LAST UPDATE20000417
  

    
夢幻の庵で、暫し微睡む。
無限の流れに、明日を識る。
       
がしがしと髪を拭きながらバスルームから出る。花京院はこちらに背を向け、何か書きつけていた。余程集中しているのか、俺の気配にも気付かない。   紙の白がいやに息苦しくて、意味もなくペンを動かす。承太郎が居ないうちに書いてしまおう、と思った手紙は一向に進まず、自分が意外と拘泥している事実に漸く気がついた。
「出たぜ」
「!」
極力驚かさないよう声を抑えたのだが、その瞬間撥ね上がった肩の動きを見ると、どうやら徒労に終わったようだ。   突然かけられた声に不意を突かれ、情けなくなる程過剰に反応する。遠目にも、僕がビビッた事はばれてしまっただろう。
「手紙か?」
別に俺が感じる必要もないのだろうが何となしに後ろめたく、すぐ傍にあるミニバーに視線を移す。尤も既に目星はつけてあるので、特に迷う事もない。勿論フルボトルだ。視界の端に映った花京院は、珍しく荒い動作で手にしていたもの――多分あれは備え付けの便箋だろう――を丸めると、ゴミ箱へ放り込んだ。   …だから、終わらせてしまいたかったのだ。勘が良い上に目敏いと来ては、手に負えない。
しかし承太郎の関心はすぐ寝酒の物色に移ったようで、その隙に落書帳と化した便箋を握り潰すと、ゴミ箱へ投げつけた。これ以上動揺を悟られないように、精神をシャットダウンする。
「…余り聞こし召さないで下さいよ」
花京院は俺の問いに答えず、入れ違いにバスルームへ消えた。時折見せる、真意の掴めない能面のような笑みを残して。   しかしいつまでも承太郎と向かい合っているとボロが出そうなので、早急にバスルームへと駆け込む。
これ以上の醜態を、曝す訳にはいかない。
         
グラスを掌であたためながら、暫し待つ。
独特の芳香が燻り出すまで、口はつけない。ささやかな楽しみだ。ソファに腰を下ろすと、正面に花京院が今し方使っていたサイドテーブルが来た。
開いたままの便箋と、出しっ放しのイス。単にそのまま飛び出しただけなのか、まだ続きを書く気でいるのか。そこに見て取れるのは、花京院の動揺位だ。
悪い事をした―――ような気になる。具体的にどうという訳でもないが、花京院のあの慌て振りが、どうにもそう思わせた。
弾き飛ばされたのか、床に転がるボールペンを拾おうと立ち上がりかけた時、かさりと何かが音を立てた。小さく丸まったそれを拾い上げる。敵の仕掛けた罠かと開き、しまったと思った。
先刻花京院が投げ捨てた『手紙』と判り、動きが止まる。捨てるんならもっときっちり捨ててゆけ――――と毒ついても、今更もう遅い。反応が鈍かったのは、そこに予期せぬ1本の樹木が描かれていたからだ。
開き直って丁寧に紙を広げる。ボールペンでの走り書きだったが、かなり巧い部類に入るのではないか。使い難く線の太いボールペンで、良くこれだけ描けるものだ。
緻密なデッサンは描き手の性格をも物語っている。葉や幹の陰影が細かく描き込まれたそれは、楡の木だろうか。しかし完全な模写ではないようだ。多分に自分のイメージを先行させていて、不可思議な絵だった。
そこにあるデータを収集・分析し、起こり得る未来を予測するのはやぶさかでない。しかし、全くの無から何かを創造する、という事に関して俺はからきし頭が働かない。要するに、想像力が欠如しているのである。
極めて写実的に対象を捉える事はできるが、そこから新たにイメージを膨らましてゆくという能力は、明らかに不足していた。欠損と言っても御幣はないだろう。
「現実という根拠」のないものに対しては尚更だ。加えるならば、そういった作業に対する興味も全く湧かない。だがこの「樹」には、俺のそんな錆び付いた想像力をも喚起させる、一種独特の雰囲気があった。
好奇心が刺激される、ってヤツだな。
  熱い湯が体表を流れてゆくように、蟠りも皮膚から溶け出して流れて往けばいいのに。
『父さん、母さんへ』
書き出しはそれで良い。
『心配かけてすみません。今、エジプトへ向かっています』
これでは少し唐突だろうか。カイロで行方不明になった息子が、エジプトへ向かっていると言うのも、ヘンな話かもしれない。
何にせよ4ヶ月も家を空けたまま、音信不通の親不孝者だ。今更何と言い訳したものか。
…それだけが躊躇う理由ではなかったが、ホテル備え付けの便箋はあまりにも白くシンプルで。ありったけの文句を並べた所で、この空白を埋める事は不可能のように思えた。
他人行儀な白々しい言葉に代わり、持て余した紙面を素描で塗り潰す。纏まらない思考から逃げるように、単純作業に没頭する。
出来る限り力強く、よりリアルに。自分の迷いがちっぽけな下らないモノであると、笑って吹っ切れるように。
ふとイメージの浮かんだ、1本の大樹を描く。楡の木をベースにしたものの、それだけではつまらないので気の向くままにペンを走らせた。
やけに気合が入っていたように思うのは、久々にペンを執ったせいか。かけた時間の割には、気に入った絵になった。
先刻は動転して投げ捨ててしまったが、構図は頭に入っている。DIOを斃しこの旅が無事に終わったら、もう1度描き直してみよう。暫く使っていなかった画材も用意して、色彩も塗ろう。出来るだけ大きく、鮮やかなものがいい。

