緑陰航路


 その部屋からは、大きな河と河に沿って並ぶ異国風の建物や並木道が見えた。



 煉瓦造りや紫檀の凝った窓枠をはめた優美な建物は、そのどれもが河側に窓を持ち、二階のテラスから、または寝室や居間の窓から、朝晩や季節ごとの河の風景、また、そこを行き交う帆船の航行が眺められた。
 河沿いの道には数十メートルに渡って樹木が植えられ、道の両脇いっぱいに枝を伸ばしたその木々は、その下を行き交う人々のために涼しそうな緑の木陰を作っている。

 部屋から一歩外へ出れば、樹木の下には水蜜桃や西瓜売り、糖葫芦(タンホゥール)と呼ばれるサンザシの実に飴をかけたお菓子や冷たいソーダ水・お茶売りなどの物売りがひしめいて、河から吹く風の爽やかさも、夏の暑さとともに人々の喧噪の中に混じって消えていくようだった。

「糖葫芦!好吃 勒!タンホゥール! ハオチ レイ!(タンホゥールおいしいよ!)」
「剛摘下来的新鮮水果!ガンジャイシャアライダ シンシェンシュイグオ!(とれたてのみずみずしい果物だよ!)」

様々な物売りの声を浴びながら、夏の日差しを避けて並木道の樹木の下を足早に歩いていた少年は、そこでふと足を止め、たどたどしい異国の言葉で物売りに話しかける。

「有没有桃子?ヨウメイヨウタオズ?(桃はある?)」
「当然有!又甜又好吃! ダンランヨウ! ヨウティェンヨウハオチ!(もちろんあるさ!甘くて美味しいよ!)」

赤いノースリーブに黄色いスカーフを巻いた少年は、その可愛らしい顔立ちには似ず、きっちりと値段をねぎって約10個の桃を買い、そうして、木々の並ぶ大通りから裏通りの小道へと姿を消していった。
そろそろ日差しがきつくなる時刻だ。それが一番きつくなる前に、この売り物をさばいてしまわなければならない。物売りはひとしきり伸びをすると、再び大通りを歩く人々に威勢のいい声を掛け始めた。
ふと、後ろに目をやれば、その少年の十数歩後を、青い袖無しの服を着た金の髪の少年が、まるで後を付けるように歩いている。だが、忙しいこの街の人々は、誰もそんなことは気にも止めないようだった。




「ああ!くそう!」
裏通りを数十メートル歩き、まるで迷路のようになっている入り組んだ路地の先で、ジョウイは自分の幼なじみを見失ってしまった。
ふうとため息をつき、額の汗を拭う。この街の裏通りの入り組んだ路地はどうも自分には苦手だ。
「でも、まあ、昨日よりは進歩したかな?」
昨日は彼をつけていて、もっと手前の建物の横で見失ってしまった。その事を考えると、今日はずいぶん尾行が進展した。
その事実に今日は納得しようと、ジョウイは今来た道を引き返し始める。
よく知っている大通りに出た後、今日は飯店(宿屋)に帰る前に公園を通っていこうと、通りを横切った。

季節はほんのちょっと歩いて走っただけなのに汗ばむ陽気になっていたが、通りを吹き抜ける川風が汗ばんだ肌に心地よい。
ソーダ水を言葉の通じない物売りから身振り手振りで何とか買い求め、ジョウイは樹木が美しく植えられ、蝉の鳴き盛る公園へと足を踏みいれた。
その公園は小さいながらも各ブロックごとに東屋が設けられ、池に面した東屋の周りには竹林や樹木、季節の花々が植えられている。また、東屋の面している各池は涼しげな緑柳に囲まれ、その池と池は小川で結ばれているという、まことに異国情緒溢れる場所だった。
ジョウイは公園の左手にあるお気に入りの東屋に足を向ける。そうして、竹林の木陰にある東屋に腰をかけ、その欄干に寄りかかって、風に揺れる柳の枝と池に咲き誇る桃色の蓮をぼんやりと眺めながら、ふと、この街に来たいきさつを思い出していた。




