彼女はいつも自分の隣に居た。
 

 
 時には自分と対等に。
 時には自分より前に。時には自分より後に。
 彼女と共に潜り抜けた戦地は幾度となくあった。
 けれども、彼女は自分を守る場合はあっても、自分が彼女を守る事は一度たりとてなかった。

 彼女はとても凛々しかった。
 どんな相手にも悠然と立ち向かい、右手に握り締めたただ一刀にて全てを叩き伏せ続けてきた。
 常に強く在ろうとする彼女に、自分は憧れた。
 同時に、いつまでも彼女未満にしかなれない自分に劣等感を覚えた。
 
 

 強くなればなろうとするほど、足掻けば足掻くほど、自分と彼女の距離が開いていくような気がして。
 自分がどうしようもなく悔しくて情けなくなった。
 
 だから、自分は彼女にだけは甘えなくなった。
 自分の弱いところを曝け出すのが恥ずかしいわけではない。
 現に主のはやてに甘える事に、何の抵抗もない。
 それが彼女、シグナムの前であれ、だ。
 
 
  
 ただ。
 
 ただ、きっと。
 
 彼女――シグナムにだけは、我が侭や甘えを起こして迷惑をかけないようにしようと思ったのだろう。 

 それが自分にできる、精一杯の強がりなのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そ れ は 儚 き 夢 の 果 て に

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時刻はすでに丑三つ時も過ぎ去った、もう日も昇ろうかと言う午前四時過ぎ。真冬のひんやりとした冷たい空気の充満するリビングの一角、ソファーの上に毛布を被せて寝転がされているのは、オレンジ色の髪をした小柄な少女、ヴィータだ。
 
 普段はおさげにされている髪は今は解かれ、ゆるやかなウェーブがかかった状態となっている。傍目から見れば風邪でも引いたように、彼女の頬にはやんわりとした赤みが差していた。
 ソファーに寝かされたヴィータの周囲に佇むのは、彼女と同じ守護騎士である三人の男女だ。ヴィータの真横、ソファーの脇に膝立ちになって彼女の容態をチェックしているのは、治療や補助を専門とする専門とするシャマル。彼女は己のアームドデバイスであるクラールヴィントをペンダルフォルムで起動させ、填めた指輪から伸びる四種のペンデュラムが淡い光を放ちながらヴィータの周囲に展開している。

 
 
「で、どうなんだシャマル?」
 
 問い掛けるのは、四人の守護騎士の将であるシグナム。表情にはほとんど出てはいないが、その言葉にわずかに焦りの色が見え隠れしている事にシャマルとザフィーラは気付いている。
 ヴィータが反抗期なせいか、普段は些細な諍いで言い争っている二人ではあるが、少なくともシグナムのほうは主である八神はやてと同じぐらいにヴィータを気に掛けていると、少なくともシャマルは思っていた。
 そうねぇ、と呟きつつ、クラールヴィントをペンデュラムから指輪の状態へと戻し、しなやかな指で軽くヴィータの額に触れてみせる。
 
「まあ、人体にそれほど深刻な問題はないわ。たぶん、自分の身体の事は自分が一番よく分からんじゃないかしら。ね、ヴィータちゃん?」
 
 呼び掛けられ、毛布の中でこくこくと頷くヴィータを見て、そうか、と安堵に肩を撫で下ろすシグナムを見て、シャマルは思わず微笑みを浮かべてみせた。
 



 
 事の起こりは、つい二時間ほど前まで行っていたリンカーコア蒐集の際によるでき事まで遡る。
 
 魔法生物の少ないこの世界では、魔道士相手へのリンカーコアの蒐集は、ゼロから探索しようとすれば手間が掛かる上に効率も悪いので、居場所がはっきりしない間は、リンカーコアの蒐集は基本的に他世界の魔法生物に対して行われる事が殆どだ。
 だが、相手も激しい生存競争を生き抜く獰猛な野生動物。他世界の魔法生物は蒐集の際に抵抗も行えば、逆にこちらの先手を取って襲い掛かってくる場合も少なくはない。そんな魔法生物の中にも、やはり特殊な魔法を使用するものも少なくはない。
 
 けれど、リンカーコアの蒐集の際にはそういった魔力の高い生物や特殊能力を持つもののほうがページを増やしやすい為、自然とその遭遇率も増すのも必然だ。
 魔法生物の特殊能力の中でも、特に変異種としての能力が、効果持続型の侵蝕魔法――所謂、呪いだ。呪いの効力自体は、一時的に五感や魔力を奪ったりと言った弱体化を主とするものが殆どで、ヴィータが浴びたのもそのうちの一つだ。
 この魔法の大きな特徴は、無効化が難しい、と言う一点。長時間において相手に負荷を与える事に特化し、掛かる負荷を最低限までランクダウンさせる事によって、自然治癒以外の回復手段に頼る事ができなくなっている。
 
 彼女の浴びた呪いの主な効果としては、体力と魔力の一時的な弱体化。特に魔力の弱体化は著しいものがあり、日常生活には殆ど支障をきたさないものの、現在は待機フォルムのペンダントの形状となって机の上に置かれている、彼女のアームドデバイス・グラーフアイゼンの起動すらも危うい状況だ。
 もう少し正確に言えば魔力自体の減少ではそれほどないのだが、魔力の放出が上手くいかないような状態である。辛うじて行えるのは、守護騎士同士の思念通話ぐらいのものか。
 被害にあったのはヴィータだけではなく、彼女を庇うように飛び出したシグナムも同じなのだが、彼女の場合は戦闘時において随時周囲に展開している不可視の魔力の防護壁のおかげで彼女自身には問題はなかった。
 だがシグナムのアームドデバイス・レヴァンティンに被害が出たようで、一振りの剣の形状であるシュベルトフォルムから待機フォルムに戻す事ができなくなっている。思念通話自体は滞りなく行えるのだが、ベルカ式の最大の特長とも言うべきカーロリッジロードも使用不可となっていた。戦えない事はないのだが、やはり戦闘の際に支障をきたすのは言うまでもない。
 
