第16章『凶刃、月下に踊る夢夜叉』

 

ミロワから馬を駆ける事半日でローレイに…

 

そこからランドゥ伯が用意してくれた船で海を渡る事半日…

 

紫苑と夕華は夕暮れ時の港に静かに降り立った。

 

何しろ神の国は他の国との交流を拒みこうして船がやってくる事だけでも困難を極める事だった。

 

「それでは紫苑殿、夕華殿。2日後の夕刻…ここで。」

 

「船長殿、お世話になり申した。色々無茶を申し込んで済まないでござる。」

 

「いや、そんな事は…それでは任務の方をどうかご健闘を…」

 

「はい…ありがとうございました。」

 

そう礼を言い交わすと船はゆっくりと港から姿を消していった。

 

「…行っちゃったね…紫苑、ここからどうするつもり?」

 

「…そうでござるな…拙者はまだこの国に追われる身…うかつには動けないでござるからな…」

 

「そうだね…取りあえず私は本家に戻ってみようと思うの。」

 

「十六夜の本家に?」

 

「えぇ…そこならこの国の情報で調べられない事なんて何もないしね。」

 

「確かに…それにいつまでも本家の頭領が不在ではなにかと問題があるのでござろう?

 

 拙者に構わず戻ってみるといい。」

 

「…私はいいけど…紫苑はどうするの?」

 

「…少し…陽蝉寺に行ってみようかと思ってはいるのでござるか…」

 

「陽蝉寺…帝の…」

 

夕華のそんな呟きに紫苑は静かにうなずく。

 

「…分かった、それじゃあいったん別れましょ。集合場所は陽蝉寺でいいわね…

 

 あと…何かあればそっちに伝令をよこすから。」

 

「承知した…それでは…また後でな。」

 

「えぇ…紫苑こそね。」

 

それだけ言うと二人はその場から離れ目的の為に動き始めるのだった…

 

 

夕華と別れた紫苑は夕暮れの中…港から少し離れた丘に建っている寺、陽蝉寺へと向かっていた。

 

(この丘を登るのも…久方ぶりでござるな…)

 

そう思いながらも自分の後ろに広がる神の国を見下ろす。

 

陽蝉寺は神の国を一望出来る所に建っており、古くから皇族の眠る地として使われており、

 

代々の帝が眠っているお寺でもある。

 

紫苑がここを訪れたのは今までに2回のみ…

 

1度目は帝の葬儀の為…そして2度目は…国に追われるようになる前日の参拝だけだった。

 

(…そうだ…ここに帰って来たのだから…あそこにも寄らねば…)

 

そう思い寺への順路から少し外れた林道を歩き始める。

 

その先にあるのは、代々帝に仕えてきた者達の共同墓地で、

 

紫苑はこっちの墓地へはよく通っていた為道なりには慣れたものだった。

 

そして林道を抜け、目の前に見えたのは視界いっぱいの海…そしてそれを見渡す様に建てられた墓地だった。

 

その墓の中の一つに辿りついた紫苑はその前に膝を付くと己の刀をその墓前に捧げた。

 

「父上…風間紫苑、ただ今戻りました。」

 

そう告げ紫苑は静かに黙祷を捧げ始める。

 

紫苑の目の前の墓は風間家代々の墓で歴代の当主が眠る墓だった。

 

風間家は神の国の始まりより皇族に仕えていた家でもあり、

 

神の国の剣術指南、そして帝の側仕えとして帝からも強い信頼を寄せられていた。

 

紫苑の父の『風間十蔵』は紫苑が14の時に病にかかり他界してしまい、

 

それ以後紫苑が父に代わり皆斬流の継承者となるのと同時に帝に仕えることになったのだ。

 

若くして宮仕えとなった紫苑は困難にぶつかるたびここに来て父と対話したのだった。

 

…ゆっくりと…だが、明確に出来事を思い出しながら今まであったことを父の報告する紫苑…

 

そんな紫苑の背後から誰かの足音がした。

 

「…夕華…」

 

「ごめんね。邪魔…したかな?」

 

「…いや…もう終わったところでござるよ。」

 

そう言いながら墓前に捧げていた刀を再び腰に差し戻し、夕華の方に向き直った。

 

「陽蝉寺に行って見たら姿がなかったからここかと思って…」

 

