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失敗の部屋として、私は半年ほど、自分の経験を中心に分析したり、調べたりを繰り返し、研究とは言えないものの、それなりの学習結果を示してきたつもりであった。しかし、結果として分析をどう生かすかを、何とも言い切れないでいた。今回は、少しだけ、失敗への考え方を進めることができたので、ここに示すことにする。

失敗の改善
”考える力”   これをつけることが目標である。
   失敗の原因、そして、改善のために必要なことを分析していくと、これをつける努力こそが、最重要項目であることが分かる。
分析する必要もなく分かるか?

とにかく、何をするにも、これを持つことが目標となる。

よくある、「失敗を書き留めておく。」「その失敗例を区分する。」「失敗例を分析する。」
それらは、単独では、あまり効果はないかも知れない。
しかし、失敗経験を何度も想起させることで、自分自身の注意を喚起し、失敗を起こしにくく、失敗をしたときも、気づくことが泥安くなるため、致命的な失敗を起こしにくくなる。

即ち、多くの人と失敗経験を共有することで、何度も想起する事ができるかも知れないし、原因を分析することで、その状況を明確に想起して、自分自身どういうときに失敗を起こしているのかを再認識することができるかも知れない。ということだ。

失敗経験を隠したり、原因を単純に考えてしまうことで、失敗経験を薄れさせてしまうことは、結果として、失敗に対する注意力から、対処法、気づく力、その全てにマイナスに働いてしまうのだ。
単純にこれをすれば失敗をなくせる、ということはない。しかし、無意味な行為ばかりを主張することなく、どうすればそれが役に立てられるか、どうすれば、行為に際して、注意して向かえるのか、その考える力は、そういう行為をしていくことで着いてくる。
一朝一夕には行かないが、頑張っただけ着くはずである。

これは私が自分自身に問いかけていることであるが、自分が頑張るというのは、どれだけ苦しんでいるかと言うこととは、まるっきり無関係であり、自分が常に前に進んでいるのか、どう進めば自分が前に進むのか、面倒くさがらず、自分をまっすぐ前に向かわせる努力ができているのか、自己確認の毎日をどれだけ、送れているか。
この地道で、なかなか進まず、進んでも何ら見返りらしいものもなく、周囲からも理解されにくい作業を、進めること、それが努力というものである。
自分が、単純な思考に陥り、何の計画性もなく進んではいないか? 安易な努力をして、その苦労をしている自分に酔って、満足をしてしまっていないか。
自問自答をしながら・・・。

とにもかくにも、人間、前に進まなければ、生きていてつまらないものである。
では、前に進むための努力として、自分へのご褒美を考えたり、好きなことに熱中してられる時間を作ったりしてみたらどうか。何でも良い。他人からいい年をして、とか、無駄なお金を使って、とか、何の意味があるの?とか聞かれようとも、好きな時間を過ごせばいい。全ては、じみちーな努力を楽しんでするためである。ぜひ、無駄な時間を費やして、自分のやる気を養うべきだ。
苦痛の日々を送り、遊び時間も無く、まじめに仕事をしているつもりであっても、自分自身に、物事に対する”考える力”、これを持つ努力をせず、ノン弁たらりと、ただ同じ仕事をして、同じような失敗を繰り返す。
それは、一見遊びもしないまじめな人と言えるかも知れないが、その実は、自分の改善もできない非常に不真面目な人間であるのだ。

自分に考える力を着けること、これが、失敗を減少させるための唯一の確実な方法といえる。

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