泣くことさえ出来ずに、ただ空を見上げていた。
なにをすれば、なにを考えたらいいのか、わからずにラケシスはただ空を見上げ続けた。それしか出来なかった。
空はどこまでも青かった。
act1 同士
「泣きなさい、ラケシス」
シグルドの言葉は彼女の胸にそっと降る。ラケシスは顔を上げた。2人しかいない空間は、泣くには十分だった。ラケシスの心に言葉の優しさは降り積もるけれど、涙は出て来ない。
月明かりこそ見えない室内、明りがそっと2人を照らしている。ここはシグルドの自室である。
もう、哀しくないのだろうか。と自問自答してみるがそんなことは決してなく(あるわけがない)、ラケシスの想いに呼応するように、胸が鋭い悲鳴を上げて空白を訴えている。
「私では、手に余るかな」
あくまでも優しい声にラケシスは首を振った。
「そんな……! 私にはもったいないお言葉です。兄の死は決して無駄ではありません。でもどうしてでしょう? 泣くことができないんです。もうずっと。シグルドさまは……?」
ラケシスの真摯な瞳を見つめ返し、シグルドは首を振る。
「いいえ。あの時、哀しみよりも怒りが心を占めていました。エルトシャンを死に至らせたシャガールへの怒り、そして自分への怒り……」
「どうしてですの? 兄はシグルドさまに協力出来て満足でした。ご自分を責めるようなことをしてはいけませんわ」
静かにシグルドは笑みを浮かべ、ラケシスの頬に軽く自分の手を包み込むように添え、そして彼女の目をのぞき込んだ。
「それは、貴女にも言えることです。ラケシス、貴女も自身を責めておられる……。エルトシャンの死は、なにより彼自身の決断がもたらしたもの。そう思えたら良いのに、私たちはそう出来ないのですね。だからせめて貴女を泣かせたかった。そうすれば私も泣けるような気がしたんです。変ですね、言いたいことがうまく言えない」
頬に触れていた手を離し、シグルドは苦笑した。それは自嘲的で、自分と立場、想いは一緒だとラケシスは思った。
「いつか……自分を責めずに、ただ兄の死のことだけを思って涙が出てくるかも知れません。けれど涙を流すことだけが哀しみを表わすことではありません。たくさんの気持ちの中に哀しいという気持ちはシグルドさまにも……、そして私にもきっとあります。今はそれを感じる余裕がないのです」
自分の言葉はなんてつたないのだろう。ラケシスはそれでも懸命に言葉を探して、シグルドに伝えたかった。兄エルトシャンがいなくなって哀しい気持ち、親友の妹として自分を気遣ってくれる感謝の気持ちを。
「私のほうが励まされてしまったかな。……互いに頑張りましょう、そして余裕が出来たら一緒に泣きましょう」
「あら、男の人は人のいないところでひっそり泣くものだとエルト兄さまはおっしゃっていたわ」
2人は顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「これは1本取られました。けれど、親友の妹と一緒に泣くのも捨てがたいかな」
もう大丈夫。2人はお互いのことを思い、別れた。
act2 花
ひっそりと息をするように自然に、その花は置かれていた。シグルドと話を終えて、自分の寝床に戻ったラケシスは、枕元にある花に目を奪われていた。
小さな、雑草といってもおかしくない花だった。
誰だろう……? 考えながら花を見る。少し枯れかけているそれは、2、3本を小さく不器用に束ねられている。
ラケシスはそっと花を手に取るとつい癖で匂いをかいだ。花というよりは草の匂いに近くて、苦笑する。ノディオンにいた頃は、身につけておきたいくらいの良い香りの花たちにかこまれていた。そんなことを思い出す。
「……………」
ぱたり、と音がして、泣いていることにラケシスは気付く。
さっきまで泣きたいと思わなかったのに、何故涙が止まらないのだろう。
エルトシャンがこの世からいなくなって、強く生きたいと心に願った。兄の腕は自分さえ守ってくれた。その腕はもうない。ほかの誰かをなんて考えなかった。考えられなかった。
そして1人で逝ってしまった兄を深く憎んだ。
兄と共に過ごした日々は、永遠に続くと思った。そんなことないのはわかっているが、裏切られた気がした。
ラケシスは自分を見失ってしまうくらいに、様々な感情を胸に抱いていた。
1番深く胸に刻まれたのは、自分の説得が、兄を死に至らしめてしまったことに対する思いだった。
