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■14 節制-TEMPERANCE-

夜更け。
承太郎がホテルの自室に戻ると、花京院はベッドに腰掛けたまま茫然としていた。
一瞬幽霊かと思わせる程に憔悴し切っている花京院。その姿を、承太郎は少し意外な表情で見遣った。承太郎がジョセフに呼び出されて部屋を出る前まで、花京院は――内心がどうであったかまで知る由もなかったが――取り敢えずはマトモに見えた。それがたかが小1時間でこの状態とは―――どうした事だ?
「何やってんだ。明日も早いぜ、早く寝ろ」
掛けられた声に、花京院は初めて同室者が戻っていた事に気付いた。下から見上げる格好になるので迫力は随分と殺げたが、それでも、ぎっ、と睨み付ける。
「君は眠れるのかい?」
「お前は眠れねーのか?」
嫌味なのか素朴な疑問なのか、その声音からでは判断しかねる。承太郎は制服をクロゼットに収めると、その視線を物ともせずに花京院の前を素通りした。部屋の奥にある窓際のベッドに向かう。単にそちらが空いていたからで、別段窓際に固執した結果でない。花京院もまた、それ以上承太郎を目線で追うでなく、ぼんやりとした焦点の定まらない表情へと戻った。
「君は…随分と冷静だな。アヴドゥルさんが死んでしまって…何も感じないのかい」
自分の言葉に反応したのか、榛色の眸が滲む。昼間のショックが甦り、堪え切れない涙は見る間に頬を伝い落ちた。
「もっと、自分は冷静だと思っていたよ。落ち着いていられると思っていた」
それなのに、何がこんなに悲しいのか…。
明らかに、花京院は自分の感情を持て余していた。
今まで自分自身だと思っていた何かが、音を立てて崩れ落ちた。余りにも長い間偽り続け…偽っていた事さえ忘れ果ててしまう程の年月。それが、一瞬の内に、砕け散った。疑惑と不信の中で強固に鍛えられた鎧がなくなり、かつてない程に無防備になっていた。剥き出しになってしまった心を抱え、途方に暮れている。涙を隠す事にさえ気がまわらない程に、狼狽している自分がそこに居た。
失って悲しい程、親しい存在など自分にはなかった。
これ程理不尽な死に、直面した事は今までなかった。
こんな形で、自分が孤独であろうと…如何に平和に生きてきたかを思い知らされる事になるとは、思ってもみなかった。
「君のその鉄面皮が…いっそ羨ましいよ」
仇は討ったが、この気持ちは収まらない。吐き捨てるような語調に、黙々と着替えていた承太郎の眉間にしわが寄った。
「…どう感じようとテメーの勝手だろーが。それとも何か? 「俺はこんなに悲しんでます」とデモンストレーションでもしろってのか? ヤツ当たりするんじゃあねーぜ」
相変わらず、その声音からでは怒っているのか諌めているのか判断しかねる。花京院は、自分の思考に潜ってしまった事に気付くと、あっさりと非を認めた。
「…済まない。目の前で…死んでしまうなんて。生命の遣り取りがあると知っていたのに…認識の甘さがあった。いいや、認識していなかった。あんなに呆気なく…本当に…いなくなってしまったなんて…」
自分自身、支離滅裂になっているのは自覚している。それでもこの、やり場のない感情を昇華させる方法が思いつかなかった。
「初めて見付けた、仲間だったのに…」
承太郎に話し掛けるでもなく、呟くような独白だった。そして承太郎もまた、聞いているのかいないのか、相槌を打つでもなく無言のままだった。
「もっと早く駆け付けて、飛び出せば良かった。何故間に合わなかったのだろう。アヴドゥルさんのあんな姿…こんな事なら、僕が代わりに死―――――ッ!」
恐らく、他人のために為す術もなく涙を流す事など、今までなかったに違いない。どこかしら怜悧で体温を感じさせない印象は、彼が作り上げた虚飾の像だったのだろうか。目の前で項垂れている姿が、本来の彼であるとするならば。花京院という人物を随分と…買い被っていた?
