架空世界を考える

東の果ての島イーストエンド設定の私案


おおもとになる基本設定、いわゆる神話的裏設定

 イーストエンドはフォーセリア世界の中で最も東にある島です。
 フォーセリア世界の東の果てには風の門と呼ばれる門があるとされています。
 すなわちイーストエンドは最も風の門に近い場所なのです。

 一方、フォーセリアには水の門から全てが虚無界に流れ出て世界が終わるという終末神話があります。
 水の門とはフォーセリア世界の西の果てにあるとされる門です。すなわち風の門と対極の場所にあるわけです。
 水の門で世界が終わるとすれば、風の門は誕生に最も近い場所と考えることが出来ます。

 以上のような世界背景から、本設定では、イーストエンドは新しい生命が生まれくる島として設定されています。


基本設定に基づいた神話

 基本設定に基づき、この設定を受け入れる場合、以下のような神話が賢者の間で知られていることになります。
 知名度は15です。

 世界の全ては混沌から生まれた。
 新しい命は混じり合うことによって生まれる。

 東の終わりには太陽と生命が生まれ出づる場所がある。
 風によって全てが混じり合う誕生の場所が。

 命を扱う賢き者たちは命の神秘を求めてその地を目指した。
 命を扱う賢き者たちは命の生まれる場所を見つけた。
 そして、命を扱う賢き者たちは命の秘密を探り当てた。
 様々な命を混ぜ合って、様々な命を生み出した。

 心を扱う賢き者も遠き東の地を目指した。
 彼の地では心も混じりあうのだった。
 混じり合って生まれた新たな命の心を御することも必要だった。
 賢き者たちは心を操る術を磨き互いに競った。

 しかし賢き者たちにも命の生まれる力を御することは出来なかった。
 命は自由を求め外に出る。風は自由の象徴。新しい命も自由を求めた。

 東の果てには命と心が混じり合う場所がある。
 新たな息吹が絶えず生まれる自由の島がある。

 彼の地では人は命の垣根を越え世界の理を越えていくという。

システム的に目指すもの

 大きな事を言えば、ニュートン力学に対する相対性理論みたいな感じを目指しています。
 要するに、従来のフォーセリア世界の設定は一面から見たものであり、別の面から見るとこのようにも見える、というところを狙っているのです。
 具体的には魔法の再構築などです。
 一例を言えば、精霊神魔法は全ての魔法を解体して再構築したものとします。これらの魔法は結局「マナ」を扱うという上で共通という認識です。基本消費精神力や効果などの部分は変更しませんが、各キャラクターが用いることの出来る呪文は変わります。例えば「風神の僧侶」の場合、風にまつわる呪文が自分のレベルまで全て使えます。また、風が象徴する自由の神であるファラリスの神聖魔法も使えます。
 この地の神官(精霊神含む)は神聖魔法を神を信仰することで得ている、という感覚は持っていません。単にどこかに力の源があり、それを自分の力で引き出しているのだ、という意識があります。新たな命が次々と生まれている世界では創造神に対する敬意は薄れるのです。それでも呪文は使えています。
 こういった再構築をする事で、インフレに陥らずに新鮮味のあるマイナーチェンジが出来るのではないかと思っています。

雰囲気的に目指すもの

 従来、イーストエンドと言えば、日本的な雰囲気を持つ人々や事柄が存在する世界として語られることが多かったように思います。例えば、忍者や侍、陰陽師、お公家さん、腹切り等々。
 しかし、それだとただ単に固有名詞やクラスを変えたソードワールドというだけになるような気がずっとしていました。
 そこで、私は日本的なものの裏側にある、外来のものを何でも取り入れる、という部分を「融合」という形で表せれば巧いのでは、と考え、この設定を作ったのでした。
 また、得体の知れない権謀術数や、曖昧な不気味さという怪談に良くある雰囲気的なものも、取り入れられればと思いました。それが呪詛魔法だったり精霊付与=妖怪だったりするわけです。
 本設定でも日本的なところを目指しているのは変わりありませんが、直接的な事例をボンと出して終わりということではない感じでいければ良いと思っています。


余談1〜アトン

 公式設定で古代王国を滅ぼした「魔精霊アトン」は「大地の精霊王ベヒモス」から変化したと言われています。
 しかし、世界の理を司る精霊王が、閉じ込められていたからといって簡単に狂ってしまっては困ります。(ということにします)
 東の果ての島にまつわる本設定を導入した後は、実は「魔精霊アトン」は「太陽の複合精霊王アテン」から変化したものだったとしても良いでしょう。
 「フリーオン」で地中に輝く太陽は「複合精霊アテン」であったのでしょう。それが「ベヒモス」と融合して狂ったのです。アレクラストでは不安定な複合精霊であった「アテン」は容易に狂ってしまい、しかも複合精霊としての特徴から他の精霊を吸収してしまう力を得てしまった、と考えられます。
 この場合「アトン」の名も元々は「アテン」から来ているものだということになります。


余談2〜神への信仰

 上記のように六大神の信仰をも東の果ての島では分離、再統合されています。
 本設定では、信仰とは人が思いこむ力である、というのが基本的な考え方としてあります。
 確かにフォーセリア世界に神は存在しています。その魂も神官には実在のものとして感じられるのでしょう。しかし、その存在を形にするのは信仰であり、信者であり、司祭だけなのです。
 本設定では、信じる者がどのように信じるかで、神の在り様、神聖魔法の在り様まで変わってくるのです。
 言ってしまえば、神の降臨もそれを望む力が非常に強い司祭が引き起こす「人間」の奇跡なのです。どのような神の降臨を願うかによって神の降臨のあり方も変わってきます。

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