はじめに

平成14年2月23日、都内某所(極秘結婚式ではない)で秋田朋弘、中尾清美さんの
結婚式及び披露宴が催された。
この日は、必ずや祝辞の際に「お日柄もよく」という言葉が出てくるといった感じの天気だった。
(しかし、自分の聞いていた限りその言葉を発した人はいなかった。
天気に合わせる臨機応変な原稿を誰も書いていなかったのかもしれない)

 


PM0:00 式会場


当日私は、もしかして席がないのではという一抹の不安の中会場に着いた。
それはなぜかというと、私は1月18日締め切りの招待状の返事を2月5日頃送ったからである。
自分の不甲斐なさに呆れて物も言えない。
(でもまあ、一応強制参加になっていると秋田君本人に聞いてはいたから、
問題ないとは思っていたけど。(そういう問題ではない!))

実は、式場に行くまでにちょっとした事をやっていたため、
新橋の待ち合わせに一番最後に着くことになってしまった。
それは本間に写メールを送るためにわざわざ新宿で途中下車し、
アルタ前で俺の写真を撮っておくることである。
どうしてそんなことをしたかと言うと、俺が今日の本間(三澤研同輩)のいでたちを聞いたら、
アルタ前でアルタビジョンを背景に写メール送ってきた。
そのメールの中で本間が俺のいでたちを見てみたいと書いてきたので、
待ち合わせの時間にはまだ余裕があると考え、
アルタ前で写真を撮ることを画策し実行したのである。
本間から「おお何でこんなところで撮ってるのだ」
という反応が返ってくることを考えていた俺だが、
(なぜそんな反応が返ってくるかって?
それは自分がさっきまでいた場所に俺がいたら驚くでしょ。違うかな?)
この事実を本間は俺が言うまで気づかなかった。写真を見てもアルタ前とは気づかなかったらしい。
なんと面白みのない男であろうか。
そんなことをしていたため、本当は山手線を半周して新橋に行く予定だったのだが時間がなくなり、
中央線を使用して時間ぎりぎり11時30分に到着した。先に書いたように一番最後。
新橋で待ち合わせた三澤先生夫妻及び三澤研関係者の方々にこの場を持ってお詫びしたいと思います。

話はもとに戻って式場に着いた自分は、手持ち無沙汰だった。
結婚式が当初の予定より押していたことと、こんなときに何をすればいいのかわからないからであった。
とりあえず、時間がくるまでチャペルの前で暇を潰していたとき、
歓声とともに秋田夫妻がやって来た。(正確にはこのときまだ夫妻ではないのだが)
おれは、その容姿(秋田君)を見て不用意にも吹き出してしまった。
別に格好が悪かったとかいうのではなく、秋田君が正装なんてということで笑ってしまったのである。
その後式は始まり、つつがなく進行していく。
途中本間が俺のJ-PHONEを使用して写真をとりたいと言い出し、
俺と小林(三澤研同輩)は、田口(後輩)にビデオを何で撮らないのかと指摘していた。
本間は、自分も同じJ-PHONEを持っているにもかかわらず、電池がないという理由から俺のを借りた。
まったく、遠路はるばるやってくるのに何で充電ぐらいした来ないんだと思ったものだ。
こんな感じでゴソゴソやっていたとき杉崎(三澤研同輩)に「うるさいな」と注意された。
確かに自分でもそう思っていた。
その後前のページでも書いてあったように、ここでちょっとした事件が起きた。
それは皆がシャッターチャンスと思っていた場面がなかったのである。
そのときの会場のざわめきが皆が期待していた証拠である。

式が終わり外で、写真撮影と相成った。
しかし、冗談抜きでいい天気だった。
これは、つつがなく終了した?


