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<ディアフレンド6>

 その後、十分くらい歩いただろうか。ようやく出口まで来ることができた。出口のはしごを上ると、大きな書庫に出た。すでに日が暮れかけており、大きな窓からはオレンジ色の光が入って来ていた。
 丁寧に掃除が行き届いた本棚には、専門書や百科事典などありとあらゆる本が置いてある。
「貴族というのは、こんなにも膨大な知識が必要なのか?」
 ヘンリーはクルシェに呆れた顔を見せながら聞く。
「さすがに、これを全部読破した貴族はいないかも。まあ、貴族はこういう部屋を持っていること自体がステータスだから。僕は図書館にでも寄付するべきだと思うけどね」
 クルシェは適当な本を取って、読もうとするが、その本は難解な内容だったらしく顔をしかめる。
「ああ、それは同感だな。貴族ってのは、知識がなくても生きていけるみたいだからな。どっかの誰かみたいに」
 ヘンリーは少し意地悪く笑う。
「え? なに? それって僕のこと? もしかしてバカにしてるの?」
 少しだけクルシェは顔をむっとさせた。
「そんなことはないぞ。金のかからない貴族がいてもいいだろうってことだ」
 クルシェをたしなめるように言うヘンリー。
「なるほど。じゃあ、僕は庶民の味方なわけだ」
 クルシェは胸を張ってそんなことを偉そうに言った。
「お前、そういうとこは貴族なんだな」
 ヘンリーは苦笑する。
 そんなやり取りをしていると、大きな扉が開く音が聞こえた。
「だれかいるのか?」
 低く、しっかりとした男の声。
「父様!」
 クルシェがその声にすぐに反応し、扉の方まで駆けて行った。
「クルシェか! 今までどこに行っていた?」
 しっかりとした上品そうなスーツを着込み、背が高い男。クルシェの父親だった。
「ちょっと怖いおじさんに誘拐されてたんだ。それでね。ヘンリー様が助けてくれたの」
 クルシェは父親を見上げながらしゃべりかける。
「ヘンリー? それはどこ出身の貴族だい? すぐにお礼をしなくてはな」
 父親はクルシェの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「え? ヘンリーは貴族じゃないよ。今そこにいる子がヘンリー」
 クルシェがヘンリーを指差す。部屋の奥からゆっくりとヘンリーが姿を現した。クルシェの父親は明らかに不快な顔をする。
「どうも。ヘンリー・アッペナートです」
 ヘンリーは、改まった調子で名乗った。
「ほほう。お前がこの子を救っただと? 貴族でもないお前が? どうせお前も誘拐犯の仲間なのだろう?」
 挑発的な態度でクルシェの父親は言った。ヘンリーはその言葉に俯いてしまう。
「そんなことないよ! ヘンリー様は僕のこと命をかけて守ってくれたんだよ!」
 クルシェが、父親の横で必死に訴える。
「いや、クルシェ。こんな格好のやつにロクなやつはいない。きっとお前を騙してこの屋敷に忍び込んだに違いない!」
 クルシェの言うことをまるで無視して、父親はヘンリーを攻め立てる。
「ちがう! ちがう! ちがう!」
 クルシェは必死に父親にしがみつてい叫んだ。しかし、父親は聞こうとしない。
「だれか! こいつをひっ捕らえろ! 犯人がわざわざ忍び込んで来たぞ!」
 父親は屋敷の中にいる使用人たちに向かって叫んだ。
 そんな父親を聞いてヘンリーはハッとした。頭の中で、過去の記憶がフラッシュバックする。
「……その台詞。その声。思い出した。お前は俺の母親を殺した貴族だな?」
 ヘンリーの声には怒りの色が濃く混ざっていた。
「うん? なんだいったい何を言ってるんだ? お前は?」
 いきなりの返答に戸惑うクルシェの父親。
「お前が! お前が!」
 ヘンリーは顔を上げる。その顔はまるで鬼のような形相でクルシェの父親を睨みつけていた。そのままナイフを両手で握るとそのまま父親に向かって走り出した。
 クルシェの父親はそれをしっかりと見極め、ヘンリーの腕からナイフを床に叩き落す。ヘンリーはバッグステップで距離を取った。ナイフはそのまま床を滑っていった。
