
読んでいた小説から目を離し、流れる景色を横目で見ながら、俺は短い欠伸をする。
窓からの景色はすでに闇に包まれているが、建物の灯りが所々ある。
チラリと腕時計を見るが、まだもう2時間くらいかかるようだ。
既に冷めてしまった缶コーヒーを取り、残りを全て飲み干す。
「ん……」
不意に胸ポケットに入れている電話が震える。
俺は携帯電話のアンテナを伸ばしながら、車両間のデッキに足を向ける。
その途中、ディスプレイに表示された名前を見て、思わず苦笑する。
デッキに出て、通話ボタンを押し、電話に出る。
「はい、相沢です」
「あ、祐一? 私―――」
相手がそう言ったところで電話が切れる。
「……圏外?」
ドアの窓から外を見てみると、トンネルに入ったと気づく。
「ま、今回は運がなかったと言うことで」
携帯をポケットにしまい、再び席に戻る。
その途中、ストラップがはみ出ていたのに気がつく。
そのままだと少し恥ずかしいので、急いでポケットに隠すように押し込める。
(恥ずかしいなら外せばいいんだけど、さすがにそうもいかないからなぁ)
席に座り、小説の続きを読む。
……が、どうにも眠くて集中できない。
やはり一昨日、昨日と余り寝てないのが堪えてるのだろう。
(少し寝るか……)
そう思い携帯で目覚ましの設定をし、コートを体にかけ、目を閉じる。
やがて、俺の意識は闇の中へ溶け込んでいった。
「えっ!? 祐一、今なんて……」
名雪が驚き、少し大きめの声を発する。
名雪の部屋はあまり大きくないので、その声が少し響く。
「……俺、実家に戻るよ」
「そっか………うん、わかったよ」
暫らく考え込んだ後に名雪が微笑む。
「……いいのか?」
その笑顔に俺は呆気に取られる。
内心、泣きじゃくる名雪を想像していたのだが……。
「うん。祐一だって、祐一の考えがあるんでしょ?」
「まぁ……な」
「なら、私は祐一を止めることなんて出来ないよ」
「でも、俺はお前に約束したはずだぞ?
その約束を破って、この街を出て行くなんて……」
「祐一、私も子供じゃないよ?
自分の我が侭で祐一を縛り付けることなんてできないよ」
「名雪……」
「でも、夏休みとかお正月にはこっちに来てくれるんでしょ?」
「あたりまえだろ?」
「なら、私はそれで十分だよ……」
名雪が 『 ぽふっ 』 っと俺に抱きついてくる。
「でもね………私、そんなに強くないし、お母さんにもこれ以上甘えられない……。
私が思いっきり甘えられるのは祐一だけなんだよ?」
名雪が肩を震わせ、俺のシャツを強く握り締めながら何かに堪えるように呟く。
「ああ、わかってる」
「本当?」
名雪の涙で潤んだ瞳の中に俺が映る。
「本当だって。だから、休みになったらすぐにこっちに来るから」
「約束、だよ?」
「ああ、だからもう泣くな」」
「うんっ」
目には涙が残っているが、それでも名雪は微笑んでくれた。
「でも、祐一。私に隠れて彼女なんて作ったらこれを持って裁判所に行くからね?」
俺のそばを離れ、あの目覚ましを手に取る。
微笑んだ顔でそう言われる。
「……マジでか?」
「うん」
「………俺は名雪一筋だから心配ないぞ」
何か嫌な汗を手にかく。
「台詞が棒読みだよー」
「そんなことないぞ」
んなもん裁判所で証拠として再生されたら俺が生きていけません。
「ふふっ、冗談だよ」
目覚ましを置き、けろぴーを取って抱きしめる。
「……目覚し時計とジャムに関する冗談だけは言わないでくれ」
「う〜、そんなに嫌?」
「嫌だ」
考える間もなく答える。
「残念……」
そう言いながらも意地悪そうな笑みを浮べる。
「ふぅ、本当に勘弁してくれよ」
「いいよ。でも、その代わり……」
名雪が笑って俺の方を見て口を開く。
俺も同時に口を開く
『イチゴサンデー』
そして2人の声が綺麗に重なった。
受験も無事に終え、それぞれ自分の進むべき道を見出した3月。
俺は実家に帰るために駅のホームにいた。
「ま、元気でな」
「その言葉、そのままお前に返すよ」