PM2:00 披露宴にて


次は、披露宴ということになる。
披露宴会場に入る前にもちょっとした関門があった。
それは、ご祝儀である。
前日ご祝儀に書く名前を筆ペンで2時間近く練習したが、
改心のできとは言い難かったく人前に出すのが少々はばかられた。
こんなことなら、普段から練習しておけばよかったと後悔したものだった。
受付は、秋田家側を秋田君の旧知の友人と会田君(三澤研同輩)が受け持っていた。
この二人のどちらに祝儀を渡すか考えたすえ、旧知の友人の方を選んだ。
それは、「おめでとうございます」と会田君に言うのがなんとなく違和感があったからである。
もし俺が会田君の立場で受付をやっていて、会田君に「おめでとうございます」って言われても、
俺なら苦笑いしかできない。
まあ、もし秋田君の旧友がいなくて受付に会田君一人しかいなかったとしても、
一応日本のしきたりだから言うだろうと思うけど……。
また会田君は会田君で「そろそろ俺三十路だし、俺より先に結婚しやがってしかも三十路直前。めでたくともなんともねーよ」
とかおもっているかもしれないし。
その心境を慮れば、なかなか会田君に向かって「おめでとうございます」という言葉はでてこない。

受付を済ました俺たちは、なんとなく殺風景な部屋に通された。
俺は、ここが披露宴会場かと最初考えていた。
この部屋で気になったのが、奥の方に立っていたついたてである。
このついたては、なんとなく不自然だった。
もしかすると、このついたてをどかすと高砂その他が出てくるのかとも考えた。
結果は、別の部屋ということだった。
考えすぎである。
まさか、待合室ごときに一部屋使うなどとは考えもしなかった。
しばらくして披露宴会場に案内された。 披露宴は結構楽しかった。
大畑(大学同輩)が祝辞をするために、一切食事が喉をとおらないさまとか、
アナウンサーが自分たちに原稿を見せるために原稿を取ろうとしたら、
水入れが倒れマイクを通じて会場全体にその音が響き渡ったりとか、
○○先生(三澤研の教授)が爆睡しているのを見たりとか、
壇上の上で(高砂?)緊張している秋田君の顔とか、
キャンドルサービスでの最後の蝋燭がなかなかつかず、
ついてもかなり頼りなっかたりとか、
最後の両親に向けての涙を誘うシーンでの、
静寂の中に響く親戚のおじさん?の声とか、
などなどいろいろと面白かった。
つつがなく披露宴も終わり会場から出るとき、
やはりというか当然というか、新郎新婦が待っていた。(俺一人をじゃないよ)
実際俺はこういうのが苦手で、なんと声をかければいいのか非常に悩んだすえ、
前の人と同じ言葉を言っただけだった。(なんとも不甲斐ない。気の利いた言葉のひとつでもと考える俺)
しかし、新婦が俺の名前を覚えているとは少しばかり驚きだった。
飲み会の席で、たった一回しかあってないのにである。
(そういえば、風のうわさで卒業アルバムで俺の顔を見つけてから、
他のメンバーを探すとか聞いたことがあったな。その辺の影響か?)
それでこの後二次会になるわけである。

 