「すまぬ。少しゆっくりとしすぎたでござるな…」

 

「そんなことは…」

 

「…いや、そもそも今の自分の状態を忘れていたでござるよ…この国でゆっくりしていられる場所はないと言うのに…」

 

「…紫苑…」

 

「父上…それでは拙者はこれで……いつか…すべてが許されたとき…またここへ…」

 

向き直りそう言い一礼すると紫苑は林道へと歩き始めた。

 

「し、紫苑……そ、それでは私もこれで…」

 

夕華もまたそう言い一礼し紫苑の後を追い始めたのだった。

 

 

墓地を後にし陽蝉寺に着いた紫苑達はその裏手にある大きな石碑へと向かった。

 

その石碑こそが代々の帝達が眠る地だった。

 

「宗孝殿…不肖紫苑参上致しました…」

 

そう言いながら深く礼を捧げる紫苑…

 

『加賀 宗孝』…それが今紫苑が礼を捧げている相手でありかつての君主でもあった。

 

この国をおこした一族、加賀家の最後の一人…

 

歴代の神の皇族の中でも1番の名君としてあがめられていた人物でもあり、

 

国民からも高い信頼を寄せられていた。

 

だが…その長き歴史は僅か2ヶ月前に崩壊したのだった。

 

突如現れた異形の魔人…たった一人の魔人により神の国の皇族達は全て息だえてしまった…

 

その時…何も出来なかった自分…魔人を前にし動けなかった体…

 

そして…我に返り、駆けつけた時既に事切れていた宗孝…

 

その事に対する詫びきれない黙祷を静かに終え紫苑はその場を黙って後にする。

 

そんな紫苑を察してか何も言わず夕華は黙ってその後に続いた…

 

 

陽蝉寺の表口にかえって来たところで、夕華がゆっくりと口を開いた。

 

「…あのさ…紫苑…さっき十六夜の家に戻ってから聞いた事なんだけどさ…」

 

「…何かあったのでござるか?」

 

「…生き残ったものを集めてこの国の行く末を加賀家の遠縁にあたる八代家の人間に託し、

 

 その当主をこの国の次期帝にしようと動き始めたらしいんだ。」

 

「ふむ…妥当な対策法でござるな…」

 

「それでさ…あたしその当主って人間に会って来たんだ。」

 

「夕華が?…何故に…」

 

「ほら…あたし一応国から紫苑を追うように命じられていたじゃない?あれって元は家老達から言われたことであってね…

 

 だからさ…今度は正式に次期帝からお達しが来たって訳。」

 

「なるほど…」

 

「それで…あたし言ったんだ…『紫苑とは今行動を共にしています。私が四六時中彼を見張っています。

 

 彼も彼なりにこの国の為に動いているのですから彼の事をもう少し考えてはくれませんか』…ってね。」

 

「なっ!?夕華、そんな事を口にすれば…お主すらも危ないのだぞ!」

 

「だって!…このままじゃ…哀しすぎるじゃない…紫苑だってこの国の為を思って動いているって言うのに、

 

 国には戻れず…挙句の果てに追われる身になるし…もし仇を討ってもこの国に戻ってくる事も出来ないなんて…」

 

「夕華…」

 

「そう言ったらさ…紫苑のこの国の行動が私達十六夜の管理下に置かれるけどある程度自由になったんだ。

 

 それに…あの魔人を打ち破った暁にはこの国に戻ってくる事も許そうって…」

 

「…そうで…ござるか…夕華、何から何まで…拙者の為なんかに…かたじけない。」

 

紫苑はそう言いながら夕華に深く頭を下げた。

 

「あ…いや…ほ、ほら…私達…幼馴染でしょ…だ…だから…

 

 そのね…し、紫苑の為だったら…これぐらいの事…その…苦にもならないし…」

 

しどろもどろと言葉を口にする夕華だったが最後の方は聞き取れないほど微かなものになってしまっていた。

 

「…うか……か?…だい……ざるか……夕華?」

 

「えっ!…うわっ!?」

 

気がついた時夕華の目の前には心配そうに顔を覗かせた紫苑がいた。

 

「大丈夫でござるか?何やらぶつぶつと口にしていたようでござったが…」

 

どうやら言葉を口にはしていたが聞き取れないような微かな呟き程度にしか言葉になっておらず一人延々と喋り続けていたようだ。

 