そんな計画を考え巡らしているうちに漸く髪も乾き、ドライヤーをオフにする。すると途端に、辺りは沈黙に包まれた。息苦しさを感じる程の。そう、便箋の白さと同質のものだ。
折角盛り上がったテンションも、滅入るような沈黙に吸取られて往く。何をはしゃいでいたのか、自己嫌悪に陥る。

      
          
はた、と気付く。いつの間にかドライヤーの音が止んでいる。咄嗟に、ソファの隙間に便箋を捩じ込む。バスルームのドアが開いたのは、その直後だった。
あぶねぇ、随分と気を取られていたようだ。
  う、またか。
ドアを開けた途端、たちこめる酒匂に頭が痛くなる。
何だってこんな酒臭くしなければ気が済まないのだろう。香りを楽しむと言っても限度があるだろうが。
「君、ピスタチオばかり選ってますね」
戻って来た花京院は、不意に人の後ろから手元を覗き込み、呆れたような声を出す。一瞬便箋の存在に気付かれたかと、焦る。しかし視線はテーブルの上の、いつの間にか出来上がっていた緑の殻の山に向けられていた。   ソファの背から優に飛び出すアタマが、縦にも横にも恵まれた体躯を物語っている。しかし今気になるのは、それよりも積み上がった種の殻とボトルの残量だ。随分と上部が透けて見えるが、断じて錯覚ではない。
「おめーは小姑か?」
「見たままを言っただけですよ…散らかしたままで、申し訳ない」
サイドテーブルの状態に気付いたのか、手早く机上を片付ける。とはいっても大して物がある訳ではないので、ほんの数秒で済んだ。
几帳面なヤツだな。それとも単なる神経質か。
  小姑? なんだそれは。…見えないだけで酔っ払いなのか?
ふと貌をあげると、正面のサイドテーブルが視界に入った。自分の動揺を野晒しにしていたようで、急いで元の状態に戻す。
「もう良いのか」
結局そのままだったボールペンをアゴでしゃくる。それに気付いた花京院は直ぐに拾い上げると、   それだけでは意味が通じないと思うのだが、恐らくは「手紙」の事を指しているのだろう。
「ええ、構いません」
と言った。その苦笑を含んだ声は思ったより強張りが解けていて、何某かの変化が感じられる。
自力で持ち直したか。いや、見た目で判断するのは危険だ。その気になれば、こいつは何処までも自分の感情を隠し通せる頑なな意志を持っている。涼しいカオして食えねーヤツは、これだから厄介だぜ。
まぁ好い。上辺だけでも取り繕う気力が残っているなら、俺が訊いたところではぐらかされるのがオチだ。花京院自身が話す気にならないうちは、当り障りのない話しか引き出す事は出来ない。
だが、こいつの事だ。そう気を回す必要もねぇ。自分の中でカタがつけば、いずれ話題にもなるだろう。
心を鎖し続けた長過ぎる時間を思えば、性急な態度は却って不信を煽るだけにもなりかねない。そして俺にも、それ位の時間を待つ余裕はある。話を聞くのは、その時で良い。

