Forget-me-not


「ちょっとだけ・・・お願い・・・お、お姉ちゃん・・・・って呼んで・・・」




それが、彼女の最後の言葉だった。



ロックアックスの城で脇腹に矢を受け、息も絶え絶えの下から、そう呟いた彼女。

死んでしまう、死んでしまう・・・

その恐怖心から、溢れる血を止めようと、夢中で、両手で傷口を覆った。
まるで彼女の生が流れ出してしまうのをくい止めようとするかのように。
その、不気味なほど暖かな感触。

「ケンカ・・・しないで」
彼女は最後まで自分たちを気にかけていた・・・・そうして、気にかけながら、逝った。








闇の中を、うつろな視線が浮かぶ。
何を見ようというわけでもなく、向かう先に何があるというわけでもない、焦点すら合わない目線。

人気の絶えた深夜、紅龍城の立つ湖畔には更にもまして人の気配は無かった。
漆黒の闇が、どんよりと澱のように、湖とそこに浮かぶ小舟を包む。
小舟はしばらくすると風を受け、まるで闇の中に吸い込まれるように岸を離れていく。
そうして、その小舟の片隅に、膝を抱えてうずくまる彼がいた。
その左腕と左の腿にはうっすらと血のにじむ白い包帯。
未だ傷口のふさがらないそれは、ロックアックス脱出の際、ナナミを運びながら受けた傷だった。

誰にも会いたくなかった。
城のあちこちで受ける自分への沈痛な視線にイヤでも現実を思い知らされる。
シュウがそんな自分に君主としての義務と責任を説き、おそらく政治工作と士気向上の手段としての国葬を行うと断言してきたが、どうでもよかった。

何も見たくない。
何も考えたくなかった。

「もお〜!いっつも二人でどこかへ遊びに行っちゃって、私だけ仲間ハズレってどういうこと?」
懐かしい、その声
気がつけば、いつもいつも自分の傍には明るい笑顔と声があった。
自分を包む優しいその雰囲気。

「どっか・・・どっかさあ、遠い、遠いところ。ハイランドも都市同盟も聞いたことのないところまで逃げようよ。なんとかなるよ。いや、お姉ちゃんがしてみせるから」

最後の最後まで、逃げようと主張し続けてたナナミ。ジョウイと自分が争うのを何より悲しんでいた。
それでも、いつもいつも、死の寸前まで自分の傍にいてくれた。

「シャオローン」
振りかえると、決まって日向の向こうで自分を呼んでいる義姉がいた。夏の午後の日差しと土の匂い。咲き誇るひまわりの花と真っ白なシーツを抱えるナナミ。
その懐かしい光景に、うつろな目をしていたシャオロンの瞳が大きく見開かれる。
「ナナミ・・・・」
ぼつりとした呟き。
それでも・・・突き上げるような慟哭に相反して、いや、それが深すぎるゆえに、涙は・・・・出なかった。

「だいじょうぶ、だいじょうぶだよね」
自分とジョウイが敵対関係になってゆく絶望の中で、いつも希望を見いだそうとしていた彼女。
ナナミは自分とジョウイを信じていた。彼女が信じてくれていたから・・・頑張れた。
誰よりも強い義姉。
誰よりも優しい義姉だった。

どうして彼女の願いを叶えてあげなかったのだろう。
そうすれば、彼女は死なずに済んだ。すんだ・・・ハズだった。

「ごめん・・・・・」

そういって、許しを請うべき人は、傍にはいない。
もう・・・・どこにもいない。

「おねえ・・・ちゃん・・・・」
守れなかった。
彼女に甘えるだけ甘えて、守っているつもりが、守られていた。

抱えた膝に顔を埋めて、シャオロンは強く目を閉じる。
心臓をもぎ取られるような喪失感が胸と喉の奥を焼く。
せり上がる慟哭と悲憤。
かみしめる唇からは血の味がした。
けれども、泣けなかった。
失ったものがあまりにも大きくて。
悲しみがあまりにも深くて。
泣くことさえ・・・できなかった。

