LAST UPDATE 1999.5.5

 

足元を、砂塵が掠めて往く。

『…ここは…?』

見渡す限りの砂の海に、一瞬状況を理解できずに立ち竦む。

「スタープラチナッッ!」

殆ど無意識に全神経を集中すると、この事態に備えるべく自分の『分身』を呼び出 す。

「…ッ?!」

しかし、今やDIOのスタンド「世界」をも凌ぐ、最強となったスタンド・スタープラ チナはその姿を現さない。

『スタンドが出てこないと言う事は、精神が無防備状態と言う事なのか?』

周囲の気配に神経を尖らせつつ、いつぞやか、渋る花京院から無理やり聞き出したス タンド「死神」の話を思い出す。あの時は大した実感はなかったが、確かに、こうし てみるとスタンドが出ない、という不安を以前に感じたことがあったような気もす る。勿論スタンドがなければどうにもならない、などという愚かな結論を出す気は毛 頭無い。だが、今、攻撃を受ければ自分は圧倒的に不利。

何よりもまず、現状を把握 する必要があった。

「……?」

身を潜める物陰など何一つない。それは相手たる敵にしても同じ筈なのだが。見えな い何者かに、四方から間合いを詰められているようなプレッシャーを跳ね除け、慎重 に辺りの様子を覗う。

痺れた手で物に触れているような、透明な何かが自分とこの世界との間に挟まれてい るような、そんな曖昧な空間が広がっていた。以前旅をしたあの砂漠とも違うようだ が、それは単なる漠然とした判断でしかない。

DIOを倒したとはいえ、残党が攻撃を仕掛けてこないとも限らない。単に金で雇わ れただけの者もいたが、奴に絶対の忠誠を捧げ、狂信の祖と奉っていた者も少なくは なかった。だがそれにしては空気は穏やかに流れている。あの、戦場と化した空間を 震わす程の、殺気立ったきりきりするような緊張感がまるで見当たらない。

『ここは…何処なんだ―――――?』

敵の作り出した結界というよりは、まるで自分の記憶の中にでも入り込んでしまった ような、穏やかな違和感の中に佇んでいた。

『これは本当に、ただの夢なのか…?』

あまりにも尋常でない体験を積み重ねて来たせいか、常人なら真っ先に思い付たであ ろう思考にようやく辿り着く。

陽はまだ高いように思われるが、天上に君臨しているはずの太陽の姿は目に映らな い。360°大パノラマの真っ只中において、それはかなり理不尽な景色であった。

『少し、移動してみるか・・・』

スタープラチナを使って廻りを調べようにも、スタンドは出てこない。頼れるものは 自分自身、ただそれだけしかない。感覚として敵が近くにいない事を納得すると、油 断はしないまでも、この異常事態打破に神経を向ける事にした。

もともと行く宛てもなく、ましてや視界を遮るものは何も無いこの砂漠の中。自分が 気づいたときに向いていた方角を前として、ゆっくりと歩き出した。

 

「暑いな…」

不思議なほど眩しい日差しに、帽子のつばをぐっと下げる。

足に絡みつく、灼熱に焼ける砂の感覚はやけにリアルだ。一歩踏み出す毎にどっと疲 労感が襲いかかる。何度となく砂に足を取られ、苛立った一瞥で空を睨み上げる。し かし、首筋に不快な水滴の流れを感じただけで、やり場のない怒りは腹の底に溜まっ ていくばかりであった。

『やはり…夢ではないのか…?』

死ぬかもしれない、と思った。不安という名の生き物が、蛇にも似た動きで頭を擡げ る。乾ききった口元は、砂でざらついていた。咽喉は水分を求め、びりびりと張りつ くように痛い。何もかもが一歩向こう側にあるような空気の中で、自分の生存に不利 になるような感覚ばかりが、確実に現実味を帯びてきている。手足が、まるで自分の 物とは思えないほど重く強張っているのが分かった。

「なん…だ?――――――――砂嵐…ッ?!」

低い、地を這うような響きに視線を巡らす。砂の流れる音ひとつない沈黙の世界に慣 れた耳に、それは必要以上の迫力を持って押し寄せて来る。突然、視界いっぱいに巨 大な砂柱が現れた。次なる危機を察っするが、躯の反応は思った以上に鈍く、逃げら れない。

足元から大地の感触が消えると同時に、意識が途切れた。

 

 

 

風が吹いている。

学ランの長い裾をばたばたと鳴らして、冷たいほどの風が流れていく。

「ここは一体―――――――? 砂漠に…いた筈だが…?」

全身を覆った倦怠感と汗だくになるほどの暑さが、嘘のように消えている。

そして爽やかながらも自分を取り囲む、墨のような闇、闇、闇。

手の甲で口元を拭ってみたが、先程まで自分を苦しめていた物質は、カケラもその姿 を残してはいなかった。

『この香り…効いた事があるな…』

果たして自分は眸を開けているのか、閉じているのか。それすらも判らない程の深闇。視覚が全く役に立たない今、鋭くなった他の感覚に、現状を認識するための微かな データが引っかかる。自分の記憶を手繰り、あまりにも場違いな検索結果に肩を竦め た。

