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相当まずい総統の話
日記には書いたのだが、ちょうど12月15日分だっただろうか。
そう、パソコントラブルで消滅という惨事に遭い、今頃夢空界を彷徨っている頃なので皆様にお見せすることが出来ません。残念。
そもそも、あの日の日記は日記と言うよりは独白の色が濃かったので、今ここで書き直そう。
まず最初に、ネット経由で二週間ほど前に頼んだあるCDの在庫確認が届いたことから始まる。
確認では在庫あり、金払え。と言う内容。
衝動買いしたものに二週間後で金を払うのも何かしゃくだし、とか考えたが、悔しいことに二週間過ぎてもまだ衝動的に買いたい気持ちが維持されている。
それ程までに自分が欲しかったCD、これがまずい。
……CD自体はまずくないのか?だがこれを欲する自分は確実にまずい。
タイトル『ヒトラー演説集Vol.1』
ね?まずいでしょ?
内容は、首相就任後の大衆向けの演説を50分超、まるまる収録したシロモノ。
大体、ここでオイラがナチス犯罪についてその不当性を論じ始めたら読者の皆さんを完全に論破できる自信はあります。
収容所の火葬数百万体なんて不可能だとか、そもそも死者のほとんどはナチスの手ではないとか、色々。
ナチスよりの人から聞いたナチスの正しさ、ナチス犯罪についての記述の誤り。
そして一般的な人から聞いたナチスの邪悪さ。
それら全てを知識として持った上で、オイラはナチスは嫌い。あそこまで完璧に大衆操作をしたと言うことは、もの凄く怖い。もし自分があの人の輪の中にいたとしたら確実に狂えるもの。
で、それを前提として聞いて欲しいのだが、それでもナチス首領のアドルフ・ヒトラーの演説力というのは凄まじい。
ヒトラーについては、こと子供向け歴史書なんかでは悪魔の化身のような描かれかたをしていて、自分も編者の思惑にまんまとはまって彼には悪感情を持っていた。
それとは知らず、NHKスペシャル『映像の世紀』の本放送を見た、だから1995年、自分中学生のときのことだ。
ちょうど『映像の世紀』の第四集、1931-40年の回でまさにヒトラーの特集をしていたのだが、それには何の関心も払っていない。あんまり関心を持っていなかった。いうならこの時点ではまだヒトラーはただの絶対悪。某ゲームのクッパにも満たないような存在感だった。
ところが、『映像の世紀』を見続けるにつれ、自分は主題曲にベタ惚れしてしまった。
各方面で評判になったようだが、ピアニスト加古隆作曲の「パリは燃えているか」は絶対的な存在感とドラマ性を内包し、回を重ねる度に悲劇的な映像の衝撃が強くなる番組に完全に一体化していた。 記事に無関係ながら,必聴! そんなこんなで、最終回の『映像の世紀』の冒頭部分をカセットに録音した。ちょうど主題が一番綺麗にとれる場所だが、普通の番組と同じようにテーマ曲の前奏部分に重ねて内容紹介が入っている。
確かこの回のテーマは「民族の対立」だった。銃声と怒号とが混ざり合う中を低いトーンのナレーションが入り、その後テーマ曲。カセットなので頭出しが容易ではないので、毎回ナレーションも聞いていた。
その、ナレーションの中盤過ぎあたり、たくさんの銃声と、叫びと、また叫びと、そしてその次にカン高い咆吼が入る。
それがヒトラーの演説のカットだった。
後日、再放送ではようやく第四回、ヒトラーの回にはまってしまう。彼の演説箇所で細切れにしたMDを所有していたりする。
大変重要なこと。
ヒトラーと聞くことで不快感をもよおす人が地球上の五割くらいいるんじゃないかと思う。
僕はむしろ彼らの気持ちが良くわかるし、それに対しては反論する気はない。
ただ、自分はそう言う気持ちが他人よりは大分弱いらしく、あまりアレルギー的な抵抗を生み出すものでもない。だから、ヒトラーの演説とわかったところでカセットの停止ボタンを押したりすることもない。
加えて、自分はドイツ語に関しては心得がない。演説を聞いたところで,英語で言うところのこれはペンですとか、私はペンですとか言うような基本文すら頭にはない。だから、彼が例え二十時間喋り続けたところで自分には彼の言った一単語の意味すらわからない可能性がある。
だから、良くも悪くもゼロの状態だった。
そう言う状況で聞くと、純粋に演説の力だけが耳に届く。
ヒトラーの演説力というのは想像では掴みにくいものだろう。訳の分からない言語なのにも関わらず、オペラのような劇音楽に匹敵する高揚感をもって私の耳には聞こえてくる。
大体おわかり頂けただろうか。ナチスの思想にも、ヒトラーの主張にも何ら関心を示さずにただひたすらヒトラーの演説を追い求める私の考えが。
某雑誌で取り上げられた危険グッズの中にもこのCDの姿を見ることが出来たが、意外なことにこいつにだけは純粋に欲しいという人が複数いたらいい。
まさか某雑誌、ちなみにイニシャル一文字目がG、二文字目がLなのだが、を読む人の中にユダヤ撲滅を信条とする人がそうそういるとは思えないし、そもそも我々は日本人だからナチスの言い分が聞こえるのなら我々もまた劣等人種、即ち葬られるべき人間に該当する。だからナチス賛同者というわけでも無かろう。
つまり、演説の声が聞きたいというある種変態的な思考の人が、母数が少ない中にも意外な数いると言うことだ。
我々コンピュータ人種というのは、こと趣味に関しては他の追随を許さない個性的なものを持っている場合が多い。逆説的にコンピュータを使わず、人と人との直接触のみを趣味とする人が画一的な思考を持ちがちなのと反対と表せる気もする。
まあ、数が少ないと言うことはこれ即ち変態に該当する場合も多いというわけで、それ自体は罪深い事じゃないだろうな。
そんなこんなで長かったが、結局は買ってしまいそうである。
もし聞きたいという、自分と少し似た変態的な方がいらっしゃたら、遠慮なく声をかけてくれ。同胞として歓迎するよ。
20001220未明
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