞ。
お前の待ち望んでいた春が・・・・・

夕焼けの中、天野と別れ、俺は家路につく。
はにかみつつ、「また明日」と言っていた天野の表情を思い出す。
「・・・・・大丈夫だよな、あいつは」
そう思うことにして、今度は自分の気持ちを確認する。
無駄なこと。
もし起これば奇跡だ、それは。
でも、奇跡なんて起こるもんじゃない、簡単に。
諦めろ。
無駄だから諦めろ。

自分の中にあるマイナス思考を一つずつ打ち消していく。

無駄なことなんて全然ない。
だって真琴は起こしたんだから。
起きるさ、奇跡は。
真琴が、天野の大事な存在が起こしたじゃないか。
諦める?
奇跡は起こる、そう信じているのに、どうして諦める必要がある?
無駄じゃない。決して無駄なんかじゃない。
あの時だってそうだった。
無駄なことなんてない。
そう、あの時だって・・・・

熱を出してから、真琴は箸が持てなくなった。
ご飯食うのもスプーンで、箸を持つ練習の結果、部屋には割箸の残害があちらこちらに出来上がった。

箸を持てない。
指を動かすことが出来なくなっていく、つまり、日記を書くことも同様に出来なくなっていったんだ。

真琴の担当ページには、読むことが出来ない鉛筆の後があっただけ。
字を這わせた鉛筆の跡。
うまくいかないでぐしゃっと潰したような鉛筆の跡。

「う・・・・あうー・・・・あうーーっ!」

泣きじゃくりながら、一生懸命真琴が書いた日記だった。
最後近くは涙で紙がふやけている。
でも、それでも。
鉛筆で書いてある。

天野が真琴に接した時、忘れていた自分の名前を言わせた時。
俺も決めたんだ。
辛抱強く、諦めず。
「大丈夫だぞ、真琴。急ぐことなんてないんだ。自分の書きたいことを書けばいいんだからな。ほら」
「・・・・・・ぁぅ・・・・」
「・・・そう・・・そうやって指に挟んで・・・」
「・・・・・・・・あぅ・・」
「・・・・自分の書きたいことを書けばいいんだよ」
「・・・・・・・・・あう・・あうう・・」
「そうそう。ちゃんと書けてるじゃないか」
「あうー。あうーーっ!」

真琴のページの一番新しいところには、

『ゆういちとずうっといっしょにいたい
 けっこんしていつまでもずうっといっしょにいたい』

そう書き込まれている。

そして・・・・結婚式をあげた日にーーーー

真琴は・・・・・いなくなった。

ちりん

鈴の音が、あいつの好きだった鈴の音が鳴る。
でも・・・・あいつはいなくなってしまった。

「・・・・・・・・ん」
ポケットに入れてあった鈴を取り出す。

ちり・・・

俺の手の中で小さな音をあげた。
摘んで、見る。
鈴の先に取り付けられた紐を摘んで。
振る。

ちりん ちりん

あいつが好きだった音を出して、鈴が鳴る。

歩きながら

ちりん ちりん
少しだけ振りながら

ちりん ちりん

夕焼けの中、真っ直ぐに

ちりん ちりん

家に帰った。

「・・・ただいま」
靴を脱ぎながら言って、玄関から離れようとして、気付いた。
靴が少ない。
「・・・名雪、今日は頑張っているんだな」
名雪の靴がなかった。
部活に精を出しているらしい。
いつのもへーっとのほほーんとしている名雪。
でも、部活の話になると途端に言葉に力が宿っていく。
それだけ熱中しているんだろうな。
・・・・俺も何か始めようかな・・・
自分でもその場限りの思い付きだってわかっていながらも、そう考えながら、階段を上がっていく。

秋子さんから「おかえりなさい」の言葉がないところをみると、どうやらキッチンかな・・・

「・・・・・・・ん?」
真琴の部屋の前に人がいた。
人、ここにいる人なんて三人しかいない。
俺、秋子さん、名雪だけだ。
そして名雪はまだ帰っていない。
つまり、そこにいるのは・・・
「・・・・・秋子さん?」
・・・・・様子がおかしい。
秋子さんは、真琴の部屋のドアに頭をつけて・・・・顔を手で覆っていた。
「・・・・どうしたの?」
「!」
俺の呼びかけにびっくりしたかのように身体を跳ねて、俺の方を見る。
・・・・・その目には・・・・大粒の涙が雫れていた。
「・・・ゆ・・・いち・・・さん・・・・」
泣いている?
あの・・・秋子さんが?

『真琴が帰ってきた時、泣いてたら駄目よ、祐一さん』

『旦那さまが泣いていたら真琴、困っちゃうでしょ!?』

『笑顔でいましょう。いつでも。悲しくても寂しくても』

『きっと笑顔でいれば運んで来てくれる。だから・・・』

『笑顔でいましょう』

そう言っていた秋子さんが、泣いている。
「・・一体・・・・」
「・・・ごめっ!・・なさ・・・いっ!」
どだだだ!
「うわっ!」
だだだだ・・・・
俺の横を走り抜け、階段を駆け降りていってしまった。
「・・・どうしたんだろ・・・」
気になった。
どうして真琴の部屋の前で泣いていたのか。
どうして・・・・
そう思った俺は、部屋には戻らず、真琴の部屋に向かった。

がちゃ

ドアノブを回し、中を見た俺は・・・・
「・・・・・・・・・・・」
真っ白になって、なにも言えなかった。考えられなかった。

真琴の部屋は・・・・・真琴のいた証が完全に消えていたからーーーーー

寝る時以外は片隅に畳んであった布団が。

どれだけ片付けてもすぐ広げられてしまう漫画雑誌が。

ちょこんっ、と置かれていたぴろ用トイレが。

どこにもなくなっている。

「・・・・どういう・・・こと・・だよ・・」
呆然と、唖然と、混乱と。
ふらふらと真琴がいた部屋に入る。

ぱたん・・

ドアを閉める。
閉めた際の音がいつもよりも大きく響いた。
何もないから。

どうしてだよ・・・・・・・
秋子さん、あなたが言ったんですよね、ここはそのままにしておくから、って。
真琴がいつ帰ってきても今まで通りに暮らせるように、って。
それが・・どうしてですか・・・・
何で片付けるんですか。
忘れなさい、そういうことなんですか?

