2001年1月1日から1月7日まで
2001年1月1日
月曜、晴れ、寒冷、強風。
お年玉と名の付く、年始の資金は毎年減少の一途。
はっきり言って不足するから、あの手この手を駆使しなけりゃならない。
……これでバイト禁止を主張するとは、親の感覚は全くもって理解できない。
閑話休題。
ご多分に漏れず、食事が昨夜から急に悪くなる。
いわゆる「おせち」というやつだ。
おかげで、昨日買った300gの一口チョコ詰め合わせが見る間になくなる。
恐らくあれで日の栄養の六割取ってたんじゃないか。
年賀状、六枚も届いて嬉しかった。
メールは2通でしたね。皆さんありがとう。
で、初TSUTAYAへ。
CD10枚借りても1500円以下というのは魅力的だ。
概ね他人が借りなそうなものばかり選んで来ましたよ。
で、帰りにさすがにそろそろ、と思い大学受験用赤本や願書を買う。
親の抵抗はあるものの、第一志望は立教だ。
一々親の抵抗に応じていては何もなせないことは証明済みだし。
先日、家の間近(自転車で10分)に発見したBookOFFへ行く。
安すぎる攻略本やら文庫やらを買い漁る姿は、
つい一時間前真面目に大学受験本を買っていた姿とは違いすぎる。
……本来の姿はこっちのほうなんですけどね。
それで、偶然古い友達(女)に出会う。
まさに「会う」よりか「接近遭遇」と言う表現が近いか、
家族同伴ですれ違った五秒後に気が付いただけなので……。
向こうは気付いてくれなかったか無視されたか、わからんところだ。
どっちもあり得るからな、何せ六年前は……(回想モード)。
重ねて言うが、大学の第一志望は立教である。
しかし、なにをとち狂ったか本屋から帰ってきた私が買っていたのは
文教大学の受験用具一式。
……失礼だけど、文教ってドコ?
年始そうそうさい先の悪い感じだ。
2001年1月2日
火曜、晴れ。温暖。
受験生というわけで、家族同伴で東伏見稲荷へ向かう。
どちらかというとこの神社は学業についてはイマイチなはずだが、
なぜか我が家とは縁が良いと言うことで神に祭り上げられている。
思えば引っ越したのも七年前である。
当時常連だったラーメン屋のオヤジはしっかり覚えてくれていた。
当時常連だった駄菓子屋から菓子が消えていたのは残念だった。
当時常連だった大福屋は正月というのに閉店していた。
そして神社へ到達する。
二日だというのにも、大変な混雑だ。
自分はと言うと、並んでいるときに真後ろから真横でうろうろしていた
身長が130くらいの性別不明の子供の可愛さに感動しながら
その逆横にいたカップルの男のあごひげが妙な味を感じつつ、
真ん前にいたミニチュアダックスを抱きかかえた男に圧倒されていた。
世の中いろいろな人がいるものである。
賽銭はもちろん五円玉である。
絵馬を買い、「700点!」と書いてつるし上げた。
あまり志望校を書いても神様に読める字が書けないので、やむなし。
みくじは吉。
くじ運は良いらしく、何にも悪い要素はないように見える。
ただ「何事も努力無くして成るべからず」とかいう、
至極当たり前のことが書いてあったのは何というか、暗示というか……。
東伏見小。
在学当時は設備の大きさに圧倒されていた思いがあったが、
今見てもそう言うことは無し。
やはり身体が大きくなったという事だろうか。
あと、設備の色が毒々しくなっていたが校長は正気なのだろうか。
紫と白と黄色って、あからさまに警戒心を抱く種類の色だぞ。
関公園。
幼少の頃から通っていた公園もまた変わらぬ姿。
石神井川の濁った水をたたえた池や、所々倒れた欄干。
遊具もなにもが経年二十年を越す大物ばかり。
タイヤなど上に子供すら乗れる状況じゃなし。
日除けのルーフはツタが絡まり、倒れかけている。
ボート乗り場も、ボートの数々(今は季節運休)も、腐り気味。
まあいい味と言えばそれまではある。
北口駅前から昔の家へ続く道。
やはり近代化というか、マンションが増えていた。
建物自体は儂好みのデザインではあるが、やはり想い出との食い違いは辛い。
かつて徒歩4分の通りにレンタルビデオが五件と言う激戦区だったが、