 
 
 シュベルトフォルム状態のまま鞘に収められたレヴァンティンはリビングの壁に立て掛けられており、ヴィータをどことなく心配そうに眺めながら、シグナムはレヴァンティンの横に背をもたれ掛けさせた。安堵するような短い息を一つ吐き、わずかに伏し目がちにした視線をシャマルに向ける。
 
「問題はこの状況を主にどう説明するか、だな」
 
 そうだな、と言葉を発したのは今まで沈黙を保っていた白髪の男、ザフィーラ。普段は寡黙であるこの男の表情にも陰りはあるのは、被害にあった二人を心配するのと同時に、盾の名を冠する守護獣として二人を守りきれなかった自責の念があるように思える。
 それはヴィータも同じようなもので、普段は騒がしいぐらいに賑やかな彼女がやけに大人しいのは、自分の慢心と油断のせいで迷惑を掛けてしまった事に落ち込んでいるからだろう。
 被害は最小限で済んだ筈なのに、やけに暗い雰囲気を無理やり掻き消すように、シャマルが言葉を発する。
 
「ま、まあ、誤魔化しに関しては、私に一任してもらっていい? シグナムとザフィーラじゃ口下手って言うか嘘をつくのが下手って言うか。とにかく、それでこの件に関してはおしまい、って事でいいかしら?」
 


 彼女の言葉に他の三人は一瞬だけ顔を見合わせると、異論はないとばかりに一斉に頷いて見せた。


 
○    ●    ○    ●    ○

 
 

「ほぇ? ヴィータ、風邪なん?」
 
 はい、と頷いたのはやはりシャマルだった。どうぞ、と少しばかり遅い朝食をはやての前へ置き、掻い摘んで説明を始める。
 


 結局は、一番シンプルな方法を取る事にした。
 ヴィータの不調はヴォルケンリッター独特の風邪、と言う事で落ち着いた。無論そんなものは存在しない上に、魔力も帯びていないこの世界のウイルスにやすやすと感染するほど、守護騎士達の身体は柔にできていない。
 だが、自分達の構造の事をあまり詳しく話していない彼女には、自分達の言葉を信じる他ないし、はやてが自分達の言動を疑う事もまったくと言っていいほどにない。少々心苦しくはあるが、緊急事態なのだから仕方があるまい。
 
 

「ええ。それとシグナムのほうも少し調子が悪いみたいでして。まあ、はやてちゃんや他の人にうつるような心配はないんですけど、一応家で休むという形になりますので、今日の定期健診に同行するのは私だけ、と言う形になりますね」
 
 そんなら仕方ないな、とはやてはシャマルの焼いたハニートーストに噛り付く。
 現在、八神家でリビングに姿を見せていないのは件のヴィータただ一人である。大きな犬の姿に戻ったザフィーラがソファーの上でくつろぎ、はやての向かい側には、砂糖とミルクをたっぷり注いだ食後のコーヒーを口にするシグナム、それと自分用のホットミルクををテーブルに運んで来ているシャマルだ。
 
 いつもは育ち盛りだ何だのと言っては、おおよそ子供一人分の量とは思えないほどの食事をお腹に入れるヴィータだが、今回に限っては食欲がないと自室で毛布に包まって眠りっ放しだ。
 もしかすれば思ったよりも事態は深刻なのかもしれないと、シグナムは出社前のサラリーマンのように、コーヒーを片手に広げた新聞へ目を走らせながら思考する。

≪具合はどうだ、ヴィータ?≫

 主の前で動揺していらぬ心配を掛けるわけにもいかず、シグナムはなるべく普段の平静を装いつつ、思念通話をヴィータへと送る。
 わずかな沈黙の後、いつも以上にローテンションな彼女の声がシグナムの頭に響いてくる。

 

≪…………動きたいのに動けないし、腹減ってんのに食欲ないし、もう最悪……。あたし、守護騎士でよかったよ……風邪引く度にこれじゃ、正直やってらんねぇ……≫



 なるほど、軽口を叩く余裕はあるのだなと、シグナムは安堵する。これで思念通話すらも危ういようならば、さすがに部屋から飛び出すようにして様子を見に行っているところだ。
 こういった時、自分は実に無力だなと痛感する。やはり、有事に際の為、真剣にシャマルから癒しや補助の魔法を習ってみようかと考えてしまう。
 
 朝食を食したはやては、シャマルにつれられて身支度を整えに自室へと戻る。普段はシグナムの役割なのだが、彼女がが本調子ではないと言った手前、はやてを抱き上げたり身支度を整えたりと言った役割は、必然的にシグナムからシャマルへと移る。
 仕方がないか、と嘆息すると、シグナムは新聞を机の上へ置き去りにすると、ペットボトルのミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出して、シグナムはヴィータの眠る己の部屋へ向かった。
 普段は自分とシャマルが使っており、ヴィータはヴィータで殆どの場合ははやてと一緒に床に着くのが普通なのだが、場所を交代する事もない事はない。大体の場合は、はやてが自ら望んで交代を所望する。
 
 今回の場合、昨晩はシャマルとはやてが一緒に寝ていた為、自動的にヴィータの寝床はシグナムの部屋と言う事になる。だが、はやてが寝入った後はすぐに蒐集、戻ってからはヴィータの治療の後に寝る間もなく朝食の準備に入ったので、実質は殆ど一緒に寝てはいないのだが。


