行かないで。

どうして行くの?

私はここだよ。なのに行くの?

行っては嫌。

行かないで。あの人の所には――



 繰り返される悲願。

 届かない声が風に舞い、届かない腕が空を切る。

 元より、私には

 貴方を動かす声もなく、貴方を繋ぐだけの腕もないというのに。


「この世界では誰の物にもなるつもりはない」


 貴方の言葉を聴いた時に感じた胸の痛み。

 その痛みの意味に気付いたゆえの苦痛。


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「は?」

 フェイヨンダンジョン4階層。
 年中薄暗く湿った空気を漂わせるその空間に、間の抜けた声が木霊する。
 やっと上手く扱えるようになったソードメイスを振り回すアコライト。名はらふぁ。声の主。
 ごく最近まで、騎士、めりあどーるとして生きていたのだが、
 ギルド内の聖職者不足が深刻化。已むを得ず、聖職者として生きる事になった。
 それがまた辛いのなんのって。 クワガタを何万匹潰せばアコライトの上位職、プリーストになれるか
 計算したアコライト仲間の顔を見て、世の中知らない方がいい事もあると心底思ったのは黙っておこう。 

「めりたん?」
 
 ――めりたん。騎士時代の呼び名。相方だけはまだ私をそう呼ぶ。
 職や見た目で呼ばれるのではなく、私の中身と向き合ってくれてると感じる。
 ちょっと嬉しいけどきっと周りは混乱するだろう。

 

 黄泉の国に行きそびれ、化け物と化した少女の姿をしたモンスター、ソヒーを1匹抱えつつ
 相方のせしるが独り言のように口にしたその台詞。それがさっきの間抜け声の理由。

「うん。だからプロポーズ。されたの。  手。止まってるわ」

 脳を通過し、理解するまで約1分。あまりにサラリと口にするから、聞き流しそうになった。
 いや、聞き流した方が良かったのか? 違う。聞き流すには重い単語が陳列されたはず。
 唐突な告白に、私の脳がおかしな方向に向かっていく。明らかな動揺。その動揺を何故か隠さねばいけないと本能が囁く。

 相方の視線が痛い。何か返答をしなくては。どれが模範解答的な返答なのかもわからなくなっている。

「手。  まあ、断ったんだけどね」

 ああ、とりあえずは殴れって事か。え? 断った? プロポーズを?
 相方に短剣を向けるソヒーを倒さねば。壁してもらってるのに申し訳ない。
 アコライトとして、最終の徳を積む為、狩場に連れて来てもらったというのに
 「プロポーズ」という単語に過剰な反応をしてしまった。いや、普通反応すると思うんだけど。
 機嫌を損ねても面倒、手は止めずに聞いてみようか。
 月並みに「誰に?」と聞くのが普通だろう。次に相手とどうやって出会ったか、いつ出会ったかとか?
 動揺を隠す為、一般的な返答を探す。間が開けば開くほど聞きにくくなる。いっそそれを待とうか。
 単純に自分が聞きたい事も考えてみる。
 いつの間に?私何も知らなかったよ?プロポーズされる程に親密な人間が居たとか、何も。

「……誰に? されたの?」

 グルグル回る頭でやっと搾り出した聞きたい事。大丈夫。これを聞くのは別に不自然な事ではない。

「うん。アサの会合でいつも顔合わせてた人」

 アサ? アサシンの会合? ああ。
 ここのダンジョンの2階層でいつも溜まってるアサシン達。
 お互いの力量、武器、技、敵、その他色々な情報交換をしてるあの溜まり場。私も何度かお邪魔した事がある。
 相方もちょこちょこそこに顔を出していたのは知っている。
 
 不意にある人物の名前を呟かれた。
 思い当たる顔。いつも相方の隣に腰を下ろし、人懐っこい顔で笑う男アサシン。
 なるほど。そばに寄って来るのにはそういう理由があったわけか。
 元々色恋沙汰に疎い私は、まったく気が付いていなかった。

 もしかして、私だけが何もわかっていなかった?

 何故か無償に悲しくなってくる。
 相方という立場にある私が、何も知らなかった事が?
 親密になっている人の存在を隠されていた事が?
 相方として過ごしたこの4ヶ月、心を開いていたのは私だけ? 
 きっと負な内容は、今の私には全部当てはまってしまうのだろう。
 それを証拠にほら、「断った。」と聞いても
 胸の奥がチリチリと音を立て焼けるのを感じる。

 それ以上は何も聞きたくなかった。



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 翌朝。
 
「まあ断ったならいいんじゃない? 気が無いわけだし。何も変わらない。おk。終了」

 大きな独り言。
 自分に言い聞かせ、溜まり場に向かう。今日も相方と朝からソヒーを潰しに行く約束をしている。
 溜まり場にはまだ来ていない。早寝早起きの相方はもう起きているはずだから、声を飛ばしてみよう。
 
