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暗闇の中で、ライナ・リュートは一人で佇んでいた。 足元に大きく広がるのは、赤黒い鮮血。足元に血溜まりの中には、自分と同じ姿をした男が一人。 ゆっくりと視線を上げる。 視界に映るのは、目の前に真っ黒なカーテンでも敷かれているのかと錯覚を覚えるほどの、奇妙なほど純粋で綺麗な暗闇。まぶたに灼けるようなちりちりとした痛みが走り、靄のかかったような白い影が暗闇の中に一つ、また一つと出現し始める。 人が居る。たくさんの人が。 見覚えのあるような、ないような――そんな人間どもの群れがライナの回りに佇んでいる。 人々に向けられる自分の腕。 腕が一振りされる度に、一人、また一人と死んで行く。 あるいは消え行き、あるいは四散し、あるいは断末魔を。 ――ヤメロ―― どこかで叫ぶが、己を静止する術を、今のライナは持たなかった。 そして、最後の一人が残った。 近いような遠い場所にゆらりと佇むその女は、右手に抜き身の剣を携えている。 見覚えがあるような、ないような。 意識が白濁して行く。視界がぼやけ、焦点がブレて女の顔がよく見えない。 誰でもいいか、とライナは思った。考えるのが、めんどくさい。 ライナがゆっくりと右手を振るう。 それで終わるはずだった。 女は消えなかった。 ライナの右手から放たれた五亡星をやすやすと躱し、顔の正面をこちらに向けたまま身動ぎすらしない。 一度、二度、三度。 何度放っても、五亡星が女に当たる事はない。わずかに動くだけで、紙一重の所で五亡星を躱している。 いらついて思わず擦り合わせた犬歯が、ぎちりっ、と嫌な音を響かせる。 なぜ殺せない。なぜだ、ナゼダ、何故だ。 青く輝く瞳が真正面からライナを見据え、放たれる眼光がぞくぞくするぐらいに突き刺さる。 凛と声が響く。 ライナ、と。 「…………え………………う……」 痛い、痛い。 頭が割れるように痛かった。 こめかみの奥が、女の言葉に呼応するかのようにずきずきと疼く。震えた奥歯がかちかちと歯がぶつかり合う音をかき鳴らし、開いたまま瞳が閉じられなくて、目の奥にあった灼けるような熱さが上昇して行く。 動けない。 顔も、腕も、足も、瞳ですらも動かす事ができない。身体の主導権を他の誰かに持って行かれてしまったかのように動けないライナが唯一自分で動かせるのは、呼吸を行う肺だけだった。 深く深く息をして、ライナは魅入られたように女を見つめている。 ―― 前は化 なん ゃな ―― 心地よい言葉が響く。 頬が熱いのは、泣いているからだろうか。 一番欲しかった言葉。誰かに言って欲しかった。否定して欲しかった。 ――お 私 棒で 奴隷 、茶 友達だ―― 一人で居るのは寂しい。生きているから。 隣に人が居るのは恐い。生きているから。 居て欲しい。居ないで欲しい。 それは我が侭。 一人で生きる事を選び、人と生きる事を知ってしまった者の、自分勝手な我が侭。 できるならば、自分の隣に立つ者が居て欲しい。 とてもとても強い人が、隣に。 ――聞こえてるのか、ライナぁ!―― ああ、聞こえてるさ。聞こえているとも。 響く声が、彼女の言葉が心地よい。 いつまでも聞いていたい。 いつまでも言ってほしい。 ――ライならいなライナラいナライナラいらいならいなナライなライナらイナラいナライならイナらいなライナラいナライナラいナらいナライナらいナライナらイナいナライナラいナらいナラいなナライナラいナライナラいナらいナライナらいナライナラいナらいナラいなライならいなライナラいナラいナ―― 彼女が自分の名を呼ぶ。 ぐるり。 胃の中が、意識が、視界が反転する。 何度も何度も反転する。 ぐるぐる回る。 そして、 「……イナ。おい、ライナ」 自分の身体に触れる何かを感じる。 手。 やけに重いまぶたを開くと、視界に見なれぬ天井が広がっていた。古ぼけた木製の天井に、築数十年の年季を感じさせるいくつもの染みが点々と。 