この文は東の果ての島イーストエンド設定の私案の余談として、ソードワールドRPGなどフォーセリア世界を遊ぶ上で若干問題となっていた従来の神官のロールプレイに提言を与える物です。従来の設定からは上位互換となっておりますので、この設定を導入したからといって、今までの認識を変える必要は全くありません。
神官のロールプレイなどで問題が起きたときなど、思い出していただければ幸いです。
ソードワールドの神官のプレイは難しいと言われています。
他のルーンマスターに比べれば呪文数が比較的少なく、覚えることは多くないのですが、教義に沿ったロールプレイを強要される事が多く、そのためプレイが難しいとされるのです。
一つ一つの宗教を語るにはルールブックに書かれている情報が少ないのもどういったプレイをするべきかというところで迷わせる原因の一つとなっています。
設定にうるさい人が、神官のプレイについていちいち注釈を付けることも多いようです。
例えば、ファリス神官がゴブリンを見逃すなど有り得ない。そんなことをすれば、ファリスから見放されるのが当然だ。等
ルールブックに載っていないことまで、正義だ、悪だと言って極端なプレイに走ったり、自分のPCでも無いのにその宗派の神官はそんなことはしない、などとと行動を強要したりすることさえあるようです。
実際問題として、ルールブックに載っていないことまで、いちいち判断したり、乏しい情報から架空の宗教を信じている人のプレイをきっちり決めたりなどということは出来そうもありません。実世界の宗教でさえ、同じ教典から出発して同じ神を信仰しているにも係わらず、様々な考え方や行動パターンを持つ人々がいることからも明らかです。
現状は、そのような「宗教的な問題」をメインにしたシナリオでない限り、「正確」な神官のロールプレイには若干目をつぶっているという形でシナリオを進めていることでしょう。そうするのが最も楽ですし、ベストな選択なのではないかと思います。普段のプレイでは周りと協調しながら「ノリ」を要求されるところでその宗教の特徴を使えば良いのはないでしょうか。
ルールブックにも教義よりも常識で判断するように書かれています。(完全版P107)
ウェブ上の掲示板などを見るに、こういった神官のプレイ方法に白黒をつけたいという人も少なからずいるようです。
確かに、どういった場面でどの宗派の神官がどういった行動をするかということが決まっていれば楽なこともあるかも知れません。
自らの分身であるPCが奇跡を起こすまでに同調した「神への信仰」というものがそんなに曖昧な物ではない、としたい気持ちもあるのかも知れません。
しかし、このような議論は各個人の主観が違うためこじれた物になりがちです。その議論の経緯は実際の宗教論争に酷似していて結局有益な結論が出ることはありません。
特に「ファリス」には善悪を見分ける「センス・イービル」という呪文があることから話がこじれることが多いようです。神である「ファリス」に直接善悪を問えるのだから神官はそれに沿ったプレイをしなくてはならないだろう、といった感じです。
余談2でも書きましたが本サイトの設定では、「神への信仰」は信者がどのように神を信仰するかでその形が変わってきます。
このこと自体はフォーセリア世界で特別な設定ではありません。混沌の地での「女王」と「マイリー」の関係しかり、クリスタニアでの「エンシェントゴッド」の信仰しかり、、
ここでは、もう一歩踏み込んだ設定を考えています。神の在り方は完全に信仰する者によって形作られる、としているのです。
フォーセリア世界は実際に神が存在する世界です。しかし、その神はすでに肉体を失っています。神官がその奇跡=神聖魔法を行えるのは魂だけになった神と同調できるからなのです。
逆に神と同調することが出来れば神聖魔法は唱えられます。PCの行動がどうとか、考え方がどうとか、そういうことに囚われる必要は無いのです。そう考えれば司祭のロールプレイもそんなに堅苦しく考えることは無くなります。PCが深いところでちゃんとした信仰を持っていれば神は見放すことはないのです。そして神がPCの何を見ているかは、まさに「神のみぞ知る」なわけです。
もう少し踏み込んで考えてみましょう。
人は普通、物を考えるとき言葉で考えます。漠然とした思考を言葉という形にはめることで具体化しているわけです。思想を他人に伝えるときには、思考→言葉、言葉→思想、という「翻訳」が為されています。この「翻訳」は残念ながら完全なものでは無いようです。そのため、思想が巧く伝わらない事があるわけです。
神聖魔法も同じ様なことが行われているようです。フォーセリア世界においてさえ神の思考は結局人間に完全に理解することはできない概念なのです。それを神が滅びた後の古代王国時代に「神聖語」を用いて扱いやすくしたことがルールプックにも書かれています。(完全版P106)
フォーセリア世界の神官は神聖語を用いて神と交信し、神の声を聞きます。しかし、神聖語を使うのは手段であって、本質的には神と同調することこそが重要でしょう。「同調する」ということは神官本人がすでに神を内在させていることにならないでしょうか?