「な…何でもない…」

 

ばつが悪くなった夕華はしゅんと小さくなってしまう。

 

「??…そうでござるか。夕華、せっかくお主が拙者に自由を与えてくれたのだから風間の家に帰ろうと思うのだが…」

 

「紫苑の実家に?それぐらい何でもない事だけど…そうなると私がついていかないと行けないし…

 

 それに十六夜とは別の忍びまで家のほうを見張る事になるのよ…それよりも十六夜の家の方が…」

 

「いや…せっかく帰ってこれたのだから自分の家の方が落ち着くでござるよ。

 

 それに…少しやらなければいけないこともある故に、風間の家に帰る必要があるのでござるよ。」

 

「やらなければいけない事?…それってどういう事?」

 

「帰ってから説明するでござるよ。」

 

「…分かった、紫苑がそう言うのなら大事な事なんでしょ。私も付き合うよ。」

 

「すまない…それでは十六夜の方にそう連絡を…」

 

「その必要はないわ、こうしてる回りにも何人かここに潜んでるし…

 

 一応あたしも色々と疑われてるみたいだしね。」

 

「なっ!?…それはどういう事でござるか?」

 

「紫苑を追いかけ始めて2ヶ月近くも何にも連絡しなかったし…一応昔からの知り合いだから…色々とね。」

 

「そう分かっていながら…あのようなことまで…」

 

「別にいいのよ…私、あいつに出会ってからね…少し自分に素直になったんだと思う。」

 

「あいつ……それは、ロディ殿の事でござるか?」

 

「うん…ロディに出会ってなかったら…あたし、紫苑とこうして向き合ってなかったかもしれないしさ。」

 

「…確かに…ロディ殿にはこう…どこか不思議な雰囲気が漂っていたでござるよ。」

 

「そうだね、だからさ…あたしは自分の思った通りに行動していくって決めたの。」

 

「…そうか…ところで夕華…ロディ殿のことは…」

 

「…色んな方面から話を聞いてみたけど…この国にはどうやら来てないみたいなの…」

 

「そうでござるか……おっと、そうこうしている内に日がかなり沈んでしまったでござるな。

 

 夜になってしまう前に家にもどるでござるよ。」

 

「そうね。」

 

そう思い紫苑達は陽蝉寺を後にし始め山を下り始めた。

 

それを追うように幾つかの影も二人を追い始めたのだった…

 

 

夜の帳が落ちた頃…紫苑達は懐かしき風間の家に帰ってきた。

 

厳格な門構え…庭に植えられた色鮮やかな広葉樹達…何もかもが紫苑が出ていく前の状態だった。

 

「この家に帰ってくるのも…久方ぶりでござるな…」

 

そんな事を呟きながら玄関を開けるとその様子に紫苑は少し驚いた。

 

「むっ…これは…拙者は確か2ヶ月近くこの家を開けていたというのに…」

 

そう…中の様子まで出ていく前そのものだったのだ。

 

廊下にはチリ一つ落ちておらず、ほこりをかぶっている様子も見られなかった。

 

「あっ…それはね、この家の掃除…十六夜の家の方に言ってあって、定期的に掃除させてたからよ。」

 

「そうでござったのか…」

 

「うん、ほら…紫苑がもし帰ってきた時…家が汚れたままだったら大変だろうと思って…」

 

「何から何まで…本当に申し訳ないでござるな。」

 

「そ…そんな事…私が勝手にした事だし。」

 

「それでもやはり礼を言わせて欲しいでござる。ありがとう、夕華。」

 

「あ、いや…ほら…その…早くあがろ、こんなとこで話してても…ね。」

 

照れから真っ赤になった顔を隠しながらそう促し家の中へと入っていった。

 

 

夕華に急かされながらも家に上がった紫苑だったが、今につくや否や今度はそこに押しやられ夕華は台所へと消えていった。

 

どうしてか尋ねてみると、『何をするにしてもまず腹ごしらえ。腹が減っては戦は出来ぬ、よ。』と答えられ、

 

『それならば拙者が…』と言うと『男が台所に立つもんじゃないの。』と言い切られてしまった。

 

手持ちぶたさになったので懐かしい家の様子を見て回ろうと思った紫苑だったが、

 

