キャラクターの視線に関する考察
Z 後書き
今後、キャラクターの視線はどこへ向かうのか。
目が大きくありさえすればヒトがキャラクターと目が合ってしまうのに十分かというと、もちろん違う。目の面積(キャラクターは二次元だから目の面積が測れてしますのだ)はあてになる指標ではない。
体験は単純な目の大きさより、目の表情や、表情の変化、シチュエーションに左右される。
萌え要素とか。
要するにキャラクターの全体像が大事なのだろう。
今後は、眼の大きさはそれほど変わらない。その代わり目が合ってしまうための描写スタイルが重要になるとおもう。
あるいは、眼の存在感自体は今のままでも、眼の面積を測ってみたらは実は小さくなっている、ということもありうる。
いずれにせよ、アニメ絵の大きな目は現在独自の役割を担っている。
だからアニメ絵の大きな目は、それを生み出した条件が消滅しても、なくなりそうにない。
将来も、キャラクターの眼は変わらない存在感がありつづけると、わたしは思うのだが――。
ある可能性を考慮しないといけない。
キャラクターははじめのうち、ストーリーがある作品、キャラクターグッズではない作品を乗り物にして運ばれてきた。
しかしいまは、そういう作品は壊れてしまったかもしれない。
キャラクターによって。
それがキャラクターにどう影響するか。
無事たどりついたのだからもう乗り物はいらない、というのは一つの可能性だが、別の可能性だってありそうなことだ。
つまり、回路が切れてしまうこと。
どうなるのか、それはまだわからない。
ところで最近、アニメやゲームなどに、行政からお金を出そうという話が出てきた(「ポップ政策はどこまで真剣になれるか」東浩紀のサイト、氏のはてな。お疲れの様子。)このコラムの筆者、東氏は「バブル」と断定しているが。
わたしは今回、アニメ絵キャラクターの眼が異常に大きいのは、その初期段階で予算が少なかったのが理由だ、と結論した。
だとすれば、もしそのころに予算が大量にあれば、アニメやマンガは今とは違ったものになっていただろう。
いまわたしやあなたが見ているようなアニメ絵キャラクターは、存在していなかったかもしれない。
もしアニメやマンガに以前から予算が十分についていたら、アニメは今頃、伝統的で良くも悪くもオールドファッション芸術的なものになっていただろう。日本アニメはディズニーそっくり、あるいは実写映画そっくりになっていたかもしれない。(邦画の現状は、わたしはよく知らない。)わたしはそう想像する。ギャルゲー移植もされていないだろう。
「ポップ政策」のせいで、二次元が変質してしまう、というのはそれなりに妥当な推測だ。どんなふうに変わるかは、わからないが。
いい方向に変質する保証がまったくないのは確かである。
考察は以上です。
お疲れ様でした。
読了ありがとうございました。
「無表情キャラの眼って、なんか異常だよな。というか異様に惹きつけられる」というところから始まった考察なのですが、えらく膨張した……。
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