私はフォーセリア世界で「神の言葉を聞く」ということは「神との同調を感じる」事だと思っています。神官が自分の心のあり方を変えていき、神の思考と同調したときそれを感じるのです。神が直接的に何かを伝えるということは一切無いのではないかとも思っています。同調できることを詳しく深く探っていけば自分の内に神の思考が創られていくのです。それは全て神官側の行動です。
神からの言葉として「神聖語」を聞いたと感じることも有るのでしょう。言葉を使うことで、神と思考を合わせ、それを読み解いていくのは楽になります。しかし、そこに解釈の違いはどうしても生まれます。神にどのようなイメージを与えるかということは神官たちの文化に大きく影響されます。これが場所による信仰の違いに繋がっていくのではないかと思います。
本サイトの設定では「教義」や「神の名」そして「神話」などの情報は神官たちが「神との同調」を手助けするために決めたものでしかなく、場所によって移り変わる物だと考えています。
そして、その信仰の形がどれだけ違って見えようと、元になる信仰が神の思考と同調してさえいれば神聖魔法が使えます。
本サイトの東の果ての島の設定では精霊神の信仰として、アレクラストの神々の設定を流用することにしています。各々の神の特徴は各精霊神に振り分けられています。
これも、神官が神と同調できさえすれば、その力を使えると考えたからです。本設定の東の果ての島の人々は世界の法則である精霊と神を同一視することで神との同調を果たし、その力を引き出しているのです。
もちろん、神官たちはそのことに気付いていません。彼らは「神の実在」を信じることで神と同調できているのです。フォーセリア世界の神官が思ったり考えたりすることは本設定を導入しても全く変わることはありません。ルール的には、ただ神聖魔法が使える条件が拡張されているだけのことなのです。
もちろん無秩序は遊ぶのに妨げになります。こういう曖昧になりそうな設定を導入するときにこそ厳密さが必要です。
まず、PLの考え方とPCの考え方を区別しましょう。そしてPCの「表層真理」と「深層心理」を区別しましょう。「深層心理」とは人が意識することの出来ない心理です。神聖魔法を扱えるような信仰は深層心理で起きる事としましょう。
最後に重要なのが、PLやPCの「表層真理」はいくら遊ばせても良いですけれども、PCの「深層心理」はGMが管理するということです。PLにもこのことは伝えておく必要があります。
PLがこの設定を悪用して神官のロールプレイを全く省みないようならば容赦なく技能を取り上げるべきです。また、悩みに悩んで仕方なく普通は技能が取り上げられるような行動をしたとしても、深層心理では信仰を失っているとは考えられないとして技能を奪わなくて良いでしょう。
この深層心理による信仰をGMが管理することによって、応用として、従来ある宗派のプリーストがいると思想上の衝突が予想されるために出来なかったシナリオなどもうまく使えるのではないかと考えられます。
ちなみにこの考え方は神獣の神聖魔法をアレクラストに登場させるときやタレントなどをコンバートするときにも応用できると思います。
完全版ルールブックにはクリスタニアで神獣になったフェネスの神聖魔法が掲載されています。
これをそのまま解釈すればアレクラストでも神獣の神聖魔法が使えるということになります。
しかし、閉鎖されたクリスタニアにて神獣として生きている神の声を聞くというのは、いかにもおかしな感じがします。
また、タレントは神である神獣の力を体現するものですが、神聖魔法とは異なるところがあります。大きな点ではタレントと呼ばれる力は術者に授けられた物で神である神獣から引き出された物ではない、ということです。このことも従来の神聖魔法の感覚から考えると少しおかしな気がします。
これらの疑問も本サイトの設定を導入することで解決できます。
すなわち、神獣も含めた神の神聖魔法やタレントを用いるための条件は、神や神獣と同調することのみで有る、とすれば良いのです。
もちろん、上で書いてありますとおり、同調するための条件はPCの深層心理で管理しますから、どのような場合に使えて、どのような場合に使えないかはGM判断が最優先となります。