秋の到来を告げる涼風が開け放した窓から吹き込み、汗に濡れた身体にひんやりと冷たい。 確かめるように数度瞬きをして、ライナはのそのそと上半身を起き上がらせる。 「ライナ、どうした?」 掛けられた声に反応して顔を横に向けると、すぐ眼前にフェリス・エリスの顔があった。人間離れした美貌に、アクアマリンか何かの宝石のように透き通る青い双眸と黄金色の髪を携えて、いつもの無表情のまま、けれどどこか心配そうに自分を覗き込んでいる。 嫌な汗で額に貼りつく前髪をかきあげながら、ライナは毛布を跳ね除けるように手で払いながら上半身を起こしてみせた。フェリスのほうを見ようともせず、ライナは深く息を吐きながら俯いた。 「何をうなされている、ライナ。今まで襲った老若男女から、夢の中で呪いの言葉でも囁かれたか?」 と言われても、目覚めたばかりで脳が完全に働いていない。睡魔の残るまぶたが、軽い痛みのようなものを感じるぐらいに重い。目を擦り、あくびを噛み殺しながらライナは、 「ん……ああ……………………すまん」 とだけ言った。 浮かない顔で素直に謝るライナに、フェリスは怪訝そうに眉を寄せる。ライナにやる気がないのはいつもの事だが、こう沈んだような表情を見せるのはめずらしい。そのせいか、フェリスの浮かべる表情も怪訝と言うよりも、どちらかと言えば拍子抜けしたと言ったほうが近いかもしれない。 ライナはふと先日のことを思い出す。人を、人の心を殺すために造られた拷問用器具の仮面。あの時に見たまやかしと、今の夢の始まりがそっくりだった。半ばを過ぎた辺りからだいぶ違ったものがあったが、それでも自分に不快を恐怖を感じさせるには充分過ぎる代物だった。 やけに生々しい夢の記憶が、まだ頭の中に嫌に鮮明に残っている。心的外傷(トラウマ)でもあるまいし、馬鹿馬鹿しい上に情けない。もう暫く前の事で気にしていないと思っていたが、自分が思っている以上に気にしていたのだろう。 けれど、 ぼんやりと、ライナはフェリスを見つめた。 いつも間にか、隣に居るのが当たり前になった自分の相棒。 最高の容姿と最悪の性格を兼ね備えた、何よりもだんごを愛する女。 自分が知る限りでは、一番強い女。 綺麗な顔だな、と思った。寝惚けているのかもしれない。 「どうした、人の顔をじろじろと見て? たしかに私の美を司る女神の如く美貌に目を奪われるのは分かるが、起き抜けに私を襲おうなどと考えるとは、さすが月間犯罪者ランキングで近づけば子供が出来る部門と町で良く見かける部門第一位のマスター・オブ・色情狂だな」 「だからぁ……」 ただでさえやる気がないライナにとって、起き抜けではさすがにツッコミを行う気力もなかったし、その上今回ばかりは的を得ていないとは言え、一瞬でも妙な事を想像してしまったのは事実だ。大きくため息をついて、ライナは黙りこくったまま俯いてしまう。 ツッコまれなかった事にわずかな寂しさを覚えて視線をそらしていたフェリスも、ライナの妙なその反応に思わず不信感を覚えた。俯くライナの顔を下からぐいっと覗き込むが、ライナは彼女に一瞥をくれただけで、再び視線を泳がせてしまう。 フェリスは顎に手を当てながら、ふむ、と唸った。考え込むように視線を泳がせると、彼女はやおら勢いよく立ち上がった、そのまま、ハンガーに掛けていた薄手の上着を引っ手繰るようにして羽織り、無言のまま彼女は部屋を後にする。 宿の一階で経営している酒場の喧騒がやけに遠く聞こえる。 ――そして、十数分。 数回のノックの後、こちらの返事を待つ事もせずにフェリスが部屋の中に舞い戻って来た。 手には銀色に鈍く輝くアルミ製のトレイが一つ。だんごが並べられた和風の大皿に、封を切っていないボトルが三本と、ランプの灯火にきらめく新品のグラスが二つ。 ベッドに腰掛けたままぼぉ〜っとしているライナを尻目に、フェリスはランプの置かれたテーブルに着席した。中心にだんご皿を、それを挟むようにグラスを置いて、ボトルの封を手早く空ける。 