説得した時、兄は間違っていることをしていたのだ。そう、何度自分に言い聞かせたのかわからない。頭ではわかっている。だけど気持ちが、エルトシャンを死なせたのは自分だと深く責める。
「………っ」
小さな花は、幼い頃からずっと一緒にいた人をいやでも思い出させた。
花を胸に抱いて、ラケシスは声を立てずに泣いた。声を上げて泣いた時、いつも抱きしめてくれた手はもうない。
頬をつたった涙が、花に降り、それは小さくかたむいた。
act3 エスリン
哀しみにひたれないあわただしい日々は、かえって気が紛れた。
あの日から毎日、ラケシスの枕元に花が置かれるようになり、1日の終わりにそれを見て、兄を想いそっと涙を流す――それが日常になっていた。
今までの分は、花瓶に入れ生けるものではなかったが、1つ1つ丁寧に押し花にした。そのほうがいつまでも持っていられる。いつも自分がいない間に置かれるその花をくれる人のことを気にしないわけではなかった。その人にそっと感謝して花を愛でていた。
小さな花たちはラケシスの心をなごませ、染みていき、涙を落とさせる。
泣く度に心の痛みがうすれていって、それがやがて日常に埋もれていく不安を持つほどにラケシスは元気になっていた。
「最近、顔色が良くなってきたわね」
ひょいと顔を覗きこんで、エスリンは笑った。
「エスリンさま……」
「ノーノー、エスリンでいいわ。ラケシス。私たち、親友の妹同士なのよ。だったら友達でしょう? 今までに何回も会っているんだし、気遣いは無用よ」
軽くウィンクして、エスリンは言った。ラケシスは笑みを浮かべる。
「はい、エスリン」
言いながら、くすくす笑う。
「なに、笑ってるの?」
「だって、エスリンは、エルト兄さまの親友の妹で、それから兄さまの親友の奥様だなあって思ったんです。それがなんかおかしくて」
エスリンも吹き出す。
「そうね。私、妹で奥さんなんだわ。とても得してるのかしら? ……そうね、尊敬するシグルド兄さまの妹で、その親友のキュアンの奥さんだもの。私、とても幸せね。あ、エルトシャンさまとはなんの接点もないわ」
「あら、エルト兄さまの妹と友達だわ。そういうのは駄目かしら?」
目を見開き、それからエスリンは顔一杯に笑顔を浮かべた。
「そうだった。すっかり忘れてたわ」
「あの、エスリン……なにか用があったのではないですか?」
ラケシスの言葉にエスリンは意味ありげに笑みを浮かべて、
「やだわ、私、忘れっぽくて。話はずんじゃうとそれまでやろうとしたことすっかり忘れちゃうみたい。ラケシス、急いで、自分の部屋に戻って。……もっとたくさんお話したかったけど、私たちこれからレンスターへ戻るの。ここを離れる前におなたとお話出来て楽しかったわ」
淋しげな笑みを浮かべる。それでもいつか笑みを絶やさないエスリンが、とてもうらやましかった。
「残念です。またお会いした時に、お話ししましょう」
「オーケー。キュアンとのラブラブ生活のことでも自慢しようかしら。なれそめでも、もちろん別の話でも。そうね、あなたのお話も聞きたいわ。それはまた会った時のお楽しみに取っておきましょう。さ、部屋に戻ってね」
ぐいぐいとラケシスの背中を押しながら、エスリンは言う。そしてラケシスの部屋の前に着くと、
「静かに入ってね」
そう言ってラケシスが部屋に入るのを小さく手を振って見送った。
act4 最初の花束
部屋に入ったラケシスは、室内に人をいるのを見た。室内とは言ってもノディオンのラケシスの部屋に比べてかなりささやかな広さなので、隠れたりする必要はない。人影の背中がはっきりと見える。外は暗くなり始めて、そろそろ各部屋に灯りを灯す頃である。だから服の色までははっきりと見えなかった。
もしかしたら……ラケシスは鼓動が早くなるのを感じた。手がもう少しで届きそうなところにいる人物は、ラケシスにずっと花をくれた人物ではないか。
2人の距離はあってないようなものだった。
花をくれた人を知りたくなかったわけではない。会って、お礼が言いたかった。エスリンに元気ね、と言われたことも兄を亡くしてからの周囲に気遣いもなくなり始めたのは、あの花たちのおかげだった。
ただ近づくにはあまりに近すぎる距離がラケシスをためらわせた。
かたん、とラケシスが立てた音にその人物が振り向いた。ラケシスも驚いた。無意識に触れたのは、いつもは腰に吊していた剣。立てかけてあったそれを倒した音だった。
