LAST UPDASTE 1999.7.4

■6 恋人-THE LOVERS-

 

 

「3日か…」

香港からシンガポールまでの海路は、予想したよりも長いものだった。出向した船上から、港を眺めつつ大きく息を吐く。3/50日。多いと取るか、少ないと取るか。焦ったところで3日かかる事実は変わらない。英気を養うには、確かに魅力的な環境でもある。

「なんだい、もう飽きたのか?」

幽かな呟きを耳にした友人が、多分にからかいを含んだ声音で問い掛ける。まだ帆船が動き出してから、時間的には5分と経っていない。苛立たし気な表情を隠せる程度には余裕はあったが、ちらとも振り返らずに応えた。

「――――躯がナマるな、と思っただけだ」

「存分に、楽しめそうだが?」

花京院は愛想の悪い承太郎の態度に苦笑しながら、海面を指差す。言われた承太郎は無言のまま、洋々と広がる指先のモノと額面通りにはどうにも受け取り難い、にこやかな笑顔を見遣った。

泳げば、とでもいうつもりなのだろうか。

「…………」

「…………」

たっぷりと沈黙が流れた後、それは何の前触れもなく唐突に始まった。

『1・2…』

3、のタイミングで、2人同時に甲板を蹴る。

承太郎は左足を軸に、右足を低く旋回させる。花京院は垂直に飛び上がり、承太郎の足払いを難なく交わした。そのまましなやかにバク宙し、承太郎との距離を取る。しかしそれも承知の上とばかりに、承太郎は再度ばんと床板を鳴らすと着地地点を膝蹴りで狙う。

「こっちだッ!」

すかさず花京院は「法王の緑」の触手をマストに伸ばして躯を浮かし、着地の軌道を変える。承太郎の膝すれすれにふわりと飛び降りると、すぐさま反撃に出る。船体の揺れをものともせずに、右足1本で巧みにバランスを保つ。軽やかにリズムを刻みながら上・中・下段と蹴り分け、細かいラッシュを繰り出す。承太郎は避けるか弾くか、瞬時に後者を取ると、両腕で蹴りを全てブロックする。フェイントを織り交ぜたそれが下段に入りかけ、咄嗟にクロスした両手の甲で挟み取った。

「オラッ!」

「おっと!」

そのままの形でぶんと腕を振り上げ、掴んだ足を後方に押し投げる。花京院はその勢いに逆らわず、流れるようにバク転で再度距離を取る。が、間髪入れず、今度は承太郎が仕掛ける。

「ちょこまかと…ッ!」『逃げ回っているんじゃあねぇ!』

『冗談じゃあない、君の蹴りなんかまともに』「ガードし切れるものか!」

空を切る唸りが聞こえてきそうな蹴りの応酬に、なんだなんだ、ケンカか? と、ギャラリーが顔を出す。だが2人の迫力に気圧され遠巻きに眺めるのが関の山で、口を挟めるような気骨のある人間はいなかった。

「オラオラオラオラッ!」

ガンガンガンガン、と甲板が悲鳴を上げる。承太郎が連続攻撃でマストへと花京院を追い詰める。トドメの一撃とばかりに、異様な圧力を伴う回し蹴りを放った。花京院は蹴り脚の頂点をジャンプで遣り過ごすと、僅かに威力の殺げたそれにぱんと手を突く。更に一段高く跳び上がると、膝で承太郎の顔面を狙う。

「ヤローッ!」

承太郎が攻撃を叩き落そうとした瞬間、

「甘いッ!!」

花京院は空中で蹴りを収めると、今度は倒立するように承太郎の肩に両手を突いた。その勢いで、躯を真直ぐに伸ばしたまま承太郎を飛び越える。擦り抜け様にすいと手を出し、承太郎の帽子を取り上げるというオマケ付きだった。

「ナメたマネを…ッ!!」

急に明るくなった視界に舌打ちすると、自分にとって唯一の執着物を速やかに奪還すべく戦略を立て直す。猛ダッシュで踏み込む承太郎を、紙一重で避け手摺り上に退路を求める。花京院の踵が金属製のバーを捉えた直後、不意に帆船が波に煽られ大きく傾いだ。