「―――――おい」
今まで黙っていた承太郎が、突如、低い声で花京院を遮った。花京院は一瞬『何だ、聞いていたのか』と、場違いな事を思った。
「自分が他人の死に直面して悲しいから、代わりに自分が死ねば良かったと言いてー訳か?」
「え、そんなつもりじゃあ――――ッ?!」
思いもよらなかった解釈に、思わず声の主を振り返る。ぶつかった視線の先には、厳しい眸の承太郎が居た。
では、どんなつもりで言ったのか。消えた語尾に追い討ちをかけるような、きつい一瞥だった。沈黙が、何よりも雄弁に承太郎の心中を語る。承太郎は本気で怒っていた。
「人が死んだら悲しい、大抵はな。自分に近しい人間だったら尚更だろう」
自分に近しい? たった一言で済ませてしまうのか? そんな言葉では全然足りない。スタンドを理解し合い、初めて目的を共有できた友人だ。かけがえのない存在を失って、それでも冷静でいなければならないのだろうか。冗談じゃあない!
承太郎の厳しい視線に曝されて、萎みかけていた感情が再び熱量を増やしてゆく。噛みつくような花京院の視線に、承太郎は真っ向から受けてたった。
「だがな。お前が代わりに死んで、アヴドゥルは助かったと思うか?」
「……?」
奇妙な間が開いた。自分の感情に手一杯だった花京院が、戸惑いに言葉を失う。
「お前を巻き込んだ非力を悔やんで、さぞかし嘆きも深いだろーよ。今のお前みてーにな」
「――――!」
「死ぬってのはな、誰かが代われるよーなシロモノじゃあねーんだ。
「誰が死んでも、誰かが悲しむ。人ひとりの存在が消滅するというのはそう言う事だ。
「アヴドゥルがお前にとって何物にも代え難い存在であるように、お前だってアヴドゥルにとってそれだけの存在になってるんだ。
「違うか?」
そう問う承太郎の口調は、至って静かだった。だから、余計に痛い。
「その悲しみは…いや、悲しみじゃあねぇ、後悔だ。その後悔は、結局は生き残った他の誰かが味わっていたモノだとは、思わねーか」
「………」
「甘んじて受けろ。2度と繰り返さねーためにな」
感情を切り捨てたから冷静なのではない。総てを受け入れ、その上で冷静でいるのだ。花京院は漸くその事実に気付き、己の未熟を恥じた。
「2度と軽々しく死ぬなんて言うんじゃあねーぜ」
ぐうの音もでない、とはこう言う事を指すのか。花京院は自分の手元に視線を落とした。首だけ捻る、という無理な態勢でいたからではない。睨み付けるような強い眸を、正視し切れなくなっただけだ。
「いつまでも下らん事をごちゃごちゃ考えてねーで、さっさと気持ちを切り替えるんだな」
言いたい事を言い終えると、承太郎はあっという間に横になってしまった。
「―――――解かっているさ!」
確かに、いくら泣こうが喚こうが、死んだ人間は生き返らない。自分がアヴドゥルの死を受け入れるのには、まだ暫く時間が必要だろう。承太郎程、まだ強くはなれないから。ならば、今は割り切るしかない。
ぐいと残った涙を拭う。もう1度シャワーを浴びて、顔を洗って、眠ってしまおう。眠れなければ、黙祷を捧げよう。一晩位眠らなくとも、どうにでもなる。夜が明けたらジョースターさんに頼んで、せめて墓前に手を合わしに行こう。まだまだ旅は続くんだ。取り乱している場合ではない。
精神を鍛えなければ。動揺して、自分が生命を落とすような事になれば、それこそ元も子もない。足手まといになる訳にはいかないのだ。泣くだけだったら誰にでもできる。けれど今、自分は誰にも肩代わりできない事態に直面しているのだろう――――?
もう2度とこんな風に泣きはしない。花京院は自分を奮い立たせるように、立ち上がった。それは先刻の、消えてしまいそうに脆い背中ではない。直面する困難を見据え前進する意志を持つ、強い輪郭がそこにあった。
「ああ、それから」
ごそ、と躯を動かす気配に続き、普段となんら変わらぬ声が届く。
「アヴドゥルの容態だが、傷の縫合は無事済んだ。暫く入院する事にはなるが、命に別状はねーぜ」
「―――――え?」
承太郎の言葉は花京院の頭の中で空転し、1度では意味をなさなかった。再度、反復してみる。
傷の縫合?
命に別状はない??
「快復を待ってる時間はねーから、暫くは別行動になる。詳しい話は明日、じじいに聞け。以上」
別行動…それはつまり―――???
再びごそごそと動く気配に、
カァァァァ!
全身の血液が両頬に集まる。
アヴドゥルは、生きているッ!!