「おはよー」

 届いた。

『おはよう』

「どこにいるの?」

『フェイD2F。すぐ戻るね』

 
 ――フェイD2F。あの階層に相方の相手になるようなモンスターは居ない。
 ならば答えは例の溜まり場に行ってるという事になる。
 
 昨日の胸の焼ける感覚を思い出す。
 何故? 私はあくまでのせしるの相方。恋人でも何でもない。
 それなのに。どうしてこんなに締め付けられるように苦しい。
 いいじゃない? あの男アサならきっと相方を幸せにしてくれる。
 暗殺者のクセに、あんな気のいい男はそうそう居ないと思う。
 私は相方として彼女の幸せを喜ぶべきではないか。
 それにもう、そのプロポーズは断った。話は終わっている。今回はそれでいい。
 でも、また誰かに同じ様な事があった時、その時はきっと祝福しなくてはいけない。

 それなのに。

 今帰って来られても笑えない。自身が理解出来ていない感情が溢れ出てしまう。止めなくては。

「あー……ごめん。ちょっと気分が悪いんだ。帰って来なくていいよ」

 声を飛ばす。

 何処か刺々しい。
 こんな言い方では、アサシンとして感性を研ぎ澄ませ生きる彼女にはバレでしまう。
 でも口にしてしまった。読まないで、気付かないで。今日だけでいいから私の心を。

 そんな祈りも虚しく相方が帰って来た。

「大丈夫?」

 頬に触れる手が冷たい。
 きっと純粋に心配して帰って来てくれたはず。笑わないと……心配をかけてしまう。

「……どうして帰ってきたの?」

 違う。そうじゃない、言いたい事はそれじゃない。

「え?」

 頬に伸びた手をそのままに、相方は首を傾げる。
 今のは間違い。ちゃんと笑って心配させた事を謝らないと。

「どうして自分は気も無いのに、想いを寄せて来る男の所に行くの?」

 違う違う。そんな直球な。
 そんな事本当は思ってない。これは私の考えてる事じゃない。
 勝手に言葉が宙を舞い、ボロボロと流れ落ちてくる。

「罪な女でも演じたい訳?」

 これは何? 私の口から出てる言葉なのに
 自分で何を言ってるのか理解出来ない。思ってない、そんな事。思ってない筈。
 
「どうして行くの?行かないでよ」

 アサシンとして大事な情報交換。私もそれは理解している。
 新しい武器、新しい敵。知っていなければ確実に命を縮める。だから必要な事。
 まだアコライトの私は蘇生の魔法も使えない。ならばなおの事。
 いや、例え蘇生魔法が使えたとしても、目の前で倒れる相方を見るのは耐えられない。
 だから、嫌でも何でも情報交換は絶対必要。それは私にとってもだ。
 
 そもそも何故、あの溜まり場に行かれるのが嫌なのかもよくわからない。
 自分でわからない感情を、相方にぶつけて解決するわけがない。わかっているのに。

「ねえ……」

 頬に触れていた手が落ちた。
 相方の一度閉じた目が開かれ、感情の無い暗殺者の色に変わる。
 背筋が凍る。怖い。そんな表現がぴったりな目。

「どうしてめりたんにそんな事を言われなくちゃいけないの?」

 口にした言葉も、私の痛い所を的確に突いている。流石アサシンといった所か。
 恋人ならそれを言う権利というものがあったのだろう。しかし私はその立場に居ない。
 知っている筈なのに、それでも溢れ出す激情。もう止められない。

「じゃあ好きにしたらいいじゃない?」

 嫌。ダメ。好きにして欲しくない。どうしてもっと平和的な言い方が出来ないの。私は。
 お願いだから、ちゃんと私が思ってる事を伝えてよ。私の口。
 黙って私を見つめていた相方が口を開こうとしている。
 嫌だ。返事しないで。何も言わないで。私の言った事は本心じゃない。そんな言葉に返答しないで。
 色の無い視線を私に向けながら、相方の唇が揺れた。

「……わかった。好きにする」

 身体のどこか、深い部分が音を立て壊れた。
 
 全ての拒絶を背中に漂わせ、相方が踵を翻す。

 止めなくては。

 本能が叫ぶ。今止めなければ、きっともう2度と会えない。そう感じた。
 
「嫌! 一人で行かないで!」
 
 頭の中ではそう叫んでいる。
 しかし何故か声が出ない。体が1ミリも動いてくれない。
 息が継げない。何か言わなければいけない筈なのに。本当に口にしたい言葉は喉まで来ているのに。
 腕が届かない。捉まえたい筈なのに。相方という立場が伸びた腕を叩き落す。
 
 私はまだ何も本当の事を伝えていない。
 
 相方の背中が見えなくなった頃、全身の力を無くした自分の身体を抱いた。
 騒ぐでも暴れるでも無く、涙だけが静かに頬を零れる。
 胸を埋め尽くす嫌悪と後悔。刻まれる言葉。それが怖くて仕方がない。

(もう戻れない)
 
 震える身体を抱いたまま、届く事の無い謝罪を繰り返す。
 地面へと水滴が落ちていく。
 
 その涙の意味を認める訳にはいかない。
 認めてしまえば全ての線は繋がる。
 だが、認めてしまえば――
 
 知らぬ間に落ち、知らぬ間に終わった
 自分の恋を知ってしまう事になるのだから。


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【TO BE CONTINUED】