 
 自室の扉の前。シグナムは一応と言った形でノックを二度。どーぞ、と相変わらずのローテンションな雰囲気を含んだ声がドアの向こうから投げ掛けられるのを待ってから、シグナムは自室へと入り込む。
 普段はシャマルは眠っているベッドに、ヴィータは愛用のウサギのぬいぐるみを抱えるようにして横たわっていた。眉間に皺を寄せ、どことなく不機嫌そうに半眼でこちらを睨みつけるようにして視線を送ってくるその姿は、その幼い姿にはどうにも似つかわしくない。けれども同時にどこか愛嬌が漂ってくるのは、これも彼女の幼い姿の成せる業なのか。
 そんな自らの思考に苦笑しつつ、シグナムはベッドの脇に置いてある椅子に腰掛ける。
 
「ほら、水だ」
 
 差し出されたペットボトルを受け取り、素直に、ありがと、と呟いて、ヴィータはそれに口を付けた。冷たいミネラルウォーターが喉を通り、汗を掻いたせいで渇いてしまった喉を潤していく。
 はやてへの誤魔化しでも利用した通り、現在のヴィータの状態は風邪の初期症状と酷似している。
 咳こそ出ないものの、自然治癒を高めるシャマルの補助魔法による若干の体温の上昇。魔力減少に比例するように伴った体力の減少から来る気だるさ。特に後者は、ある意味では魔力の塊とも言える自分達ヴォルケンリッターには、かなり辛いものがあるはずだ。
 それを億尾も出さない彼女は、さすがと褒めるべきか、それとも無理はするなと叱るべきか。

 ヴィータが自分達に同じヴォルケンリッターに――特に自分に対して反発と言うか、どこかわざと強がって見せている事が多いのをシグナムは確信している。その理由も何となくは感じ取ってはいるのだが、それを問い詰めようとは思わないし、問うたところで好んで話すとはあまり思えない。


 
 ミネラルウォーターを半分ほどまで一気に飲み干し、ふう、と肺に溜めた空気を一気に吐き出した。
 
「そういえば、そのさ……。シグナムは、えっと、ほら、大丈夫……なのか?」
 
 ペットボトルを両手で抱え、こちらのほうを何とも居心地が悪そうにちらちらを眺めながら、ヴィータがどうにも言い難そうに言った。
 

 
 先日、自分を庇った事を気にしているのだろうか。この少女は仲の良い相手を人一倍気遣うくせに、その相手に対して心配したり礼を言ったりするのが苦手な節がある。それは、今の主・八神はやてにすら言える事であり、他の三人はそんな彼女の様子を黙って見守る方針を取っている。
 だからシグナムのほうも、たどたどしい感じすらする彼女の問いに、ただ微笑んで答えてみせる。

「まあ、本調子、と言うわけではないが、お前ほどではないな。多少は魔力が抑止されているとは言え、私自身には殆ど問題がないし、レヴァンティンも――」
 
 言いながら、部屋の隅に立て掛けられたシュベルトフォームのままのレヴァンティンに視線を送れば、己の主から送られる視線に気付いたレヴァンティンが、Sorgen Siesich nicht.――気になさらず、と応える。
 
 そっか、とヴィータは安堵したように呟いた。
 

 
「そういや、はやては?」
「主はやては、今日は病院で定期健診だ」
「え? 検診って夕方じゃなかったっけ?」
「いや、御友人と図書館で待ち合わせをされているらしい。それから検診へ行かれるらしく、おそらくもうそろそろ出掛ける筈だが――」



 ヴィータの問いにシグナムが答えるが早いか、扉の向こう、玄関のほうからはやての、ほな行ってくるでー、との元気な声が響いてきた。普段ならば顔を見せてから出掛けるのだが、おそらくは本調子でない自分達を気遣っているのだろう。弱っているところは、あまり好んで見られたいものでもないのは確かだ。
 そう言えばザフィーラももう出掛けたのだろうかと、思念通話を利用して彼の座標を探ってみれば、やはり既にザフィーラはリンカーコアの蒐集の為に異世界へ次元転移したようだった。
 彼は守護獣として自分達を守れなかった事に責任を感じてか、今日の蒐集は独りで行うと言って聞かなかった。
 
 無論、シグナム達もすすんで独りで行かせた訳でもない。むしろ、不測の事態とは言え自分達が休息を取るのだからザフィーラも今日は休んでいろと説得を試みたのだが、あの寡黙な男に、頼む、と頭まで下げられては、他の三人は口を噤むしかなかった。
 
「……ザフィーラ、大丈夫かな……?」
 
 自分と同じ事を考えていたのだろうか、ヴィータが独り言のように呟いた。



 本来は捕縛や防御等のサポートを得意とし、自分達のようなアームドデバイスを持たぬザフィーラ一人では一日掛けても六ページ限度だろうが、それでもページが集まるのにこした事はないのも確かだ。
 彼ならば引き際も弁えているだろうし、防御面で言えばヴォルケンリッターの中でも抜きん出ている。アームドデバイスを持たぬとは言え、異世界の魔法生物にそう易々とやられる男でもなかろう。


  
「あのザフィーラだ、心配は要らん。それよりも、今日は老人会のほうはいいのか?」
 
 

 蒐集を行っているのを隠す為、と言っては聞こえは悪いが、蒐集を開始する以前から、ヴィータは近所の老人会のゲートボールクラブにちょくちょく顔を出していた。
 蒐集をするようになってからは回数はめっきりと減ってしまったものの、それでも時間のある時や蒐集を終えた後に顔を出しては、ゲートボールを教えあったり話し相手になったりと、老人会の小さな人気者となっている。
 