PM5:00 二次会にて


二次会は、俺と本間は受付をやることになっていたので(ここ重要)
俺と本間、手伝いに小林がみんなより先に会場に入った。
会場は、日航ホテルの向かいのアクアシティの6Fの三十三間堂?
その窓際の席40席ぐらいを借りたもので、
結構でっかいベランダ(テラス?)があり、外には自由に出入りができた。
レインボーブリッジと東京の夜景を一望することができ、なかなか洒落た店だった。
とりあえず俺と小林が、足りないものをアクアシティの中で探して回り、
本間が留守番という形になった。
足りないものを探し回っているときにふと考えたのが、俺の横にいる人物の事である。
それは、もちろん小林(男)のことだが。
このアクアシティーという場所は、だれがどう考えてもデートスポットである。
周りを見ると女連ればかり、俺の横を見ると小林。
俺が、そのとき何を考えていたかわかってもらえたであろうか。
その話は置いといて途中、案内の人に「探している物は1Fにあります」と言われ、
1Fに向かおうとして、エスカレーターを発見できずに右往左往していたら、
案内の人に「エスカレータはあちらです」と笑われながら言われた。
案内所には二人の女の人が座っていたが、二人ともこっちを見て笑っていた。
非常に恥ずかしかったが、田舎者だから仕方がないとしておこう。
俺と小林は、こんなところにはこんな時にしか来ないから仕方がない。
準備は買出し以外にする仕事はなかったので結構楽だったけど、
招待客がやってくると対応にテンヤワンヤになった。
ここで、以前飲み会で会った二人と会った。(その飲み会で初めて秋田婦人に会ったのだ。)
来ていることは知っていたが、面と向かって話してはいなかった。
向こうは、俺のことをちゃんと名前で呼んでくれたのに、
俺は顔を覚えていたが名前は覚えていなかった。非常に悪いことをしたなと後悔している。
結局、今でも名前は覚えていないけど。
(ひとつ断っておくが、俺は他人の名前と数字を覚えるのが非常に苦手である。
だからこの二人に限って名前を覚えていないわけではない。でもちゃんと顔は覚えている。
別段威張って言えることではないけど……。)

そうそう、忘れていたがこの二次会で俺の大学の後輩田口が、
女性に囲まれて困っているようだと小林から聞いた。
それとなく、様子を見に行くとまんざらでもない顔をしていた。
単なる小林の嫉妬ではないのかと考えた。
そんな小林は田口に対抗するように以後、田口の横に座りつづけたのであった。

そんなこんなでそつなく仕事を終わらせ(なんか俺がやり手みたいな書き方だな)、
二次会も終わりに差し掛かった頃、
急に店の人に「幹事の方」と言われ用件を告げられた。
用件はたいしたことではなかったのだが、
問題なのは、「幹事」ということである。
先にも書いたとおり、俺は受付の人間という名目でここにいた。
なのにいつのまにか、幹事に仕立て上げられてしまっていた。
会場のこと、その他もろもろほとんど何も知らないし、
尚且つ何の権限もないのにである。
困ったものである。
それからしばらくして、二次会も終わりのときを迎えることになる。
ここで、俺たちはひとつ策を労した。
それは、皆の前で新郎新婦にキスをさせるということである。
結婚式でも披露宴でも結局見てないのである。
それはそれは、みんな待ちわびたに違いない。
このことを小林(二次会の司会、最初は杉崎の予定だったが、自らやりたいと言って来た)
が言ったとき、会場はその日一番の盛り上がりを見せた。
皆にせかされるまま、秋田君は清美さんのホッペにキスをした。
その瞬間、会場からブーイングの嵐。
何でだよって顔で秋田君はいたけど、そうなることはわかっていたはずだ。
というか、その反応を待っていたはずだ。
なぜならその反応がないと口にはいけないと考えていたはずだからである。
(まったく計算高い。策士である)
そんなんで二回目のフラッシュの嵐が終わり、二次会も解散ということになった。
その後、フランスの自由の女神の前で記念写真を撮って、秋田夫妻と別れることになる。
秋田夫妻とほとんど何も話していないということに後になって気づいた。