そもそも、この地に旅しようと提案したのはジョウイだった。
あの戦いが終わり、ナナミが生涯の伴侶を見つけて自分と彼だけになった後、二人はいくつかの拠点を設けて旅をするようになっていた。


それは、ホンの些細なきっかけで・・・・。


「シャオロンって不思議な響きだよね」
ある日、長雨のしっとりと緩やかな午後に、二人でゆっくりと居られる幸福に浸っていたジョウイは、ふと思いついた疑問を口にしていた。それは、本当に深い意味のない、単なる思いつきの言葉でしかなかったのだけれど、その傍らで暖かいお茶を注いでいた幼なじみは、一瞬ビックリして目を見開き、それから何故か、恥ずかしそうにこう答えた。
「うん。ゲンカク爺ちゃんがつけてくれたんだ。正確には、こう発音するんだよ」
そういって、彼は自分が聞いたこともない声調で己の名前を口にした。
その響きで映し出される彼の名は、まるで知らない人の名のようで・・・。
でも、不思議と心安らぐその音色に、僕はその言葉を話す異国への興味を引き出されずにはおられなかった。
「へえ。綺麗な音だねえ。僕たちの育ったキャロでは聞き慣れない発音と声調だね」
「遠い東の国の言葉だってじいちゃんがいってたよ。」
コポコポと茶を注ぎ、香りの良いお茶を僕の前に差し出しながら、シャオロンは大きな目を細め、懐かしそうに今は亡き自分の養父を語った。
「どんな字を書くんだっけ?」
「え?ジョウイ、忘れちゃったの?」
一瞬、哀しそうに彼の顔がゆがむ。
あ!しまった!そんな顔をさせるつもりじゃなかったんだ。失敗失敗!
僕は自分の失態を悟り、からかうのを止めた。そうして、彼の入れてくれたお茶を一口すすり、美味しいと呟きながら、シャオロンの顔をじっと見つめてゆっくりと答える。
「うそだよ。ちゃんと覚えてるよ。゛小龍゛こう書くんだよね」
僕はテーブルの上に指で二つの文字を書いた。小さな龍と書いてシャオロンと読む、それが彼の名前だった。
「うん!僕を拾ったときにくるまっていた布の文様に龍の刺繍があったから、そうつけたんだって」
ひときわ嬉しそうに話す君につられて僕も嬉しくなる。
「へえ。龍ってドラゴンのことだよね」
「うん。それ知ったとき、なんか怪物みたいな名前だなあって思ったよ。正直。」
あはは・・・と、照れながら、でも、少しも嫌そうじゃなく彼は笑った。
「そんなこと無いよ。ドラゴンも龍もどっちも想像上の生き物だけれど、龍は東の国では神聖な生き物だそうだよ」
「へえ!そうなんだ!ジョウイは物知りだなあ!」
ぱあっと、見てるこちらまで幸せになりそうな笑顔のあと、ひときわ感心したように君はうなずいていたっけ。
彼は自分の出自を知らない。彼がゲンカク師匠に拾われた孤児なためだ。それは彼の姉ナナミも同じだったのだが、おぼろげながら小さなときの記憶がある彼の義姉に比べて、まったく記憶のない彼は、自分のことが一つ明らかになるたびに、それは嬉しそうな顔をした。
そんな彼の顔をもっと見てみたくて、つい、口について出てしまったのだ。

「ねえ、シャオロン。君の名前の言葉を話す国に行ってみないかい?」・・・・・と。






この地は広大な大陸の海沿いにあり、街の端に海へ注ぐ大河を抱えていた。

大陸から流れてきたその河の水は、黄土と呼ばれる黄色い土砂を多く含み、海沿いのその街の河にたどり着いたとき、海から流れ込む透明な水とぶつかって、綺麗に二つの水の色に分かれて海へと流れ込む。
比重の関係から、この二つの流れは決して交わることはないのだと、何かの本に書いてあったのをジョウイは思いだしていた。
「ここの河口では淡水魚と海水魚が一緒に捕れるんだってさ」
「へえ。面白いね」
本で仕入れた少しばかりの知識を披露すると、シャオロンは本当に感心したように僕の話を聞いた。