「飲まないか?」 ライナが返事をするよりも早く、フェリスは自分のグラスとライナの分のグラスに、柑橘系のジュースを彷彿とさせる薄いオレンジ色の液体をなみなみと注いだ。 少し考えてから「ああ」と頷いて、ライナは自分に差し出されたグラスを手に取ってテーブルに腰掛けた。右手で掲げるようにして「乾杯」とどちらともなく呟いて、グラスのふちを打ちつける。 酒を飲むのは随分と久しぶりだった。オレンジのような柑橘系特有の甘酸っぱい香りを楽しんでから、口の中に一口含ませる。 味のほうは、見た目の予想通りと言ったどころか。グレープフルーツにも似た味の中に感じる、アルコールの風味。口当たりが良くてどんどん飲めるが、あまり調子に乗ると悪酔いしてしまいそうだ。 けれど、飲むペースさえ気にしていればこの酒は悪くない味だった。酒に弱いわけではないが、葡萄酒や麦酒は昔からどうも苦手だったが、この酒ならば好き好んで飲んでもいいかもしれない。 ライナが半分ほど飲んでグラスを置き、だんごに手を伸ばそうとして、 (早くないか、おい……) と思わず一瞬、手を止めてしまった。ライナがグラスの半分ほどの酒を飲んでいる間に、フェリスは既に一杯目を飲み干しており、串だけになっただんごが二本、皿の脇に転がっていた。 フェリスのだんごを食うペースはいつもの事だが、フェリスが酒を飲むのを見るのはこれが初めてだった。路銀をケチると言う事もあるが、だんごを主食(?)とするフェリスが好むのはいつ見てもお茶だった。だんごには茶が一番だ、と言うのが彼女の常日頃からの口癖であったし、付け合わせの飲み物は大抵の場合お茶である。 たぶん――と、ライナはだんごを一本手に取りながら想像する。だんごに一番合う飲み物を研究した時に見つけた一品だろうと思う。その証拠に、甘い餡のたっぷりつまった三色だんごとよく合っている。 たんっ。 二杯目を飲み終え、フェリスは三杯目の酒と四本目のだんごに同時に取りかかる。 「フェリス。おまえ、ペース早くないか?」 「ん。問題ない」 言うフェリスの表情をまじまじと見つめるが、いつもと変わった様子はない。暗がりで表情が少しばかり読み取りにくくなっているが、昼間とそれほど大差はないだろう。 ライナが二杯目を注ぎ込むと、一本目のボトルが空になった。ラベルに書いてある思った以上のアルコール度数に少々驚きながらも、ライナは自分で二本目のボトルの封を切った。 無言のままの酒盛りが、暫く続く。 三本目のボトルがなくなり、自分とフェリスに一杯ずつ。だんごも残すところ、自分とフェリスが手にしている二本が最後になった。 ぱくっ、ぱくっ、と口の中に頬張っただんごを酒で流し込むと、フェリスはいきなり口を開いた。 「時々、な」 ぼんやりと外を眺めながらだんごをつまみにしていたライナが、不意に掛けられた声に振り向く。まだ中身の残ったグラスをことりとテーブルに置き、フェリスは舌で湿らせた指先でグラスの縁を指でなぞり始めた。 ――ィィィイィンィィインィィィィンィイィ―― フェリスの指先とグラスが、何とも言えぬ音楽を奏で始める。 自分の指先を見つめながら、フェリス。 「おまえがうなされている」 鳴り響く、透き通るような音。 グラスハープ、と言う奴か。 時々妙な夢を見ることは知っていた。 昔の、誰かを殺した過去の夢。 自分を殺す夢。 まだ生きているはずの知り合いを殺す夢。 シオンを殺す夢。 フェリスを殺す――もとい、殺そうとする夢。 よく考えれば、夢の中でフェリスだけは唯一殺した事がない。 『おまえごときでは、私を殺せない』 その言葉通り、自分はフェリスを殺す事はなかった。現実で殺せないどころか、夢の中ですらフェリスを殺せないのは、自分が彼女をどうあっても殺したくないのか、それともただ奴隷根性が脳の奥底にまで染みついてしまっているのか。 どちらにせよ、問題があるような気がする。 心の中だけで苦笑する。 「よく、うなされてるのか?」 笑みを浮かべる自分が居る。