俺はただひとつのものをもとめて走った。
 これが、これが、これがないと……

 地獄の責め苦を受ける羽目になる。
 
 それだけは、避けなければ。
 それだけの思いで全力で走った。



「あのさ、美術の教科書貸してくれねえか?」
 あせらないように落ち着いて聞く。
 相手は、威圧感のこもった目でこちらを見上げた。
 俺が今向かい合っているのが、自他共に認めている学年一の悪。
 名前は……覚えてねえな。
 同じクラスじゃねえし、話すことも会うこともめったにないしな。
 普通なら、こんな赤の他人、よりもよって先生方も恐れるやつに教科書を借りるなんておかしな話だ。
 だが、美術なんて週一にしかないような教科を持っているのは置き勉常習犯してそうなこいつぐらいしか持っていないと俺はみた。
 しかも、美術はただの教科じゃない。
 奇岩城……もとい祈願上先生の受け持ちだ。
 その先生は厳しいなんてもんじゃない。
 度を越えている。
 特に忘れ物なんかに厳しく、この前忘れた俺の友人Aなんかは一時間も説教されたらしい。
 その友人Aは次の日学校を休んだほどだ。
 その後話を聞くに暴力を振るわれたわけではないが、神経衰弱に陥る程度の説教をされたらしい。
 俺は、その二の舞には絶対にならん。
 なってたまるか。
「だれだ?おまえ」
 学年一の悪はじっと俺を見つめた後聞いた。
「3−C、長谷川俊太!」
 俺は、快くそう答える。
「ふーん。貸してやってもいいが……」
 俺は、顔をぱっとほころばす。
「いいのか?」
 相手はそれを聞くと同時に俺をにらみつける。
「人の話は、最後まで聞け。条件がある」
 おいおい。
 テンションが下がる。
 なんか大変なのじゃないだろうな。
「俺にじゃんけんをして勝ったらだ」
「はあ、さいですか」
 ならなんとなるな。
「ただし」
「はい?」
 げ、まだなんかある。
「俺が、勝ったらでこピンな」
 不敵な笑みを浮かべ、でこをはじくまねをする。
 空を弾いているのに、背筋を寒くする音が響き渡る。
「乗ってくるか?」
 生唾を飲む。
 俺に決断のときが来たようだ。
 道は二つに一つ。
 じゃんけんに勝ってラッキーか、負けてでこピンを食らいさらに祈願上先生の説教という史上最低コースか。
 もしくは、普通に説教を食らうか。
 どちらにしろ、苦難の道。
 さて……
 テスト中よりも激しく、脳内フル回転させる。
「受けてたとう」
 心は決まった。
 やるしかない。
 同じ闇ならば光が見えるほうがましだ。
「じゃ……」
 勝負を決する呪文を唱え始める。
「ん」
 まだだ、あせるな。
 様子を見るんだ。
「け」
 相手の指が微妙に動き出す。
「ん」
 グーはない。
 となれば
「ぽ」
 ちょきしかない。
「ん」
 その言葉と同時に、二本の指を垂直にする。
 これで少なくともあいこだ。
「俺の勝ちか」
 その声にふとわれに返る。
 相手の手は、丸くなっている。
 し……しまった。
 フェイントか。
「さてと」
 相手はにやりと微笑んだ。
「ちいと我慢してもらおうか」
 もう、逃れる道はない。
「いくぜ」
 ああ!
 なんて不運なんだ。
 逃れない用のない痛みが目の前に迫ってくる。
「おりゃ!」
 骨もかち割られたかといわんばかりの音がした。
 少しして鼻に抜けてくるような強力な激痛。
 激しい痛みは走りぬけふらつく俺。
 そこに、さらに来る衝撃。
「な」
 その瞬間俺は意識を失った。

 気がつくとそこはぬくぬくでふかふかな場所。
 布団の中か。
「うう」
 頭に残る痛みの残像を抑えるかのように頭を抱え込み起き上がる。
 保健室の風景。
 保険の先生が駆け寄ってくる。
「やっと、起き上がったみたいね」
「おれは、いったい?」
「よっぽど打ち所が悪かったのね。でこピンを食らってバランスを崩した後窓の壁に激しく頭をぶつけたのよ。それで気を失ったみたいだけど」
 ああ、ほんとにでこピンを食らって倒れたわけではなさそうだな。
 まあ、よかったというべきだろうな。
「今は?」
「放課後だけど。結構長く寝てたわよ」
 ……ということは、美術の時間はもうエンドか。
 ヒャッホウ。

 ということで、俺の死闘は幕を閉じた。
 いい結末なのかどうかはわからんが助かったみたいだな。