PM9:30 3次会にて


それから、三次会ということになる。
これは、皆の足が新橋のユリカモメを使用していたこと、
及び皆別れるようで別れられないというような状況
(今後何かあるのではという期待による)
でいたのを大畑が新橋のカラオケBOXに強引に突っ込もうと画策した結果である。
カラオケBOXに到着したおれはすぐに部屋には入らず、
外で本間と20分ぐらい話していた。
ここで驚いたのが、本間が当日の夜行で帰ると言ってきたのである。
おれは、夜を明かすぐらいの気持ちでこっちにきているとばかり思っていたのでこれには驚いた。
しかし切符を買っているのと本間の意思が強かったことに負け、結局帰るのを許してしまった。
これが後の後悔のもとになる。
さて、本間との話も終わり本間と皆がいる部屋に入ると
なんともいえない雰囲気がそこにあった。
会場、特に男側のほとんどがが全然盛り上がっていないのである。
○○先生(三澤研助手)などうつろな目でボーっとしてるし、小林なんて寝ようとしているし。
困ったものである。
盛り上がっていたのは、披露宴の司会をした揖宿さんと杉崎と女性陣だけである。
そうこうしているうちに時間が過ぎ、本間は電車の時間と言って帰ってしまった。
それからしばらくして、一人の客人(もちろん部屋の中にいる人だが)が俺を尋ねてきた。
それは、大畑の彼女。名前を渥美(こんな漢字だったと思う。そういえば苗字しらんなあ)さんと言う。
俺は、一瞬これは危険な匂いがすると思い話を聞くのを避けたが、
必要に手招きを繰り返すので話だけと思い聞くことにした。
その内容は俺を驚愕させる内容だった。
それは、「女性の方から、俺にゴールドフィンガー99を歌ってくれないか」という内容だった。
そういえば、2次会のとき「もう一度俺の歌を聞きたい」と言っていたのを思い出した。
あのとき(以前の飲み会の席)の俺はどうかしていたのである。
なんであんな歌を歌ってしまったのだろうかと今でも後悔している。
(本当は、そんなこと考えていないのだが、一応対面上)
しかも、今回は状況が前とは違う。
俺の意を汲んでくれる本間、康平(結婚式に出席していない)がいないのである。
このような状況の中あの歌を歌うことはできない。
そんなわけで、悪いと思いつつも丁重にこの話はお断りした。
(まさか、こんなところで本間がいないことが響いてくるなんて思いもしなった。
(本当は予想はしていたけど。))
その後、三澤研の面々が終電を理由に帰っていった。
俺は、ここでも後悔することになる。(なんでいっしょに帰らなかったんだろうと)

その後、つつがなく3次会も終了することになる。
さすがにここまで来ると、知り合いも減ったし、もういいなという気分になっていた。
しかし、この日のイベントはまだ終わっていなかった。
それは、4次会という姿に変えて俺に近づいてきた。
4次会それは、俺にとって食べてはいけない禁断の果実であった。(それほど大げさなものではない)

 


PM11:20 JR駅構内にて


三次会が終わり、やれやれと一息ついていると
またも大畑がもう一軒行こうと言い出した。
それならどこがいい?
ともめているので、シダックスなら始発まで歌い放題で2000円(実際は1500円だった)
があるよとつい言ってしまった。
ならそこにということになった。
断ることもできたと思うが、気分がHIGHになっていたのと、
言い出しっぺが行かないわけには行かないのでOKを出してしまった。
ここで4次会に行くメンバーを紹介しよう。
俺、大畑、大畑の彼女、杉崎とアナウンサー。
土井は、家に帰るといって来なかった。
そこで、女性4人と別れることになる。
ふとここで、気づいた。
何でアナウンサーがいるんだということである。
3次会でその姿を確認しているにもかかわらず、そのときはなんとも思っていなかったのである。
確か二次会が終わるとき、一人寂しく水上バスで帰るといっていたはずなのだが。
(どうやら、杉崎たちが走って迎えにいったらしい。)
新橋から新宿に移動は、山の手を使用することにした。
そこで困ったことに、先ほど別れた女性4人がホームの向かい居たのである。
(分かれて一分も経っておらずいることはわかっていたが、まさか正面にいるとは・・・・・・。)
電車がくるまでお互いを意識しながらも、話すことはできないという変な時間が流れていった。
その時間は、俺にとって非常に長く感じられた。
しかし、向こう側の電車の到着により気まずい時間は終焉を迎える。 何がそんなにうれしかったのか知らないが、自分たちは女性4人に対し大手を振って別れを告げた。
周りの人たちは、俺たちのとこと酔っ払った青年たちと見ていただろう。
後で考えると恥ずかしい行為であった。 がそんなに気にしていない。

