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亀はアキレスにかく語りき What The Tortoise Said To Achilles Originally published in Mind, No. 4, 1895, pp. 278-280 著:ルイス・キャロル 訳:セプタングエース 原文:http://www.lewiscarroll.org/achilles.html ●必要な予備知識 ゼノンのパラドックス ゼノンは前五世紀のギリシャの哲学者。弁証法の父といわれる。 「アキレスと亀の競争」という逆説で有名。 アキレスと亀の競争 アキレスはいくら走っても、自分より先を歩む亀に追いつくことができない。なぜならば、アキレスが亀のいた地点にたどり着いたとき、亀はそれよりも少し先まで行っている。アキレスがその地点まで行ったときには、亀はさらにその少し先まで行っている。アキレスがその地点まで行ったときには、亀はまたさらにその少し先まで行っている。アキレスがその地点まで行ったときには、亀はまたまたさらにその少し先まで行っている……というわけで、アキレスは永久に亀に追いつけない。 |
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亀はアキレスにかく語りき
アキレスは亀に追いついたので、その甲羅の上に満足げに座っていた。 「では、我々の競争はもう終わったということですね」亀が言った。「無限級数で絶えず引き離されるはずだというのに。どこかの賢人さんか誰かが、そんなことはできないと証明してみせたんじゃなかったですか」 「できるさ」アキレスが答えた。「ぼくがやったんだ。一歩ズツ実践ニテ解決スベシ、さ。距離は着実に減っていっただろ、だから――」 「じゃあ、着実に増えていったとしたら」亀は口をはさんだ。「どうなりますかね」 「なら、ぼくはここにいないさ」アキレスは慎ましく認めた。「で、きみは世界を何周かまわってるところさ、いまごろはね」 「よしてください、お世辞は。いや、重しは、と言うべきかな」亀はうめいた。「あなたはギリシャ軍の重鎮ですからね、まったく。さてと、では、ある競走の話をいたしましょうか。大抵の人は二、三歩でゴールできると思ってしまいますが、実は無限に距離がのびていて、常に前よりも距離が長くなっている、そんな競争です」 「ぜひ聞きたいね」ギリシャの英雄はそう言うと、かぶっていた兜から(その時代、ポケットのある服を着た兵士なんてめったにいなかったからな)やたらに分厚いノートと鉛筆を取り出した。「続けたまえ。頼むからゆっくり話してくれ。まだ速記法は発明されておらんのだから」 「かの美しき、ユークリッドの第一命題」亀は夢見るようにつぶやいた。 「あなたも思いませんか、ユークリッドはすばらしいと」 「そりゃもう。まあ、あと数世紀たってから出版される論文をすばらしいと思える、としての話だがね」 「それでは、この第一命題の論法をちょっとばかり取り上げてみましょう。たった二つの前提、そしてそこから導き出される結論、それだけです。ノートに記入していただけますかね。これから述べていくとき便利なように、それぞれA、B、Zと呼ぶことにしましょう。 (A) 同一のものに等しいものは、お互いに等しい。 (B) ある三角形の二つの辺が、同一のものに等しいものである。 (Z) この三角形の二つの辺は、お互いに等しい。 ユークリッドを学ぶ者なら、AとBから論理的にZが導き出されるので、AとBを真と認めるならば、Zも真と認めなければならない、ということを受け入れるでしょうね」 「疑いの余地なしだ。高校に入りたての一年坊主だって受け入れるさ――高校というものが考案されたらの話だが、ま、あと二千年もすればできるだろうよ」 「で、AとBを真とは認めないのに、その帰結だけは正当なものだと認めるような学生がいるかもしれませんね」 「なるほどそんな学生がおるかもしれんな。そいつは『AとBが真ならばZも真でなければならない、という仮言的命題すなわち仮定は真であると認めますが、AとBが真だとは認めません』とでも言うんだろう。そんな学生はユークリッドなんかやめて、サッカーでもやるのが賢明だろうよ」 「逆に『AとBは真だと認めますが、仮定のほうは認めません』と言う学生だって出てこないとはかぎりませんよね」 「たしかにいるかもしれん。そいつもサッカーをやったほうがいいな」 「さて、そういった学生はどちらも――」亀は続けた。「今のところはZが真であると認める論理的必然性には迫られていませんね」 「そりゃそうだとも」アキレスは同意した。 「それでは、わたしを二つめにあげたタイプの学生だとして、Zが真であるとわたしが論理的に認めざるをえないようにしてください」 「亀にサッカーをやらせるなんて――」とアキレスが切り出そうとした。 