風 呂 の 中 の 楽 園
















 魔力の訓練を終えたばかりのルックは、風呂に肩までどっぷりと浸かっていた。
 お前、意外と爺むさいのな、と言われた事は数知れない。
 長風呂は彼の数少ない趣味の一つであったし、なんといわれようとも風呂が好きなのだからしょうがない。

 風呂と言うものは人間の文化の極みだ、とルックは勝手に決め付けていた。

 山奥の秘湯でゆっくりと温泉の露天風呂に浸かるのもいいが、やはりテツの入れる風呂は流石世界一の風呂職人を目指すだけあってかなりのものである。冬の間近に迫ったこの季節、少し熱すぎるぐらいの湯船は冷えた体に心地良い。風呂上がりには氷水を喉の奥へと一気に流し込むのが、ルックの好みだった。この季節にはしないけれども。
 ちょうどよい“ほかほか”な気分に身体が温まり、そろそろあがろうかと名残惜しみながら湯船から上がった、その時だった。

 唐突にルックの眼前の景色が歪んだ。強力な魔力の力場が発生し、一時的な転移のゲートを作り上げる。瞬きの紋章――テレポートの特徴だ。
 ゲートが消滅すると同時。不意に風呂場に現れた彼女は無音でその場に着地した。




 永遠の十六歳、ビッキー。通称うっかりテレポート。




 あまりにも突然の出来事に、ルックは隠す事が出来なかった。
 彼女は彼女で、真っ向からルックを見据えたまま身動きする事が出来なかった。


 ――――――――っ!?


 狭い風呂の中に鳴り響いた声ならぬ悲鳴は、一体どちらのものだっただろうか。













 見られた。



 目を閉じさせたビッキーの脇を摺り抜け、体を拭くよりも先に着替えを済ませて彼女と一緒に風呂を出た。しばらくはテレポート禁止だと言い残し、ルックは踵を返して自分の部屋へと逃げ込んだ。顔が紅いのは、ほかほか状態である事だけではないだろう、きっと。
 さっきの出来事をもう一度思い出して赤面し、ルックは頭からベッドに突っ伏した。






 見てしまった。



 ビッキーも、こちらはこちらで赤面していた。
 いくら天然だとは言われていても、さきほどの事が何を意味するか知らないわけではない。第一、逆の立場だったとしたら確実に自分は恥ずかしいと思うのだから、ルックが恥ずかしくないと思っているわけがない。

 さて、どうしたものかとビッキーは虚空を見上げた。謝りに行こうとは思うのだが、一体どう謝ればいいのだろうか。気をつける――と言うのはあまりに当たり前すぎる上に、もう何十回と言ってしまっているのであまり信用していないのは明白だ。



「ビッキーさん、どうかしたんですか?」



 通路の真ん中で立ちっぱなしになっているのが気に掛かったのだろう。声がしたほうを振り向くと、ボブの背中から顔を出した猪突猛進爆裂挌闘娘ことワカバがきょとんとした表情でこちらを見つめていた。
 足でも捻挫したのだろうか。左足に包帯を巻きつけ、彼女はボブに背負われていた。ただでさえ小柄な彼女の姿が、大柄なボブの所為でさらに小さく見える。


 ボブとワカバ。最近になって、よく見掛けられる組み合わせである。


 総勢で二百を優に超える人数が共同生活を送るこの城の中で仲の良くなる男女が出ても不思議ではないが、中でもこの二人は特に最近際だったものを見せている。





 彼女――ワカバの武術の師匠らしかったロンチャンチンが傭兵達の挌闘術訓練の講師として駆り出されてから早一ヶ月。
 ワカバがボブに懐くキッカケとなったのは、彼が狼に変身できると言う点とボブが挌闘術に優れていると言う点だった。特異体質と言うものは、良くも悪くも子供の目を引くものである。実際、ワカバの他にもトウタやゲンゲン、ガボチャ達にせがまれて変身する事が今でも度々あった。

 挌闘術に優れていたのは、組み手の相手を探していたワカバが通りすがりのボブを相手にし、しかもボブがあっさりとワカバを打ち負かしてしまったのが原因だ。あとになって“わざと負けときゃよかった”と思うのは、やはり後悔先にたたずである。



 その後、やたらとワカバに懐かれてしまったボブは、周囲から妙な誤解を招く事となる。
 と言うか、ボブの事をよく知らない者達への彼女の説明が悪い。
 誰であったか。おそらくメグの辺りがワカバに「最近、ボブさんとよく一緒に居るよね」ともらしたのがそもそもの始まりである。この頃のボブと言えば、過去の事からか、あまり人と関わりを持っていなかった。その為、彼の特異体質を知る者はワカバやゲンゲン達を覗いて殆ど居ない。





