『過去の残滓(ざんし)』遊魚

 ・・・どうして、またここに来てしまったんだろう・・・
 磯の香が、風に運ばれてくる、明石。
 かつて、半助の父も、母も、妹も、ここにいた。
 そして、愛しかった恋人も・・・。
 「潮・・・。」
 昔、屋敷のあった場所は焼き尽くされたまま誰にも手につけられない野っ原となり、その昔の栄華は見る影もない。ところどころに、焦げた太い柱が折り重なって、そのすすけた装飾に忍ばれるだけだ。そこに、半助は独り立っている。
 昔、皆がここにいたのに・・・。
 半助の出身は、この明石の豪族であった。強い父に慈愛に満ちた母、おきゃんで可愛い妹。そして、婚約者であった少女、潮・・・。
 潮は、幼いときは体が弱く、彼女の両親は強い子になるように、と敢えて男名をつけた。婚約者とはいっても、両親の決めたものであったし、幼いときから一緒に遊んでいたので結婚とかいう実感はなかった。でも、守りたかった。
 『潮、僕、将来きっと強い男になるよ。』
 幼い頃の他愛もない会話が思い出される。潮は、肩で切りそろえた美しい黒髪を揺らして言っていた。
 『半助ちゃん、私、強い人でなくたっていい。優しい人がいい。半助ちゃん、優しいから、私、今の半助ちゃんがいい。』
 そして、愛らしく微笑むのだ。全く、「潮」などという荒々しい名は似合わない少女だった。
 ふと、半助は側の大樹に目をやった。昔のことが、また頭に浮かんでくる。
 『潮、見てろよ。あのてっぺんまで上ってみせるから。』
 『半助ちゃん、危ないわよ!』
 いいところを見せたくて、普段は怖くて半分も上れなかったこの木に上った。下をみると失神しそうになっている潮が、それでもしっかりと半助を見ていた。
 ーーーー確か、あのあと降りられなくなって、潮が父上を呼んでくれたっけ。
 思い出のオチを思い出して、半助は、ふ、と笑う。しかし、それは楽しげなものではなかった。遠く、此岸のさらに向こうを見るかのような視線。
 ・・・戦禍がそんなささやかな幸せをうち砕いたのは、そのすぐ後だ・・・。
 国が乱れた。金科玉条もあらばこそ、国だけではなく、戦火は人心までもを焼き尽くした。土井家だけが、その煽りをくらわずに済もう筈もなかった。
      一族の離散  裏切り  間隙  
 そのために、潮の一族も何処かへ去っていった。行方は未だ分からない。
 ・・・・そして、戦火は土井家を焼き尽くした。
 半助は十三だった。
 父親は理由無き理由で首級をあげられることをきらい、自害した。母親も、それに殉じた。妹は、乳母の手に託されたが、途中で山賊に襲われ乳母共々殺害されたと聞く。
 ・・・半助は、父と母の側で、やはり自刃しようとしたが、一人の男に止められた。
 『お前、まだ若いのに、その命を自ら絶つのか。未練はないのか・・・?』
業火の中、刃を己の首に構える半助の前に現れたのは、三十歳そこそこの忍びだった。半助はしばらく考えて、答えた。
 『潮に、許嫁に今一度会いたい。』
 それを聞いて、忍びはさも可笑しそうに吹き出した。
 『普通なら、両親の仇を打ちたいとか、そう思わんか?』
 『仇にも、親兄弟がいる。仇が悪いのではない、戦が悪いんだ。』
 急な事態でも、若かった半助は笑われたことに腹を立てて言い返した。
 『なるほど、“罪を憎んで人を憎まず”か・・・。』
 感心したように男は言った。
 『優しい坊主、お前はこの時代に生きるには優しすぎたな。』
 それは、揶揄ではなかった。男の目にはまるでからかいの念がない。
 『俺にも、息子が一人いる。・・・優しい子だ。俺は、息子を一流の忍びに育てるつもりなのだ。優しさは、強さに繋がる・・・。お前にも、その才はあるかもしれん。』
 『私に、忍びになれというのですか?』
 周りに迫っている炎のことまでも忘れ、半助は男と問答をした。
 『いや、そうではない・・・ただ・・・。』
 『ただ?』
 『お前は俺の息子に似ている。』
 『・・・。』
 見つめ合う、男と少年。おかしな光景だった。
 『!?』
 不意に、体を抱え上げられた。半助は、己の警戒心の無さに気付いた。この火に包まれた屋敷に、うろうろしているような忍びは敵の手の者に決まっているではないかと・・・。今更ながらに後悔した。土井家の長男としてむざむざと殺されたくはなかった。せめて一矢報いようと、己の喉へ突きたっていた筈の脇差しで、自分を抱える忍びの肩を斬りつけた。
 しかし、男は半助に反撃をしようとはしなかった。軽々とした動作で木々の間を抜けて、火の来ない、安全な高台へくると、そこで半助をおろした。
 『生きろ。生きていれば、許嫁にも会える日が来よう。その気があれば、伊賀の里へ来い。俺を頼って来い。・・・俺の名前は、山田伝蔵・・・。』

