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女は男から小さな瓶を受け取っていた。 短く、そして簡潔に礼を述べると、彼女はその館を後にした。 異質な雰囲気を纏った女は、ふと人々の雑踏の中で足を止めた。 時計を見やる。予定時刻までは一時間近く残っていた。 だが、別に構わないか、と彼女はくるりと踵を返す。 再び人々の雑踏の中へと足を踏み入れ、彼女は静かに姿を消した。 男は立ち尽くすように佇みながら、自分の手を見つめていた。 彼の眼前には人がひしめいており、人が消える度に、一歩、また一歩と彼はその歩みを進めていく。眼前から人々が消え去った時、今度こそ自分の番が回ってくるのだ。 なぜ、あの時自分は手を開いてしまったのだろうか。もし握り締めていたら、こんな事にはならなかっただろうに。ずっとそんなことを思いながら、自分は立っていた。 平凡な幸せへの誘惑に負け、あの“悪魔”と賭けをしてしまったのがそもそもの間違いだったのだろうか。 そもそもの間違いだったのだろう、きっと。 ついに、彼の眼前から全ての者が消え去った。扉をくぐり、ポケットから小さな紙切れと紙幣を取り出す。長かったこの二時間の苦労も、これでやっと報われる。 一人で妙な笑みを浮かべ、彼は紙切れを見ながら口を開いた。 「これとこれと……あとみたらしスペシャルってのを一箱ずつ……ああ、そっちの三色なんたらデラックスってのも二箱くれ」 この国のモットーは“安全と水が金で買えるとは思わない事”である。 そんな国の、とある街の一角。寂れた酒場の片隅に腰掛けるその姿は、まるで戦いを司る女神のようだったと囁かれていた。 腰まで伸びる鮮やかな金髪に、全てを射抜くような蒼々と輝く瞳。鎧の上からでもそれだと分かる抜群のスタイルに、見るもの全てを魅了するような異端とも言える美貌。比の付け所がない、とはこの事を言うのだろうと誰もが思った。 普段は腰に帯刀している長剣はいつでも手に取れる位置に立て掛け、彼女は右手で小さな瓶を弄んでいた。一見すれば香水の瓶のようにも見えるが、どちらかと言えば薬を入れるような小瓶に見える。瓶の半分ほどが琥珀色の液体で満たされており、不可思議な光沢を放っていた。 ふむ、と彼女は瓶をポケットの中へと滑り込ませると、テーブルに果実酒が半分ほど注がれたグラスを手に取った。香りを楽しみ、一気に飲み干す。 たん、とグラスが置かれるのとほぼ同時。古くなった酒場の扉が軋んだ音を立て、その男はのっそりと酒場の中へと足を踏み入れた。 けだるげに歪んだその表情に生気と呼べるものはなく、ただ本能のままに従っているかのようにゆっくりと辺りを見回した。目的のものを見つけたのか、わきめも振らずにそちらのほうへ歩み寄って行く。 男――ライナ・リュートは美女の向かい側に腰掛け、右手に抱えた大きな袋をテーブルに置いた。 「……ほらよ」 「ん。ご苦労」 無表情のまま言い放ち、美女――フェリス・エリスは袋の中から包みを一つ取り出した。包みの真ん中には“セニールだんご店”と書かれている。ウィニットだんご店と似たような、この街で評判のだんご店の名前だ。 思えば、ばかな事をした。 彼女はこう言った。ジャンケンをしよう、と。もし色情狂のおまえが勝てば、二日間自由行動を与えよう。幼女を襲おうが、熟女を誘拐しようが、仕事をサボろうが、私は関与しない。しかし、もし私が勝てば、セニールだんご店でこれらのだんごを買ってこい、と。 よく考えても見れば、フェリスの動体視力に自分が敵うはずがないのだ。自分が何を出すのか見極めてから手を考えることなど、フェリスにとってはたやすいことだ。 はぁ〜、とため息をはくライナをよそに、包みを開き、彼女は中の箱から一本のだんごを取り出した。色鮮やかな三色だんごを凝視する。数秒ほど見つめ、だんごに満足がいったのか、だんごにぱくりとかぶりつく。だが、彼女の顔は無表情のままで、不味いのか美味いのか見ただけでは判別できない。 一箱八本入りのだんごをあっという間に平らげ、続いて二箱めに取り掛かる。 と。 フェリスがごそごそとポケットから何かを取り出した。 ライナが不思議そうに覗き込むと、彼女の手には小さな瓶が握られていた。不審そうに眉を寄せて自分を見つめるライナに目をやろうともせず、フェリスは迷う事なくその中見をだんごにぶちまけた。 フェリスのその行動にライナはますます不可思議に眉を寄せ、 「おまえ、何してんだ?」 ライナの問いに答える事もなく、フェリスは謎の液体の降りかかっただんごを手に取った。