「はい! 私、ボブさんに鍛えてもらってるんです。
 ボブさん、凄いんですよ。なんたって昼でも夜でも、すぐに狼に変身しちゃうんですから。
 最近、毎日ずっと“(修行を)して”るんですけど、すぐに私のほうがへばっちゃうんですよね。
 私はへとへとなのに、ボブさんたらずっと元気で……」





 など、誤解されるような事を振りまいた為、結果、本人無自覚な同盟軍公認カップルと言う妙なコンビになってしまった。一方、ボブはボブで彼女の事を口では“ガキのおもりだ”などとは言っていても、実はまんざらでもない様子で相手をしている。

「……ワカバ。やたらと人の事に首を突っ込むなと、いつも言ってるだろ」
 背中越しにうんざりとした表情で言いつつも、自分がこの少女の面倒を見る事をそれほど悪くは思っていない事を、その言葉の片鱗に含まれた感情から読み取る事ができる。気づく気づかない以前に、ビッキーはそんな事など気にもとめてはいなかったが。


「え〜!? ボブさん、ビッキーさんが心配じゃないですか!? ひどいですよ〜!?」
 人には放って置いて欲しい場合も多々あるんだがな……。
 心の中で呟いてから、ボブはゆっくりとビッキーの方に視線を戻した。頼むからどうにかしてくれ、とボブの彼が言っている。話すか話さないか、はっきりさせろと言う事だろうか。


「えっと……」













「……“見られた”んじゃなくて、“見た”んですか?」

「うん……」

 話を聞き終わったワカバがおずおずと聞くと、ビッキーは少しばかり俯きながら頬を染めて頷いた。
 う〜ん、と考え始めたワカバの横で、ボブは想像してみた。



 意外にも風呂好きのルック。
 湯船から上がった瞬間に、突如虚空から美少女――ビッキー。
 向かい合う二人。
 隠す事も出来ず、立ちすくむ少年。
 目をそらす事も出来ず、ただ呆然とする少女。
 どちらともない叫び。



 まだ風呂に入っている状態ならばまだ救いようがあったろうに、よりにもよって“全部”見てしまうとは。しかも“あの”ルックの裸を。


「そりゃ気まずいわな……」
 言われ、思い出したのか、ビッキーは顔を真っ赤にして完全に俯いてしまった。

 やはり、こういう年頃と言うものはそういう事を気にするのだなと、ボブは自分の年齢を棚に上げて心の中で呟いた。二人の性格と年齢からして、男女としての“経験”はなさそうである。


 ――となれば、どうする?


「そうだ!」
 急に大声を上げたワカバのほうを二人は驚きながら凝視した。
 にぃ〜っと歯を剥き出しにしたその笑みは、まるで自分が思いついた案が一番素晴らしいと思い込んでいる事を物語っていた。



「目には目を、歯には歯をです!」



 聞き覚えのない言葉だった。
 おそらく、彼女の国の教訓か何かだろうと、ボブは勝手に決め付けた。
 ワカバの話した内容は、思わずボブがそれでいいのかとツッコミたくなるような内容ではあったが、ビッキーがむしろ喜んでその提案を実行すると言い出したので、彼はもう何も口を出さない事にした。












「――ったく、僕も何を裸ぐらいで恥ずかしがってるんだか……」
 自室のベッドに寝転がりながら、ルックは誰ともなく呟いた。
 日は傾きかけ、初秋を告げる心地良い涼風が夕焼けの光と共に部屋へと舞い込んでくる。
 あれがビッキーでなければ、ここまで妙な思いをしなかったのだろうか。
 それとも、ビッキーだからこそこの程度で済んでいるのだろうか。
 そこまで考え、馬鹿らしいと思った。
 あんな事故、ビッキー以外に起こしそうにない――と言うか起こしようがない。
 あとで、ビッキーに言いに行こ。
 夕食までにはまだ時間がある。その前に一眠りしようと、目を閉じようとした。




 と。




 こん、こん、こん。




 誰だかは予想がついた。
 どうぞ、と小さく呟くと恐る恐ると言った感じでドアが開く。


 ビッキーだった。


 少しだけこちらを見て、彼女は後ろ手にゆっくりとドアを閉めた。緊張した面持ちのまま、口を開く。



「あの……さっきは、ごめんね」
「あぁ、その事なら……」
 もういいから、と口にしようとした。
 できなかった。




 ぱさ。





 彼女の着ていた上着が床に落ちた。

 何の冗談かと思った。
 自分は夢を見ているのかと思ったが、どうやらそうではなさそうで。
 ビッキーの頭のネジが三本ほど抜けてしまったのかとも思ったが、彼女自身は意外に冷静に見えた。ただ、その白い肌を傍目から分かるほどに紅く染め、怯えと覚悟の入り交じったような表情でこちらを真っ向から見据えていた。