あれだけ念を押されてしまったので居間からいなくなると夕華に何をされるか分からないので大人しく待つことにした。

 

数十分後…

 

「おまたせ〜。」

 

そう言いながら夕華が色々な器を机に並べ始めた。

 

並んでいる料理はグランディア大陸の方では全くお目にかかれない神の国の郷土料理の数々…

 

パンやスープなどではなくお米に始まり色とりどりの食材が並んでいた。

 

並べられた料理を見て紫苑に再びある疑問が浮かび上がってきた。

 

「夕華…この家にはこの様な食材は置いてなかったはずなんだが…

 

 あったとしてももうとっくに鎖果てているような気がするのでござるが…」

 

「…あと…う〜…その…」

 

しばらく口を紡ぎ何か良い言い訳がないかと探る夕華だったが諦めて本当の事を話すことにした。

 

「あのね…実は十六夜の家から拝借してきたんだ。」

 

十六夜の家から…すなわち夕華の家から食材を持ってきた事を正直に紫音に話したのだった。

 

「夕華…実の家からその様な盗人のような真似をして…一体どういうつもりだったのでござるか?」

 

「それは!…その…し、紫苑に…あたしの料理を…食べてもらおうと思っただけで…」

 

「?…そんな事をしなくとも料理を食べさせてくれるのならば拒む理由はないが…」

 

「いや…そう言う意味じゃなくて…」

 

「??それならどう言う意味でござるか?」

 

「……そ…それは………も、もうそんな事はいいから冷めない内に食べよ。」

 

「ふむ…そうでござるな。料理は温かいうちに頂かぬとな。」

 

何だか附に落ちない紫苑だったが夕華の言う事ももっともだったので料理の前に腰を下ろした。

 

「それでは…いただきます。」

 

そう言い箸を取ると料理を口に運び始めた。

 

その様子を夕華は胸の鼓動を押さえながら見つめていた。

 

「ど…どうかな?」

 

「いや…これはとてもおいしいでござるよ。夕華にはこの様な特技もあったのでござるな。」

 

「本当?えへへ…頑張ったかいがあったみたいね。」

 

紫苑のそんな反応に嬉しさを隠せずごまかす様に自分も料理を口にし始める。

 

「それにしても…夕華、料理を習うなどよく八房殿が許したものだな。」

 

八房とは『十六夜 八房』…つまり夕華の実の父に当たる人物で十六夜流忍法11代目継承者で、

 

現在は夕華に十六夜の全てを任せ隠居し弟子達の指導にせいをだしている人物。

 

その鬼のような指導方法には脱落者が後を絶えないほど厳格な人物だった。

 

「えっ…いやぁ…その…父様には言ってないの…」

 

「なっ!?」

 

「何度頼んでも『そんな事をするぐらいなら修行に時間を回せって』そればっかで…

 

 泣いてたらさ…母様が見かねて父様に内緒で料理を教えてくれたんだ。」

 

「なるほど…それなら納得でござる。」

 

そう頷き紫苑は再び箸を進めだす。

 

「あ…あのさ…紫苑…」

 

「?…どうかしたでござるか?」

 

そう紫苑を呼び止めた夕華の様子が明らかにおかしかった。

 

何だか視線を常に泳がせながら顔を真っ赤にしながら紫苑の顔を見ようとしていた。

 

「??夕華、何だかそなたらしくないが…何かおかしかったでござるか?」

 

「そ、そうじゃなくて……そ…その…こうしてると……私達…夫婦…みたいだね。」

 

言葉を必死に絞りだし夕華はようやくそれを口に出来たのだが…

 

「???何を言ってるのでござるか、拙者達は婚儀をあげてはいないでござろうが。」

 

紫苑はいつもの顔でその言葉を受け流した。

 

「い、いや…それは例え話で…」

 

「夕華、結婚前の女子が軽々しくそんな事を言わない方がいいでござるよ。

 

 他の者が聞いたら誤解してしまうでござるからな。」

 

紫苑はやはりそんな夕華の言葉の意味に気付いてはいないのかそう優しく諭す。

 

「えと…その……う、うん…」

 

夕華は諦めにも似た溜息をつきながらも黙々とその感情をごまかす様に食事に没頭するのだった…

 

 

夕飯を食べ一息つき、時刻は既に深夜とも呼べそうな時間…

 

