LASTUPDATE20000723
◇扉◇
-The Door-
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| ドアを開ける。 時代がかった科学装置に向かい、 ぶつぶつと怪しげな呟きと共に 何者かが一心に薬品を混ぜ合わせている。 きのこ雲のような白煙が上がり 気体を吸い込んだ男はその場に倒れた。 クリアになった視界にいきなり飛び込んできた、 赤みを帯びた山吹色の物体。 馬鹿な、こんな事で金ができる訳が――― その瞬間、総て消えた。 ドアを開ける。 雪とも氷ともつかぬ白い物質が 頭上近くまで圧し掛かる。 雪崩れを打つ巨大な冷気に 思わず1歩後ずさると、 嘲笑うかのようにその姿は掻き消えた。 呆然とする間もなく、 新たなドアがまた目の前に現れる。 ノブを軽く握り、半回転させ、向こう側に押す。 たったそれだけの動作の繰り返し。 人差し指から親指にかけてのラインは 既に赤く擦りむけていた。 だがそんなものに構う気配はない。 いつしか擦り剥けた皮膚には血が、 滲むと言うよりは流れこびりついたまま干乾びている。 青黒く腫れあがった皮膚と相俟って、 最早正視に耐えない様相を呈している。 それなのに。 ドアを開ける。 ただそれだけの動作を繰り返している。 この地球上に存在するありとあらゆる建造物の、 「ドア」の数に相当するだけの開閉を行ってきたのではないか。 否、ひょっとしたらもう、 2倍に近い数かもしれない。 ドアを開ける。 耳をつんざく大音量に、反射的にドアを戻す。 耳鳴りの収まるのを貌を顰めて待つ。 ぴたりと閉じたドアからは、何の音も漏れてこない。 梢のざわめきがこれでは、とても癒しにはなるまいて。 それとも潮騒のそれだったか。 その瞬間、またドアが消えた。 名も知れぬ花が咲いている。 地雷の割れる瞬間。 名も無い惑星。 波の音。 虹の行方。 肉眼では見える筈の無い微生物のアシ。 肉眼では全体を捉えることの出来ない地表。 脈絡があるのかどうなのか、 関連性の見出せない雑多なものが ドアの裏で今を遅しと待機している。 ドアの向こう側に展開する世界。 目を凝らして漸く視認できるほど遥か遠くに 思わず仰け反るほど間近に ある…と錯覚させるような、 ドア枠をフレームにした画面に映る、リアルなモノ達。 気味の悪いほど透明で薄い ガラスか何かで仕切られているようで、 そこには、 自分の手もココロも届かない。 冷たく硬質の手触りに 侵入を拒まれた―――――事を悟る。 ここに馴染まぬ異質、である事を 痛烈に思い知らせる効果があった。 しかしまた、異質である事に安堵する自分がいる。 ここは、自分には何の関連も無いヨソの世界なのだ、 と。 ニゲテイル。 酷く強く思い知らされた。 どんなに清しい幻想的な世界も どんなに陰惨な淀んだ世界も 次第に麻痺し始めた精神には 既になんの印象も感銘も与える事は出来なくなった。 ココロの琴線は奮えず ココロの水面は波立たない。 所詮は、ドアの枠で遮蔽された向こう側の景色、 でしかないからだ。 決して踏み込む事も無く距離を保ちつつ ただ次のドアに向かう。 そして、 ドアを開ける。 そのドアはやけに古びていた。 年代物の木製のノブに手をかけた時。 時の重力に敗北し反り返ったささくれが皮膚を食い破った。 大分前の事だったように思うが、指先はまだじりじりと痛い。 無くしたものとばかり思っていたが どうやら痛覚は健在だったようだ。 少なくとも手だけは生きている。 そう思考して苦笑した。 では、頭は死んでいるのか。 答は…ドアの向こうにあるというのはどうか。 ―――――それでは何にも面白くない。 ドアを開ける。 何も無い。 否、それは正しくない。 無、という空間がそこにある。 否否、そんなものはただの言葉遊びだ。 ここには最初から何も無い。 見えるものが在るものとは限らない。 見えないから無いとも言い切れない。 世の中には、モノそのものよりも モノを隠すモノの方が数が多いのかもしれない。 この無意味に多いドアの存在のように。 モノを隠すモノであったモノが 何時のにか隠されるモノになり モノは1つしかないのに モノを隠すモノが際限なく増殖してゆく。 取り払っても取り払っても モノそのものは一向に姿を見せない。 モノは常に何かに隠されている。 大切なモノであればあるほど厳重に。 大切なモノがあったことすら忘れてしまうほど奥底深くに。 そして中身はとうに失っていたとしても ただ在り続ける、囲い。鎧。呪い。 ―――――馬鹿馬鹿しい。 美しくもあたたかくも楽しくもなく、 それなのに「大切」に分類されてしまうモノほど 扱いにくいものはない。 しかし切り捨ててもしまえない。 「大切」であるが故の矛盾。 自分の存在意義が、他人に左右されるとは。 納得できない、屈辱。 だが…ああ、判っている、判っているとも。 これがなくなれば自分自身も消えてしまうのだ、 と。 でなければ、とうの昔に捨てている。 こんなもの。 それとももうとっくの昔に総てをなくしていたのだろうか。 ただ「大切」を取り囲むモノを そうと思って見続けて来ただけではないのか。 中身を失った抜け殻を、 大層恭しく捧げ持ち。 何もない事を何処かで感じながらも その意識を意図的に排除しながら。 そう問われたら、 …否定する根拠を見出せない気がしてくる。 ―――――情けない。 ドアを開ける。 ごろりと転がる、腐敗の進んだ肉塊。 音はするのに匂いがしない。 非現実感を煽るのは、嗅覚の欠如のせいか。 閉じ込められた、無限。 塗り潰された事実。 切り取られた真実。 一瞬だけ生き返る、無数の現実。 ドアを開けた、その瞬間だけ。 ノブに手をかける、ドアを開ける為に。 コンコンコン。 初めて。 初めて、扉を開ける前に音が聞こえた。 ナニカイル。 ただのスクリーンであったドアの枠の向こう側が 突如として奥行きを持った空間に変化する。 恐怖に似た戦慄が背筋を駆け降りる。 これは単なる2次元の悪夢ではなかったのか。 目を醒ませば 色褪せた日常がいつものように待ち構えている。 今この場だけが奇妙に歪んでいるだけではなかったのか…。 コンコン。 意思を持った音が、思考に割り込む。 これはノックだ。 ソコニイルノハダレダ。 問い掛けは、届かない。 ―――――。 沈黙が流れる。 ひたすらに反応を待つ。 1分経ち1日経ち…随分と長い時間、 そう、 ドアを開け続けた時間に匹敵するだけの時間、 それを睨み続けていたが ドアが向こう側から開く事は決してなく、 そして閉じたドアから音が伝わって来る事も もう2度と無かった。 ノブを握る手が、くぐもった痛みを訴える。 疲れた、 と。 今まで不用意に扉を開け散らしてきた事を 今初めて少し、後悔している。 目は未だ醒めない。 |