少しだけ香ってから、口の中へと運び込む。 もぐ。 もぐ。 もぐ。 味わうように、けれども相変わらずの上手いのか不味いのか分からないような無表情でだんごを飲み込み、フェリスは重々しく頷く。 「ん。やはりヴォイスの言った通りだな。この薬物はだんごによく合う」 「薬物って……またおまえはそんな怪しげな――」 そこまで言って、ライナははたと気づいた。 鼻を突くわずかな甘みを含んだ香り。 フェリスに一言断ってから一本を手に取り、ライナはまじまじと謎の液体のかかっただんごを凝視する。液体はウイスキーにも似た琥珀色。おそるおそる、舌でだんごの先を少しだけ舐める。 柑橘類のような風味を含んだ独特の味。 アルコールによく似たわずかな苦味。 「おまえ、これが何か分かってるのか……?」 無表情のまま食べ続け、すでに四本目のだんごまで到達していたフェリスは重々しく頷き、 「ん。無論だ」 イエット国のある高山地域に繁殖する柑橘類の果実が存在する。無論、そのまま食べれば何の問題はないし、果実自体には何の害もない。だが、その種には少量の媚薬効果のある成分を含んでおり、禁忌とされるその手法さえ知っていれば、媚薬の加工・製造はたやすい。 もっとも、濃度を高めてもその媚薬効果は薄く、その効能からいっても、むしろ媚薬と言うよりは“ホレ薬”と言った方が近い。しかし、だからと言って、おいそれと口にしていいものでも、手に入れていいものでもない。 フェリスがだんごに降りかけたのは――無論、それである。 ライナの言いたい事を察したのか、フェリスは無表情のまま――けれどもどこか勝ち誇ったように、 「私が不用意に食べると思うか? ちゃんと解毒剤も一緒に奴から――」 と、そこで言葉を止めた。何を思ったのか、無表情に勝手に頷いてだんごを食べる事を再開する。 「どうした?」 「ん。気にするな」 手は休めずに、フェリス。 見る見るうちにだんごを平らげていくフェリスを冷ややかな瞳で見つめながら、ライナは、 「……まさか“なくした”とか、言わないよな?」 言った彼に、フェリスはなぜか再び勝ち誇ったように頷ずき、 「よく分かったな。さすがはストーカー色情狂だ、美人な私の行動は常に把握済みと言うわけか」 これでは身の心配で夜も眠れないな。 目だけは無表情のまま、フェリスは顔を紅く染めて頬を抑えた。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「おまえ……今、すっげ〜問題ありありな事を、すっげ〜さらっと言わなかったか?」 「言ってない」 「ああ、そうかそうか……なら、俺の勘違いだな。ははは」 わざとらしい笑い声を上げるライナを見て、フェリスは満足したのか、彼と同じような笑い声を上げ、 「ははは。その通りだ」 ぴしり、とライナの表情が凍る。大きく息を吸い込み、やおらその場で立ち上がり、 「――って、んなわけあるかぁぁぁぁぁっっっ!」 ばんっ、とテーブルを叩き付けるライナに、フェリスは無表情のまま驚いたポーズを身体で表現し、 「色情狂のうえに町中でいきなり叫び出すとは、つくづく救いようのない男だな」 「……もうヤだ、こんな女。神様、どうか俺を解放して下さい、お願いですから……」 呟いて机に突っ伏すライナ。顔を上げると、フェリスと視線が合った。 見詰め合う事、十数秒。 フェリスが口を開く。 「ライナ」 嫌な予感がした。それも物凄く。 気のせいか、フェリスの頬が赤く、目が潤んでいる。胸の前で手を組み、懇願するようにずいっと身体を寄せてくる。 「……なんだよ」 「愛している」 ……とりあえず、いつもの淡々とした口調であったことと、いつもの殺伐とした無表情だったことが、唯一の救いだっただろうか。 暴言を吐いても、我侭を聞かなくても首筋に剣を突き付けないフェリスは、結構いいもん――むしろ、天国じゃないのかとライナは思った。 フェリスと共にヴォイスの屋敷に乗り込んで“平和的な話し合い(例:首筋に剣を突き付ける)”をしたのはいいが「解毒剤はもうない。この程度の量だったら数時間――夕方にもなれば正気を取り戻す」と言うような意味合いの言葉を言われ、無駄骨だったとヴォイスを一撃してから館を出た。 しかしながら、妙なものである。なんの間違いか、ホレ薬の効果でフェリスが自分に惚れてしまったことは分かった。それは分かったのだが…… 「ん。どうした?」 「……いや、別に」 そんなことになろうとも、フェリスは何も変わらなかった。 