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| 「あのね、ジム君。死ぬなんて、考えちゃ、ダメだよ。死んだら、なんにもできなくなっちゃう。生きていればね、きっといいことがあるんだよ」 にこにこと笑いながらいつも言っていた言葉。 「ジム君、人生はお気楽極楽に生きるのが一番。だって、何をするにも自分が決めたことなんだから、後悔はできないでしょう?」 それが口癖だった。 「人生は難しく考えちゃダメなんだよ。そりゃ、ちゃんと考えなくちゃいけないけどさ、楽しく考えて生きる方が、絶対にいいよね」 そしてそれが俺の信条になった時、それが俺とあいつの別れとなった。 Scene.1 悪魔との出会い 静まり返った夜の街を、月の光がやさしく包み込んでいる。 その淡い光から隠れるように、まばらに建ち並ぶ建物の影に紛れて移動する人影があった。 街から少しはずれたこの郊外には、大手の商人たちが自宅として使用している屋敷がある。どの商家も広い敷地に大きな屋敷を構えていた。 影は舗装されているメインストリートを、音も立てずに疾走していく。この街でも一位、二位を争う商人の屋敷に真っ直ぐ向かっていた。 「仕事ついでに、もう一仕事しちまっても、誰も気付かねぇよな」 影――ジム・グローリィはそう呟くと、にんまりと笑った。年の頃は十五、六。まだ少年の面影がずいぶん残ってはいるが、精悍な顔立ちだ。目尻が少々垂れてはいるが。うざったいのか、仕事の為なのか、金色の髪をこれでもかというくらい、短く刈り込んでいる。 屋敷に近付くにつれ、ジムはメインストリートをはずれ、屋敷の裏手に回り込んだ。 裏門の前では、傭兵とおぼしき人影が数人たむろっていた。 「あっちゃー、こっちにも見張りがいやがる。厳重だねぇ……。ま、仕方ないよな。商人ってのは、こんなもんだ」 建物の影に身をひそめながら、ジムは下調べの時に用意した屋敷の見取り図を頭に思い浮かべた。 ジムの今回の仕事は、なんとか屋敷に忍び込み屋敷にあると思われる不正取引の書類や裏帳簿などを取ってくる、というものだった。 よくある話で、この商人は貴族と手を組んで、市場を独占したり、横領などをしているらしい。 娯楽都市カッサと同じサンエイム地方であるこの街だ。そんなことはさして珍しくもないし、当然のことながら、やっかむ連中がそういった奴等をいつ追い落とそうかと手をこまねいている。 ジムの雇い主がまさにそれだ。「市場を独占するなど商人としてあるまじき行為だ」とか、「横領などもってのほか」だとかもっともらしいことを言っていたが、結論は相手の急所を掴みたいということだった。どうせ、雇い主の方も同じ穴の狢に違いない。 市民にとっては、迷惑な話だ。 ジムだって、こんな仕事はしたくはないが、いかんせん財布の中身が寂しくてどうしようもなかったのだ。 「背に腹は代えられないもんなぁ」 高い壁を見上げながらジムは呟いた。ここ数日、ろくなものを食べていない。 壁はジムの身長の倍はあった。 資料の見取り図が間違ってなければ、この壁の向こうが屋敷に一番近く、また、身を隠す所が多いはずだ。 ジムはきょろきょろと辺りを見回して人気がないことを確認すると、ダガーを一本取り出し壁に刺した。ちょうど肩ぐらいの高さである。 そして数ラング(メートル)下がり、息を整えると壁に向かって走り出した。 壁に激突する寸前、全身のバネを生かして跳躍する。 ジムのしなやかな肉体は自分の身長よりも高く飛ぶと、そこにあったダガーを蹴ってさらに跳躍した。 体術と軽業には昔から自信がある。 見事な跳躍力を見せたジムが、壁に手をかけようとした。 その時。 もぞりと、壁が動いた。 いや、正確には壁の上にいた黒い物体だ。 ジムの手はちょうどそこに伸びている。 「にゃおん」 「猫っ!?」 暗闇に、猫の瞳が光って見える。 黒猫は慌てた様子もなく、じっとジムを見つめていた。 「どわあぁぁっ! 見てんじゃねーよっ、早く退けって!」 叫ぶが、黒猫は動く気配がまるでない。このままでは黒猫の背を掴んでしまう。 ジムは慌てて手を横にずらした。 そのため、バランスが崩れる。 ガンッ! 見事に額を壁のカドにぶつけ、ジムはのけぞった。額が切れたようで、血が吹き出す。 そしてそのままバク転するように、顔面から地面に突っ込んだ。 運の悪いことに、そこには先程足場にしたダガーが転がっていた。 額をさらに切ってしまい、だくだくと血が流れだす。血の海が広がった。 「……いつ死んでもいいと思っていたが、こーゆー死に方はねぇだろう……」 猫に驚いて、手を滑らせて死ぬなんて。 