 シグナムもシグナムのほうで、たまたま知り合った近所の剣道場の師範に頼まれ、非常勤の講師として剣道場に顔を出す事が多かった。
 シグナムのほうも、本格的な蒐集を始めてからはその機会も随分と減ってしまったものの、それでも人との交流を持ち続けるのは、外出する言い訳にするのもあるだろうが、やはり人として個人としての他人との繋がりに多少なりと感じるものがあるからだ。

 この世界の人々との交流は自分達にとって実に新鮮なものであった。主以外と、あるいは主とすらも交流を持たなかった彼らは、はやてを通し、あるいはこの世界を通して、人としての自分個人の繋がりを、はやてを想う気持ちに負けないぐらいに大切に思っている。
 

 
「うん、それは心配いんねー。今日は元々練習日でもねーし、一応シャマルに頼んで連絡は今朝のうちに入れといてもらったかんな。じーちゃん達、起きるのばっかは早ぇんだから。それよかシグナムも、今日は剣道場で講師の日じゃねーの?」
「いや、今日は休暇を貰った。本調子ではない身では教えるのは、学ぼうとしている相手に対しても失礼だ。それに――」

 くす、とどこか悪戯っぽく微笑むと、シグナムは右手を伸ばしてヴィータの頭をくしゃくしゃと撫で回した。
 
「病人を頬っておくわけにもいかないだろう?」
「やめろよ! 大丈夫だよ!」

 羞恥に顔を紅く染め、両手でバタバタと頭の上の腕を振り払うヴィータを見て、すまんすまん、とシグナムは笑ってみせる。
 ったく、と呟いて、ヴィータはのそのそとベッドから起き上がろうとする。
  
「トイレ」
 
 シグナムが問い掛けるよりも先にぶっきらぼうに答え、ヴィータはベッド脇に腰掛ける。
 すぐ下にほったらかしにしてあったスリッパを履いて、そのまま立ち上がろとして――
 



 
「あ」





 彼女の唇から声が漏れると同時、ふらり、とヴィータの身体がよろめいた。倒れそうになる彼女の身体を、慌てて立ち上がったシグナムの両手が力強く引っ張りあげる。
 久々に抱える、小柄な身体。思った以上に重さを感じさせない彼女の身体に少々驚きつつも、シグナムは自分にしがみつくヴィータの体勢を整えさせる。

「まったく、どこか大丈夫だ」

 咎めるのではなく、どこか呆れたように言うシグナムに、うん、と申し訳なさそうに頷いてみせる。

「……ごめん。ありがと、シグナム」

 普段もこれほど素直になってくれてもいいのではないか、とシグナムは真剣に思う。まだ従うことだけに忠実だった事はもっと素直だった気もするが、あの頃はあの頃で、ヴォルケンリッターの誰も彼もが感情の起伏すら見せぬ、無機質な存在だった気もする。反抗期、と言うのも感情が豊かになった証拠かもしれない。
 だが、それでもヴィータが自分に対して何かと突っ掛るせいか、ついつい自分のほうもヴィータに対しての当たり方が強いと言うか、どうにも些細な事で小言を言ってしまうような事が多い。よくよく考えてみれば、ヴィータと二人だけで行動すると言うのは、随分と久しぶりではないだろうか。八神はやてが主となってからでは、おそらく、初めてか。
 
 自分達に甘えず、主である八神はやてに甘えるのは、彼女の中で自分達はもう既に、甘える事のできない相手だと認識されているのではないだろうか。
 

 
 隣りに立ち。
 前に立ち。
 後ろに立ち。
 背を預け、自分の命すらも預ける関係に、信頼はあれども甘えはない。

 
 
 ヴォルケンリッターの中でも最も幼子であるヴィータは、きっともっとずっと昔から、誰かにああやって甘えたかったはずなのに、それをできなくしていた責任は自分達にもその一端を担っていたのではないだろうか。
 今更、甘えろ、と言うのも無理な話だろうか。ならば、むしろ甘える事しかできないような状況を、この場で作り上げてしまえば、もしかしたら彼女も、もっと素直に自分に接してくれるのではないか。少なくとも、ヴィータには甘えるように接して欲しい、と自分自身は思っている。主に対するものとは違う、また違った愛情。母が娘に、姉が妹に向けるものと似ているかもしれない。危なっかしくて目が離せなくて、どうにも世話を焼いてしまう、そんな感情。

 
 
「ヴィータ、しっかり掴まっていろ」
 
 向こうから甘えてくれないなら、それはそれでこちらにも考えがある。
 え、と言う疑問詞をヴィータが呟くが早いか、次の瞬間にはヴィータの感じる重力がなくなっていた。シグナムに抱き上げられているのだと知覚したのは、不意打ちに慌ててシグナムの首元に両手を回してしがみついている事に気付いた時だ。

「ちょっ!? シグナム、おろせよ!」
 
 駄目だ、とどこか意地悪く言うシグナムに抱き抱えられたまま、ヴィータは彼女に抗議するようにシグナムの腕の中でじたばたと暴れてみせるが、本調子ではない彼女の力なぞたかが知れている。もっとも本調子であったとしても、純粋な腕力の勝負でヴィータがシグナムに適う筈もあるわけがないのだが。
 混乱も相俟って慌てふためくヴィータをよそに、やはり慣れたものなのはシグナムのほうである。普段からはやてを抱え慣れているシグナムは、腕の中でヴィータが少しぐらいじたばたと暴れた所でびくともしない。はやて用にか、普通よりもやや低めの位置にあるドアノブをヴィータを抱えたまま器用に回し、階段を下って、シグナムはヴィータをトイレの備え付けてある洗面所の前まで運ぶ。


