それは冬の季節を実感し始めた頃。一部は期末テストの恐怖に怯え、一部は年齢を無視して忘年会の季節と騒ぎ、一部は何事もない、そんな一日。
学校の帰りに、ある集団の中の一人が見つけたものから、全ては始まった。
「みかん」
唐突に呟かれた祐貴の言葉に、仲間達は足を止めた。彼の発言が唐突なのは別に珍しいことではなく、むしろいつものことなので、彼を心配したりはしない。
仲間達が足を止めたのは、「みかん」という単語のためである。何の前触れもなく出てきた言葉の意味は、彼の視線の先にあった。
とある民家の庭に生えているみかんの木。店に並んでいるものより青く、食欲はそそられない。
祐貴の行動には特に意味はない、そう結論づけて先に行こうとするマークの足を素早く引っかけ転ばせる。そして踏みつける。犯人は勿論祐貴。
「速水てめぇ何す……」
「それは俺のセリフだ。見損なったぞ稲葉」
「はぁ!?」
何が見損なっただこの寝癖野郎それは俺のセリフだ、とマークは祐貴が怖いので心の中で叫びながら顔を上げる。祐貴はしかめ面をしながら涙を流している。
「目の前でみかんが無防備にぶら下がっているのに手を出さないなんて、お前それでも少年か!?」
「食いたいのかよ、お前……」
「何だその目は!確かにあのみかんはお世辞にも美味そうには見えない。ただ酸っぱいだけで食わなきゃ良かったとか思うかもしれない。けど、ああいうのを食うのは少年のお約束だろ!!」
んなわけあるか、とマークはやはり心の中で突っ込んだ。しかし顔には出ていたため祐貴に顔を蹴られた。
「速水ぃ〜、あんた小学生に戻るつもり?そんなのフツ〜、高校生はやんないよ」
よく言ったアヤセ、とまたマークは心の中でガッツポーズ。人様の家のみかんを盗るのは犯罪だという最もな突っ込みがないのは既にお約束。
が、祐貴とて伊達に変人オブエルミンの称号を貰ってない。その程度では全く揺るがない。
「綾瀬、お前はみかん盗りたくないのか?」
「つーか、どうでもいいって感じ?」
「ミッキーは食べたいのか?わざわざ美味くなさそうなもん盗らなくても、ミッキーなら買えばいーんじゃねーの?」
そうそう南条ほどじゃなくても一応金持ちなんだから買えよ、と少々論点のずれた突っ込みをやはり心の中でするマーク。しかし祐貴はもう彼を見ていない。
「上杉、お前もか……」
何故か呆れ返ったような顔をする祐貴。何で窃盗未遂犯にそんな顔されなきゃならないのかと文句を言いたいが、やっぱりマークは口にできない。今度は顔を蹴られた痛みから回復しきっていないから。決して怖いわけではない。絶対。
「お前は一体何を聞いてたんだ。仕方ない、馬鹿トリオのためにもう一度説明しよう」
「ちょっと、それってアヤセも?」
即座にアヤセが不満を口にするが、祐貴は全く気にしない。彼にとってはマークもブラウンもアヤセも馬鹿らしい。変人オブエルミンの分際で。
「少年ってのは羽目を外しても重い罰を食らわずに済む素晴らしい称号なんだ!みかんを盗んだところでせいぜい全校集会で事実を暴露されるだけ、実名を公表されて社会的地位を失うこともなく罪に問われることもない、それは素晴らしい年代なんだぞ!好き放題羽目を外しても俺達は叱られるだけで済む!こんな素晴らしい事実……ならこの時代を活かすためにぶほっ!!」
「アホか!!」
あんまりな祐貴の演説に思わずマークは勢いをつけて立ち上がり祐貴の後頭部に回し蹴りを食らわす。地面に顔から落ちる祐貴。即座に我に返って青ざめるマーク。他人の振りで逃げるブラウンとアヤセ。この瞬間空気が凍ったと後にブラウンは語る。
地面に突っ伏したまま起きない祐貴に、マークは底知れぬ恐怖を味わった。逃げようとしても空気が許さない。止まっていても命はない。
やがて祐貴がゆっくりと立ち上がり首だけをマークに向ける。その姿、非常に不気味である。目を据わらせてじっとマークを見つめ、呟く。
「稲葉、よくやった。……死ね」
祐貴がペルソナを放つのと、マークが絶叫しながら全速力で逃げ出すのはほぼ同時だった。
と、それだけで終わるはずだった。少なくとも祐貴以外の三人はそう思っていた。
この一件を後で聞いた南条曰く、「それくらい見抜けない貴様らが愚かなのだ。お前達は速水の何を見てきたのだ?」だそうだが、祐貴の行動を読めることは人として大切なものを失った者だけだと本能的に察している三人はむしろ安堵していた。祐貴の行動を先読みできない自分に。