ナナミ・・・・
ナナミ・・・・

シャオロンはカラカラに乾いて充血した瞳を見開き、突き上げてくる何かに耐えるように、一人、小舟の中で身を震わせていた。








撤退後、ジョウイは事後処理に忙殺されていた。
軍の陣形の建て直しや、志気の向上、さらに今後予想される総力戦に向けて、政敵への工作や戦力の増強など、すべきこと、しなければならないことは山のようにあった。
それら一つ一つを休むことなく、まるで精巧な機械のように冷徹にこなしていくジョウイに、周囲の者は畏怖・・・・いや、もっと強い、一種の恐怖さえ感じていたのだが。

しかし、そんな周囲の目とは裏腹に、ジョウイは自己嫌悪と不安に責めさいなまれていた。
あきらかに優勢だった自軍への撤退命令。それを出したのは他ならぬ自分。
引くべきではない。少なくとも一国を担う立場にいる自分がおこなう判断ではなかった。

――――――――――――できなかったんだ

ナナミを・・・瀕死のナナミを目の前にして、自分は逡巡した・・・一瞬だけ、君主の立場を忘れた。

撤退命令を出すジョウイにシードもクルガンも何も言わなかった。
一度だけ驚いた顔をした後、何も言わず、静かに命令を遂行し、およそ無茶とも言える撤退戦を行った。

―――――――――――――すまない

呻くような謝罪。しかし、その感情に覆い被さるように別の不安が重なる。

・・・・・・ナナミ

彼女は、無事だろうか。あの後、無事に逃げ延びて一命をとりとめてくれたろうか。
いや・・・・
心の奥底から沸き上がる、どす黒い不安をうち消すように、ジョウイは首を振って強い肯定の念を込める。
そうでなくてはならない。そうであってくれなくてはならない。
ナナミが・・・・彼女が助からないはずは、絶対にないのだから。
そのために自分は、あの無謀な撤退を行ったのだから。

ポタリ・・・・

気がつくと、左の肩口からにじみ出していた鮮血が、包帯を染め、白い皇王服を紅く汚して、握りしめていた書類の上に滴り落ちていた。
「ジョウイ殿」
傍にいたレオンが手を伸ばす。
「触るな!」

彫像を思わせる白いジョウイの顔に、瞬時、獰猛な怒気が宿った。
手負いの獣のような、凄味のある鋭い双眸。
その気迫にレオンは竦み、息を飲んだ。


「血が・・・」
努めて平静を装い、「包帯を変えませんと」と 受け流すレオンだったが、内心の動揺は青ざめた顔色によって隠し切れていない。
そんなレオンを見て、ジョウイは己の荒みぶりに皮肉な笑みを漏らす。

「大丈夫だ。少し・・・・風に当たってくるから」

そう言い残し、傍にいたクルガンが差し出したコートを受け取ると、ジョウイは裏庭へと通じるドアを開けて出ていった。

「お・・・お一人にして、大丈夫でしょうか?」
側近の一人が怯えながら、それでも、警護のことを気遣ってそう口を開く。
「大丈夫だよ。むしろ・・・一人にしねーほーがアブねーんだ」
入ってきたシードが、ドアにもたれながら疲れたように前髪を書き上げてそう答えた。実際、疲れているのだ。
「俺達も、少し、休もーぜ」
疲弊し、緊張しきっていたその場の雰囲気が、ふっと休まる。
・・・・・本当にコイツは人をよく見てやがる。
そう思いながら、クルガンはシードの持ってきたパンとワインを皆に回すのだった。








ごつっ・・・と、小舟の舳先が何かにあたった。
その音と微かな衝撃で、シャオロンは現実に引き戻される。
どうやら、湖のどこかの岸にたどり着いたらしい。草と木が生い茂る小さな縁に小舟はその舳先を着けていた。
月は雲に隠れ、星さえ瞬いていない漆黒の闇の中、黒々と生い茂る木々は、まるで自分を深淵の澱に誘っているかのようだ。
その闇をぼんやりと眺め、膝を抱えたまま、シャオロンはじっと小舟の中にうずくまっていた。

