滝本竜彦「超人計画」
「引きこもり世代のトップランナーが放つ 新世代ハイブリッドエッセイ誕生!」
帯にはそう載っている。何と何のハイブリッドなのかは、書いていない。リアルと二次元のハイブリッドエッセイ、というのが答えだ。本書は装丁、登場人物、そしてエッセイのスタイルが全部、リアルと二次元のハイブリッドでできている。
装丁。
本書は、著者のこれまでの作品とは正反対に、著者の写真が表紙になっている。著者は街中で腰を下ろし、読者のほうを見ている。口絵では読者を見つめる著者の顔が1ページに収まるぎりぎりまで拡大され、炎に照らされているかのように赤い。著者は何かマジだ、そう思わせる。
その一方、表紙と背表紙のタイトルと著者名は赤ないし黒の極太明朝体しかも縦書きで、「新世紀エヴァンゲリオン」の引用なのは明白だ。帯の紙質もわたしにエヴァを連想させるものだった。
実写写真とエヴァの引用。リアルと二次元のハイブリッド。本書はそんな装丁になっている。
登場人物。
本書の主要登場人物は二名。著者自身と、著者の「脳内彼女」レイだ。「脳内彼女」というポジションにもかかわらず、レイには著者に次ぐ存在感がある。著者とレイのやり取りでエッセイは進行する。
著者はリアルで、レイは二次元。ハイブリッドな登場人物ラインナップだ。
エッセイのスタイルについて。
著者はリアルな存在、のはずだが、エッセイに登場する著者自身は少々異なる。エッセイ中の著者は、むしろ一種のキャラクターみたいに書かれている。文章のスタイルが一因なのは確かだ。
エッセイのエピソ−ドは事実だとしても、エッセイのスタイルは二次元キャラクター作品を思わせる。だからこれも、リアルと二次元のハイブリッドなのだ。
リアルを目指しているのに、なぜかどうしてもリアルと二次元のハイブリッドが出来上がってしまう。それが引きこもり世代の特徴なのだろう。
「あったのはただ倦怠感だけだった」「灰色のゾンビの世界」著者はそう口にする。しかしこの本は、リアルと二次元のハイブリッドゆえ、面白く読むことができる。それがリアルを願い、「超人計画」を目指す著者にとっていいことかどうか。
著者がキャラクターのように感じさせる、もう一つの原因は、著者の「超人計画」だ。
著者がニーチェを引用しながら目指すという「超人計画」は、普通に冷静に考えれば、常軌を逸している。
もっとリーズナブルな(妥当で、理にかなっていて、手頃な)方針があっても良さそうではある。
著者はそういう方針にまったく気づいていない。そのように描かれている。
でも実は、著者のその点が、ハイブリッドなエッセイを書く原動力になっている。
「灰色のゾンビの世界」で超人を目指すから、ハイブリッドなエッセイが書けるのだ。もしもっとリーズナブルな方針だったら、別なエッセイになっていただろう。
そして常軌を逸した方針なので必然的に、著者は迷走している。(エッセイを読む限りでは。)
現在、著者はWeb上で、超人計画2を連載しているが、どうやら著者はリーズナブルな方向に方向転換しつつあるらしい。
わたしは更新を楽しみにしている。
最後になったが、この本は大変面白い。
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