弾かれたように振り返った瞬間、握り締めていたハンカチが落ちた。隣のベッドの主はこちらに背を向けていて、振り返ってもその表情を識る事は出来ない。
「以上っておい、待て承太郎、今のは…!!」
承太郎はもう、うんともすんとも言わない。寝心地の好い態勢を見付け、完全に眠ってしまったようだ。
『じゃあ僕は、一体何の為に大泣きしてたって言うんだッ?!』
余りにも恥ずかしくて声にするのは憚られたので、花京院は心中で怒鳴る。
顔から火を吹くとはまさにこの事か。今度は、情けなくて涙が出そうだった。第一相手は、最初から極めつけの切り札を持っていたのだ、太刀打ちできる訳がない。すっかりノせられて、反省までしてしまった花京院は、なんとか落ち着こうと思考を切り換える。
…それでも!
この良報は大変に喜ばしいものである。アヴドゥルの死が、恥のひとつやふたつでチャラになるのならば安いものだ。
生きていてくれて、本当に良かった…
「―――――――なんて納得する程、僕は人間できていないッ!!」
騙された口惜しさか、悲しみの反動か。花京院は自分でも手に負えない程、感情が昂ぶっているのを意外と冷静に認識していた。しかし、感情自体が冷静になる筈もなく、怒りのボルテージはがんがん高まってゆく。これだけ怒っているのに、ともすると笑い出してしまいそうで少し困った。
「これはッ! 断じてヤツ当たりじゃあないからなッ!!」
がっと、1番手近なクッションを掴むと(別にベッドそのものでも良かったのだが、そんな理由で寝床を失うのはご免だったので)、承太郎の後頭部目掛けて力一杯投げつける。
バダムッ!
深夜という時間に一瞬躊躇したものの、結局は大いにドアを鳴らしてバスルームに飛び込んだ。
「――――く…くッく…ッ」
勢い良く響く水音を確認したかのようなタイミングで、部屋の闇よりも濃い影が小刻みに震え出す。
エメラルド・スプラッシュでも飛んでくるかと思ったが、流石に常軌を逸する事はなかったようだ。白金に淡く光る腕が、先刻のクッションを床から拾い上げる。ちゃっかりスタンドで花京院の攻撃を凌いでいた事は、想像に難くない。ぶつけられた所でたかが知れているが、クッションとはいえ直撃を甘んじて受ける程、承太郎もまた人間はできていなった。
『もっと、スカした食えねーヤローかと思ってたが…愉快なヤツ!』
笑い声が耳に入るとどーせまた煩せーだろー、と、承太郎にしては珍しくも非常な努力を持ってして、なんとか込み上げる感情を堪える。
だがしかし。承太郎は唐突に跳ね起きると、今度はかなり本気で「星の白金」をガードさせた。途端に弾き飛ばされるエメラルド・スプラッシュ。間髪入れずに発射された第2弾に、バスルームを突き破るような大声で怒鳴りつける。
「テメーッ!!」
「笑っている君が悪いッ!!」
しかし第2弾は承太郎にではなく、承太郎が弾き飛ばした第1弾に向かっていた。それぞれに、勢いを相殺するような角度でぶつかってゆく。接触し合った緑の宝石は、微かな音を立てて粉と散ると何事もなかったかのように消えていった。…部屋の壁や調度品を傷付ける事なく。
売られたケンカは買うのが信条、エメラルド・スプラッシュの軌道を目視していた承太郎は、一瞬呆気に取られた。だが、その空白は次の瞬間、今度こそ耐え切れなくなった失笑に埋め尽くされた。
「―――――り…律儀なヤツ…ッ!!」
勿論、それが花京院の怒りを更に煽ったのは言うまでもない。
『節制』
天界からの厳しい戒めが与えられています。邪な欲望に身を任す事なく、現実の苦しみを乗り越え、苦難の荒野を抜けて真理の国の門を叩けと。その試練の後、人は大いなる宇宙の意志を知り、素晴らしい英知を獲得する事ができるのです。
節制のカードは錬金術における「さらに上なるものへの転換」
を表し、我が心と肉体を練磨する事を示唆しています。
「今日と言う今日はもう我慢ならん! 今日こそ決着をつけてやる!!」
「…手加減しねーからその気でやれよ!」
ただ、理性では納得できても現実には難しいと言う事もこのカードは示しているのです。
「ゴタクはいいから、かかって来い!!」
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