草の海  〜ツァオ ハイ〜

 彼の母は草原をたゆたう遊牧民族の子孫だと聞いた。


誇り高く、必要とあれば騎馬にまたがり、その卓越した馬術で襲い来る他国の侵略をはねのけてきた。
 そうして、奇跡的なまでに物を持たない、およそ、蓄財とか富貴などの言葉を知らないかのような、無欲といっても良いほどの民族だと。

 生きるのに必要な最小限の家畜と家財を持ち、その季節の最も良い草を求めて草原を遊牧する民族。
 音楽と自由を愛し、気候の厳しさゆえに、限りなく人に優しく、穏やかだが内なる情熱は太陽のごとき人々。

 それが、マオの母の一族だった。

「坊ちゃんは、お母様の血を色濃く受け継がれたんでしょうね」
「そうかい?」
「ええ。坊ちゃんは無欲ですからねえ。」

あの、主人にとっては悲劇であった戦争が終わると、グレミオの「坊ちゃん」であるマオは、トラン共和国となったその大統領からのいっさいの援助を断り、ただ、自分の生家と荘園をほんの少し残してくれるように頼んだだけだった。
そうして、その家と荘園を人に貸し、そこから得られる賃貸料を唯一の生活の糧として、グレミオとともに放浪の旅に出たのである。

本来なら、建国の英雄として、どれほどの富貴もどれほどの豪華な旅も思いのままだったろうに、それを潔しとせず、いやむしろ嫌いきって、彼は、およそ質素とも言える旅を続けていた。

泊まる宿屋は良くても3流。時には野宿さえも厭わぬマオに、グレミオは別な意味で、彼の精神が内へと向かわないのに安堵していた。

「そこが坊ちゃんらしんですけどね 」
しかし、にっこりと穏やかに笑うグレミオの笑顔に返されたマオの笑顔は、いまだに硬い。
あの戦争で払ったマオの犠牲はあまりにも大きかった。
そのことが、彼の精神に大きな傷を負わせ、その傷が日に日に彼の心を摩耗させていることをグレミオは知っていた。
同時に、すり減る精神がきしみをあげ、彼を追いつめていることも・・・。


笑えない。泣けない。喜べない。何も・・・感じない。


毎日の出来事が、まるでオブラートをかけたようにマオの目の前を通り過ぎていく。


それは、マオ自身にもよく分かっていたらしい。
彼は進んで体を動かし、意識をこの現実に留めなければいけない状況をいやおうなく作り出していったから・・・。
野宿も・・・いってみればその方策の一つ。
野宿をすれば、1流の宿屋に泊まるより、少なくとも安全な旅を続けるために、注意を払い、体を動かし、知恵を巡らせて立ち回らなくてはいけないことが、山のようにできたから。
そうして、その様な旅には、戦争中に身につけたサバイバル術も少なからず役立ってはいたのだけれど・・・。

「皮肉なものだよね。」
ある時、日没までに村にたどり着けず、街道脇で野宿となった。
その夜、獣や魔物を寄せ付けないために炊いたたき火の傍で、マオが珍しく言葉を発した。

「あれほど嫌っていた、戦いの時の知恵が役に立っているなんて」
「坊ちゃん?」
たき火に小枝をくべようとしていたグレミオは、マオの意図するところがつかめずに、思わずその手を止めて彼の顔を見る。

その刹那。

マオは真っ赤に燃えた薪の一本を取り出すと、不意に自分の右手の甲に押しつけた。
「坊ちゃん!!!」
じゅっと音がするその手をとっさに掴みあげ、グレミオは慌ててマオの左手から熱い木の枝を取り上げる。が、すでに右手はひどく焼けただれ、肉の焦げるいやな匂いを発していた。

「なんてことするんです!みず・・・水を!」
すぐさま側に置いてあった水桶にその手を突っ込むと、グレミオは水の紋章を使って出来る限りの治療を施そうとした。
が・・・、
「触るな!」
返ってきたのは思いも寄らぬ言葉。
「ほっといてくれ!こんな、こんな紋章なんかっ!!!」
顔を苦渋にゆがめ、絞り出すような声を発するマオ。
そんなマオをグレミオは呆然と見つめることしかできないでいた。

「死にたい」
「坊ちゃん?!!」

「死んでしまいたい」

それは、その昔、誰よりも快活だった主人から漏れた、あまりにも悲しい言葉。

「テッドも父さんも・・・大切な人はみんな死んでいった」
「いずれ、お前だって僕を置いていく」
「みんなを不幸にする、こんな不吉な紋章を抱えたまま何百年も生きて、一体どうなるっていうんだ!」

「坊ちゃん!!!」
再びたき火に手を突っ込もうとするマオを渾身の力で引き留め、グレミオは必死になって叫んでいた。
「何を言うんです坊ちゃん!ダメです!グレミオは許しません!」
涙を流し、マオの両腕を掴んでがくがくと揺さぶりながら、かすれた声でグレミオは叫ぶ

「人は・・・生き物は・・・天の神さまがもういいっていうまで生きなきゃダメなんです!!!」

叫んだ自分でも思いも寄らぬその言葉・・・。
グレミオは泣きながらマオを腕の中に抱きかかえた。まるで、何物からも彼を守るのだとでもいうように・・・。



「神さまが・・・・もういいって・・・いうまで・・・?」
「そうです!だから・・・!」



「神さまが・・・もういいって・・・?」






マオは、たき火に映された二人の影をじっとみつめた。みつめながら、呪文のようにその言葉を繰り返していた。









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