 
 トイレの前で優しく降ろされたヴィータは、照れたような不貞腐れたような微妙な表情を浮かべたまま、礼も言わずに乱暴にドアを閉めてトイレへと入り込む。
 壁にもたれかかり、シグナムは少しやり過ぎたかとも思ったが、あれぐらい強引でなければ、彼女は甘えようとはしないだろう。今まで彼女はよく頑張ってきたのだ、少しぐらいは甘えてもらわねば、自分が困る。
 ややあって、猫背気味に背中を曲げたヴィータがそろそろとドアを開いて、洗面所から顔を出した。さきほどの強引さに観念したのか、ヴィータは黙ったまま、今度は素直にシグナムに抱き上げられた。
 
 抱き上げられて思うのだが、シグナムの抱き上げ方は随分と心地よい。はやてがよく『シグナムの抱っこが一番気持ちええわ〜』と言っているが、たしかに悪くないとは思う。抱き上げられる時は抵抗しなければ、まるで自分の身体が羽根になったかのように優しくふわりと抱き上げられ、身を任せる細くしなやか腕の中はどこか力強く同時に暖かで、少し力と気を抜いてしまえばそのまま眠れてしまえる、極上の揺り籠のような感触。
 そのままヴィータが運ばれるのは、自室ではなくリビング。ソファーの上に壊れ物を扱うかのようにヴィータを降ろすと、シグナムは優しい笑みを浮かべて彼女の頭を撫で、踵を返して一度退室した。
 
「ほら」
 
 程なくして戻ってきたシグナムが、お気に入りのウサギのぬいぐるみを手渡してくる。あ、と呟き、ヴィータがお礼を言おうかどうしようかと迷う一瞬の隙を突くかのように、彼女から投げ渡されたのは、自分の身体を追い隠すほどの大きな毛布。
 漆黒に染まる視界から光を求めて這い出せば、シグナムはすでにキッチンのほうへと移動していた。冷蔵庫を開いて封の空いていない牛乳をパックを取り出している姿が見える。
 ヴィータはテーブルの上に置かれているリモコンを手に取ると、テレビのスイッチを入れた。現在の時刻は午前十一時を少し回った頃。何か面白そうな番組は何だろうかと適当に操作をしてチャンネルを回せば、愛くるしいウサギのキャラクターが登場する教育番組に目が留まり、ヴィータはそれを食い入るように見つめる。
 
 
 
 最初にこの世界に来た頃はテレビが珍しくて、よくはやてと一緒に五人揃って休日はいつもテレビを見ていたものだなと、ヴィータは過去の記憶を思い出す。
 蒐集の事もあり、最近は外で活動する機会が増えたせいで、皆の揃う夜か休日の朝ぐらいしか見ないが、久々に見る朝のテレビはどこか新鮮だった。
 
 魔力の回復を待つのに、眠る必要性は実はない。闇の書の一部であるヴォルケンリッターは、存在するだけである程度の魔力を消費する。人と動物の姿を使い分けるザフィーラならともかく、じっとしているだけならば起きていようが眠っていようが燃費は同じだ。
 それでも体力の低下している身体は自然と眠気を誘うのだが、もとより活動的で退屈が苦手な自分である。
 ただ眠気を黙ってじっとしているのも寝るのもどうにも苦手なので、まだこうしてテレビを見ているほうがマシと言うものだ。それが分かっているからこそ、シグナムを自分をこちらに移動させたのだろう。
 
 ことり、とウサギのぬいぐるみを傍らに食い入るようにテレビを見つめていたヴィータの前に、真紅のカップに注がれたホットミルクが置かれた。自分の斜め前に腰掛けたシグナムを見れば、彼女の前にも同じようにホットミルクが置かれていた。
 書物を広げ、シグナムはホットミルク一口だけ飲むと、ページの上に広がる活字へ視線を落とした。
 

 
 主が仕込みをしてくれていた昼食の準備が整った頃、ブラウン管のテレビモニターに映し出されるのは、平日の昼間に毎日放送している、サングラスのした中年が視界を務めるバラエティ番組がエンディングに差し掛かろうとしていた。
 
 ヴィータはウサギのぬいぐるみを抱き締めながら、シグナムが準備する昼食を、ただ椅子に座って黙って待っている。
 メニューは卵粥に焼き鮭に味噌汁、昨日の残りの肉じゃが。どちらかと言えば朝食にも近いメニューは、体調の悪いヴィータに気遣ってか、昨晩の残り物である肉じゃがを除いて、全体的に少々薄い味付けであるである。仕込みははやてが行っていたので、シグナムがした事といえば仕上げに火を通した事ぐらいだ。

 だが『火の扱いだけは一級品』と言うのははやてとシャマルの談だ。ある意味では料理の命ともいえる火加減を、シグナムは一度足りとて間違えた事はない。
 それが普段から炎の魔剣であるレヴァンティンを使っているせいなのかは分からないが、特に焼く炙る等のタイミングに関しては、はやてですら適わない。
 はやての味付けとシグナムの絶妙な火加減で作られた昼食は、体調不良のせいであまり食欲のなかったはずなのに、それでも無理やりに食欲を引き出されてしまう。
 
「これ、シグナムが作ったのか?」
 
 並べられた見事な料理を眺めながら、ヴィータがどこか関心した風に問うた。
 いや、とぬいぐるみを抱えるヴィータの向かい側に座りながらシグナムが答え、箸とお粥用のレンゲを手渡す。
 
「私は仕上げしただけだ。仕込みは主が全てしてくれていたからな」
「ふーん……」
 
 二人は揃って手を合わせながら、これまた声を揃えて、いただきます、と呟いた。
 
 かちゃかちゃと、食器を動かす音だけが、暫し室内に響く。普段ならば、基本的にはやてが今日は何をしていたとか、図書館であった事や病院であった事等、会話の話題を振り撒き、ヴィータとシャマルが話に加わり、時々シグナムとザフィーラ――彼は本当に稀だが――が相槌を入れる、と言うのがいつもの八神家の食事風景だ。
 