強がっているつもりなのだろうか。 串に残った最後の一つを口の中に放り込みながら、ああ、とフェリスは頷く。 くちゃくちゃくちゃ、と彼女がだんごを食べる音が周囲を支配する。 間を置き、彼女は自分の言葉を確かめるようにして声を紡ぎ出した。 「おまえがうなされていると、私は、」 響き続けるグラスハープ。 ライナの目はフェリスの顔を見ず、音色を奏で続ける彼女の指先だけに集中している。 ――ィィィイィン…ィィイ……ンィィィ…ィィィ………ィ…………―― 音が止んだ。 フェリスが顔を上げる。 笑みを返す彼女がそこに居る。感情に揺れる蒼い瞳に浮かぶのは、何の色だろうか。 罪悪。同情。哀れみ。悲しみ。怒り。 フェリスの頬が赤く染まっているのは、酒が回ってるせいだろうか。 自分にしか分からないような、わずかな表情の変化。 ゆっくりと、ため息のように言葉を吐き出す。 「…………………………うるさくて……安眠できない……」 言葉は、一つ。 意味は、二つ。 一つ目は、ただうるさいから。 二つ目は、自分が心配だから どちらかは、聞かなくても分かる。 「そっか、すまん」 自然と笑みがほころぶ。 不謹慎かもしれないが、自分がフェリスにこんな表情をさせているかと思うと、むず痒くて嬉しくなる。 フェリスが泣いた事があるのは数えるほどのはずだ。剣の一族・エリス家の人間は、ただ強くなるためだけに育てられると聞く。両手――もしかしたら片手で数えられる程度の涙のうち一つは、以前に聞いた事がある。冗談めいた口調だった上、妙な状況で語られたので、戯言か真実かは分からないが。 そんな彼女が今、自分が“泣きそうな顔”をしている事を、はたして気づいているのだろうか。気づいていなかったとしたら、それを知った時、彼女はどんな表情見せるのだろう。 「たぶん……これだけ酔ったら夢も見ねえで寝れるだろ。ありがとな」 ライナの言葉に、頬を掻きながら照れ隠しをするようにフェリスが視線をそらす。 「ん。…………しかし、色情狂の口車に乗せられて私もまんまと酒を口にしてしまったが、これでは泥酔した私に酒の勢いに任せた野獣の魔の手がかかるのは時間の――」 「あくまでも俺を悪者扱いかよ、おまえは! てか誘ったのはそっちだろ!」 「なるほど。貴様は誘われば老若男女誰でもあろうとも、あまつさえ動物にまで手を出すと言う、どうしようもない鬼畜だったのか。私も色々おまえの異常性癖には耐えてきたが、さすがにそこまでとは」 「だから、人の話を聞け! 話がかみあってねえだろうが!」 思わず叫びすぎて、酒の回った身体が悲鳴を上げた。頭の中で自分の声が響き、こめかみの辺りにずきずきとちた傷みとかゆみの中間のような感覚が訪れ、視界が一瞬ぐにゃりと歪んだ。 標準値よりもアルコール度数の高い酒を、飲みやすいからと言ってハイペースで飲み過ぎた。頭痛こそはしないものの、頭とまぶたが重くなってきた。悪酔いしたかと言われればそうでもなく、どちらかと言えばほろ酔いに近い。 「あー……………………そろそろ寝るか?」 椅子の背もたれにだらしなくもたれかかりながら聞くライナに、フェリスは黙って頷いた。彼女が立ち上がるのに合わせて自分も立ち上がり、重い足を引きずるようにしてベッドへと向かう。 ぽかぽかと身体が――特に顔の頬の辺りが熱く火照っている。久々のほろ酔い気分にこっそりと一人で笑みを浮かべつつ、ライナは頭から突っ込むようにしてベッドに突っ伏した。ぐしゃぐしゃになったシーツを引き寄せながら、ライナは枕を抱きしめるようにして顔を押し付ける。 たしかにこれならば、よく眠れそうだ。目を閉じると、身体全体にのしかかられるような重みを感じた。 ほどよい感覚で身体中に襲いかかってくる睡魔に身を任せ、ゆっくりと深呼吸をして眠る体勢に入ったライナの耳に、 ずりっ、ずりっ、ずりっ、 と何かを引きずるような音が響いた。 一体何をしているのだろうと寝返りを打ってフェリスのほうを見ると、 「……何やってんだ、フェリス?」 ――色情狂と一緒の部屋で眠るのは可憐な私が一緒に眠るのは非常に危険だ。少しでも危険度を減らさねば、か弱いは私は安心して熟睡できない。と言う訳でせめてベッドぐらいは離さねば―― そう自分で言っていたはずのフェリスが、なぜかこちらに向かってベッドを押してきていた。ライナの問いは答えず、フェリスは彼に向かって一瞥だけくれると、黙ったまま自分のベッドをライナのベッドの隣に移した。 月明かりに照らされる彼女の頬は、まだ赤いまま。 そのまま同じように倒れ込むように寝転ぶと、フェリスはなぜかいきなり自分の右手でライナの手を握り締めた。しなやかな指がライナの手に絡みつき、思った以上に心地よい彼女の肌の感触がライナの指に直接伝わる。 「おまえ、肌つるつるだな」 フェリスにいきなり手を繋がれた事に驚くよりも何よりも、そんな感想を口にする自分に驚いた。 なぜか勝ち誇るようにフェリスは、 「ん。美人だからな、当然だ」 そう言うやいなや、彼女は少し体勢を変えてライナと向かい合う形になった。 瞳に映る自分が確認できるぐらいに、彼女の双眸がある。形のよい赤い唇と赤く染まった頬が、間近で見ると妙に艶かしく見える。やはり、彼女は自分で自負できるぐらいに美人である。 (…………え〜っと…………) 状況を理解しているはずなのに、脳がそれについて来れていない。 ライナが混乱している間にも、状況はフェリスの先導でどんどん勝手に進んで行く。 フェリスの左腕がライナの背に回り、手を握っていた右手を離してライナの首と枕の間に滑り込ませると、彼の後頭部に手を添えて軽くライナを抱き締めた。 酔いと緊張と照れと混乱で、ばくばくと心拍数を増していく心臓と、背中と額に噴出す妙な汗をありありと感じながら、ライナは絞り出すように言葉を口にする。 「もしかして酔ってるのか、おまえ?」 ライナのその問いに、すぐさまフェリスは、 「私が酔うわけがないだろう。酔っていては色情狂に襲われて嫁に行けないような身体になってしまっては困るからな」 言いながら、フェリスの力はどんどん強くなり、結局は彼女の胸の辺りに自分の顔が押し付けられるような形となった。 フェリスはそうは言うが、そーゆー病気でもなければ男色家でもない普通の男であるライナにとって、正直この状況は危ない。先ほどは否定したが、この状況では一歩間違えれば何が起こってもおかしくはない。 もっとも、フェリスに何かするような度胸が自分にあるのかどうかは謎だが。 「ライナ」 ライナを抱きしめたまま、フェリスがぽつりと呟いた。 胸の辺りに顔が押し付けられているので顔を見ることはできないが、彼女がどんな表情を浮かべているのかはなぜか容易に想像できた。 胸の奥が暖かさで満たされる。目を閉じると、彼女の体温と息遣いがすぐそこで感じられる。 「恐いか?」 不意打ちだった。 けれど、何の事を聞かれているのかはすぐに分かった。 酔いが一気に覚めて行くような、血の気が引いて行くような感覚。 その問いに、ライナは答えなかった。 ただ、フェリスを少しだけ抱き締めた。 優しく。 強く。 恐かった。傷つけるのが何よりも。 化け物と忌み嫌われた“複写眼”を持つ人間。 強過ぎる力は、畏怖でしかない。 自分で操れない力は、爆弾で遊ぶ子供のようなものだ。 それとは気づかずに、気づかないうちに――どかん。 「寂しいか?」 傷つけてしまうぐらい近くに来るまでに手放せば、傷つけずにすむ。簡単な事だ。 けれど、手放したら自分は独りになる。広い世界に、たった独りぼっちになる。 寂しくないわけがなかった。独りは嫌だったが、誰かを傷つけるよりはマシだった。 だけど、寂しかった。 「自分を嫌うな、ライナ」 フェリスの言葉が突き刺さる。 自分が、自分でも気づいていないうちに隠していた何かが、剥がれ落ちて行くような気がした。 まぶたの裏が灼けるように熱い。鼻の奥がつんとして、胸と喉の奥から何かがこみ上げてくる。 「おまえが捨てたあのミルクとか言う女はどうだ? おまえをひたすら追いかけているあの女は、おまえを好いているから追いかけてくるのだろう? 