 ーーーーー生きていれば・・・・。

 男は、言い残して去っていった。半助が、自分が斬りつけた筈の刀に一滴の血液もついていなかったことに気付いたのは、屋敷が焼けてしまってからだった。
 
 突然の子供の泣き声が、思い出に浸っていた半助を現実に戻した。少し離れたところで、小さな少年が転んで泣いていた。思わず駆け寄る。
 「坊や、大丈夫かい?」
 子供は、半助に気が付くと、照れ臭そうに立ち上がり、泥にまみれた膝小僧を払った。
 「平気だい。男だもの!」
 そう言って、半助に背を向けて走っていき、半助も登った大樹に登り始めた。
 半助は、幼い日を自分の目でみたような気がして、口許がほころぶのを禁じ得なかった。そのとき・・・
 「半助、こんなところにいたのか。」
 聞き慣れた声に背後から呼ばれた。
 「山田先生・・・。よく、ここが分かりましたね。」
 「まぁな・・・。」
 振り返ると、優しく微笑む伝蔵がいた。その表情は、やや老けはしたものの、あの日、焼け落ちつつある屋敷の中で見たときの面影をそのまま残している。
 「この辺りだな。お前と、初めて会ったのは。」
 伝蔵が、数歩離れて、ある場所を、とんとん、と足でついた。
 「えぇ・・・。」
 半助は、小さな声で答える。
 「許嫁は、まだ見つからんか?」
 「え?」
 驚いた顔をする半助に、伝蔵はからかうように笑いかけた。
 「とぼけることはない。兵庫水軍に使いにくる度に“潮”という女を探していることは知っておる。」
 「・・・。」
 全てを見通されていたことを悟り、半助は“この人には敵わないな”と自嘲的な笑みを浮かべた。昔、半助の刃を空蝉のごとく避けたように、伝蔵を追い抜くことは多分一生できないだろう。この実感が、ともすれば夢であったのではないかとさえ思ってしまう昔の記憶を、やはり現実であったと半助に確認させる。
 伝蔵を頼り、伊賀へ行き、忍者となるべく修行した十三の時にから、半助の第二の人生が始まったと言っても過言ではない。また、それ以前の過去は忘れるよう教えられてきた。それなのに、何度も何度もこの場へ来て、潮の姿を探してしまうのは、自分の中の何かが“忘れてはいけない”と警告しているからだ。
 そして、半助は此処へ導かれ、過去の残滓を拾い集める。この、ばらばらな状態のものが一つになれば、潮に逢えるような気がして・・・。
 「半助、会いたいか?潮殿に・・。」
 問いかける伝蔵に、半助は弱々しく首を振った。
 「いえ・・・。会いたくても、もう・・・。」

 ーーーー忍びの道に入り、手を血潮に染めたことさえある自分には、会う資格はない・・・。

 その半助の気持ちの分かった伝蔵は、自分が半助に与えてしまった道が謝りだったかもしれないと、少なからず後悔した。しかし、半助の続けた言葉に、その心は救われた。
 「でも、私、山田先生には感謝しています。貴方は、私を生かせて下さいました。」
 まっすぐに、自分を見返す半助の目は、あのころと同じだった。
 「半助・・・学園へ帰ろう・・・。」
 「はい。」
 どちらからともなく、学園の方向へ歩き出す。その時、頭上から声が振ってきた。
 「お兄さーん。見て見て!僕、上まで登れたよ!!」
 上を見上げると、先刻の少年が、大樹の頂上から得意げに手を振っていた。
 「えらいぞー!降りるときには、注意しろよー!」
 半助も、上に向かって手を振り返し、声を掛けた。

 「そんなとこに登っていたら、あぶないわよ。」
 伝蔵と半助が、その場から去ってしばらくしてからだ。一人のまだ若いほっそりとした婦人が現れて、まだ木の上にいる少年に向かって言った。
 「平気だよ。今降りるよ、母さん。」
 少年は、器用に木から降りてくると、母親の前に飛び降りた。
 「あら、ちゃんと降りられるのね。」
 感心したように言う母親に、少年は得意そうに鼻を鳴らした。
 「当たり前だよ。」
 そう威張る少年に、母親はくすくすと笑った。
 「どうして笑うの?」
 怪訝な顔で訊く少年に、母親はその手をとりながら言った。
 「何でもないの、ちょっと昔のことを思い出しただけよ。」
 「ふうん・・・。」
 しばらく、少年は腑に落ちない顔をしていたが、そこは子供で、すぐに考えは別のものへと移っていた。
 「母さん、今日の夕飯、何?」
 「蕗と、お大根のお煮染めよ。貴方の大好物の。」
 「やったぁ!!」
 少年は嬉しそうに母親の周りを跳ねる。その元気な動きを見て、母親は目を細めた。やがて、少年の手をとって歩き出す。
 「さぁ、お父さんも待っているわ。もう帰りましょうね、“半助”。」
 そう、優しく少年に声をかけながら・・・。

完 
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