『洸月夜』ちゃまる

 僅かに欠けた月に照らされて、行く手の樹影は闇を濃く浮きだたせる。
 利吉にとってこの忍術学園の裏山は、通いなれた道でもあった。方角的に、正門に回ったほうが遠回りになる場合はこの道をよく利用する。
 公用・私用ともに最近はこの場所に足を運ぶことが多くなった。学園に勤める父に、どうもいいように使われている気がしないでもないのだが、そこは息子の弱みというやつであろうか。
 学園がからむと途端に労多くして実入りが少なくなってしまう仕事に最初は理不尽さを感じもしたが、最近ではこれも親孝行の一つかと苦笑交じりに諦めている自分がいる。
 夜風に吹かれながら利吉は道を急ぐ。油断していたつもりはないのだが、前方からの飛来物に寸前まで気付かなかったのは、明らかな失態だった。
 ヒュッと、耳元で、空気を切り裂く音が響いた。
 反射的に体をずらしていなければ、掠り傷を負っていただろう。
 前方に確かに、人の気配があった。
 利吉は棒手裏剣を樹の幹から抜き取り、まず刃に毒が塗ってないことを確かめる。気配に向けて投げ返すと、聞き覚えのある声が耳を打った。
「あれ? 利吉くんかい?」
「……土井先生?」
 父の同僚である教科担当教師。
 学園の寮が見下ろせる開けた場に、月光を浴びて土井半助は立っていた。いつもの穏やかな微笑を口許にたたえ、お久し振り、と利吉に気安く声をかける。
「仕事の帰り? 御父上に用事かい?」
「はい。……あの、土井先生?」
「ん?」
「……何をなさっていたんです?」
 自分が今手を掛けている大樹の幹に刺さった、八方手裏剣と棒手裏剣の山。周囲を見渡せば、どういう意図で投げたのか判断がつかないような場所に、手裏剣が刺さっている。それも少ない数ではない。
 利吉の質問に、半助は小さく吐息をついた。
「見ればわかるだろう」
「……はあ」
 考えたくはないが、誰が見たってこれは、手裏剣の練習だ。
 忍術学園の教師が。
「……どうして?」
 恐る恐るなされた利吉の問いに、半助は額を押さえた。
「そこまで言わせたいかな、きみは」
「土井先生、手裏剣が苦手でいらっしゃいましたっけ?」
「十本に五本は上手くいくが、残りの五本はどこに飛ぶかわからんという特技ならあるよ」
「ではさっきの棒手裏剣は、私を狙ったわけではないんですね?」
「は?」
 利吉の言葉に、半助は片眉を上げる。 
 手に持った棒手裏剣と、利吉を見比べて。
 理解が及んだ瞬間、半助の顔から音をたてて血の気が引いた。
「すまない利吉くん! 怪我は?」
「ありません。大丈夫ですよ」
 意図して投げられた物でないなら、直前まで気配が読めなかったことに合点がゆく。不安に顔を曇らせる半助に安心させるように微笑んでやると、半助はようやく安堵の息をついた。
 何やら疲れた様子の半助に、利吉は励ますように話題を変える。
「でも土井先生は、チョーク投げなら百発百中じゃなかったですか?」
「チョークならね」
「だったら手裏剣の投げ方に問題があるとか」
「じゃ、見ててくれるかい?」
 利吉に腕前を見せることを恥とは思ってないのか、半助は樹の幹から何本か手裏剣を抜き取ると、気負う様子もなく構えた。
 気迫など微塵も感じない。それが利吉の眼には逆に不自然に映った。 
 半助は三種類の投げ方で、八方手裏剣と棒手裏剣をそれぞれ幾本かずつ投げる。
 その半分は的代わりである樹の幹に吸い込まれるようにして刺さる。残り半分はてんでばらばらの方向へ飛んで行き、うち一本は夜の闇の中に消えた。
「あーあ、どこ行ったかな」
 頭を掻きながら振り返る半助に、利吉は正直な感想を述べた。
「こちらが見本にしたいくらい、綺麗な投げ方をされてますが」
「まったく、さっぱり上達しとらんじゃないか」
 その利吉の後ろからかかった、低い声。
「山田先生」
「父上」
 半助と利吉の声が重なった。
 樹の影に苦い顔で佇んでいた山田伝蔵は、二人に呼ばれて月明かりの中に歩を進めた。
 何が嬉しいのか、半助は笑顔で伝蔵に言い返す。
「これでも十本中六本に確率が上がりかけてるんですけどね」
 生徒がこの科白を言うなら誉めもしようが、相手はいかに若くとも教師である。