紫苑と夕華は紫苑の家の敷地内の道場の中にいた。

 

「ねぇ紫苑…いったいここで何をするの?」

 

夕華がそんな素朴な疑問を紫苑にぶつける。

 

それもそのはずだった。

 

彼女はもう寝ようと思っていたら突然紫苑に道場に来るように言われたからだった。

 

「夕華…これが何か…分かっているでござるよな。」

 

そう言いながら紫苑が取り出したのはシオンの愛刀でもある『漸鉄』だった。

 

「これあんたの愛刀じゃない。これがどうしたって言うの?」

 

「…この刀が女神が残した十二の神器であることは?」

 

「それも聞いた事があるよ。私のこの『神風』と同じだって…」

 

そう言い夕華も己の腰に差している愛刀を見せる。

 

「そうでござるか…それならばこの刀は力を封じられていることは?」

 

「えっ…」

 

「この漸鉄はその強大な力から封印を施されているのでござる。」

 

「そんな事…」

 

「夕華…お主も覚えているでござろう。…14年前…拙者が初めて皆斬流の教えを受けた日のことを…」

 

「14年前…」

 

「拙者は…あの日…この刀に魅入られてしまった…」

 

シオンのその言葉に忘れかけていた記憶が徐々に夕華の頭に浮かび上がってくる。

 

14年前…紫苑が10歳…夕華が9歳だったあの日の惨劇を…

 

 

そう…あれは夏の日のことだった…

 

紫苑が今日初めて皆斬流の技を教えてもらったんだと嬉しそうに夕華の家へとやって来た日のこと…

 

その技を夕華に見て欲しくて夕華を自分がいつも稽古をしている森の中の鍛練場に連れて行った。

 

その手には豆だらけの手にしっかりと握られ、家から黙って持ち出した『漸鉄』があった。

 

鍛錬場に着き夕華を適当な切り株に座らせると紫苑は今日習った型を夕華に見せ始める。

 

初めて習ったとも思えぬほどの綺麗な型に夕華はひどく喜び、紫苑にもっと見せてと煽り立てると紫苑も嬉しそうにそれを見せ続けた。

 

…だが…それに熱中し続けた為か背後から襲い掛かってきた何かに気が付くはずもなかった。

 

紫苑を背後から襲ってきたのは、餌を求め下山してきた大きな熊だった。

 

熊の一撃は傷こそは浅かったのだが紫苑の戦意を削ぐには十分なものだった。

 

初めて体験するとてつもない恐怖…そして死への絶望感…

 

夕華が死を直感し、目を閉じかけたとき…紫苑が考えられないほどの速さで熊を切り裂いていた…

 

その光景は今もなお鮮明に思い出せる…

 

その姿すらも別人のような紫苑…その紫苑が狂ったように、だがどこか嬉しそうに何度も熊の体を切り裂いてる光景が…

 

 

「覚えてる…あの日の紫苑…」

 

「そう…まだ未熟だった拙者の手ではこの刀は使いこなすことができなかったのでござる。」

 

「…あれ…だけど…」

 

さっきの光景を思い出してからどうしても引っかかる事があった。

 

暴走する紫苑…それを脅えながら見続ける自分…

 

だが、その後どうやって紫苑が正気に戻ったのだろうか。

 

「ねぇ紫苑…あの後、どうやって正気に戻ったの?」

 

「ぬ?そこは覚えてはおらぬのでござるか?」

 

「うん…そこまでは思い出せるんだけど…」

 

夕華にそう言われ考え込んだ紫苑だったが、やがてその口を開いた。

 

「…拙者は…夕華に救われたのでござるよ。」

 

「あ、あたしに!?」

 

「刀に魅入られ我を失いかけていた拙者の耳に届いたのは夕華の声でござった。

 

 拙者がその声に導かれ正気に戻ったとき夕華が拙者を抱き止めながら必死に呼び掛けていてくれたのでござる。

 

 夕華がいてくれたからこそ、拙者は自分を取り戻せたのでござる。」

 

「え…えと…あの…」

 

いくら覚えてない事とは言え面と向かってそう言われ夕華はどう答えていいか分からなかった。

 

「本来ならばこの封印は拙者が皆斬流を修めた時に改めて開封するはずだったのでござるが、それをせず我が父は命を落とした…

 