花京院は不意にミニバーへ向かうと、グラスを1つ調達してきた。それをそのまま、俺の目の前に突き出す。
重力に沿ってグラスの中身が回転し、
  承太郎の態度に、思わず苦笑する。全く横柄な上に面倒臭がりで困ったヤツだ。気付いているなら、拾っておいてくれても良さそうなものなのに。ひょっとして酒が足にキて立てないのか。だったら大いに笑ってやるのだが。
手紙はもう、書かない事にした。投げ遣りな態度からではなく、結局は元気な姿を見せるのが1番なのではないか、と思ったからだ。そして、自分をバスルームへと走らせた、先の気負いを馬鹿馬鹿しく思い出す。一体何を誤魔化し隠そうとしたのか。やっと見付けた仲間達を前にして。
信頼する事に慣れていない自分が、人間としてやけに貧しく感じる。だがいつまでも卑屈になっていたら、それこそ詰まらない人間のまま終わってしまう。今からでも間に合う筈だ。これから、信頼の意味を学んでゆけば良いだけの事だ。
そう思うと精神的に落ち着いたようで、喉元辺りを塞いでいたモノが流れ落ちた気分になる。きっかけなど所詮、そんなものかも知れない。
ミニバーのグラスを手に取り、幾分迷ってから1番大きなロックアイスを放り込んで承太郎に差し出す。
グラスが傾いた拍子に、
からん。
氷の塊が音を立てる。
鏡がなくたって想像できる、自分の今のバカ面は充分に。先刻驚かした仕返しだろうか。だとしたら、かなりの効果を上げている。
飲めねえんじゃあなく、どうやら飲まねえだけだったようだ。
  浄玻璃の鏡のような眸にも、余程意外に映ったらしい。
承太郎の意表を突くのは、中々胸が空く。
確かにアルコールは余り好きでないのだが、下戸ではないし興に乗ればそれなりに口にする事もある。
「たまには好いでしょう。それとも、テメーに飲ませる酒はねェ、ですか?」
催促されて、漸く冗談ではない事を理解した。
酒を飲む気になるなんざ、やっぱり浮上してねぇんじゃあねーか?
些か疑問が残るとはいえ、愉快そうな笑顔は偽りではなさそうだ。俺を笑っているのが頗る癪に障るが、変に張り詰めたきつい笑みよりは遥かに花京院らしい。
  たったこれだけの事で屈託なく笑える、自分がとても平和に思える。自分を押し殺す必要がない、というのは信じ難い程心を軽くする作用があった。
催促するようにグラスを揺すると、じろり、と不機嫌な視線に曝される。氷を入れた事に対してか、それとも氷の大きさに対してか。
「・・・・・・」
こんな事をつらつらと考える、俺の方がよっぽどらしくねーな。
それにしても、こいつ、俺に酌をさせる気か。しかもこんなでけぇ氷入れやがって。グラスの大きさを考えろ。これじゃあ酒は殆ど入らねーじゃあねぇか。
  …恐らく両方だろう。何せ獲物はブランデーだ。酒飲みからしてみれば、邪道と思われても仕方がない。
かと言ってうわばみの承太郎と、正面切って飲み合う気などさらさらない。ここはひとつ、我慢して貰おう。
「気分を、味わいたいだけですよ」
たったこれしきの、しかも薄まった酒で一体何の気分を味わうってんだ。
無言でねめつけても、どこ吹く風でさらりと躱わす。もの珍しさに免じて今回は流してやるが、毎度その手が通じるとは思うなよ。
  諦めがついたのか、漸く酒が注がれる。
強いアルコール臭と承太郎の不穏な無言に、少し早まったかも知れない、と心持不安になる。なんだか後で高くつきそうな気配が感じられるが、かと言って今更グラスを置く訳にもいかないのが厳しい。
からん。
取り立てて話題もないまま、ただ酒を飲む。花京院が鳴らす氷の音だけが奇妙に響く。それでいてなんでだか酷く、贅沢な時間が流れているような気がした。