 革靴の先にナイフが当たり、クルシェは怯えるように足を引っ込めた。ヘンリーがそのナイフを素早い動きで拾う。そして、そのまま怯えるクルシェの首にナイフを突きつけ、腕で動きを封じる。
「へ、ヘンリー様……?」
「黙っていろ。お前に怪我をさせる気はない。だから絶対に動くな」
 二人は父親に聞こえないように小声でやり取りした。クルシェは最後に小さく頷く。
「息子をどうするつもりだ?」
 父親の顔から、先ほどあった余裕が消えていた。
「どうもしないさ。ただ、お前の行動次第では息子の命がなくなるぞ」
 ヘンリーがそう言いながら、ナイフの先端をクルシェの皮膚に当てがった。ナイフの冷たさにクルシェの背筋には悪寒が走る。
「……わかった。ならば、私はどうしたらいいのだ?」
 父親は両手を上げながらしぶしぶ降参のポーズを取った。
「ああ、そうだな。お前には俺の母さんと同じ仕打ちにあってもらおうか。そこに手と膝をついて座れ」
 ヘンリーのその言葉にクルシェの父親は黙って従う。
「よし。ならそのまま顔を下に向けておけ。絶対に上を向くなよ」
 そう言って、ヘンリーは父親に近づき、こめかみを思いっきりナイフの塚で殴った。
 バタン
 と、父親は目を閉じて、ぐったりとする。そこでヘンリーはクルシェを開放する。
 ヘンリーはクルシェの父親の体を遠慮なく思いっきり踏みつけた。何度も何度も踏みつける。
「お前が! お前が! 母さんを返せ! ちきしょう! ちきしょう!」
 クルシェは目の前で行われている現実を受け入れられず、ただ呆然とそれを見ている。クルシェにとっての現実感がそこにはなかった。
 散々、母親の仇を踏みつけたヘンリーだが、気が晴れることはなかった。ただ、こんなことをしても母親は帰って来ないという現実が急にヘンリーの心を襲う。ヘンリーはその場で泣き崩れる。
「……ちきしょう、ちきしょう」
 そのつぶやきだけが、書庫の中を支配する。
 しかし、次の瞬間、気絶していたはずの父親が動いた。父親は、気絶するふりをして意識をずっと保っていたのだった。泣き崩れるヘンリーを取り押さえようと、後ろから接近する。そこでクルシェが声をあげた。
「ヘンリー様!」
 ヘンリーは声に反応して、首を後ろに向けると接近する父親に気がついた。反射的にヘンリーは振り返る。
 それは父親がヘンリーに飛び掛ったのとほぼ同時だった。
 二人はそのまま組み合ったような形で床に倒れる。
 ヘンリーは、自分が取り押さえられたと思い、慌てて父親を突き飛ばす。俯せの状態になる父親。だが、クルシェの父親の様子がおかしかった。ひどく呼吸が荒いのだ。
 そして、さらにヘンリーは違和感を感じる。それは自分の手だった。真っ赤に染まっている。自分の服にも赤い染みがついている。そして、鉄の匂いを感じ取る。
 その光景を一番良く理解していたのは、クルシェだった。すぐに父親のもとに駆け寄って、ゆっくりと仰向けにする。父親の右わき腹にはナイフが突き刺さっていた。
「父様! 大丈夫? 父様しっかりして!」
 それ以上どうしていいかわからずに泣き叫ぶ、クルシェ。
 一方、ヘンリーは何が起こったのかを理解できないでいた。
「お、俺がやったのか? これは俺がやったことなのか……」
 ひどく現実感がない言葉だった。ヘンリーの目には全てのものがぼやけて見えた。
 少しして、ずらずらと入って来た使用人や警察の騒ぎ声もヘンリーには届かない。
 ただ、この場は誰が見てもひどい光景だったことは間違いない。
 数日後、クルシェの父親は運ばれた病院で息を引き取った。当主がいなくなったオルタッド家は、すぐに力を失ってしまった。多くいた使用人たちが去っていき、豪華な家具たちは売却され、残されたのは大きな屋敷とクルシェと母親だけ。
 そして、すべての犯行はヘンリー・アッペナートの責任とされ、彼は終身刑を受けることになった。
 

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