動物実験・動物虐待・動物愛護


 

突然ながら書いてみる気になったこのコラム。たまには真面目な話もいいかと思いまして。
よろしければ最後までお付き合いくださいな。

 

さて、私の所属している大学では、その特性上動物実験をよく行います。
これはある疾病の発生原因やその治療法、また薬物の有効性あるいは副作用、毒性などを研究したり、生体内のタンパク質
などがどのような作用を持ち、それが生命活動にどう影響しているのかを調べたりするためです。

このような動物実験の究極の目標は、

「生体の機能や疾病の原因、薬物の作用機序などを明らかにし、人間の疾病の治療に役立てること」

です。

しかし、このような動物実験に関しては、当然のように「一般倫理との確執」という問題がついて回ります。
一般の方は、動物が実験のために殺されているのを快く思わないからです。

 

中でも最も問題なのが動物愛護団体です。
彼らはその思想から、動物実験をやめろ、知能ある動物を残酷に弄ぶなといった主張をされます。

 

で、ここからは私の意見なのですが…

Q:動物がかわいそうだ。動物を殺すな。

A:なるほど。じゃあお前は肉食うな

  考えてみると至極当然のことなのですが、我々が普段食べている牛肉や豚肉は、どこかの農場で育てられた牛や豚が屠殺場で
  屠殺され、解体されてできたものです。
  魚にしても、漁師さんが捕まえて来た魚はみんな酸素欠乏状態となり、苦しんで死んでいますね。
  このように、我々は他の生物の生命を糧にして生きていることを忘れてはならないと思います。

 

Q:私は菜食主義者だ。動物がかわいs(ry

A:ふ━━( ´_ゝ`)━━ん。
  お前植物に命がないと思ってるの?

  多くの植物は大地に根を張っているため、動くことはできません。
  しかし、彼らにも立派な命があり、様々な生命現象を営んでいます。
  植物は食べてもいいと言うのはいささか理論に無理があると思いますね。

  もし他の生物を犠牲にしてまで生きていたくはないと言うのなら、水と塩で生活してください。

 

Q:実験で動物をむやみに苦しめるな。それは虐待と同じだ。

A:彼らの苦しみには立派な意味がある。

  確かに私たちが動物を苦しめているということは否定しません。
  しかしながら、彼らの苦しみは、我々人間の疾病を治療するための手がかりとなるような貴重な情報を沢山与えてくれるのです。
  もちろん私たちも、実験動物を殺す時には
麻酔を用いた安楽死の方法をとるなど、彼らに必要以上の苦しみを与えないよう
  配慮しております。

  渡したいの行動が動物虐待と大きく異なる点は、無益な殺生を行っているのではないというところだと思います。
  動物虐待の場合には、一人あるいは少数の人間が自らの快楽のためだけにその動物を弄び、殺すのであって、その動物の命が
  無駄になってしまうような感があります。

 

とまあ、たった3つの問いに答えただけではありますが、私の主張の肝は、

実験動物の死は人間の利益のためとなり、決して無駄死にではない

ということです。

 

もちろん、これが人間のエゴイズムであると言われれば、何の反論もすることはできません。
我々人間が生き長らえるという理由のために、他の動物を犠牲にしているからです。

しかし、これは我々の食事にも言えることです。
動物は自らが生きるためには他の動物を犠牲にせざるを得ないのです。

 

となれば、大事なことはただ一つ。

犠牲となる生命を無駄にはせず、敬意を持って接すること

ではないでしょうか。

 

日本人の食事前のあいさつは、もともと「あなたの命を頂きます」という意味です。

犠牲になる生命には常に感謝の念を持つようにしなければならないと思います。

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