剣を突き付けることはなくなったのだが、いつも通り口調は淡々としていたし、顔だって無表情のままだ。それに、 「なるほど、こんな美人が隣に居ながら、根本から色情狂のおまえはは常に幼女と熟女を求めてしまう――というわけか」 「誰もしてないだろ、んなこと」 と言うようにいつものような暴言も吐く。 けれど、 「ん。まあ、しようとしまいと関係ないがな。私はおまえを愛しているのだから」 こんな事をこんな美人――しかもフェリスに言われては、薬のせいだとは言えさすがに照れてしまう。 所在無さげに視線を動かし、ライナは“調子が狂う”と空いている右手で後ろ頭を掻いた。 しかし、今の自分達は回りにどのように見られているのだろうか。左手にはフェリスの手がしっかりと絡められ、その身体は彼のところにぴったりとくっつけている。 端から見れば、誰もが羨む美男美女のカップルなのだが……よく見ればどこかおかしい。 男のほうはやる気がなかった。美人と腕を組んで歩いているはずなのにあまり嬉しくもなさそうに、どこか遠くを見詰めたまま猫背気味に歩いている。 女のほうは女のほうで、なぜか照れた様子も見せず、妙に無表情で前方を見詰めている。倦怠期のカップルであっても、もう少し愛想があってもいいはずだ。 彼等の傍らを通り過ぎる事情を知らぬ人々は、そんな事を考えながら時折ちらちらとライナとフェリスを見つめている。 「ライナ」 「んあ?」 「おまえはもう少しやる気を出したほうがいい」 唐突に言われ、ライナが何事かと問い返すと、 「私はありのままのおまえを愛している。けれども、やる気がないおまえを見ていると、心配だ」 言うフェリスの顔をライナは思わず凝視するが、その無表情な面構えからは彼女が真剣に話しているのかどうかは読み取ることができない。 おそらく、真剣ではあるのだろうけれども……本当の事なのだろうか? 「いざと言う時もやる気が起きなくて、そのせいでいつ大怪我をしてもおかしくない。だから私は少しでもおまえの緊張感を高めようと、毎日毎日心を鬼にして剣を突き付けている」 ……そ、そうなのか? 思わずライナは眉を寄せた。 俺はなんか、随分楽しんで俺をいじめてるような気がするけどなあ……でも、こいつがこう言うなら本当なんだろうけど、薬でちょっと変になってるから嫌われないために前のことを取り繕ってるのかもしれないけど、こいつの性格からしてそんな事はありえないだろうし、やっぱ薬で、本当の性格で、薬が、フェリスが、けど……って、ああ! なんか、ややこしいな、おい! でも、けれども…… 「俺は無理とか、努力とか嫌いだからな。自分を変えるつもりは……ない」 それだけは本音だった。やる気がないことが自分の取り柄なのだ。何も考えず、のんびり昼寝ができることが自分の最高の喜びだ。 これをなくしてしまっては、自分が自分でなくなってしまうような気がする。 「まあ、そうだろうな」 相変わらずの淡々とした口調が少し寂しげに聞こえたのは、気のせいだろうか? と、フェリスが今度は足を止め、 「ライナは……私のことをどう思っている?」 「……は?」 とんでもない事を言い出した。 どう対応しようか混乱するライナに、フェリスは淡々と言葉を続け、 「嫌いなら嫌いだと、はっきり言ってほしい。私はおまえに今まで酷いことをしてきた。許してくれとは言えない。けれど、どう思っているのか……好きか嫌いかとだけでいいんだ。言ってほしい」 ライナの正面に回り、彼女はずいっとライナの瞳を覗き込んでくる。 「あ、えっと……なんつーか、嫌いだとか嫌いじゃないとかそーゆーことじゃなくてだな、嫌いとは言わないけど、俺はありのままのおまえのほうが好きっつーか、薬なんかでこうなってないおまえにならOK――って、そーゆーことでもなくてだな、その、つまり――」 「ライナ……」 熱っぽい瞳で見つめてくるフェリス。ライナの肩に彼女の手がかけられ、両目を閉じた彼女の顔が迫ってくる。 これはいいのか? いや、ダメだろ、だって正気じゃないんだし…… けど、ここで断るのは失礼じゃないのか? ライナの手がフェリスの腰に回り、 でも、これは薬のせいであって、フェリスの意志じゃ…… しかし……ここは男として…… もう片方の手が彼女の背中を、 意を決したライナの眼前に、フェリスの柔らかそうな唇が…… フェリスの唇が…… ここが街中である事も忘れ、二人は…… くち…… 「――うあぁぁぁぁぁっっっ!?」 気がつけば宙を待っていた。 空中で何とか体制を整えて、背中から地面に落下するのは避けた。