海に向けて開かれたその街には、様々な地から帆船が訪れ、また旅立っていき、貿易港としての活気を呈している。
だが、一歩中にはいると、街はその大河から引いた水で小さな運河を縦横無尽に張り巡らせ、それが生活の水路となって、この街の人々に静けさと交通の便利さを、旅人にはまたとない情緒と街の構造の複雑さを提供していた。

その街に着いて、大きな川沿いの飯店(宿屋)の三階に宿を取った僕たちは、はじめの数日、何もかもが物珍しく、二人で色々なところへ出かけたり、買い物をしたりしていた。

けれど、そんな時期も過ぎると、僕たちは自然と別々の行動をとることが多くなった。
なぜなら、僕は言葉が分からないまでも、この地の歴史や風俗に興味があり、本屋や図書館といった書物が多くあるところへ行きたくなり、反対にシャオロンは帆船の行き交う港や、様々な品物が並ぶ市場や商店など、人や物の多く集まる場所へ行きたがったから。
やがて僕たちは、夜遅くても○時には飯店で落ち合うことを約束し、自分の興味の持つところへと飛び出していくようになった。

そんな頃からだ。
シャオロンの不審ともいえる行動に気づいたのは・・・・。
朝早く出かけ、時には二人では食べきれないほどの食物を買い、夕方には半分になったモノを宿屋に持ってくる。
西瓜だったり小籠包だったり油条だったり・・・。

誰かと会っている?

人当たりが良く、誰にでも好かれるシャオロンだ。市場あたりで知り合った地元の人間と親しくなっても不思議ではない。

・・・・ならば、どうして自分には紹介してくれないのだろう・・・・。
自分に会わせたくないような事情でもあるのだろうか。
そんな疑問がふと頭の隅をよぎる。

彼を信じている。この世でたった一人の片翼とも言える人間。
なにか、きっと理由があるのに違いない。それとも、そのうち会わせてくれるつもりかも・・・・。

けれど、どのような理由も言い訳も、ジョウイのざわめく心を沈めてはくれなかった。

一体誰と・・・・何をしているんだろう。

その疑問はジョウイに強烈な嫉妬心をおこさせていた。
聞きたい・・・・気軽に彼に聞いてしまえばいい。一体何をしているのかと。

でも、ジョウイは聞けなかった。
かわりに自分の焦燥感は、シャオロンの後を付けるという行為となって現れる。
充分後ろめたいことだとは知りながら・・・・。

ジョウイはここ数日、シャオロンの尾行に明け暮れていた。





サアアアア・・・・



公園の東屋で、物思いに耽っていたジョウイがふと気づくと、しっとりとした小雨が辺り一面の緑を潤している。
どうやら、夏の午後の通り雨のようだ。
「雨か・・・・」
頬杖をつき、ぼんやりと東屋の屋根から落ちる滴を見ていると、

「『梨花一枝、雨を帯ぶ』といった風情ですね」

不意に自分の横から声がした。

横を見ると、いつの間にか一人の男が自分の隣に座っている。
すらりと背の高い、二十歳前後といった感じの青年だ。整った顔立ちと銀の髪、理知的なブルーグレイの瞳が切れ長な瞼の中で輝いている。服装はこの地のモノだが、自分たちと同じ言語を話すのは、北の方の出身かもしれない。
異国で同郷の者を見つけたとき、つい話しかけたくなる心情はジョウイも十分理解できた。なので、この青年もその類なのだろうと、最初ジョウイはそう判断した。