そんな彼は次の日、三人を集めて断言した。
「さあ、今日こそみかんを盗って食うぞ!」
「何で俺たちを仲間扱いしてるんだよ!!」
「アヤセはどうでもいいって言ったでしょ〜」
「俺さま、ちょっと用事あるんで……」
「お前ら……この俺が一度言ったことを諦めると思ったのか?」
誰も反論しない。言われれば確かに、祐貴が前言撤回することなどありえない。けれどあんなどうでもいいことなんて冗談だろ、と密かに思ってもいた。むしろそれを期待していた。しかしそれが甘かったのだろう。速水祐貴という人間は倫理とか常識とか人として大切なものをどこかに捨て去ってしまった社会不適合人間なのだ。だから窃盗も迷わずする。しかも行動原理が「何となく」とか「面白そうだから」という極め付き。
「でもさ、何でアヤセ達なわけ?昨日の話をして園村とか誘えばいいじゃん」
「そ、園村を犯罪に巻き込むなよ!!」
マークがムキになって反対するが、確かにアヤセの言うとおりである。別に昨日のメンバーにこだわらなくても誰か協力してくれそうな人と一緒にやればいい。麻希は結構面白がってやってくれるだろう。高校生なのにちょっとしたお茶目とか言って。
「それに城戸っちとかさ。ミッキーと城戸っち、仲いいっしょ?」
そして城戸。彼は何故か祐貴と気が合うらしく、時々妙な事を一緒にしているらしい。最近ハンニャの頭に二人して自分の名前を書いて怒られたのは記憶に新しい。
結局は三人とも自分が巻き込まれたくないだけだが、祐貴に理屈は通用しない。
「お前ら引き込めば面白そうだから」
全く何の根拠も理屈も無い返答が、三人を落胆させた。
そうこう言っているうちに、昨日の現場に到着してしまった。逃げようとするとすかさずルナトラップで足止めされて逃げられない。マークたちが逃げるのを想定してベルベットルームまで行ってペルソナ交換してきた祐貴の行動力には脱帽するが、本当にその情熱を無駄なことにしか使わない人間だとマークはため息をついた。
しかしそのため息を誤解した祐貴が晴れやかな笑顔で彼の肩を叩く。
「なんだ稲葉、みかんがまずそうだから気が進まないのか? 気にするな、そんなの些細なことだ」
「ああ確かにみかん泥棒することに比べたらそんなのは些細なことだよな」
「ていうかお前、些細って単語の意味わかってるか? 辞書連れて来れば良かったな」
ちなみに祐貴の言う辞書とは南条のことである。
「いっそ南条の野郎でもいれば止めてくれたかもな」
天敵ともいえる男がいれば、とまで言い出すマークは相当に追い詰められていたらしい。そして知ってか知らずか、祐貴は遠慮なく止めを刺した。
「それは言えてる。俺もそう思ったからいろいろ手を回して南条にはさっさと退散してもらった。やる前にあーだこーだ言われるのは鬱陶しいからな」
「……っとに、てめぇは……お前政治家になれるかもよ、悪い意味で」
この用意周到さと腹黒さと行動力は確実に政治家向きだ。悪い方向の。マークは確信した。
どの道祐貴は好まないだろうが。腹黒いくせに腹芸が嫌いな奴だから。
「よし、それじゃまず上杉行け」
「お、おれ様っすかぁ〜!?」
唐突に指名されて慌てふためくブラウンと、とりあえずは危険回避できてほっとするマークとアヤセ。
「おれ様は、何つーか、その、フツゴーなんだって。ほらさ、おれ様派手なペルソナばっかだからさ、すぐに家の人にばれちゃうって」
「安心しろ。お前の槍ならペルソナ使うまでもない。さあ、行け!バナナをつつくサルのように!!」
「おれ様まーくんと違う!!」
「コラ待て上杉ぃ!!誰がサルだ誰が!!」
二人のやり取りを一応の安全地帯から見守っていたマークだったが、聞き捨てならない言葉に反応して割って入る。サルサルと何度も南条に言われていてその度に怒っている彼だったが、今回はブラウンに言われたことから殊更怒っているようだった。
残されたアヤセは、このまま今日も有耶無耶のうちに終わってくれるかなと淡い期待を抱いていたが、そんな上手くはいかなかった。騒ぎ始めたマークとブラウンをペルソナの魔法で吹き飛ばし、強引に終わらせてしまった。
気絶した二人を見下ろし、自分の仕業なのに肩をすくめた。
「全く、役に立たないなこいつら。囮にすら使えないとはな」
……一瞬、とんでもなく嫌なことを聞いてアヤセは固まった。今、祐貴は囮とか言わなかったか。いや今までも悪魔の群れに一人マークを放り込んで悪魔の注意を引いた隙にリンチにしたこともあったから、それ自体は実は珍しくも恐ろしくもない。ただ問題なのは――