 しかし、ヴィータとシグナムの二人となれば、会話の回数もめっきりと少なくなる。シグナムはもとより饒舌なほうでもないし、何よりも二人きりだと、普段から幼いヴィータの行動一つ一つが気になってしまう。一応は彼女の為を思って注意や小言を言っているのだが、どうにも今一つ効果がないのは寂しいかぎりである。

「ヴィータ、箸の持ち方が違うといつも言っている」
「わーってるよ、いちいちうっせーな。誰にも迷惑かけてねぇからいいじゃんかよ」
 
 正式な持ち方ではない奇妙な箸使いで鮭を身を解すヴィータを、シグナムがどこか咎めるように言うと、口を尖らせつつも己を手を見ながら何とか正しい箸の持ち方に戻した。
 だがやはり、一瞬でも気を抜けば元の奇妙な箸使いに戻ってしまうのは、もうこの持ち方に癖がついてしまったせいだろう。こちらに来てからまだ半年も経っていないのだから、少々不慣れなのも仕方がないといえば仕方がない。だが、こちらで過ごすならば過ごすなりに、円滑な人間関係の為にも様々な事柄に順応しなければならない。
 口の中の卵粥を租借し、シグナムは言い放つ。
 
「よくはない。それに迷惑は掛けないというが、食事のたびにお前の周りだけやけに汚れている。箸の使い方が雑だからだろうが」
「へいへい、分かりましたよー。つか、病人なんだから大目に見ろよなー」
「大目に見てやるが、返事は一回だ」
「へぇ〜い」
 
 会話と言えば小言を言うか、テレビに映るバラエティ番組ついてぐらいか。

 それでもお互いに悪い気分ではない昼食を終え、デザートのはやて特製のプリンを食べつつ、平日連続放送の昼ドラを見た後は、ヴィータは殆ど惰性で付けっ放しにしたテレビに映し出される、昼過ぎから夕方にかけての長時間のニュースバラエティ番組を黙々と見続けていた。シグナムは時折話し掛けてくるヴィータに相槌を打ちつつ、意識を書物へと集中させる。

 
 
 やがてハードカバーの分厚い本を読み終えて顔を上げれば、視界の端で、ウサギを抱き締めてこくりこくりと舟を漕いでいるヴィータが目に入った。朝方は眠るに眠れないと言っていたが、眠気がやってきた、と言う事は呪いの効力が薄れて体力が回復してきたのだろうか。
 ベッドで寝るか、と問い掛ければ、眠気を払うように軽く頭を振ってから、ぼんやりとした表情でこくりと頷いた。立ち上がり、シグナムは毛布ごとぬいぐるみを抱くヴィータを抱えあげる。三度目の抱き上げに、ヴィータは何の抵抗も示さなかった。眠気で抵抗するのが面倒なのか、それとも珍しくも素直に甘えているだけなのか。
 
 いつもここまで素直に自分に甘えてくれるなら、もっと可愛げものあるものなのに。それとも普段甘えてこないからこそ、今の彼女に随分と可愛げが有るように見えるのか。
 時刻はまだ二時過ぎだが、厚手のカーテンを閉めて電気を消せばそれなりに暗くなる。ヴィータをはやてのベッドへと運び、毛布を被せてやるとシグナムは再びリビングへと舞い戻る。

 ソファーに深々と腰掛けて、点けっぱなしのテレビのチャンネルを回していく。
 そう言えば、昨日はろくに寝ていないせいか、自分もどこか眠気を感じる。一度眠いと感じてしまえば、睡魔に逆らうのは至難の業だ。
 さきほどまで活字を追っていた目も急に疲れてきたような気がするし、瞼も不思議と重くなってくる。たまたま手を止めたチャンネルに映し出されるのはクラッシック特集。テレビのスピーカーから流れ出る心地よい音楽が、彼女の眠気をより一層誘う。

(たまには、ソファーで昼寝と言うのも悪くないか……)
 
 うつらうつらと、シグナムはソファーに腰掛けたまま、意識を闇へと落とした。



○    ●    ○    ●    ○



 
 夢を見る。浅く深い夢を見る。


 
 それはとてもとても嫌な夢。
 それはとてもとても怖い夢。
 何もかもがうまくいかない夢。
 
 闇の書は完成したのに、なぜか×××が死んでしまう夢。
 これが正しいはずなのに。これ以外の方法しか知らないのに。
 そのはずなのに、×××は死んでしまう。
 
 なぜかは分からない。
 どうしてかは分からない。
 ただ漠然と、そういった事実がここにある、と何かが訴えかけてくる。


 
 夢を見る。とてもリアルな夢を見る。



○    ●    ○    ●    ○



 
「ん……」
 鳴り止まぬ電話のコール音にシグナムが目を覚ませば、外は既にとっぷりと暮れてしまっていた。どうやら随分と眠ってしまっていたらしい事は分かったが、それよりも先に電話だ。。現在の時刻の確認もできぬままに、シグナムは慌てて受話器を取る。
 
「はい、八神ですが」
≪あ、やっと出たわー。もしもしシグナム、私やけど≫

 受話器から響くのは、わずかにノイズの混じった聞き慣れた声。

「ああ、主はやてでしたか」
≪結構前から電話しとったんやけど、もしかして寝とった?≫
「ええ、御恥ずかしながら少々寝入ってしまい――それで、どうかなされましたか?」
≪えっと、ちょぉ申し訳ないんやけどなー。何か色々トラブルがあって、検診が遅なってしもてん。で、もうこんな時間やろ?
 しかも結構強ぉに雨も降ってきてしもてな≫
 