「な…っ!」

予期せぬ方向から意外な程強烈なGが加わり、思わずバランスを崩す。

「ハイエロファント――――うわ…ッ?!!」

辛うじて足だけは手摺りに踏み留まったが、態勢を整えるには不充分だった。初めて重力に囚われたかのように、躯が船外に沈み始める。

「スター・プラチナッ!」

どんっ、という特有の衝撃波を伴い、スタンドが飛び出す。「法王の緑」の出現よりも早く、「星の白金」が花京院の制服の襟首を掴む。スタンドの見えない人間には、船体から躯の3/4以上が海面に出ていながら持ち堪えるという、非常に奇妙なバランスを目の当たりにすることになった。

「やれやれだぜ。――――存分に、楽しんで来るか?」

海面を覗き込むような形の花京院に、承太郎が無情にも問い掛ける。しかしその裏には噛み殺し損ねた、心底愉快そうな笑みが滲んでいた。花京院は絶対に言うと思ったよ、という仕草で肩を竦めた。帽子を目深に被ったのは、バツの悪さを隠す為か。口元には隠しきれなかった、なんとも形容し難い表情が透けて見える。

心配しているこっちが助けられちゃあ、世話ないね、まったく。

そんなボヤキが聞こえてきそうな、それでいて微妙に楽し気でもある…重なり合わない筈の2つの感情が同時に、心の中から引き出されて困惑しているかのようでもあった。

「君の大切な帽子を濡らす訳にはいかないからな。次の機会にとっておくさ」

「星の白金」の手が離れると同時に、とんと軽く手摺りを蹴る。ムーンサルトぎみに承太郎の頭上を越える放物線を描きつつ、

「返すよッ 」

「!」

べふん、と帽子を持ち主の顔面に押し付ける。

それは先刻の礼のようでもあり、彼なりの気遣いのようにも思えた。

『冷静さは相変わらずのようだけれどね。

 今からそんなに気に病んでいると、エジプトは一向に近付かないよ』 と。

「フンッ!」

帽子で視界は塞がれていたが、すたん、と体操選手よろしく甲板に降り立った花京院の気配はありありと伝わる。意趣返しか照れ隠しか、承太郎は帽子を被り直すより前に後ろ足で花京院を狙った。それはひょいとかわした花京院の残像を、正確に射抜く。それを合図に第2ラウンドが今まさに始まろうとした瞬間、遅い仲裁が割り込んできた。

「こらーっ、お前達ッ?! こんな狭い所で暴れるんじゃあなーいッ!!」

甲板の騒動に何事かと顔を出したジョセフは、飛び回る2人に仰天して声までひっくり返る。野次馬に集まっていた船員達が、慌てて持ち場に引っ込む。だが、当の2人は始まったと同じく唐突に動きを止めると、何事もなかったかのようにすたすたと歩き出した。

「喉が乾いたな」

「船室に何かあるだろう、行ってみよう」

「人の話を聞かんかーッ!!」

ジョセフの怒声が自分達に向けられているとは露とも思わぬ反応に、怒りのボルテージがあがってゆく。

「ブラボーッ!」

すっかり感心していたポルナレフが、歓声をあげて2人を迎えた。あれだけ動き回ったにも拘わらず、二呼吸程で、すっかり平常に戻っている。

「おい花京院、スゲーな。おめー、ニンジャって奴かッ?!」

「ええッ?」

ポルナレフも加わった3人の声が、船内に消えてゆく。

「無駄な体力使いおって、全く。アヴドゥルも黙って見とらんで止めんか!」

「まあまあ、ジョースターさん」

憤懣やる方ないとった体のジョセフを、アヴドゥルは笑いを堪えつつなだめた。ジョセフの怒気を逸らす為に、愛用のタロットを懐から取り出す。いささかもったいぶった手つきで右手のカードの山から1枚引き、簡単な占いを行って見せた。抜き取ったカードに微笑を浮かべると、ジョセフに差し出す。

「無邪気、コミュニケーション…フフ、まさに今の子供達のカードです」

それは『恋人』のカードだった。不意を突かれたジョセフが、思わずむせる。

「オ…オホッ。た、確かに仲は良いと思うが…いくら何でも、恋…」

予期せぬカードの提示に、ジョセフはどう応えたものか、困惑気に言い淀む。その奇怪な行動に、ようやく勘違いの原因に気付いたアヴドゥルはひとしきり笑い声を上げた。

「―――――ハハハハ、言葉が足りませんでしたな」

失礼しました、と笑いを収めながら、ハンハリーリの占い師は説明を加えた。

「これは名称が『恋人』なので色々と誤解の多いカードですが、本来は愛情ではなく、人生の分岐点という暗示を持ちます。選択の時が来た事を象徴し、この場合は正位置ですので、その選択が正しかった事を意味します」