 そのため今まで封印し続けていたのでござるよ。」

 

「それを…解くっていうの?」

 

「うむ…あの魔人を…それにロディ殿を止めるためには今よりも強い力が必要なのでござる。」

 

「だ、だけど…下手したら刀に…」

 

「…再び魅入られてしまうかも知れぬ…過去に扱いきれず死んだ者も少なくはないのでござる。」

 

「そ、そんな!?」

 

「夕華…そこでお願いがあるのでござる…もし、拙者が再び魅入られ我を失ったとき…

 

 そなたの手で…拙者を斬り捨てて欲しいのでござる。」

 

「えっ……」

 

「あの時は幼かったゆえに大した被害には及ばなかった…

 

 しかし今の拙者が暴走してしまってはどうなるか予想もつかないのでござる。」

 

「そんな事…」

 

「頼む…このような事そなたにしか託せないのでござる。」

 

できない…そう続けようとした夕華の言葉を紫苑の言葉が遮った。

 

紫苑の本気の眼差し…それを前にし夕華ができる事と言えばその首を縦に振る事だけだった…

 

 

夕華に見守られながらも紫苑は立ち上がり漸鉄を抜き強く握り締める。

 

「漸鉄よ…我が名は紫苑。継承者にして主なり…我に応えよ…夢夜叉!」

 

それと同時に紫苑の刀が僅かに淡く光を放ち始める。

 

「架せられし呪印より解き放たれその真の姿を我に見せよ…」

 

そして用意をしておいた神酒を静かに刀身に滑らせる。

 

「…その姿…我が前に見せよ、漸鉄・夢夜叉よ!!」

 

瞬間、刀に落雷でも落ちたかのような雷光が降り注ぎ辺りが白の光に包まれた。

 

「紫苑っ!!」

 

万が一に備え神風を握り締めていた夕華のこえが響き、次第に光がやみその姿がはっきりと見え始める。

 

段々と明らかになってくる紫苑の姿…

 

それが紫苑の意識ではなかった場合自分は…紫苑を殺さなくてはならない。

 

「夕華!大丈夫でござるか?」

 

そんな夕華の不安を打ち消すように聞こえてきたのはいつもの紫苑の声だった。

 

「し…おん。紫苑なの?」

 

「そうでござるが…夕華は何ともないのでござるか?」

 

「う…うん。ねぇ…封印…解けたんだよね?」

 

「そうなのでござるが…あまり変わったようには感じないのでござるよ。」

 

「そっか…それって、紫苑がその刀を使いこなすには十分だったって事なのかな。」

 

「…そう思いたいでござるな。」

 

「そうに決まってる…紫苑あんなに頑張ってたんだから当然だと思う。」

 

「夕華…」

 

「そうと分かったらもう寝よう。明日もやる事沢山あるんだから。」

 

「…そうでござるな…」

 

何か腑に落ちない紫苑だったが夕華にせかされ自分も寝室へと向かうのだった。

 

 

深夜…夕華は自分の寝室に何者かが入ってくる気配を感じゆっくりと目を開いた。

 

「…誰…?」

 

そう口にするのも愚問なことだった。

 

この家には周りにこそ何人かが潜んではいるもののこの家の中には紫苑と夕華しかいないのだからそこにいるのは…

 

「…し、紫苑。」

 

突然の来訪に夕華は驚きを隠せなかった。

 

あの紫苑がわざわざこんな深夜に自分の寝所に来る…それはつまり…

 

「なっ…その…じ、自分の部屋はここじゃないでしょ。」

 

そんな紫苑にどうしていいか分からずそんな事を言いながらそっぽを向く夕華。

 

夕華の言葉を無視するかのように紫苑はゆっくりと近づいてくる。

 

「ししし、紫苑!そ…その…私達はまだ…その…」

 

自分でも何を言っているのか分からない夕華…そんな夕華に紫苑は足を止めることなく近づき…

 

その刃を真っ直ぐ突き下ろした!