 言われ、受話器を当てたまま窓の外を眺めれば、音は聞こえぬものの、漆黒の闇の中に強い雨が降りしきっていた。次いで壁に掛かった時計を見やれば、時刻は既に午後十時を回っていた。

≪それでなんやけど、何や検査入院も近々したかったらしいから、石田先生に、よかったら病院に泊まって行きって言われてな。シャマルの魔法でパパッと帰ってもええんやけど、せっかくやし泊まらしてもらおうかなって思て。晩御飯は残りもんで悪いやけど冷蔵庫に昨日のお昼と晩のが残っとるし、ご飯も炊くのがめんどくさかったら冷凍庫に冷凍してあるから。あ、シャマルに替わるな?≫

 シャマルー、と受話器の向こうではやてがシャマルを呼ぶ声が響いてくる。ややあって、シャマルがはやてに替わって電話に出た。

≪――というわけなんですよー。で、ザフィーラのほうも、今日は帰らないと連絡があったんで、ヴィータちゃんの事よろしくお願いしますねー≫

 ああ分かった、と答え、二言三言言葉を交わした後、シグナムは電話を切った。
 しかし、主はやてが家を空けるとは随分と珍しいことだなと思う。だが最近は闇の書による侵蝕が進んで彼女の病状が次第に悪化している為、検査入院も仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。
 冬も近しい晩秋の肌寒さに軽く身を震わせつつ、シグナムはヴィータの様子を見に向かった。ひんやりとした廊下の床の冷たさを感じつつ、足音を殺してヴィータの眠るハヤテの部屋へと足を急がせる。寝ているかもしれない彼女を起こさぬようそろりそろりと扉を開き、ベッドまで近づいて彼女の様子を覗き込んだ。
 
 ウサギを抱いて眠る姿が、妙に愛らしい。だが、彼女が浮かべるのは、その愛らしい姿とは不釣合いな、けして安らかとは言えない寝顔。呪いの効力のせいで寝苦しいのかとも一瞬思ったが、けれどもそうではないようで。
 皺の寄った眉間の上、彼女のその小さな額に触れれば、軽い汗を掻いていた。うなされでもしているかのように、吐息のような声を漏らして呻いている。
 大丈夫だろうかと彼女を心配そうに眺めていると、シグナム気配に気付いたのか、一瞬だけさらに眉間の皺を深くしたヴィータが軽く寝返りを打った。軽く身を捩じらせ、眉間に皺を寄せつつ、ゆっくりと瞼を開ける。目覚めたばかりの歪んだ視界、漆黒の中にぼんやりとシグナムの姿が浮かんでいた。


 
「……シグ、ナム?」
「ああ、すまない、起こしてしまったか?」
「いや、いいよ、別に……」

 どこか寝ぼけたような、けれど不機嫌とも取れる感じで呟き、ヴィータはのっそりと上半身を起き上がらせる。
 ごしごしと目元を擦り、彼女は大きな欠伸を一つ。

「……今、何時?」
「十時過ぎだな。そうそう、さきほど主はやてから連絡があったのだが――」

 シグナムは、はやてからの電話の内容――今日は誰も帰ってこない事を掻い摘んで説明する。
 そうなんだ、と呟くヴィータに、夕食はどうするか、と問えば、いらない、と彼女は答えた。まあたしかに、昼食の後、何もせずにこれだけ寝続ければ燃費もいいと言うものだ。
 自分のほうも、どうにも腹が空いた感じがせず、夕食を抜いても何ら問題はなさそうだ。はやてに知られれば、健康に悪いと叱られてしまいそうだが、まあ今日は仕方がないかもしれない。

「じゃあ、私ももう寝るから、お前もしっかり休め」

 言って、シグナムは彼女の頭をそっと撫で付け、その場から離れようとする。
 そんな彼女を見て、ヴィータの唇から思わず漏れたのは、あ、と言う寂しげな呟き。
 聞き違いかと思ったが、どうやらそうではないようで、シグナムの服の袖をヴィータは自分でも気付かないうちに思わず掴んでしまっていた。
 
「……どうした、ヴィータ?」

 シグナムが首を傾げて問い掛けると、羞顔を紅くしたヴィータは慌てて、なんでもない、と答えるが、何でもないはずがない。体力の低下のせいで情緒不安定になっているのか、どうしたらいいものかと目の前でくるくると表情をヴィータがいる。
 ややあって、意を決したように、ヴィータがシグナムを見上げてきた。
 
 深い青色の瞳の奥にはどこか不安そうな色が浮かんでいた。言葉を発しようとしているのは分かるのだが、なぜだか妙に言いにくそうにしている。
 あ、と吐息のような短い言葉を一度漏らし、ヴィータは不安げに問い掛けてくる。
 
「あ、あのさ、シグナム……」
 
 もじもじと、まるで内気な少女のようにしおらしい様子で、呟くように言った。





「――一緒に、寝てもらってもいい?」





 何を言っているのか、自分は何か聞き違いをしたのではないかという風に、シグナムは一瞬、あっけに取られたような表情を見せた。しかしそれは聞き違いではなかったようで、おそらくは羞恥で頬を紅くしたヴィータが、ただじっと、シグナムの答えを待っていた。
 思わず笑みをこぼしたのは、八神はやてに対するものとは違うこの不器用な甘えにか、それとも自分に甘えてくれる喜びからか。
 もしかしたら後者かも知れないなと自分自身に苦笑しながら、シグナムは黙したままヴィータの頭を撫でてやった。
 
 ぱっ、とヴィータが嬉しそうな表情を見せる。それは以前、彼女が今抱えているウサギのぬいぐるみをはやてに買ってもらった時のような、そんな笑み。
 主はやてのベッドを無断で使わせてもらうのは気が引けるが、そのような些細な事で憤慨するような少女ではない。ヴィータがベッドの端へ移動すれば、シグナム眠れるほどのスペースは問題なく確保できる。
 