どれほどそうしていたのだろう。
ふと気づくと、その闇の中に微かだが動く者の気配があった。
カサリ・・・・カササリ・・・
さらに近く。
カサリ・・・・
「誰?」
緊張が走る。目を・・・闇にこらした。
その、黒ぐろとした木々や生い茂る草むらから見え隠れするもの・・・・。

赤い・・・禍々しいほど赤い敵意と憎悪に満ちた無数の目。


モンスター・・・・。


戦慄しながら、戦いに慣れ親しまされた本能が、素早く目を走らせ敵の数をはじきだす。
5・・・・10・・・・・20
どこから集まったのだろう。あるいは自分の血の匂いを嗅ぎつけたのだろうか。
通常では考えられないほどのモンスターの数が、そこにあった。

とっさにトンファーを構えようと手を探る。
!!!!!!!
しまっ・・・・!!!
トンファーは城の中に置いてきていた。その上、自分は左足と左腕に怪我を負っている。
さらにまずいことに、紋章の力は撤退戦で使い果たしていた。
背筋に冷たいものが走る。

どうしよう・・・。

目の前の敵は、うなり声をあげ、獲物が手負いと知って、舌なめずりしながらじりじりと間合いを詰めてくる。

ふと、目の端に、太い木の枝が見えた。距離は小舟から1.5メートル。

瞬間、数匹のモンスターが小舟めがけて跳躍した。同時にシャオロンの右足が船底を蹴る。
間一髪で、モンスターの攻撃から逃れ、両手が木の枝にかかった。そのまま、反動を利用してモンスター達の背後に着地する。
着地と同時に、右のモンスターの首に手刀をたたき込む。その重心を利用して、回し蹴りで背後の数匹を屠った。
右足を軸に横飛びに飛び、更に数匹に手刀を食らわせる。
が、その衝撃で左腕の傷口が開き、モンスターの血とともに自分の鮮血が飛び散った。
・・・・っつううう・・・。
思わす呻いた一瞬、一匹のモンスターが突進してきた。避けられず、まともに食らって、後方の木にしたたかに背を打ち付けた。
バウンドして跳ね返るほどの強打に思わず息が止まる。
続いて襲ってきた一匹の牙を横転してかろうじてよけた。

どうしよう・・・・。

更に襲い来る爪を転がりながらよけ、何とか立ち上がろうとあがく。
そこを、牙が襲った。
うわあああああ!
左の肩口に深々とかみつかれ、渾身の力で引き離し、相手の喉口に腕を突っ込んで、息を止めた。
もう一匹の攻撃を避けようと、飛びすさった場所に頭から突っ込んだ。

ナナミ・・・・・

そこは、血だらけだった。自分の血と倒したモンスターの血。
その中に、血に染まって倒れている自分がいる。

ナナミ・・・・・


自分は何をしたかったのだろう。
ジョウイはあの時、もう選んでいたのに。
自分に何が出来ると思っていたのだろう。

愚かな自分。
愚かな自分。
ナナミでさえも守ってあげることができなかった。

喉の奥から呻くような声があがる。

あんな事は・・・・誰も望んでいない。
自分もジョウイも・・・望んでなどいないはずなのに。

くらくらする頭を上げ、ゆっくりと周囲を見渡す。
霞む視界の先には、ぐるりと自分を取り巻くモンスター達の目があった。
禍々しい、その、目・・・・。


どうして・・・・・

まだ・・・死ねない・・・のに。


口の中は、あの、独特のさび臭い味と匂いがした。

ナナミ・・・・・
大好きだった。大切だった。
その、義姉の名を呼ぶ。

死ぬの・・・・かな・・・・。

薄れゆく意識の中で、シャオロンは微かな青白い光を見た。見た、・・・と思った。


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うはあ。く・・・暗いっすね・・・(自爆)。主君泣きっ面に蜂状態です(汗)。
しかも、続いちゃってるし、ジョウ主シーンなんて、全然出てこないし(涙)。
あ・・・でも、後半に出てくる予定です。ヘボですが・・・・(汗)。
しかし、こんなお話、受け入れてもらえないだろうなあ・・・(遠い目)。
・・・っつーか、読んでくれる奇特な方っているのだろうか・・・。




モドル