遠くなる意識の片隅でそんなことを思いながら、「死」というものは案外こんな簡単に訪れるものなのかもしれないと納得する。 「にゃぉおん」 降りてきた猫がジムのそばに寄ってきた。そして人の気配も。 「…………」 なにか言っているようだが、すでにジムの意識は深い闇の底へと落ちていた―― ジムが目を覚ますと、そこはごく普通の部屋だった。 昔は白かったのだろう、黒ずんだ壁に木の扉。窓からは太陽の光が射し込んでおり、ちゅんちゅんと小鳥のさえずる声が聞こえてくる。 この国ではよくある普通の宿屋の朝の風景だ。 「う……」 ずきずきする頭を押さえながら、ジムはいつものようにベッドから起き上がった。 包帯が巻いてある。 「あれ……?」 なぜ包帯が巻いてあるのか、よくわからない。 「俺、商人の屋敷に忍び込んだはずだよな……?」 いまだはっきりしない頭を軽く振って、昨夜の記憶を引っぱり出す。 「ええと……商人の屋敷の側まで行って、裏口に人がいたから別の所にまわったんだよな……そこで壁を越えて……猫に……」 ――思い出した! そう、壁を飛び越えようとしたら、猫がいて、手を滑らせて真っ逆様に落ちたのだ。 「……俺、死んだんじゃないのか……?」 落ちた拍子に額を切り、出血多量で虫の息だったはずだ。 あのまま、誰にも気付かれず倒れていれば、いずれ死んでいたはずだ。気付かれたって、ほうっておかれるか、通報されるか。通報されたら、あそこで何をやっていたのか調べられるに決まっている。どっちにしろ、ロクな目に遭わない。 だが、手当をしてもらっていることを考えると、そのどちらでもないようだ。 「……いったい、誰が……と、ちょっと待てよ……あの時、猫と人の気配がしたような……」 おそらく、その人物が手当をしたのだろう。 ということは、傭兵だろうか。あの屋敷の周辺にいたのは警備していた傭兵ぐらいなものだ。 しかし、傭兵ならば、侵入しようとしていた不審人物の手当をするだろうか。依頼主に引き渡すのが普通なのだが…… ジムが考え込んでいると、扉が開かれ、小柄な少女が洗面器を持って入ってきた。 年齢はジムと同じ十五、六歳だろう。黒い髪をふたつにわけ、耳の上あたりでこぶのようにまとめている。三つ編みをしてそれを巻いているようだ。それが幼い顔によく似合っていて可愛らしい。 くるりとした大きな瞳が二、三回瞬きをすると、嬉しそうに笑った。 「あ、よかった、起きたんだ。調子はどう? 一応治療したんだけど、まだ動かない方がいいよ」 少女はにこにこと笑いながら、ベッドの脇に置いてあった椅子に座る。 「……あ、あんたは……?」 「アルメリア。アルメリア・ドゥルーラ。君は?」 ジムの問いに答えながら、洗面器を台の上に置くと、その横にあった救急箱から包帯を取り出した。 「お、俺は、ジム・グローリィ。で、なんで……」 「はい、包帯取り替えるから、じっとしててね」 そう言って、アルメリアという少女は手早く包帯を取り替える。ジムはされるがまま、おとなしくしていた。 「助けてくれて、ありがとう、アルメリア。とりあえず、礼を言っとく。それで、あんたはいったい誰なんだ? どうして、俺を助けてくれたんだ? 俺を助けたところであんたに利があるのか?」 包帯を巻き終えたアルメリアに、ジムは矢継ぎ早に質問した。わからないことだらけだからだ。一応、仮説は立ててみたものの、納得のいく答えは見つからなかった。ジムを治療しても得するとはとても思えない。ならば、直接聞いた方が早い。 アルメリアは、驚いたようにぱちくりと瞬きすると、 「怪我してる人を助けちゃ、ダメなの?」 逆に聞いてきた。 「……そ、それは……」 一般的に美徳とされているが、ジムにはあまり関係のないものだった。 ジムの周りの世の中は常に食うか食われるか。失敗すれば、いずれ死に繋がる。だから、この世界に身を置いたのだから。 「世の中には、お人好しもいるの。それじゃ、ダメかな? それにね、ノエルが君を怪我させたんだから、飼い主であるあたしが君を助けるのは当然でしょう?」 ジムの顔を覗き込みながらそう言った少女の表情が、ひどく大人っぽく見えた。 どきりと心臓が驚いてしまうほどに。 (……な、なんだ……俺、どうしたんだ……) ジムはそんな動揺を必死で隠すように、そっぽを向くと、ぶっきらぼうに言い放った。 「じゃ、じゃあ、仕方ねーよな、あんたのペットが…………って、ペット!? あの猫の飼い主!?」 言葉の意味を理解したジムが勢い込んで言うと、アルメリアはこくんと頷いた。 「にゃおん」 アルメリアの足下で、肯定するようにノエルと呼ばれた黒猫も鳴く。 