 

『ズガッ!!』

 

そんな紫苑の刃を間一髪で夕華は布団から素早く出てかわしていた。

 

「し…しおん…?」

 

布団から出る際にいつも手元に忍ばせている神風を手にし対峙する夕華と紫苑。

 

そんな夕華を見て静かに笑みを浮かべると尋常ならざる動きで部屋を飛び出していった。

 

「今の…確かに紫苑だった…やっぱり…刀に操られていたの?」

 

そんな事を呟きながらも素早く自分の装備を整える夕華。

 

操られた紫苑…すなわち…自分が紫苑を斬らなければならない事実。

 

「私…わたしは…」

 

自分に迷いながらも夕華は紫苑の後を追い屋敷を後にした…

 

 

外に出てみて夕華は変な違和感を感じた。

 

(…おかしい…この家は紫苑の監視が何人もいたはず…その紫苑が出て行ったのだからそれも動くはずなのに…)

 

そう…ありえないはずの気配がまだそこにあったのだ。

 

疑問に思いその気配のほうに向かう夕華…その前に見えたのは…

 

(こ…これは…全部紫苑が…)

 

ごみの山のように積み上げられた人間の死体だった。

 

死体は全て一刀の元に斬り捨てられており痛みを感じることもなく絶命したと思われそれらはどれもが普通の表情をしていた。

 

中には談笑の途中だったのだろうか、笑顔のまま絶命したものもあった。

 

それを目にし夕華には紫苑への恐怖がたちこめてきた。

 

確かに自分でもこの程度の人数を殺すのは容易なこと…

 

だが今回のはそれをはるかに超える技術…

 

対象に気配を悟られることなく近づきそれを一刀で斬り伏せる…しかもこの人数をだ。

 

(これが…刀の力…こんなでたらめな!?)

 

驚き戸惑いながらも紫苑の姿を求め夕華は夜の街を駆け出すのだった…

 

 

紫苑を探し始めて数分後…

 

意外にあっさりと紫苑の姿を捉えることができた。

 

だが…そこにはそれと同時に何人かの死体も転がっていた…

 

「紫苑…あなたは…」

 

暗闇まぎれる夜の街…そこで二人はお互いに対峙しあった。

 

「……お前は……俺を楽しませてくれるのか?」

 

瞬間、紫苑の姿が消える。

 

「えっ…?」

 

直後に背後に恐怖を感じた夕華が飛び退くと先程まで夕華がいた場所に紫苑の刀が叩きつけられていた。

 

「なるほど…いい反応をしている…お前なら俺を楽しませてくれそうだ…」

 

そう呟くと同時に紫苑は再び闇へと消える。

 

「そんな…まったく見え!?」

 

『ガキッ!!』

 

闇の中八方から襲い掛かってくる刃を何とか受け止め続ける夕華。

 

(気配すら掴めない…こんなの…どうやって斬ればいいの!?)

 

戸惑い迷う夕華だったがついには…

 

『キンッ!!』

 

受けきれず神風が宙を舞い地面へと突き刺さった。

 

「終わりか…中々に楽しめた…」

 

「!?」

 

そんな声とともに紫苑の一刀が夕華へと襲い掛かってくる。

 

防ぐものもなく反応が遅れ避ける事もできない…

 

(…ごめんね…紫苑…)

 

そんな夕華にできた事は静かに目を閉じることだけだった…

 

 

『…ドゴッ!!』

 

だが次の瞬間、耳に入ってきたのはそんな何かを弾き飛ばすかのような声だった。

 

「すまない…遅れてしまったでござる。」

 

そんな事を言いながら夕華の前に現れたのは他ならない紫苑だった。

 

「し…紫苑?そ、それじゃああいつは…」

 

そう言いそれに目をやった時、月明かりが差し込みその姿がはっきりと見えた。

 

「ふん…真打登場…か。」

 

そこに立っていたのは姿こそは紫苑だったのだが、その髪は銀色をしており深紅の瞳をしていた。

 

「お主…何者でござるか。」

 

「俺か…俺は夢夜叉…そう言えば分かるだろう?」

 

「漸鉄に封じられしものでござるか…一体どう言うつもりでこんな事を!」

 

「…簡単さ…その中に長い間閉じ込められて暇してたんだ。だからこうして遊んでるって訳だ。」

 

「遊ぶ…だと…お主は…人を殺める事を遊びだとでも言うのか!」

 

「その通りだ。他人との命の奪い合い…これほど胸が踊る遊びは他にはないだろう?」

 

「…夢夜叉…もう一度この刀に戻ってもらうでござるよ。」

 