北川と相変わらずの会話をする。
「それより水瀬さんは?」
「さあ? 俺が家を出るときはもういなかったし……」
「さては、ふられた?」
ここぞとばかりに北川が攻めてくる。
「それはお前だけで十分だ」
俺はさらりと避け、カウンター。
「相沢、お前は俺の古傷をえぐるのか?」
「親友だからな」
訳のわからない会話を続ける。
そうしていると、名雪と香里がようやくやってきた。
「ふ〜、間に合った……」
息を整える2人。
「どうしたんだ?」
「えへへ、祐一へのプレゼントを探していたんだよ?」
「俺に?」
「地獄への片道切符とか?」
すかさず北川が口を挟む。
「北川君、ちょっとこっちに来なさい?」
香里が北川を強制連行する。
……その切符はお前に対するプレゼントだったみたいだな。
「香里と一緒に探したんだ。はい、これ」
名雪がそう言って片手に乗るくらいのものを俺に差し出す。
「開けていいか?」
「うん」
テープをはがし、中の物を取り出す。
「ストラップ? それも雪うさぎ……」
「うん。これ、受け取ってくれるかな?」
雪うさぎ……。
昔の記憶が蘇る。
『こんな物しか用意できなかったけど…』
『わたしから、祐一へのプレゼントだよ…』
『…受け取ってもらえるかな…』
「……これは、名雪の俺に対する気持ちか?」
「うん。今度は雪じゃないから春になっても溶けないよ?」
「そっか……」
その時、電車の発車が近づいていることを知らせるアナウンスが入る。
「じゃ、俺もう行かなきゃ……。なぁ、名雪……?」
「なあに?」
「携帯買ったら、これつけてもいいか?」
俺はストラップを少し高く上げ、揺らす。
「うんっ!」
名雪の笑顔に見送られ、俺はホームの階段を上っていった。
階段から3人が見えなくなるギリギリのところで、振り返った。
名雪は恥ずかしがらずに手を振り、北川は相変わらずの表情だった。
だが、名雪の後ろで俺に睨みつけるような目線を向けていた香里が少し気になった。
「ん……?」
なんか胸元がもぞもぞする。
……痴漢?
まさかな。
寝ぼけ気味の頭をフル稼働させ、現状を把握する。
「……ああ、時間か」
掛けていたコートを横の空席に置き、胸ポケットの中で震える携帯を止める。
その時、ついでにメールの確認もする。
………4件。
それも全部同じ相手だし……。
返信は……しなくていいな。
窓から外を見るともう駅のホームがすぐそこまで迫ってきている。
一通りメールに目を通すが、大したことは書いてなかった。
小説をバックにしまい、コートを着なおす。
忘れ物がないかを確認してから、空き缶を手にとり、乗車口に向かう。
ゴミ箱に空き缶を捨て、電車が止まるのを待つ。
周りを見回すが、俺以外にこの駅で降りる人はいないみたいだな。
「時間も時間だし、しょうがないか」
時計を見てそう呟く。
もう少しで『今日』が終わりそうだ。
こんな遅くにこっちに着くのは少し悪い気がするけどな……。
そんなことを考えていると、やがて車両は動きを止め、目の前のドアが開く。
「さて、帰りますか」
俺はバックを背負い、歩き出した。
駅員に切符を渡し、改札を出る。
「……相変わらず雪、多いなぁ」
駅の構内の窓から見える景色を眺める。
コートのポケットに手を入れ、階段を下りていく。
駅から出て、中央の広場のベンチに一人、女性が座っている。
その女性を無視して通り過ぎようとした時―――。
「も〜、無視しないでよ〜!」
「ぐはっ」
女性が立ち上がり、俺の背中に体当たりしてきた。
「いや、この時間だともう寝てる時間だから、人違いだと思ってな」
「う〜」
名雪が頬を膨らませて拗ねる。
「悪かったって」
「じゃあ……」
名雪があの頃と変わらない一言を発する。
俺もその言葉を同じよう言う。
『イチゴサンデー』
そして2人同時に笑い出す。
「ふふっ、おかえり。祐一」
「ただいま、名雪」
軽く触れ合うだけのキスをする。
「それにしても、わざわざここで待ってなくても…」
「え〜、前は祐一が待っていたから、今回は私の番だよ?」