ジムの顔が怒りに満ちた。黒猫の首を絞めるようにひっつかんで怒鳴り散らす。 「おめーかぁっ! おめーのせいで、仕事がパァになっちまったんだぞ! わかってんのか、コラァ! おめーがあそこにいなけりゃ、俺は仕事ができたんだっ! なんで、俺の邪魔をした、え!? クソ猫!」 「にゃ――っ!?」 ノエルが泣き叫ぶが、ジムは聞いちゃあいない。ぶんぶんと猫を振り回している。 「だって、あたし達、あそこを警備してたんだもん」 「へ!?」 思わず動きを止めるジム。ノエルはぐったりとしていた。 ジムの手からやさしくノエルを放させると、アルメリアはにっこりと笑った。 「なんだとっ……!」 ジムは反射的に跳ね起きると、枕元にあった愛用のマンゴーシュを手に取り、構えながら窓から外の様子をちらりと見た。 「あ、大丈夫よ。君のことは、依頼主には言ってないから」 「じゃあ、なんで助けた」 アルメリアを睨みつけながら、ジムは声を固くした。いつでも飛びかかれるよう、構えている。 「だから、さっきも言ったでしょ……」 「信用できねぇな」 そう、信用できるわけがない。さっきはどうかしていたのだ。傷のせいで判断力が鈍っていたに違いない。 「だって、ジム君、まだ子供じゃない。子供の魔が差したのを、引き渡すわけないでしょう?」 「誰が、子供だっ! 俺はもう、十五だ! あんただって、そうたいしてかわんねぇだろうがっ!」 子供呼ばわりされ、ジムは怒鳴った。 「あら、お姉さんよ。あたし。今年で十九になるんだもの。ほら、四つも年上」 きゃはは。と笑うアルメリアのその顔は、どう見ても、十五、六。いや、それ以下にしか見えない。 「嘘つけ」 「あーっ、心外! 女の子が、恥を忍んで年齢を言ったのよ。それを嘘だなんて、おねーさん、泣いちゃう」 きっぱりと切り捨てたジムへの当てつけか、アルメリアは両手で顔を覆い、しくしくと泣き始めた。ノエルが心配そうに「にゃーん」と鳴きながらアルメリアの足にすり寄っている。 こうなると、ジムは弱い。どうしていいのかわからなくなる。十九歳という年齢が本当なら、年甲斐もなくと思わないでもないのだが、見た目が幼いため、小さな女の子を泣かしているという罪悪感がどうしても沸き上がってくる。 ぽりぽりと頬を掻きながら、ジムは対応に困っていた。 依然アルメリアは泣きやむ様子がない。 「……あー、あのさ、俺が悪かったよ。手当をしてもらったっていうのに、ひどいこと言った。ごめん」 ジムは肩をがっくりと落とし、大きくため息をつくと、諦めたように言った。 「なら、許してあげる」 すぐに顔をあげ、にっこりとアルメリアが笑う。泣いていた様子などみじんも感じられない。ジムの表情が怒りでいっぱいになる。 「だーっ! てめー、嘘泣きしてやがったな! くそったれ! てめーなんざ、もう信じねえっ!」 「ひっどーい、ジム君。人を疑ってかかるなんて!」 アルメリアが口元に拳を当て、瞳をうるうるさせているが、ジムは相手にせず、荷物をまとめはじめた。 「いったい、どうやったら、そんなひねくれた性格に育つわけ?」 そんなジムの様子に唇をとがらせていたアルメリアは、ぽんとひとつ手を叩くと、とんでもないことを提案した。 「そうだ、あたし、ジム君についていってあげる!」 「はぁ!?」 突然の申し出にジムは間抜けな声を上げてしまった。 アルメリアは自分のすばらしい提案に、うんうんと納得している。 「だって、ジム君やさしい子だもの。人を信じられないなんて、悲しすぎるわ! だから、そのひねくれたところ、あたしが治してあげる! ね、ノエル。いい案でしょ?」 「に、にゃぁ……」 ノエルはいやがっているようだ。そりゃそうだろう、ジムには殺されかけたのだ、できるなら、爪で思いっきりひっかいた後、生ゴミにでも出したいくらいだろう。 「……大きなお世話だ」 ジムはそう呟くと、出て行こうとした。しかし、腕にアルメリアがしがみついてきた。 「じゃあ、治療費と宿代払って」 「…………」 しぶしぶズボンをまさぐる。しかし、財布はなかった。服のあちこちをまさぐってみるが、財布が見つからない。 アルメリアと目が合った。 すると、アルメリアの黒い瞳がにんまりと猫のように笑う。アルメリアの手には、ジムの財布が握られていた。 「てめぇっ!」 「ジム君、これじゃ足りないよ。宿代だって払えない」 それはジムもわかっていた。 「どうする?」 悪魔の笑みとは、目の前にあるものと同じものなのかもしれない。 ジムは口元をひきつらせながら、ぎこちなく頷いた。 これが、俺とあいつとの出会いだった。 |