そう言い漸鉄を抜き構える紫苑。

 

「…戻ったとして…お前に俺が扱いきれるか?」

 

「無論…この紫苑…同じ過ちは二度も踏まぬ!!」

 

『ザンッッ!!』

 

一足踏み込み紫苑が斬りつけるが夢夜叉は素早く闇の中に身を隠す。

 

「ならば…俺を楽しませてみろよ!!」

 

 

夕華を相手にしていた時とは比べ物にならないほどの速さで襲い掛かってくる斬撃。

 

紫苑はそれをさばき続けるが次第に小さな傷がつきはじめる。

 

「どうした!威勢がよかったのは始めだけか!!」

 

「………」

 

そんな罵倒を気にする様子もなくただじっとさばき続ける。

 

「…つまらん…もう終わりにしてやる!」

 

その言葉と同時に一度に襲い掛かってくる八つの刃。

 

逃げ場のないその刃に紫苑はただ刀を握り締めているだけだった。

 

「紫苑ー!!」

 

「死にやがれ!!」

 

その声とともに紫苑ははじめてそれに対し動いた。

 

「見切った!そこでござる!!」

 

「なっ!?」

 

刃に向かい踏み込む紫苑。

 

その刃は紫苑の体を静かにすり抜ける。

 

「見よ…これが皆斬流が奥義、無明凍剣!!」

 

紫苑が放ったその斬撃は辺りの空気を凍りつかせ巨大な氷柱を作り出した。

 

その氷柱の中には夢夜叉が閉じ込められていたのだった。

 

「こ…これは…どう言う事なの紫苑?」

 

「…つまり先程の刃は幻だったのでござるよ。」

 

「幻?あの刃が?」

 

「そう…こいつは暗闇に身を潜めて幻の刃で惑わした所を斬り捨てるつもりだったのでござろう。」

 

先程捕らえたその氷を小突きながら紫苑はそういった。

 

「紫苑…それ…どうするつもりなの?」

 

「…やはりもう一度封印を…」

 

「その必要はないな…」

 

『!?』

 

そんな声がしたかと思うと目の前の氷は音を立てて崩れた。

 

「なっ!…これを内側から破るなど…人間業では…」

 

「当然だ、俺は人間などではないのだからな。」

 

夢夜叉はそう笑って呟いた。

 

「ならば…おぬしを今一度!」

 

「やめておけ…命を落とすことになるぞ。」

 

「何を…」

 

そう言い刀を抜こうとした紫苑の喉元に夢夜叉の刀が突きつけられた。

 

「先程は手を抜いてやったが…今度はそうはいかないかもしれないぞ?」

 

「なっ…」

 

あの動きで自分が手加減されていたことを知り紫苑は大きな脱力感を感じた。

 

勝てない…この男に自分は勝てないのだと…思い知らされた。

 

「お前の力では俺に勝つことはできん…それは分かっただろう?」

 

「………」

 

「このままお前を殺してもいいのだが…俺はお前が気に入った。

 

 お前といると中々に楽しいことにめぐり合えそうな気がする。」

 

「楽しいこと…だと。」

 

「そうだ。だから今回は大人しく刀に戻ってやる。俺はもう十分に楽しんだ。」

 

「ふ、ふざけるな!拙者を…拙者を愚弄する気か!!」

 

「愚弄などしてはいないさ…お前を認めたのだ。初めてこの俺を満足させたのだからな。」

 

「ぐっ…このような仕打ち…愚弄以外の何でも…」

 

「悔しければ強くなればいい。それこそ…この俺を打ち負かせるぐらいな…」

 

それだけ言うと夢夜叉は光となり紫苑の刀へと戻ったのだった。

 

「くっ!…勝ち逃げ…など…」

 

「紫苑…」

 

悔しそうに涙を流すシオンに夕華は何もできずにただ立っていた。

 

しばらく涙を流したかと思うと不意にそれを拭いゆっくりと口を開いた。

 

「…夕華…拙者…もっと強くなるでござるよ……今度こそ…こいつを打ち負かすためにも!」

 

そう言う紫苑の瞳はどこか悔しそうで…だがはっきりとした強さが感じられるものだった。

 

そんな紫苑を見て夕華もまたこいつに負けないように強くなろうと思うのだった……

 

 

 

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