コミュニケーションを考える

日記系サイトについて

突然だが、あなたは新聞の読者寄稿欄を読んだことがあるだろうか?

読者が何らかの意見を持って、読者にその意見を送って、それを見た編集者が新聞に掲載するのだ。

私が思うに、どういった人がどういった主張をしたいのかと言うことは、全く問題ではない。

どのような投稿を採用するかという権利は新聞側によって握られているのだ。つまり、主張自体は新聞の物なのだ。

それよりも、何故この人達が投稿するのか、というところに私は興味を持つ。

その部分への興味は新聞社側も分かっている様に思う。投稿には必ず、どのような人の投稿なのかと言うことが書かれている。匿名である場合も多いが、年齢や職業はほとんど書かれているのだ。逆にそのような情報がない物は採用しないのだろう。つまり、この情報が意味を持つことを新聞側は知っているのだ。

もちろん、第一義的には主張した人の背景と主張の内容を結びつける情報なのだろう。しかし、上記のように主張の内容にはあまり意味がない。私が考える最も重要な情報は、そのような人が投稿している、という事実その物にあるのだ。どんな物好きな人間が採用されるかどうかも分からない読者欄に多大な時間と労力を掛けて寄稿するのか、それこそがこの欄の持つ真の情報である。投稿してくれる人にとって不遜であるが故に、新聞側は絶対に明記はしないが。

孤独な老人達が社会と関わりを持ちたくて送るのかもしれない。主婦が暇を持て余して書いて送るのかも知れない。会社で嫌なことがあったサラリーマンが鬱憤を晴らすために送るのかも知れない。新聞紙か情報源を知らない年若い十代の政治家が背伸びをする場合もたまに見る。

そういった目で見ると、あの欄の見え方はかなり変わる。

話は変わって日記系サイトである。

よく言われていることだと思うが、日記系サイトにはこの新聞の読者投稿欄に似ているところがある。

日記系サイトとは、多くは素人の管理者が日々感じたことを書いてWeb上に発表しているサイトのことである。

日記系サイトでは主張したいことは全て発表することが出来る。そこに新聞社のバイアスは掛からない。

自分の言いたいことを全世界に何の制限もなく主張できるのだ。掲載するために自分の情報を知らせる必要も一切ない。

いままで新聞側の検閲のために主張が通らなかった投稿者、自分の年齢や職業を知らせてまで主張など出来ないと思っていた投稿予備軍にとっては夢のような環境である。

読まされる側にとっては何の意味もない情報ではあるが。

自分の主張を知らせたいという要求は誰にでもあるだろう。

しかし、そこに上のような自己満足が有ることを忘れてはならない。

新聞の読者寄稿欄のような一種のわびしさがあることも。

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