 年齢をさらに幼く見せる屈託のない笑顔に、伝蔵は溜め息をついた。
「たとえ九本にまで確率が上がっても、最後の一本が上手くいかぬようであれば同じことよ。半助、おぬし他に問題があるのではないか?」
 ハッと、利吉が伝蔵を窺う。
 それは利吉も感じたことだった。
 しかし半助は伝蔵の言葉に動揺する様子もなく、わざと顎に手をあて、難しい顔を作る。
「視力はいいはずですよ?」
 ――間の抜けた答えに、伝蔵は額を押さえた。
「土井先生、万が一の事態は、結構どこにでもありますよ」
 父に助け船を出すつもりで、利吉は今更言うまでもないことをわざわざ口にのせる。自分のような若輩者に言われずとも、忍びであれば誰もが身に染みてわかっていることだ。
 しかし半助は利吉の言葉に神妙に頷き、僅かに顔を伏せた後、
「そうだね、そういうときは」
 何やら重大なことを思い付いたような口調に、利吉は先を促す。
「そういうときは?」
「チョークでも投げようか」
 ――伝蔵の口が、間抜けに開いた。
 一瞬、思考まで止まった利吉は、半助の言う物体を頭の中に思い描いた瞬間、盛大に吹き出す。
「そ、それって……」
「足を止められなくても、驚いて動きが鈍る、くらいの効果はありそうだろ?」
「ありますよ。私でしたら絶対振り返ってます」
「利吉くんが振り返ってくれるなら、結構威力がありそうだなあ」
「結構どころか」
 笑いが止まらない。腹をおさえ、目尻に涙さえ滲ませている利吉に、半助は笑顔で、
「とにかく僅かでも時間が稼げれば、あとは山田先生がどうにかしてくださるだろうから」
 瞬間、
「半助ぇ!!」
 特大級の伝蔵の雷に、半助はビクリと首を竦めた。
「利吉! おまえもいつまで笑っておる。……まったく、わしはおぬしの尻拭いなぞする気はないぞ」
「それは淋しいですね」
「本気でそう思っておるのか?」
「私は山田先生を信じてますから」
 にっこりと言い切られて、伝蔵は錯覚でなく頭痛を覚えた。
 手早く周囲の手裏剣を拾い集めながら、半助はようやく笑いのおさまった利吉の名を呼ぶ。
「利吉くん、今日は泊まっていけるかい?」
「あ、はい」
「じゃあ私は小松田くんのところにでも転がり込むから、御父上と水入らずで過ごすといい。山田先生、先に戻ってお茶でも用意してますから」
 一礼すると、半助は足早に山を下って行った。
 その後ろ姿を見送り、ひそかに溜め息を漏らす父親に、利吉は小さく笑う。
「不思議な方ですね」
「うん?」
「土井先生ですよ。時々、私の理解を超えるんですが」
「まあ、あれでも教師だから」
 教師だからというより、人となりについての問題だと思うのだが、利吉はそこまで口にしなかった。
 もう半助の姿は見えない。
 頭上の月を仰ぎ、利吉は低く、呟く。
「……羨ましい」
「何がだ?」
「父上の背中を任されている土井先生が、ですよ」
「おまえほどに頼りにはならんがな」
 何気ない、一言に。
 利吉は驚愕に眼を瞠り伝蔵を窺う。
 何事もなかったように伝蔵は息子にならって月を見上げている。濃く影を作った父の横顔に、利吉は言い掛けた言葉を呑み込んだ。
 多分、聞き返してもはぐらかされる。
 二度と同じ言葉は聞けないからこそ、何よりも価値のある、一言。
 ――認められているのだと。
 息子としてでなく、一人の忍びとして。
 ……肩を並べる位置に、いるのだと。
「ところで、今日は何の用だ?」
 ようやく思い出したように問い掛けてきた伝蔵に、利吉は慌てて分厚い手紙を取り出した。
「母上からの文です」
 利吉が差し出した手紙を、伝蔵は懐におさめる。そのまま歩き出した伝蔵は、背中越しに利吉へ言う。
「さて、ゆっくり風呂に浸かって、一杯やろうか。おまえも付き合え」
「……はい」
 いつでも追い掛け、見上げていた背を、いつの間に自分は追い越してしまったのだろう。
 今でも、月の光の下でさえ眩しいと感じる――錯覚。
 そんな父の背を見つめ、利吉も一歩を踏み出した。

 見送るのは、月ばかり。 

―終― 
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