ふむ、とジョセフが相槌を打つ。

「勿論、選択という語から派生した恋愛、結婚の意味もありますが、それは友情、共同、認められる事といった意味と同等であり、恋愛関係を特出したものではありません。また、避けられない結果に悩むが、自覚がなくとも、適切な決心と適切な行動を取る事になる、という意味もあります」

「そうか…まるで花京院の事を言ってるようじゃなァ」

ジョセフが感心したようにしみじみと頷き、アヴドゥルも同意して見せる。だが、渺漠と翳む時流の中から確実に未来を見出す占い師の眸は、同時にもう1人の過去をも見据えていた。

『悪霊』に取り憑かれた自分を、牢獄に閉じ込める事で対処しようと――――他の誰にも打ち明ける事すらせずに、ただひたすら独力で解決を図ろうとした者の心の内を。

「表情の乏しい…と言うと語弊がありますが、あまり多くはない感情表現が、どうも怒りのベクトルに偏っているような彼らにとって、これは貴重な時間だと思いませんか」

初対面での印象が最悪だったとはいえ、噛み付くような鋭い視線ばかりが目立った承太郎。あの闘志を殺ぐ事なく、優しい表情と穏やかな態度を身に付ければ、惚れ惚れするような男前になるだろうに…それにはまだ少し、時間が必要のようだな――――そう思って、アヴドゥルは少しおかしくなった。今のは予言か、それとも単なる願望か。まあ良い、見届ける時間は山程あるさ…。

「彼らが、あんなに生き生きとした表情を見せているのは、とても珍しい事だと思います。これから先、我々には過酷な運命が待ち構えています。エジプトへ…DIOへと近付けば近付く程、こんな悠長にはしていられなくなります」

一行の暗い目的を吹き飛ばすかのように、潮風が幾筋も通り抜けて往く。アヴドゥルの言わんとする事柄を察したジョセフは、往き過ぎた風の行方を確かめようとして止めた。来し方を振り返るのは、この旅が無事済んでからで良い。そう、思ったので。

「今少し、彼らに子供の時間があったとしても、誰も咎める権利など持ち合わせてはいないでしょう」

アヴドゥルは殊更強調するように、子供、という言葉を再び使った。

普段の並外れた冷静な態度と行動力につい忘れ勝ちになるが、まだそう、気心の知れた友人ところげまわって遊んでいたとしてもおかしくはない年頃なのだ。大人びた態度で過ごしてきた時間を埋め合わせるかのようにはしゃぐ2人に、微笑ましくもいたたまれない気分になる。

大人になるのはもう少し先でも構わないだろう、と思う。子供時代に子供として過ごせなければ、どれ程時を重ねようと決して「大人」にはなれないのだから―――――。

「ああいったコミュニケーションは、互いが対等でなければそうそう出来ません。それに、ちゃんと怪我のないよう手加減していましたよ、2人共」

「――――わしゃこんな人目のある所で、スタンドを使わせたくないだけじゃよ」

わかっとるわい、という言葉を飲み込んで、大人の対応をする。

「おや、ジョースターさんは、意外と常識家でいらっしゃる」

アヴドゥルがからかうと、ジョセフは苦笑交じりに肩を竦め、明後日の方向を見遣る。

『それ程心配せんでも、状況をめいっぱい楽しんどるよーな気もするがな』

案の定、どこからかベンチを調達し再び甲板に「子供達」が戻って来た。ジョセフはこの輝かしい太陽の下にも拘らず、黒ずくめの暑苦しい2人に向かって歩き出す。

アヴドゥルは当初の目的を達っしたタロットに感謝しながら、所定の位置に仕舞いかけた。その手が突然脳裏を過ぎった言葉に引き留められるように、中途半端な位置で動きを止める。

「ああ、ひとつ…言い忘れていたな」

くるりとカードを回転させ、もう一度その絵柄に視線を落とす。

 

このカードは本当は、誰を象徴したものか。

癒されたのは、果たしてどちらだったのやら―――――…。

 

「おいアヴドゥル、そんな所で何してんだ?」

ポルナレフの声に、集中していた意識を散らした。

「いや、たいした事ではない…」

ポルナレフの不審そうな表情に、フフ、と小さく笑うと、アヴドゥルはカードの山に『恋人』を戻す。そして、仲間の元へと向かう為、ゆっくりと踵を返した。

 

 

告げられなかったもうひとつの暗示。

それは―――――『もはや孤独ではない』。

 

 

 


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