「び、びっきぃ?」
 裏返って変な声が出た。
 あたふたと慌てるルックに、ビッキーは消え入りそうな声で呟く。



「“目には目を、歯には歯を”って知ってる?」



 ……はっ?
 さっぱり意味が分からなかった。
 その言葉と彼女のこの行為との間に、一体どのような関係があるのだろうか。


「ワカバちゃんがね、“相手にしてしまった事を、自分も相手にさせろ。それが最高の謝罪になる”って言ってて、それで……」
 思わず目眩がした。
 そこまで勘違いできるワカバもワカバだが、それを信じるビッキーもビッキーだ。
 誰か、止める者はいなかったのだろうか。






「――っしゅん!」
「あれ? ボブさん、風邪ですかぁ?」
「う〜ん、最近冷え込んできたからなぁ……。俺、結構寝相が悪いし」
「ダメですよ、ちゃんと暖かくして寝なきゃ」
「そうは言っても、寝相はなあ……」
「じゃあ、一緒にお昼寝しましょう! 二人で寝れば、布団がなくても暖かいですから!」
「え……っ!? いや、それは……ちょっと」
「遠慮なんかしなくてもいいですよ、ねっ?」
「遠慮じゃねぇっ!」






「私、ルックの裸見ちゃったから、だから、私のをルックに見せれば、ルックも許してくれるかなって」



 どうする?



 ルックは目を注に泳がせながら自問した。

 見たくないと言えば、嘘になる。

 仮にも自分は男だし、そーゆー事に興味がないと言う事もなく。
 だが、それは男としてどうなのかと思うのも本当のところで。
 それ以上にこのビッキーの単純――もとい、純粋な思考には呆れ果てるほどに感心する。よく考えれば、あなたの裸を見てしまいました、だから私のも見て下さい、と言うのは下手をすればただの露出狂である。
 それに、もしこのまま間違いを正さず放っておけば、ビッキーがまた風呂場に乱入した時に同じ行為をしないとも限らない――とゆーか、彼女の場合はする。断言してもいい。10000ポッチぐらい賭けたとしても、勝てる自身はある。
 自分ならばまだいい――わけではないが、幾分ましであろう――が、シーナやマクドール辺りに見せたたらどうなる事か。想像しただけ身震いする。



 ――訂正しておこう。



「あ、あのね……“目には目を、歯には歯を”ってのは、目をつぶされたら目を、歯を折られたら歯を折り返せって言う、被害者は加害者にされた事をそのまま加害者に仕返していいっていう、とある国の教えの事なんだ。まあ、簡潔に言ったら――」
 ほえ、と首を傾げるビッキーに告げる。



「……意味、間違ってるよ」
 さり気ない様子を装いながら足元に落ちた上着を渡し、その上にシーツを羽織らせた。
 ぽんぽんっ、と二階ほど軽く頭を叩く。



「分かったら、早く部屋に帰れば? 夕飯前に、少し部屋の整理をしたいんだけど?」
 ルックのその瞳が、自分は邪魔である事を明確に知らせていた。正しく言えば、それは邪魔なのではなくて、早くその目の保養と言うか毒と言うか、なんにせよその格好をどうにかして欲しいだけなのだ。これ以上此処にいられると、正直心臓に悪い。



「……う、うん」
 俯いて顔を紅くしたまま、ビッキーはおずおずとルックに背中を向けた。
 シーツを羽織ったまま、彼女はドアのノブに手をかける。



「それと」



 呟いたルックに、ビッキーは背中越しに振り返る。


「別に気にしてないからね、見られた事。たかが、裸だし」


 薄く微笑んだ彼の顔に、ビッキーは“ありがとう”と応えた。






 尚、余談ではあるが、このすぐあと、ルックはビッキーにテレポートを失敗する度に自分に言いに来るように何度も言い聞かせたらしい。






 さらに余談ではあるが、ワカバとボブが仲良く寄り添って眠っているところを発見されて噂話にさらに拍車をかけ、その上、ワカバの“ボブさんって寝相が悪いんですよ”と言う言葉を、一部の人間が含みのある言葉として受け取ってしまい、一時はワカバの妊娠まで噂がまことしやかに囁かれたのは、また別の話である。





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 あとがきい兼愚痴?
 う〜ん、今回のは時間の割に出来が微妙かもしれない。
 やはり、ほのぼのは苦手かねぇ、オレ。
 行の開け方とかもなんかだかなぁ……。
 ……まあ、いっか。
 さて、年明けまでにライフェリうpできるかねぇ……。
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