剣心爛漫番外編
〜At that time〜
ついにきた。県大会の日が。
思う存分暴れてやる!
県大会の会場、武山高校体育館前に、一人の少女が剣道具を担ぎ、はかま姿で立っていた。
その少女は小柄だったが、なぜか大きく見えた。
どこか愛嬌のある顔の中に、引き締まった心が見える。
彼女の名は川原里香。武山高校の1年生だった。
空は澄みわたり、そよ風が気持ちいい。
里香は会場に一番乗りだった。
少しの間気持ちのよい風を受けていた里香だったが、
時計を確認し、試合の2時間前となったとき、
肩で風を切って颯爽と体育館内に入っていった。
里香の癖は、いつも試合よりずいぶん前にきて、後2時間というところで準備をはじめることだった。
それは小学校で剣道をはじめたころからの習慣であり、勝つためのジンクスでもある。
この習慣を狂わせたことはない。
よって、負けた記憶もあまりない。
里香は天性の才能をもっていたから負けなかったのか?違う。
―――――いや、違うというのもおかしいが・・・
彼女は努力の天才であった。
里香が体育館の中に入ると人影が見えた。
いつも一番乗りのはずだった。
でも、だれかがいる。
自分の中でジンクスが意味をなさなくなってしまった気がした。
すると、その影の正体がこちらに近づいてきた。
その影が近づくにつれ、里香ははっと息を呑んだ。
「おはよう川原さん。早いのね。」
その人は言った。
いつも一番に来ておきたいという自分の心の中に入り込まれた気がした。
自分の心の中に人が入ってくるのは好きじゃない。
いや、このような場合、正確には入ってきたとはいえないのかもしれないが。
少し機嫌を損ねた里香は無愛想に返した。
「おはよう。」
するとその人はすぐに去っていった。
「決勝で会いましょう。」
という言葉を残して。
先ほどから、その人と呼んでいる人は、
里香の昔からのライバルである板垣祥子である。
お互いに、ライバルとは認めたくなかったが、周りにそういわれてきて勝手にそうなった。
―――――少なくとも里香はそういう解釈をしている。
ライバルとはいえ、団体戦での引き分けは数回あったものの、祥子に負けたことはない。
祥子はいつも、里香に苦戦を強いる相手だった。
そんな祥子とは、仲が良いとはいえなかった。
祥子はお嬢様タイプなので、活動的な里香とは、基本的には合わないのだ。
里香は、早速トーナメントの組み合わせを見ることにした。
えーっと、祥子は・・・Aブロックか。
なら私はBブロックだな。
と、里香がトーナメントをじーっと見てみると、そこに里香の名前はなかった。
表面上は動揺を抑えているが、内面ではとてもあせった。
こんなことって・・・
だが、すぐに問題は解けた。
一回戦の対戦相手こそが、板垣祥子だったのだ。
決勝で、なんて言うからてっきり違うブロックだと思っていた。
それに、中学の頃からいつも祥子と里香は反対側のブロックにいたので、
高校に入ってもそうだとばかり思い込んでいた。
祥子の名を見つけた瞬間にBブロックに目を移したがために見落としたのだ。
そうこうしているうちに体育館の中は大勢の人で埋まりつつあった。
その中に、武山高校の先輩集団を発見した。
こういうとき、後輩なら普通は走って先輩のところへ行くのだが、里香は違う。
堂々と人ごみの中を歩いて抜ける。
その間に、他の選手たちの動きを観察する。
高校生っていってもそんなにたいした選手がいるわけでもないな。
心で思う分には自由なので、里香はいつもそんなことを考えながら歩く。
たいした選手はいないと思いながらも、たまにいい選手もいた。
そんな時、里香が必ずすることは、技を目に焼きつけ、心の中で実践してみることだった。
いわゆるイメージトレーニングである。
そして、そのイメージを試合前の稽古でためし、使えるなら使う。
完成するまで時間がかかりそうなら、その日は使わず、日常の稽古中に磨きをかける。
そんなことをしながら先輩のほうに向かって歩いていると、
先輩たち―――といっても男子しかいないのだが―――
は、里香の存在に気づいた。
ゆっくり歩いていた里香を見て先輩たちは何を思っただろう。
こいつ新入生のくせに、とでも思ったであろうか。
だが、その男子の先輩たちは里香を甘く見て、
入学してからのはじめての稽古ですでに痛い目を見ている。
力では男のほうが強いかもしれない。
だが、剣道という競技の総合力については里香のほうが断然上だった。
だからよけいに里香のマイペースな行動がシャクに触った。
「おい!川原!早く試合前の稽古はじめるぞ!!」
こう言えばたいていの新入生はいくらなんでも走ってくるのだが、
里香は歩調を速めもしなかった。
というのも里香は、イメージトレーニングをしていたので先輩の声が届いてはいなかった。
そんな里香と先輩たちの関係だったが、悪くはなかった。
里香は、通常の稽古のとき―――つまり勝負の前でなければ―――
先輩の言うことに素直に従った。
単に、集中しているときは周りの声が聞こえないというだけである。
里香にそういう傾向があると先輩たちも薄々感づいていたから、
少しシャクに障っても、激しく怒鳴ったりはしなかった。
ようやく、里香は先輩の呼びかけに気づく。
「はい、今行きます。」
そうこうしているうちに、試合前の稽古も済ませ、その後の開会式も終わった。
里香は個人戦第7試合だったので、少し時間があった。
試合前にいろいろと考えた。
板垣祥子か・・・あの技、使うかな・・・
だんだん、試合が近づいてくる。
面をつけて準備をした。
そして、数分後・・・
里香は試合場に立った。
試合場に立てば、簡単に無心になることができた。
いつもそうだ。
礼をして、蹲踞する。
お互い、目と目を合わせて少しの間動かなかった。
祥子は、先に仕掛けたほうが勝ちと見た。
一方、里香は先に飛び込めば負けと見た。
次の瞬間、里香が小柄な体を使って懐のほうに飛び込んでいった。
里香は先に飛び込めば負けと見ていたのではないかって?