王はどうだ? 王はおまえの力を欲していたのだろう? おまえの力を前にしても、おまえの力が、おまえの考えが、おまえと言う人間を好いたから、王はおまえと友になった。 私の妹もそうだ。ああ見えて、イリスはイリスなりにおまえの事を気に入っている。おまえが色情狂としての考えを改めさえすれば、すぐにでも仲良くなれる。あの子はいい子だからな。 王から、キファと言う女の話も聞いた。――これは、私が言う必要はないな」 フェリスの言葉が染みこんでくる。 ゆっくりと。ゆっくりと。 自分の瞳から自然と零れ落ちる涙が、彼女の服を湿らせる。 「だから、おまえは自分を嫌いになる必要なんてないんだ。恐れる必要も、何も」 そっと、フェリスの手が頭を撫でてくる。 何度も何度も撫でられるそれが心地よくて、ライナは涙を流しながら眠りの世界へ誘われて行く。母親にあやされる子供のように、ライナはフェリスに抱き締めながら頭を撫でられる。 「もし信じられないなら、聞け」 声が響く。 綺麗な声が。 優しい声が。 「おまえがどうしようもない色情狂で、ストーカーで、化け物で、異常性癖であろうとも、そんなものはどうでもいい。私が今まで見て、聞いて、感じたおまえを、私は嫌いじゃない。そう、嫌いじゃないんだ」 間。 強く、言い放つ。 ――少なくとも、私はおまえの事が好きだ、ライナ―― その一言だけで充分だった。 嬉しかった。彼女のその一言が何よりも、ただひらすらに嬉しかった。 「俺は、」 傍に居たい。 傍に居て欲しい。 一度は手放そうとした人。 触れてしまえば、きっともう手放せなくなってしまう。 独りで居られなくなってしまう。 傍に居れば傷つけてしまう。 恐い。 それはとてもとても恐ろしい事だ。 しかし、それでも求めてしまうのは、 やはり、 自分は、 彼女が、 「傍に……居てくれるのか?」 「ん。私がおまえの傍に居なければ、誰がおまえの悪行を止めると言うのだ? 身を呈して色情狂の魔の手から人々を護る……健気な美人だな、私は」 もしかしたら、あるいは彼女ならば大丈夫かもしれない。 なんの根拠もない安心感が、ここにある。 嬉しさを、止める事ができなかった。 一瞬、二人の身体が離れて、また触れ合う。 彼女の唇に、そっと“それ”が重なる。 酔った勢い――なのかもしれない。 いや、ずっとこうしたかったのかもしれない。 この状況で、自分を抑えろと言うほうが無茶だった。 ――私はここに居るぞ、ライナ―― ――私はお前の傍に居るぞ―― ――護ってやる。おまえが傷つけようとする人も、おまえ自身も、みんな―― ――私が絶対に止める。止めてみせる―― ――だから泣くな。安心しろ―― ――私はおまえを嫌いになったりしない―― ――嫌いになりたくない―― ――私はフェリス・エリスだ。強く在るべき者だ―― ――強い者は弱い者を護る―― ――だから、女一人も殺せない臆病なおまえを、私は護る―― ――けど、たまには、誰かを―― ――私ぐらいは…………護れるぐらいに強く在れ、ライナ―― ----------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 っつーわけで、俺的な趣味のライナ←フェリスちっくなライフェリ(笑 これはライフェリ同盟の企画「ライフェリ30のお題」への参加作品で、お題は一応『言葉』だったりします。題に沿ってるのか沿ってないのかよく分からん内容だなぁ、おい(;´Д`) 正直、饒舌なフェリスが書きたかっただけです(笑 次はライフェリかるくびきか……るくびき成分が不足気味のような気がしますが、恐らくはライフェリ(笑 てか、今までで1、2を争うぐらいに長くなってしまった……。 ----------------------------------------------------------------------------------- |