「『長恨歌』ですね・・・確かにこの雨はそんな詩にぴったりですが・・・。でも、ここに梨の花(美人)がいないのが残念ですね(笑)・・・」
そろそろ小降りになってきた空を見ながら、ジョウイがそう返すと、男はニッコリと笑って
「ほう。異国の方なのに『長恨歌』をご存じとは。博識でいらっしゃる」と感心した後、
「でも、あなたは間違っていますよ。梨の花はちゃんと咲いているじゃあありませんか」
「?」
ジョウイが怪訝そうに辺りを見回すと、青年はくすりと爽やかに笑って
「あなたのことですよ」
臆面もなくそう答えた。

・・・・・こ・・・・こいつ・・・・・
ジョウイは額に大粒の汗が流れるのを感じた。
・・・その手の類の男か!

ジョウイはその容貌から、旅の途中、何度もそういった類の男から誘いをかけられることがあった。
もっといってしまえば、シャオロンにはナイショにしているのだが、ハイランド時代、自分に言い寄る貴族は星の数ほどいた。男も女も。
そうして、初めの頃こそ戸惑っていたその手管も、やがては慣れ、打算と退廃に身を任せる貴族をせせら笑い、それらを上手に利用しながら身をかわす術を覚えていった。単身ハイランドに乗り込んでいき、のし上がろうとする自分が、そのような誘惑に溺れようはずもないのに・・・・と冷笑しながら。

そんなモノは、今では鼻であしらえると思っていたジョウイだったが、愛する幼なじみとの生活は、思っている以上に自分を浄化させているらしい。久しぶりにこの手の誘いにおぞけを震わせられていた。

ジョウイがその場で固まっていると(笑)、その青年は何を勘違いしたのか、そばにより、なにげに欄干に手をかけるふりをして、その手を肩に触れようとしてくる。
ゾゾーっと肌が総毛立った。
勘弁して欲しい。

が、そんなことで固まっていたら、この外見に似合わず厚かましい青年に、何をされるか分かったものではなさそうなので、寒気を押さえ、その男の手からするりと逃げると、すかさず反撃に出た。
かつて皇王時代、誰もが震え上がった、とびきり冷たい白い目と皮肉に満ち満ちた微笑み。
そのダブル攻撃を携えながら、ひたすら冷ややかにその男を見下ろしてやる。
「悪いですけれど・・・僕はその手の趣味は持ち合わせておりませんので」

ニッコリ♪。

その瞬間、そのあたりの摂氏は零下○十度まで落ち込んだ。

なまじ顔が良いだけに、ひとたび冷淡と皮肉という装備を纏うと、夏の暑さも吹っ飛ぶ、ブリザードのような冷気を辺り一面に立ちこめさせるのだ。

普通の男なら、この時点で自分が手出しした相手がただ者じゃないと、しっぽを巻いて逃げ出すところである。
だが、その男は普通じゃなかった(笑)。
ジョウイの必殺ブリザード光線さげすみ微笑付き(笑)の攻撃をモノともせず、男はにっこりと、とてもそんな趣味を持っている人間とは思えないような爽やかな笑顔を返すと、
「それは残念。でも、君のその冷たさがまた男心をそそる・・・・」
などど、ジョウイに黒いお友達を召還させかねない言葉を吐き、
「でも、今日の所は美しい君に敬意を表して退散するよ。また、会えるといいね。ああ、そうだ、異国では色々不足なこともあるだろう。なにか困ったことがあったらここへおいで」
といって、一枚のカードを差し出した。
そんな男のカードなど受け取りたくもなかったが、青年はそれを素早くジョウイの懐に忍び込ませると、鮮やかな身のこなしでジョウイの攻撃を交わし、しっとりと濡れ上がった庭園の中に消えていった。

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つ・・・・・・次は外さない!!!

後には、怒りで顔を朱に染めた金の髪の少年が、空を切った自分の拳を握りしめながら、一人東屋の中に取り残されていたのだった。

NEXT

モドル

なんか・・・ギャグっぽいところで続いてしまいました。はい。すいません、まだ続きます(爆)。
み・・・見捨てられないかな、自分(滝汗)。