「いや、そう言うことじゃなくてだな…」
「なぁに?」
首を傾げて俺の方を見つめてくる。
「……ま、いっか。今日は疲れた」
どうせ言っても無駄だしな。
「?」
頭の上に?マークを乗せ考える。
「なんでもないって。それより寒かっただろ、なんか飲むか?」
少し先にある自販機を指差して言う。
「ううん、いいよ。その代わり……」
名雪が俺に体を寄せてくる。
「家に着くまで、こうさせて?」
「……しょうがないな」
白い溜め息を吐きながらも、納得してしまう俺。
「えへへ」
隣にはだらしなく笑う名雪。
「ところでさ、あんなに何回もメール出すなよ」
「え? だって祐一、電話切っちゃうし……返信してくれないし」
「あ〜、電話はトンネルに入ったから切れたんだよ。
返信は……寝てたからできなかった」
「う〜」
「悪い。でも、ちょっと今日は疲れててな……」
「どこか具合悪いの?」
途端に名雪が心配そうな顔になる。
「いや、ちょっと昨日までに仕上げなきゃならないレポートがあってな。
あんまり寝てなかったから、ちょっとな……」
「大丈夫?」
「大丈夫だって。寝りゃ治るよ」
「クスッ、寝不足なんだから当たり前だよ」
名雪がようやく笑う。
「さて、早く帰らないと秋子さんが心配するからな」
「そうだね」
そして雪道の中、2人寄り添い合って家路に着いた。
水瀬家についた俺は真琴の飛び蹴り。
あゆの体当たりを経てようやく部屋に戻ることが出来た。
秋子さんのあのジャムはさすがに本気で逃げたけど……。
とりあえずバックの中に入れておいた小箱を引き出しにしまう。
そして風呂から上がり、髪も乾いたところで寝ることにした。
『トントン』
電気を消し、ベットに潜ろうとしたところでドアがノックされる。
まぁ、誰が来たかなんて予想できるけど。
控えめにドアが開けられ、見慣れた顔がそこに現れた。
「えへへ。来ちゃった」
「ったく。毎度のことだけど、秋子さんにバレたらどうするんだよ?」
まぁ、あの頃からとっくにバレてると思うけどな。
「そうなったら……祐一に責任とって貰うもん」
こいつは、笑顔で何てこと言うんだ……。
「さて、寝るか」
「あ、無視しないでよ〜。私だって恥ずかしいんだから……」
暗くてよく見えないが、きっと名雪の顔は赤くなっているだろう。
「じゃ、無理して言わなくてもいいぞ」
「う〜」
「ったく、寒いから早く来い」
話しているうちに、既に足が冷え切っていた。
「うんっ」
パタパタとスリッパを鳴らしながらこっちに来る。
「おじゃましま〜す」
律儀に(?)そう言って布団の中に入ってくる。
「……久しぶりだね」
「ん? 一緒に寝るのがか?」
「うん」
「ま、夏休みに来た時以来だからなぁ」
「うん……あ! 祐一、携帯見せて」
「携帯ならそこにないか?」
「ん〜」
布団から手だけ出して、ベットについているの棚を探す。
「……良かった」
携帯を見つけ出し、名雪はそれを見つめてそう呟く。
「だから、取らないって言ってるだろ?」
「だって、だって!」
「確かにそのストラップは恥ずかしいけど、その……なんだ。
つけてると名雪が傍にいるような気がするから外さないんだよ」
「うん……。でも、見ないと不安だから」
「ま、もう慣れたからいいけどな」
水瀬家に帰ってくる度、俺はこのストラップをつけてることを名雪に示す。
ま、不安な気持ちはわからんでもないけどな……。
「それより、いい加減に今日はもう寝かせてくれ」
本気で眠かった。
「祐一、なんかエッチな言い方だよ〜」
名雪のボケに突っ込む余裕もない……。
「悪い……。今日は勘弁してくれ」
「う〜。でも、まだお話したいのに……」
名雪が不満そうな顔 ――― ってか、顔全体で不満を表す。
「明日でいいだろ?」
マズイ、そろそろ意識が……。
「うん、わかったよ」
「サンキュ……おやすみ、名雪」
「おやすみ、祐一……」
そう言うと俺はすぐに眠りに落ちていった。
隣に心安らぐ温かさを感じながら……。