何か叫んでやろうと置き上がろうとして…… そのライナの首筋に、見慣れた剣が突き付けられた。 剣に沿って視線を上げていくと、そこにはいつもの彼女に戻ったフェリスが居て、 「ん。どうやら薬の効果が切れたようだな。なるほど、もう少しで可憐な美少女の純潔が奪われるところだった……しかし、薬を使って乙女をたぶらかそうとは、これは万死に値する極刑――」 「おまえが勝手に飲んだ、つーか食ったんだろ……って言っても聞いてくれないんだろうな、どうせ……」 「ん。バレたか」 喜ばしいことに彼女の耳にライナの言葉が届き、静々と剣が収められる。 「しかし、私としたことがたかがホレ薬ごときであのような事を次々言ってしまうとは……まんまと色情狂の策略にハメられてしまったというわけか、恐ろしい」 「だから……違うって」 聞いてくれないとは思いつつも、ライナは地面に腰を下ろしながら涙した。 と。彼はふと、気づいて、 「なあ、フェリス」 「ん。なんだ?」 「おまえさ……一応ホレ薬で変になっちまった時の記憶、残ってんだよな?」 「ああ。覚えているぞ」 「じゃあさ……」 口まで出掛かった言葉を、ライナは飲み込んだ。 “あれって、おまえの本音だったのか?” 今まで出た言葉が、彼女の本当の言葉だとしたら自分はどうすると言うのだろう。 自分を変えるのか? 変えないのか? それとも、あるいは…… 「ライナ」 「ん?」 「さっきまでの私は“私らしかった”か?」 え、とライナは言葉に詰まった。フェリスらしさがあったと言えばあったのだが、確かにいつもの彼女らしくはなかった。無論、それは薬のせいなのだが。 「おまえがどうしようもない色情狂であることは、私とてしっかり把握している」 呆然と、ライナはフェリスを見つめた。 ほんの少しだけ、注意して見ていなければ見逃してしまうほどわずかだったが、彼女は唇を歪めた。それをライナが視界の端に捉えたかと思うと…… 途端、彼女はくるりと踵を返した。背中越しに、言い放つ。 「行くぞ。宿に残して来ただんごが心配だ」 「……へいへい」 踵を返して足早に歩いて行くフェリスの後ろを、ライナは猫背気味の足取りで追った。 なんとなく、呟く。 「あのフェリスも……結構よかったよなぁ〜」 「ん? 何か言ったか?」 「いや、別に」 夜。ライナの部屋。テーブルの上にはだんごが数本。 「ん。たしかに、結構美味いな」 「……ライナ。食べかすがついているぞ」 「? どこだよ?」 「そこ」 「ここか?」 「ここだと言ってるだろう」 ちう。 間。 「な!? おまえ!? え!? なんっ!?」 「迷惑料代わりだ」 ……いっそ、本当に色情狂になっちまおうかな…… ふと、そんな考えが頭を過ぎるライナだった。 ------------------------------------------------------------------------------------ 〜あとがき兼ライフェリ筆記試験〜 A.本文を読んで、次の問いに答えなさい。 問1:ライナのだんごの食べかすは、どこについていましたか? 1.ほっぺた(うわ〜、ありがち(笑)) 2.くちびる(ファーストっすか!? 初モノっすか!?(笑)) 3.実はついてなかった(……フェリスさん、それは反則です(笑)) 問2:問1を3だとした場合、フェリスはどこに“しちゃった”のか。 1.ほっぺた(ほのぼのラヴ〜ヽ( ´ー`)ノ) 2.くちびる(……なんと言いますが、オレ、アホです、はい) 3.その他:自分の希望する箇所を記入して下さい(笑) 問3:ライナは色情狂になったのか? 1.なれなかった。(まあ、妥当。フェリスが恐くて、とか(笑)) 2.なっちゃった。(男ならー!(爆)) 3.いや、むしろフェリスがなった。(フェリス攻め!?(死んでこい)) 答えてくれた方には、もれなく続きの駄文をプレゼント……するかもね(w とりあえず、オレはアホか、と(w いやはや、キャラが暴走しまくりしまくり。 ラストから書き始めたんですが、運びまでにここまでキャラが本編と変わってしまうとは……鏡さん、ごめんなさい(泣 薬は液体より、粉末状で表記したほうがよかったかも、と後悔(;´д`) とりあえず、るくびきを書き上げて、そんでからライフェリかなぁ〜、と。 ------------------------------------------------------------------------------------ ←二次創作置き場へ |