巨大な喪失感。
俺も感じるよ、天野・・・・・

売り切れの日記帳も堪えたけど、これは決定打だ。
壁にもたれかかり、そのままずるずるとへたりこむ。
大丈夫、泣いたりしないさ。安心してくれ。
ただ・・・・・ちょっと、ちょっとだけ眠らせてくれ。
その間泣いていたとしてもそれは夢だから。
夢の中のことだから。

・・・・・・・真琴・・・・


「・・・・・・・・・・・・っ」
うっすらと目を開ける。
暗い。
「・・・もう・・・夜になっているのか・・」
右手を目に持っていき、軽く瞼を揉む。
涙はすっかり乾いていたらしい。
それをごしごしと拭い取る。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
何もする気が起きない。
これは喪失感からじゃない。
まだ寝ぼけているからってだけだ。
少しだけまどろみの中にいれば大丈夫だ。
そうだ。いつもそうやって来たんじゃないか。
だから、今回だって大丈夫。
嫁さんが帰ってきた時に泣き顔はまずいだろう。

「・・・・・・とりあえず、着替えよう」
いくらかのインターバルをとり、ようやく少しましになれたのでのろのろと行動することにした。
学校から帰ってすぐここに来ちまったからまだ着替えていない。
着替えないと。

・・・・・その前にトイレに行っておくか。

下の階は真っ暗だった。
誰もいないということだろう。
「・・・・・秋子さん・・・・」
聞きたい。どうしてあんなことしたのかを。
でも・・・いないんじゃしょうがないな。
名雪もまだ帰っていないらしい。
・・・・・今何時なんだろう。
リビングの時計で確認してみるか。
・・・・・・・8時?
名雪はそんなに遅くまで部活してるのか?
秋子さんはどこに行ってしまったんだ?
急に心配になってくる。
携帯を持たない名雪に連絡はつけられないから、学校に直接行くしかない。
欝な気分を紛らわすのにちょうどいいしな。
あ、でもいくら春が近いとはいえ、まだ夜は冷える。
一応コートも取ってこよう。


「・・・・・おいしい」
「本当、おいしいわ」
「わたしのいちおしだもん」
「そうね、名雪のお勧めって外れたことないわね」
「・・でもわたしが家に帰る途中にお母さんが走って来た時はびっくりしたよ」
「私はもっとびっくりしました」
「・・・・そうだよねえ」
「・・・・もう一杯食べる?」
「・・・・・お母さんが天使に見えるよ〜〜〜」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・帰りにあれ買っていってあげようよ」
「・・・・そうね、沢山ね」

「お待たせしました。イチゴサンデー大盛りです」
「うわ〜〜、幸せだよ〜〜」
「・・・私も幸せだわ」
「ね、これで乾杯しようよ」
「うふふ、そうね」
「それじゃあ、祐一と・・・」
「お嫁さんに、乾杯」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
あまりにも衝撃的なことがあると声も出なくなる。
ちょうど今のように。
狭くなった部屋。
あたりにまき散らしてある漫画本。
そして・・・・

「あうーーーーっ!まだ終わってないからもうちょっと待ってよー!」
必死になって空白の自分のページを埋めていく真琴。

・・・・・・声は出ないけど・・・・・・・・・・・・・でも、俺は・・・

「祐一っ!書けないからぎゅってしないでようっ!」

おかえり・・・・・俺の大事な嫁さん・・・・

FIN














BONUSTRACK

「・・・・・真琴」
「あう〜〜〜〜、いい気持ち〜〜〜。そのままずっと揉んでてね。指が死にそうなの」
「・・そりゃそうだろ。あれだけ開いてたページ全部埋めたんなら」
「それだけじゃないわよおっ。ほら」
「・・これ、新しい日記帳じゃないか!」
「そおよ。真琴が買ってきたんだもん。だからそこにも書いたの」
「てことは今度は俺の番か」
「うん」
「どれどれ・・・・・・・・おい」
「ふふふーっ。祐一嬉しい?お嫁さんが「しょや」の時に必ずこれを言うのって秋子さんに教えてもらったの書いたんだもん、当然よねーーっ」
「・・・・この「ふつかものですがよろしくおねがいします」ってやつか?」
「・・・・・・・・あれ?」
「・・・・「ふつつか」だぞそれは」
「・・・・・・・あぅ」
「・・・よろしくしてやるよ。末長く」
「・・・・・真琴は幸せだよ、祐一ぃ」
「・・・・・・・・俺もだ」
「約束守れるかな、これで」
「約束?」
「日記帳買う時に同じように日記帳買う男の子と約束したの。「お互い幸せになろうね」って」
「・・・・・ふうん」
「でもおかしな男の子だったなあ・・・普通なら黒とか青とか買うのに、オレンジなんて・・・・」
「・・・・・・幸せを呼ぶ色なんだってな、その色」
「え?祐一その子の言ってたことどうして知ってるの?」
「・・・俺は何でも知っているよ。その子たちも、そして俺たちも幸せになるってな・・・・」

HAPPY END

2001・4・16了



EXIT


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