ラケシスは意外な人物の顔に息を飲んだ。
「フィン……?」
「ラ、ラケシスさまっ!?」
ばっとフィンはとっさになにかを隠した。そちらをラケシスは覗き込む。顔を真っ赤にしてフィンはうつむいて言った。
「すみません、勝手に部屋に入ってしまって……」
「いいのよ、気にしてないわ。それよりなにを隠したの?」
フィンが顔を上げる。まだ真っ赤である。
「えっ、こ、これは……なんでもないです」
「あら、なんでもないなら見せて下さいな」
そうノディオン王の妹に言われ、逆らえるフィンではなかった。おずおずと隠していたものを差し出す。
いつもとは違う可憐なそれでも小さな花。そっと、壊れもののように自然にラケシスは受け取った。
「……私がもらってもいいのかしら?」
呟きにも似た問いに、まだ顔の赤いフィンが頷く。
「今日で、お別れですから……」
花に静かに顔を寄せると、はなやかとはいい難いけれどかわいらしい匂いがふわり、とラケシスの花をくすぐった。
幾つかの花を束ねてある。それを見たラケシスは確信する。
「ねえ、ひょっとして今までも私に花をくれた?」
ぎこちなく、フィンが頷く。
「あの……ご迷惑でしたか?」
遠慮がちのラケシスより一回り大きい身体を小さくして言う。そんな姿がひどくいとおしかった。
「いいえ、そんなことはないわ。とても……嬉しかった。花って心がなごむのね」
フィンは顔を赤くして微笑んだ。照れ笑いみたいだ、とラケシスは思いながらつられて笑みを浮かべる。それをフィンは嬉しそうな表情で見る。
「笑えるくらい元気になったんですね。良かった」
「あなたのおかげよ。もっと早く、花をくれたのがあなただって知っていたら……」
良かったのに、と最後は小さく呟いた。
気持ちは、花をもらった時から決まってた。くれたのが女の人であれ、男の人であれ、無条件降伏してしまう予感。急速に動いた想いは、今まで花をくれたのがフィンで、今小さな花束をくれたのがフィンだったから。
「そのお言葉だけで……私にはもったいないくらいです」
もっとたくさん、語ることがなくなるくらい話をしたかった。そうしたらもっと違う自分が見えた、そんな気がした。
コンコン、と扉を叩く音がして、2人は近づいた距離を無理矢理離す。
急に室内が明るくなる。明かりを持って、入ってきたのはエスリンだった。
「お邪魔だったかしら? もう暗いから明かりを持ってきたのよ」
こういう、戦いがない時は夜、ささやかな明かりを灯す――それはシグルドが決めたことだった。戦いの最中では夜も暗いまま息をひそめていなければならない。せめて戦いの予兆もなにもない時くらいは、というシグルドの気遣いであった。
夜の明かりは心までも潤してくれると誰もが言った。
そっと明かりを灯すエスリンを2人は見ていた。我に返ったのは、フィンだった。
「エスリンさま、なぜエスリンさまがそんなことをしているのですか? こういう仕事は他の誰かや私の仕事です」
明るくなった室内でエスリンは笑う。
「あら、私だってたまにはこういう仕事をしたいわ。それにね、フィンに用があってきたの」
そうよ、と言ってくすくす笑うエスリンに、ラケシスとフィンは顔を見合わせる。
「……あのね、しばらくレンスター行きはなしになったの。出発はかなり後になるわ。それを言いたくて。急に決まったことでごめんなさい」
「そうですか。エスリン、またお話ができますね」
ラケシスは言って、にこり、と嬉しそうに笑った。そんな彼女の笑みは久し振りで、フィンもエスリンも思わず見とれてしまった。
「そうね、またお話ししましょう。明日はあなたからのお話が聞けそうね。楽しみにしてるわ。さて、私は明かりを返してこなくちゃ。2人ともごゆっくりね」
部屋を出ていこうとするエスリンをフィンは追いかける。
「エスリンさま、そういう仕事は自分がやります」
「あら、いいのに」
「それでは自分が困りますっ」
言いながら、フィンはラケシスに向かって、ぺこりと頭を下げた。ラケシスは笑みで返す。
「ラケシス、困った従者をちょっと借りるわ」
それにも笑みで答える。
嬉しくて、すべてのことが嬉しくてラケシスは声が出せなかった。
胸に抱いた花束が最後にならなくて良かったとラケシスは胸一杯の気持ちで思った。 |
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