場面は変わって電車の中。
アナウンサーと杉崎と大畑彼女が話している。
「確か、秋田君の紹介で秋田君確か大学院卒って言ってましたよね」
「えっ?」
「あと、YMCAをYWCAって言ってましたよね」
「えっ?、ほんとに」
「言ってた。」
という会話をしていた。
この話を聞いたアナウンサーの落胆ぶりはかなりのものだった。変な汗もかいていたし。
その後、秋田夫妻に陳謝の電話をしたのは言うまでもない。

 


PM11:30 4次会にて


そんなこんなで4次会。
ここで驚いたのはやはり本職?アナウンサーが歌がうまかったって事である。
いやあ、まじでうまかった。
しかし、SPEEDのMY GRADUATIONは散々だった。
はじめはよかったんだけど、サビの部分でオオコケした。
とても聞いていられなかった。
俺が、ブーブー言っていたから途中で演奏中止ボタンが押され終了した。
一旦は事なきを得たが、現実はそうは甘くなかった。
なんと言っても終了まで約6時間ぐらいあったからである。
これは過酷だった。
しかも、大畑なんて一時間ぐらいしたら寝てたし。
最後の3時間ぐらいは、3人(俺、杉崎、アナウンサー)しか起きてなかったし。
途中アナウンサー寝ようとするし。まったく散々だった。
なんでおれは、あの時(何回かあったチャンス)帰らなかったのだろうかと何度も後悔をしたものだ。
まあ、大畑が寝た後の1時間ぐらいまでは皆テンション高かったし、
アナウンサーと大畑彼女の掛け合いは結構面白かったけど……。
4時ごろになると皆意識が朦朧としていた。
何とかその後盛り返すのに成功し、朝6時を迎えることになる。
そしていよいよ、最後の曲の前に大畑達を起こすためにYWCAを歌った。(Mとは歌わなかった)
これで4次会終了。
皆疲れ果て、店の前で別れ帰路に着いた。
家に着いたのは、AM7時。
そのまま布団に入り爆睡した。
ここに俺の秋田家結婚式という長い一日?が終了したのである。


編集後記

しかし、今もって信じられない。
三澤研の同期の中で一番早く秋田君が結婚するなんて。
(こういっては失礼な話だけど、秋田君の結婚は当分先と考えていた。)
本間はこれを発端に今年の終わりから来年にかけて、
第一期三澤研同期の結婚ラッシュになるといっていた。
第一期とつけたが、第2期があるかはわからない。 果たしてどうなることか。
楽しみである。


それにしても長い文になったな。
最初は、写真の横にちょっと書く予定だったんだけど、いつのまにかこんなになってしまった。
(最後の頃は、別ページに書くということで完全に割り切って書いていたけど。)
この文章を書くのがこのHPの中で一番時間かかった。
写真のページなどは、1時間もあれば余裕でできてしまうが、
これだけの文章を書くとなるとかなりの時間がかかった。
文字数にして約6000文字400字詰め原稿用紙にして15枚分。
卒論で書いた文章より多いのではないのかと思ってしまう。
果たしてこの文章を最後まで読んでくれる物好きな人間はいるのだろうか?
別に人に読まれるために書いたわけではないのだが。
なら、なんで書いたという反論が来そうだが。
それは、なんとなく書いたということで……。
ちょっとした自己満足。

いろいろ変な言い回しとか、文章がおかしいところとか、
ちょっとしたネタばれとか書いたけど大目に見てください。
掲載してほしくない内容は、多くの人の目に入る前に連絡ください。
考慮します。

長い時間私のつたない文章にお付き合いいただきましてありがとうございました。
編集部の方(自分)には、締め切りを守れず大変ご迷惑をおかけしました。
この場を借りてお詫び申し上げます。


以上、俺の目から見た秋田家結婚式でした。