「――変ですね、もちろん」亀は慌てて口をはさんだ。「論点がズレてますよ、まずはZのことを考えて。サッカーは後回しです」 「ぼくがきみにZを認めさせるんだったな」アキレスはじっくりと考えてみた。「で、きみのいまの立場は、AとBは認めても仮定のほうは認めないと――」 「それをCと呼びましょう」亀が言った。 「――ああ、きみは (C) AとBが真ならば、Zも真でなければならない。 を認めないわけだ」 「それがわたしのいまの立場です」亀は答えた。 「では、ぼくとしてはきみにCを認めるよう頼むしかないな」 「認めましょう」亀はうなずいた。「そのことをノートに書き加えてもらったらすぐにでも。ノートにはほかに何が書いてあるのですか」 「ちょっとした覚え書きだよ」アキレスは心配そうにページをぱらぱらとめくった。「ちょっとした記録――ぼくの名をあげた数々の戦のね」 「白紙のページがたくさんありますね」亀が嬉しそうに述べた。「全部必要になりますよ」(アキレスはぞっとした。) 「さて、わたしが言うとおりに書いてください。 (A) 同一のものに等しいものは、お互いに等しい。 (B) ある三角形の二つの辺が、同一のものに等しいものである。 (C) AとBが真ならば、Zも真でなければならない。 (Z) この三角形の二つの辺は、お互いに等しい。 以上です」 「Dと呼ぶべきだね、Zじゃなく」アキレスは指摘した。「三つの次にあるんだから。きみがAとBとCを認めるなら、Zも認めなければならないな」 「おや、なぜ認めなくてはいけませんか」 「論理的に導き出されるからさ。AとBとCが真ならば、Zも真でなければならない。そのことに異論はないだろ」 「AとBとCが真ならば、Zも真でなければならない」亀は考え込むように繰り返した。「これは別の仮定と言えますね。つまり、わたしにそれが真だとわからないようであれば、たとえAとBとCを認めても、まだZは認めないんじゃないでしょうか」 「だろうな」実直な英雄は譲ることにした。「そこまで頭が鈍いとはまったく驚くべきことだが。それでも、ありえんことではない。となると、ぼくはきみにもうひとつ仮定を受け入れてくれるよう頼むしかない」 「いいですとも。書きとめてくだされば、受け入れても全く構いませんよ。それを (D) AとBとCが真ならば、Zも真でなければならない。 と呼びましょう。ノートに書きこめましたか」 「書いたぞ」アキレスは嬉しそうに叫び、鉛筆をケースにしまった。「ついにこの観念的な競走も終わりというわけだ。きみはAとBとCとDを認めるんだから、当然Zも認めることになる」 「でしょうか」亀は悪気のない様子だった。「はっきりさせましょう。わたしはAとBとCとDを認めます。でも、まだZを認めるのは拒んだらどうでしょう」 「そのときは、論理が君の咽くびを押さえこんで、そうしろと認めさせるさ」アキレスは勝ち誇ったように答えた。「論理がきみに命じるんだ、『もうどうすることもできぬぞ。AとBとCとDを認めるのだから、Zも認めなければならぬ』とね。選択の余地なし、ってわけだ」 「論理が命じるというなら何であれ結構なことです、書きとめておく価値はありますね」亀は言った。「では、ノートに書いておいてください。それを (E) AとBとCとDが真ならば、Zも真でなければならない。 と呼びましょう。わたしがそれを認めないかぎりは、当然Zを認める必要もありません。ですから、これもけっして避けることのできぬ前提になりますよね」 「わかったよ」アキレスの返事は少し悲しげな口調になっていた。 ここで、この話の語り手は銀行に急ぎの用事があったので、議論に夢中の両者を残して立ち去るしかなかった。彼がその場所を再び通りかかったのは数ヶ月あとのことである。アキレスはまだ我慢強い亀の背中に座りこんでおり、ノートに書きこみを続けていたが、ページはほとんど埋まっているようだった。亀はこう言っていた。 「最後に言った前提を書きこみましたか。数え落としがなければ、千と一になりますね。これからまだ何百万とありますよ。こう言っては失礼ですが、我々の対話のおかげで十九世紀の論理学者がいかに多くの教えを噛みしめることか、そう思いませんか。いとこ分の海亀フウが言いそうなダジャレばりに、お名前を陸亀ならぬリヲカメ(理を噛め)とでも変えてみてはいかがです」 「好きにしてくれ」精根尽き果てた英雄は、死の命令を下されたようなうつろな声でそう答え、顔を両手で覆い隠してしまった。「きみのほうこそ、海亀フウが言ったこともないようなダジャレで、アキレスならぬ悪亀令死(アキレシ)に改名すればいいんだ」 注:海亀フウ(Mock Turtle)は『不思議の国のアリス』に登場するキャラクター。にせ海亀、海亀モドキとも訳される。ダジャレの元の英語は、Tortoise(亀)とTaught-Us、Achilles(アキレス)とA Kill-Ease、となっている。 怠惰な日々へ戻る |