違う、先に飛び込んだのではない。
祥子の面が今出るか、という瞬間に小手に飛び込んだ。
それも、懐に飛び込む形だった。
祥子の面を恐れて逃げたりはしなかった。
審判の手が挙がる。
「コテ有り!」
「2本目!!」
祥子は呆然とした。
今まで一瞬にして一本取られたことがあったっけ・・・
だが、ぼうっとしている場合ではない。
里香が狙ってくる。
次こそ里香から一本・・・
祥子はそう思ったが、そう思ったことこそが大きな敗因だった。
一瞬、頭を回して、構えが甘くなっていた隙をつかれた。
里香に、いとも簡単に面を打たれた。
「メン有り!」
「勝負有り!」
うそだ・・・こんなに早く私が負けるはずが・・・
里香は、礼をして試合場から出ると、きびすを返して先輩に報告した。
「勝ちました。」
「早かったな。あいつライバルじゃなかったのか?」
「えぇ、だからこそです。」
「ふーん。そんなものか。」
その後の里香は、ライバルに勝ったせいか、勢いがどんどん増していった。
すべての試合を30秒以内に終えた。たとえ年上であっても、だ。
そのうわさが広まったのか、いつの間にか里香の試合を見る者は増えていった。
そして、準決勝まできたとき、30秒以内伝説は幕を閉じた。
相手の名は、伊藤敬子。
個人戦という個人戦すべてで優勝を総なめしている。
板垣祥子とは比べ物にならなかった。
が、里香はあくまで無心だった。
心を乱したほうが負けだ。
もう2分はたったろうか。
周りで見ている者も固唾を飲んで見守る。
と、そのとき、里香は体中から力を絞り出して、懐に飛び込んだ。
祥子を倒したときのコテだった。
決まったようにも見えたが、なんと敬子は一瞬の判断で体勢を変え、体を使ってコテをかわしていた。
敬子からも仕掛けた。
敬子も里香と体形は同じようで、得意技はコテだった。
こちらも里香の動きをそっくりそのまま返してコテを打つ。
里香も敬子のかわし方を真似してかわす。
そんなことの繰り返しだった。
と、不意に敬子がメンを打って来たその0コンマ何秒かの間に里香は思い出した。
今日の朝、試合前に見た選手の動き。
心の中で繰り返したイメージトレーニング。
思い出した瞬間、里香の体はまるでその動きを何度も練習していたかのように反応し、
イメージした技を出した。
「メン有り!」
その技は、メン返しメンだった。
どこにでもあるような技。
しかし、朝に見た選手の体裁きは速く、とても綺麗な手首の返しをしていた。
その体裁きと返しの美しさを、見事再現したのだった。
試合終了10秒前に入った一本だった。
その一本を守り抜き、里香は決勝へとあがった。
決勝での勝敗は言うまでもない。
もちろん、勝った。
強い選手をことごとく打ち破ってきた里香に怖いものはない。
体が勝手に動くのだ。
この場面でどうしたら一本入るかなんて、理屈じゃない。経験だ。
決勝が終わったあと、伊藤敬子がやってきた。
「久々にいい勝負ができてよかった。これで悔いはないわ。」
敬子は高3で、これがインターハイへのラストチャンスだったのだ。
「いえ、こちらこそ。」
「またどこかであなたと試合できることを楽しみにしてる。」
そういって敬子は去っていった。
高校に入ってはじめての試合で里香が手に入れたのは、
優勝と、インターハイへの切符だった。
こうして里香の高校デビュー戦は華やかに幕を閉じることとなる。
その後もずいぶん活躍し、ゆくゆくは武山高校剣道部の名物顧問となるのだが・・・
それはまだ先の話である。