偶に姿を現すぎこちなさも、そのうち時間が押し流して往くだろう。そんな不確実な要素に未来を託せる程、楽観できる自分がいる。世辞にも人付き合いが巧いとは言えねーが、こいつとなら上手くやってける自信まである。
現実的な根拠なんてものはそれこそ一切ねーってのに、おかしなもんだぜ。
…そしていつか、見たいと思う。本気で描いたあの樹は、どんな色彩をしているのか。
かさり、と背中からイヤな摩擦音がした。ソファに隠した紙片がいつの間にかカオを出し、自己主張を始めたらしい。やれやれだぜ。これじゃあ迂闊に立ち上がれねーじゃあねーか。見つかったらコウルセーぞ。
花京院の隙を突いて、ゴミ箱へ戻す。…「法皇の緑」を向こうに回すのも面倒くせぇな。第一、掛かる労力に対して割が合わねぇ。
―――――それに、捨てちまうのはちと惜しい。
本体を潰しちまう方が、手っ取り早ぇか。
よし、潰す。
  グラスを揺らすと、氷の音だけが奇妙に響く。
それが何だか面白く、訳もなく掌で玩んだ。随分と贅沢な時間が流れているような気がするのは、何故だろう。
先刻も、今この瞬間も。ここにあるのは沈黙だ。それなのに、あの圧し掛かるような閉塞感は微塵もない。
承太郎が、こんなにも穏やかな空間を作り出せる人物だとは思いもしなかった。

まだ少し、時間が欲しい。
自分の思いを言葉にするにはまだ少し、抵抗がある。
しかし承太郎なら、僕が唐突に語り出しても今のこの流れの延長のように、付き合ってくれそうな気がする。聞いてるのかいないのかよく判らないような様子で。それでいて気長に耳を傾けてくれそうな。
…などと感じている事自体が、既に脅威的な心境の変化である、と言う事は充分に自覚している。
自分以外の他の誰かと、時間を共有する日が来るなど、夢にも思っていなかった。否、ずっとずっと探し続け、狂おしい程に恋焦がれ身が持たなかったから。いつしか求める事を放棄していた。
それが、今、ここにある。
純粋に、嬉しい。
「・・・・・・」
「・・・・・・溢れますよ」
幾分中身の減ったグラスに、無言で酒を差し向ける。
ワザとらしくグラスを覗き込んだ意図は汲み取ってやるが、容赦はせん。おめーをどうにかせん事には、俺も身動きが取れねーもんでな。
口調はいささかきついものの、グラスを避けるような野暮な真似はしなかった。猫を被っているだけで、存外イケるクチなのかも知れねーな。
こいつの限界を試すのも、悪くねぇ。
  幾らも減らないグラスに、承太郎が無言で酒を注ごうとする。さて、どうしたものか。
きっと好い気分で飲んでいるのだろう。相伴に与かっているのだから、断わるのも無粋だろうか。
それでも、一応はクギを刺しておく。
承太郎のペースに巻き込まれないように注意しよう。底無しのうわばみに付き合う体力などない。何より翌日辛いのは、多分僕だけだろうし。

かちん。
2人の思惑をよそに、
グラスとボトルがぶつかり小さな音を立てる。

祝杯と取るか、戦闘開始の合図と見るか。
夜が明ける頃には結果も出るだろうが、
今はまだ、答えはない。
     
勝負の行方を知る者は
時の流れに身を浸し、肩を震わせ微笑んでいる。
遥か彼方の記憶の中で。
 
   


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