 布団を捲り、シグナムは温もりの残った身体を滑り込ませる。
 
 だが布団に潜り込むと、なぜだか彼女は微妙に自分との距離を空けていた。不思議に思ってヴィータを見やれば、どうしたらいいのかわからないと言った風に、俯いてこちらから視線をそらしている。
 



 
 ああ、そうだ。
 




 八神はやてが主になってから忘れていた。彼女は、甘えるのが苦手なのだ。守護騎士の中で誰よりも若い彼女は、けどそれでもどうにか自分達と対等であろうと振る舞っていた。それは強がりでも驕りでもなく、ただ自分達に心配や負担を掛けないようにとの、彼女のとても不器用な気遣い。もう、気を遣う必要などないと言うのに。
 手を伸ばし、シグナムは彼女の抱くぬいぐるみごとヴィータを抱き寄せた。ヴィータの、あ、と言う呟きが消えるが早いか、ヴィータはシグナムの腕の中へと収まっていた。
 腕の中、最初は身を固くしていたヴィータが、徐々に肩の力を抜いていくのが分かった。

「ヤな夢、見たんだ……」

 囁くように言うのは、シグナムに甘えようとする言い訳。
 やけに現実味のある夢は、普段けして甘えようとはしないシグナムに縋ってしまうほど、自分を不安にさせる内容。


 
 何をしても上手くいかず、上手くいったとしてもすべてが裏目に出て。
 どの道を進もうとも、間違いしかなくて。どの選択肢も、まるで初めから正しい道など用意されていないかのように、どう足掻いても正解に辿り着く事ができなくて。
 募るのは、泣きそうになるほどの不安。



「だから、独りだと、またヤな夢見そうで、それで――」


 
 一緒に寝て欲しい、と言うわけか。悪夢が怖いとは、これまた随分と幼子らしい理由だなとは思うけれど、ヴィータの不安そうな表情を見ていると笑い飛ばす事などできそうにもない。
 シグナムは少しだけヴィータを抱き締める力を強めると、優しげに囁くように彼女へ呼び掛ける。
 
「なぁ、ヴィータ」

 何? と問い返すヴィータの頭を撫でながら、シグナムは続ける。

「不安な時は、もっといつでも甘えてもいいんだぞ?
 ザフィーラにもシャマルにも……私にも」
 
 その言葉に、ヴィータが、でも、と呟くのはやはり遠慮があるからだろうか。
 仲間とは対等でありたいと、甘えて足をひっばりたくはないと。本当は、甘えたくて甘えたくて仕方がないはずなのに、彼女は決して自分達に甘えようとはしなかった。
 原因の一端は、自分にあるのかもしれない。守護騎士として、一騎当千の騎士として、自分の隣に立つ者としてずっと彼女を扱ってきた。
 

 
 甘えは許さず。
 不安も許さず。
 嘆きも許さず。
 
 ただ、与えられる任務を忠実にこなす、便利な生きた道具。

 けれど、主と触れてその考えも随分と変わった。

 人としての生き方を。
 人としての触れ合い方を。
 人としての幸せを。
 
 そんなすべてを与えてくれた、どうしようもないぐらいに優しい少女。


 
 だから、シグナムは自分に言い聞かせるように言葉を続ける。
 
「仲間だから甘えるんだ。我らヴォルケンリッターは皆で主を支えるのと同じように、お互いを支えるのも、我らが務めだ」
「努力は、する……」
 
 彼女のその言葉に、シグナムは満足そうに微笑んだ。腕を力を緩めて軽く身を話すと、真正面からヴィータに微笑みかけた。
 
「――よし。それでは明日の朝は、一緒に風呂にでも入るか」
「……なんでそうなんだよ」
「ん、おまえは嫌か?」
「……どうしてもってゆーんなら、構わねーけど……」
「じゃあ、どうしてもだ」
 
 尚も強がろうとする彼女が妙に可笑しくて、優しく微笑みながらヴィータを両手で抱き寄せる。
 一つの布団で眠る二人は、まるで母娘の、あるいは姉妹の、あるは恋人ように。
 シグナムから感じる温もりは、さきほどまで見ていた夢も不安を全て消してくれるようだった。
 






 
 大丈夫。まだ頑張れる。
 闇の書が完成すれば、きっと、幸せな日々が待っている。

 誰にも邪魔されず、誰にも脅かされず、誰にも迷惑を掛けず。
 悲しい輪廻から、今度こそ解き放たれるに違いないのだ。
 
 
 
 

 






 
 闇の書完成まで、残り四〇九ページ。
 
 






 
 
 
 

 
 
 
 

 願わくば、この暖かな日々が、いつまでも続いていきますように――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 


 

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 あとがき。
 とゆーわけで魔法少女リリカルなのはA'sでシグナム×ヴィータ(シグ→ヴィタ?)のSSでしたー。以前、コピー本で販売したものを誤字などを修正しつつ公開。
 1&2話見た時点では絶対あの二人のカプだと思ったんだけどにゃー(´・ω・`;)
 シグヴィタorヴィタシグは今後とも書き続けていく所存。
 やれやれ、またマイナーカプが増えやがったぜ、このやろう。もううちのホムペ、よろず屋マイナーカップリング堂にしてしまおうかしら(マテ
 来年の最初のイベントでは、ヴィータ×シグナムでエロ有りの百合小説(レズ?)を書きたいな、っと。
 コピー本でしか出してないので、本当は今度のヴィラシグ本に再録しようかなとも思ったんですが、まあ、第三期放映決定祝いと言うことで一つ。
 夏コミは出れたらるくびき……かな? 今更ですがw
 
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