そのいずれもが姿を消していたのは、共倒れというかアレだった。
保育園に通っていた当時ツクシを見ていた自宅裏の芝生が無くなっていた。
当時の自宅は賃貸マンションだったのだが、どうも大家さん事業が当たったらしい。
当時一つしかなかったマンションが五つに増えて、団地化していやがる。
しかも、そこにUNIQLOなんかが入っていたりするから、もう見る影も無し。
悔しかったのでフリースとシャツと靴下を買ってきた。
しかし、表通りを一本はずれるとすぐ、昔ながらの一戸建てや団地が見える。
想い出の街の姿は、心なしか小さくなっていた。
引っ越しをした者にしかわからないだろうが、子供時代に引っ越しをして
戻ってくると本当に、年老いたように街が小さく思えて切ないぞ。
今回の散歩道で旧友に出会うことはなかった。
当時ここにあった某製菓工場が撤退したためにかなりの友が引っ越したと聞く。
なんも、切ない話だ。
しかも私は小学校をここで卒業していないから同窓会とか、呼ばれる筋合いがない。
もちろん嫌われ者だったので誘われもしないだろう。
……やっぱり友達は大切にしないといけない。
2001年1月3日
水曜、晴れ。冷涼。
どこへも外出せず過ごす。
なんもしていない。
そう言えば、一口チョコは二袋目があいた。
四日合計600g。
ちょっと体を壊しそうな量であったが、おせちもおわったしもう喰うことはないだろう。
2001年1月4日
木曜、晴れ(?)、寒冷。
一度も玄関をくぐらずに過ごす。
よって、本日の外の様子はつかみ知れず。
したことと言えば、生活習慣の建て直し。
基本は、昨日の起床時刻12:00から一気に8:00にまで早めること。
もちろん、かなりの寝不足で呆けはしていたものの、一応成功。
目覚まし代わりにつけていたラジオ、TBSの朝の番組で
大変ノリの良い洋楽を耳にする。
意識がしっかりしたときにはネタ帳に「Music of the Millenium」との
走り書きが残されていた。
アルバム名なのか番組名なのかは定かではないが、いずれ探そうと思う。
情報求むヨ。
昼飯後は昼寝を楽しむ。
わくわくするような気持ちで床に収まり、かっちり50分。
この娯楽昼寝のコツは、『寝てはいけない』を心に留めておくこと。
暗示的に思うだけで熟睡できない=夢が見れる。
今日の夢は、一昨日出掛けた元住宅の風景と、小学校の修学旅行と、
J北の皆さんがまじってできた奇怪な景色が見れた。
小道具には日本人形とVAIO。
VAIOのデザインは架空の、やたらとでこぼこした格好良いものだった。
あれを発表できるものなら今頃オレはデザイナーであろうが、
うろ覚えなので絵には描けない。いと残念なり。
……こんな一日。
2001年1月5日
金曜、天気不明。
今日も一歩も家から出ていない。
想い出に残ったことと言えば、パーフェクトダークの封印を解いたことか。
……死にたくなるほど面白い。
気が付けば二時間。受験生としてあるまじき状態。
そんなこんなで夜を迎える。
2001年1月6日
土曜、晴れ。
朝十一時頃、所属不明のレシプロ機が飛来する。
……もちろん現実世界の話だ。
レシプロ機は単葉高翼、セスナ機らしい。
自分はレシプロ機のエンジン音が好きなので、ルーフに出て観察した。
機はすぐ東にあるHONDAの工場の上と我がマンションの上を周回していた。
不審に思い、双眼鏡で観察しても大きく登録番号が見えるのみ。
機は満足したのか、二十分ほど後に姿を消した。
さて、唐突にエロゲー論議である。
エロゲーの"純愛路線"というものの存在にはつくづく納得いかない。
というのも、自分は感情移入というのが苦手な質なのだ。
だから、ああいう純愛などというものでゲームの中の男と女が
くっついてあんなことやそんなことをされても、見ていて不愉快なだけ。
……てか、どうせ作っている奴も"リアル"を知らなそうだし、参考価値なし。
そんな私のツボにはまっているものは、……危険なのでタイトルは伏せておく。
しかし、"純愛"とは対極に位置するこの作品は、素晴らしい。
どうせゲームなら、現実には出来ないこととかしてみたくはないかい?