「速水、あんた今囮って言ったよね? てことは、この家に人がいるってわかってたってこと?」
「当たり前だろ」
「しれっと言うな!! じゃあ何!?アヤセ達これから家の人の目の前で盗みやろうとしてるってこと!? 信じらんない!! てっきりあんたのことだから下調べとかして留守を狙ってると思ってたのに!!」
「勝手に期待されてもなぁ……お前俺に何を期待してるんだよ」
「ぶっちゃけアヤセも変なこと言ってるってわかってるけど! けどそんなの、変な期待持たせるようなことしかしないあんたが悪いんだよ!!」
「人聞きの悪い。まるで俺が普段いかがわしいことしかしないみたいじゃないか」
「実際そーゆー奴でしょーがあんたは!!」
ちなみにこの会話、通りすがりの人が聞けば痴情のもつれに聞こえなくもない。そしてここで偶然エルミンの生徒が通りがかり話をうっかり断片的に聞いてしまって翌日大騒ぎになるのはお約束である。
そんなこと知る由もない二人はどんどんおかしな方向に話を展開させていく。
「あんたって前からそうだよね! いろんな人に迷惑かけて、困らせて! そうやってアヤセとかまともな人が慌てふためくの見て楽しんでるんでしょ!!」
「あー俺ピンチ? 何一つ反論できないな。アヤセのほとんどノンブレスの喚きちらしもさることながら、内容が実に的確だ。お前意外と理論的な奴だったんだな。初めて知ったよ。てっきりお前は感情だけで突っ走ってそのまま破滅するタイプかと思ってた」
「変なところで誉めるな! つーかあんたは人を誉めるな! むしろ何もするな! あんたの言動は何もかもが胡散臭い!!」
「痴話喧嘩は他所でやってくれないかねぇ?」
「痴話喧嘩じゃない! あんたどこ見て……」
「何でもいいから、うちの玄関から離れてくれない? 邪魔なんだけど」
仁王立ちしてアヤセと祐貴の前に立っていたのは、ちょっといかつい感じのおばさんだった。箒でも持って追いかけてきそうな、悪ガキをひっ捕まえて怒鳴りつけそうな、そんな敵に回したくない類の存在。
「あ、あ、あははははは……」
普段溜まっていた祐貴への不満をぶつけることはできても、咄嗟の事態には対応できないアヤセ。祐貴は対照的に他人事のように見ている。
「それと、さっき盗むとか何とか聞こえたんだけど……それもあんたたちかい?」
「すげー、地獄耳」
おばさんの言葉に、全肯定するような反応をする祐貴。当然、言い逃れはできない。というか、言い訳すらさせてもらえなかった。けたたましく怒鳴るおばさん相手に、少しでも口を挟もうものならさらに強い剣幕で返される。道の往来で立たされ説教されるアヤセと祐貴。そして祐貴に吹っ飛ばされたまま存在を忘れられたマークとブラウン。
彼らは、しばらく御影町の話題の種になった。
そして騒動は学校でも。
祐貴とアヤセの会話を断片的に聞いたエルミンの生徒から、瞬く間に噂が広まった。内容は非常にわかりやすく、祐貴とアヤセの関係を怪しんだものであった。当然、麻希とエリーが見逃すわけがない。
「優香ー? どういうことか、ちゃんと話してもらおうか?」
「Ayase、Fakeは許しませんわよ。すべて話し終えるまで帰しません」
「だーかーらー、アヤセと速水は別にそういうんじゃないってば! ていうか速水なんてアヤセがパス1だってば〜!!」
恋する乙女は時に恐怖そのもの。
アヤセはしばらく二人から逃げられなかったらしい。
そして祐貴は、そんなアヤセをあっさり見捨てて逃げようとしたら、冴子先生に見つかってアヤセよりもこっぴどく怒られた。例のおばさんが学校に知らせたからだ。未遂でも冴子先生は簡単に許さない。
速水祐貴が、人生で数えるほどもなかった数少ない敗北を一方的に噛み締めた日であった。
************************************************************* どこかの家の庭にみかんの木を発見したときうっかり思いついた話。
そういえばこういうのを盗む子供って昔はお約束だったなぁと。
で、高校生にもなってそんなアホなことをやらかす馬鹿は居ないかと考えた結果、主人公が該当してしまいました、な話。
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