庭先にある1本の枝垂紅梅。未だ来ぬ春の標となるかのように、肌寒い初春の大地に 一足早く咲き誇る艶やかな華。暗く冷たい空気の中で一際強く匂う、あの梅樹はとて も気に入っている。そう言えば、今年ももう咲き始めたのか。だとしたら、今年はま た随分と早い…。

取り留めのない思考に寄り添うように、ちらほらと白いものが風に舞い始める。 花弁それ自体が仄かに燐光を帯び、透明感のある闇の中に浮かび上がる。白緑の梅の 花に、うっすらと色彩が交ざる。紅梅、いや、いつの間にかそれは桜の姿に移り変 わっていた。

そして辺りを埋め尽くさんとばかりに散り急ぐ、薄紅の葩・葩・葩。

「――――――――――………」

圧倒的な静寂を従えすり抜けて往く風散の花を、なかば呆然と見上げる。降り積もり吹 き寄せられた花弁の片鱗が、時折風の起す波紋に揺られながらも、水面に春の錦を織 り成している。

『何――――――…水面ッ?!』

事態の急変に、雰囲気に飲まれ漂いがちだった意識を、慌てて引き戻す。いつの間 に、これほどまでに水が張っていたのか。辛うじて動揺は避けられたが、足元を見る と、既に踝まで桜花の沈む水に浸かっている。

「…ッ?!」

躯を動かそうと力を込めた瞬間、足の裏から地面の感触が突然消え去った。水位が上 がったのか、自分が巨大な水溜りの中に落ちたのか、それさえも判断がつかない。今 現在認識できるのは、ぼちゃん、と、水中に飛び込んでしまった感覚だけ。そして、 自分の頭上遥かへ水面は遠退いてしまった、という確証だけが、妙にはっきりと残っ た。何処から水が、という疑問を持ったところで、ここではもはや無用のものであ る。確実に増す息苦しさが、『現実』を突きつけて来る。

ごぼっ、とある程度セーブしながら二酸化炭素を吐き出す。頬を撫でる泡沫の感触に ‘上’を確認すると、大きく水をかいた。

『やれやれだぜ。今度は土左衛門の危機か?』

もう2分近く水面を目指して泳いでいる筈だが、一向にそれらしいものは現れない。 頻闇の中に先を往く気泡が、どこからか光を受けて淡く滲んでいる。僅かな変化では あるが、徐々に気体が大きくなっている。方向に間違いはない。潜水しているのでは ないか、ゆらゆらと揺れる不安を必死に打ち払う。

水の抵抗は限界という味方を得て、重く厚く伸し掛かる。ほんの数刻前あれ程求めて いたものが、今、自分の生命を押し潰さんとばかりに更なる圧力をかける。

『やばいな…』

息を吐き出し続けた肺が、吸い込む誘惑に駆られて痙攣する。ありとあらゆる脈と臓 器が、生存を主張し激しく鼓膜を打つ。

『帽子がとれそうだ…ぜ――――――』

先導を果した気泡が小さく弾けたと同時に、意識が途切れた。

 

 

 

時間が凪いでいる。

なんとなくそう感じた。

肉体を失った魂は、こんな風に漂うのかもしれない。

そんな事も思った。

感傷に浸っているのか。

それは違うな。

誰かが答えた。

てめーは誰だ。

気配が消えた。

 

途端に、ぶわっと冷や汗が噴き出した。大の字に寝転がっていた態勢から跳ね起き、 緊張に尖った神経を辺りに張り巡らせる。依然漆黒の闇の中ではあったが、桜舞う典 雅なものでは最早なくなっていた。総ての時が止まり、形容しがたい悪意だけが流れ 込んでくる。

『これは…ッ!』

ドス黒い重い闇。精神に食い込むような圧迫感は、凄まじい殺気を伴って確実に間合 いを詰めてきている。この感覚が何を意味するかなど、とっくに気が付いていた。

『DIOッ!!』

どんなに忘れ去りたくとも、決して消えることのない憎悪の対象。ぎりぎりと奥歯を 食い縛る音が、頭の中で大きく響く。あの時の怒りが、寸分違わぬ熱量を持って甦 る。

『リベンジか、受けて立ってやる』

拳を堅く握り、脇を締める。重心を心持低くし、万全の態勢を整える。 ゆらり、と空気の波が何者かの存在を伝えた。その一段と濃く黒くなった闇に、満身 の力を込めて拳を叩きこむ。ヒットした瞬間、それは霧のように微細な塵となって飛 び散った―――――手応えがあった。だが間髪置かず、嘲笑うようにそれは再びひと つのモノを形作る。

「――――――ッ?!」

出し抜けに、鳩尾から心臓に向かって、抉り取られるような強烈な戦慄が走り抜け た。

「うぐ…ぅッ!!」

全く予想だにし得なかった一撃。完全に真心を捉え、反撃を封じる。激痛、という言 葉が生易しく響くような衝撃。にも拘わらず、得体の知れないパワーそのものより も、自分を構築している細胞のそれぞれが潰されて往く感覚に、全身の血管が収縮し 脂汗が噴き出す。

常闇の中に溢れ出た赫が、やけに毒々しい色素を撒き散らす。不意に足元が崩れ去 り、頭から底知れぬ奈落の渕に堕ちて往く。

その吐き気を催す感覚に、また、意識が途切れた。

 

 

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