例えば、連続誘拐ののちナニするとか……。
あと、"純愛"系でもこれは良し。
『ぱられるはーもにー』。
ギャグが効きすぎていて、もはやエロゲーのかたなどなし。
あそこまで愉快だと、喜劇にしか思えなくなるので許せる。
唐突なエロゲー講義終了。
発見。
年末に衛星の『映像の世紀アンコール』を見た。
そのせいか、番組のサントラを聞いただけでも涙が出る体になっていた。
またまた宣伝だが、『映像の世紀』はすごい番組だ。
一本75分で全10本のシリーズと一本の番外編から成る。
10本シリーズはそれぞれほぼ十年区切りで20世紀をまとめているのだが、
当たり前か、最初の十年以外はほぼ完全に戦争がメインなのだ。
そりゃ、20世紀は戦争の世紀ですからなぁ。
そして戦争を扱っているとはいえ、内容は"殺られる側の映像"ばかりだ。
大砲と戦車に蹂躙される陣地の兵士。
不景気の末にビルから飛び降りる人間。
爆撃によって崩れた建物に頭を潰された市民。
市街戦の末に河へ逃亡する侵略軍。
市民の蜂起にあい、惨殺される占領兵。
収容所に積み上げられた死体の山。
核兵器の爆炎と、地面に転がる無数の頭蓋骨。
空から爆撃される独立軍と、深林から奇襲を受ける植民地軍。
最後まで弾圧に抵抗した末、不満分子に暗殺されたガンジー。
……その他、もう倍くらい有る。
番組は全て約70分なのだが、最初の40分は凄惨な映像に目をしかめている。
そうして、最後の30分は嫌な気持ちが過ぎて涙腺が緩むようになっているというトリックだ。
番外編は日本特集で、そもそも後進国ゆえに画質が酷い。
それに繋がりもないのであまり没頭できなかったが、他はきちんと連作になっている。
第一話の主人公は、ロシアの文豪トルストイだ。
彼がガンジーに出した最後の手紙が、この番組の骨となっている。
「子供達の愛の法則」
「暴力が許されれば必ず殺戮が許されるようになる」
「例え抵抗の名のもとでも暴力が許されてはならない」
非暴力主義で、イギリスの植民地政策を揺るがせたガンジー。
"国民みんなが昔のように糸車で糸を紡ごう"という主張。
数千人の市民を連ねて、専売に抵抗した塩の行進。
彼のエピソードは一番涙腺を刺激する話であったが、トルストイにはそれの重要性がわかっていた。
そして、二十世紀の初頭に既に戦争の害悪はわかっていた。
なのに、二度の大戦と今も絶えない紛争。
そして考えられないほど絶大な破壊力。
これらを各回とも嫌と言うほど知らしめてくれる。
その洗脳効果のいかに大きいことか……。
洗脳効果の主役を担うのは、目を画面から逸らさせないほど無慈悲な映像と、雑念を頭の中に発生させない特異な音楽である。
『映像の世紀』の音楽が各界で衝撃を与えたのは、番組への見事な適合が原因であるが、もちろん音楽自体が質を兼ね揃えていたことは言うまでもなし。
一度頭に印象が刷り込まれると、画が無くとも音だけで涙が出るほどの強力な効果を持つ音楽なのである。
皆さんも一度は見てみると良いよ。
いろいろと考えさせられるものがあるから。
……ああ、勉強に飽きてきたんだな。こんなもの書くなんて。
『モー娘。』には、密かに"負け組3"が存在していたんだよ。知ってた?
……どうでも良いさね。もうやめ。
2001年1月7日
日曜、曇り。夕方より雪。低温、無風。
ドイツのフランス攻略後、空爆が始まる寸前のイギリスの時の首相、ウィンストン・チャーチルは言ったさ。
「この戦争は総力戦である。我々は浜辺で、草原で、海で、空で、そして街で敵と戦う。我々は絶対あきらめない。」
そのドイツがソ連に侵攻した際、時の総統、アドルフ・ヒトラーは言ったさ。
「この戦争は絶滅戦争だ。我々の脅威となる赤軍を解体し、跡形残らず殲滅する戦争でなければならない。もしこの目標が達成されなければ、三十年もすれば共産主義は復活し我々に多大な損失を与えるだろう。」
戦争とは、全てにとっての多大な損失をうむ。
しかし、戦争無くしては今日の大規模な文明社会は築けていない。
塹壕の防衛のために生まれた機関銃から発達した文房具のホッチキス。
頑丈な構造物として考案されたプラスチック。
新たな戦場で勝つために競って進歩した飛行機。
砲弾の着弾点を計算するために作られたコンピュータ。
切磋琢磨の末に優秀な方が利益を得る、と言うよりは劣等な方が死を見るのが戦争である。
言葉は違えど、国の指導者達はみな敵の掃討を夢見る。
彼らにとっては安全な明日が何よりも欲しいものなのだ。
日本における受験というのも、もしかすればこれと似たような話だ。
日々を文化的とは到底言えない知識を得ることのみに費やし、より多く覚えた者が勝つ。
というよりかはより多くを覚えなかった者が不利益を被る。
東京大学。
普通の人間であるなら行きたがらない奴はいない。
だから、ここに入ったという事はその年代で一番優秀な人間であることの証明なのだ。
つまり、ここに入った者が戦争を勝ち抜いたという事になる。
優秀な兵器を開発するのと同じ要領で大量の知識を丸飲みにして。
悔しいが、優秀という極限を突き詰めるためには競い合いは絶対必要なのだ。
そして、人の内には他人より優れていたいという欲求が常にある。
だから私のような負け組に入りそうな人間がこういう風にわめきたくなるのだ。
同じ時に戦争に参加していた日本の或る若者は、出撃の前に言ったさ。
「この戦争が終わったら、また一緒に遊びに行こう。君以外の誰にも教えていないあの池で釣りをして。そして、飽きてしまうほど語り合おうじゃないか。」
彼は二度と帰ることはなく、そして日本にとっての戦争は負けであった。
我々の戦争は、血を流さないから質がよいわけではない。
質としてはまるで変わらないものと心得なくてはならない。
そして、勝者による支配は勝者の思うがままに行われる。
我々日本が、敗戦後にアメリカから受けた愛情溢れる待遇など期待する方が異常である。
その、背水の思いこそが我々を闘いに駆り立てる。
……一人でも多くの同年生の上に立て、とね。
大学入試、センターまで残りあと、13日