巻二十三 ”ビビの冒険”


206話 ”点火”(2001年49号掲載)

   冒頭の「証拠なんて待ってたら何も防げないでしょう!?」という台詞は痛快の一言。

   さて、3段打ち上げロケットで時計台を目指す回であるが、ここでの見所は、やはり絵の構成。ドンドン
  上へ上へと打ち上げていくわけだが、
読者の目の動きと絵の構成を効果的に組み合わせる事で見事に
  ビビ・チョッパーが上へと飛んでいく様を表現している。

   具体的に説明しよう。まず一発目のサイクロンテンポ。P17の最後に「ブオオ…」と風が起こって、
  ページをめくるとウソップが打ち上げられている。ここではまずページの下の方に降りた読者の視線が、
  ページをめくりながら"
上に上がっていく"わけで、それがウソップの打ち"上げ"られていく絵と見事に
  連動している。続いて次のコマには、視線が"
降りて"入ってくる。それに連動してサンジの"見下ろし"
  描かれている。

   さらに次のページの冒頭、ナミが見上げてサンジに叫ぶシーンは、これまた前のページから"上がって
  くる"読者の視線と連動しているわけで、「お願いトニー君!」こそ連動していないものの、ゾロのコマが
  入る事で読者の視線を落とし、(ゾロのコマが無ければ"横にスベってくる")再び次のコマに視線を
  "
上げる"形につなげていく。これまた上がってくるチョッパーの動きと連動させているわけである。

   さらに次のページをめくるとこれまた"見上げた"構図の絵が待っていて、"上がってくる"読者の視線と
  連動させている。次のコマ「そら行ったぞゾロ!」は横滑りだが、ここで勢いを失わせないよう、チョッパ
  ーの表情と勢いで画面を持たせている。

   さらに次のページでは、冒頭は7&ファーザーズデーの絵だが、彼らを敢えてコマの下の方に描くこと
  で、次のコマは"横にある"のだが視線を"
上げる"ように持って来る。「バカびびんな」のコマは、逆に上
  から"
落とす"ことで、チョッパー達のジャンプが丁度ここで軌道の頂点に達し、効果線ゼロながらここか
  らゾロの刀の上に"
下り"始めるように見せている。

   最後に「ええ、顔馴染」とビビが見上げるシーンから、ページをめくり視線を上げていくと、見事に7&
  ファーザーズデーの"
見下ろし""対面"する(つまりビビから見ると見上げ)。

   このように周到にコマ割りと絵の構成を視線と連動させる事で、画面の勢いを維持しつづけている。ま
  た、ひたすら上へ、という動きを描きつづける中で、
同じような画面を続ける退屈な構成にならないよう、
  工夫も施されている
のが素晴らしい。


207話 ”悪夢”(200150号掲載)

   砲弾発射まで残り7秒の攻防。そこまでずっと画面に描かれていた「ゴゴゴゴゴ」や「ワアアアアア」が
  消え、画面からだんだん効果音・効果線がなくなってゆく。そして「終わりだ」の瞬間、
効果音・効果線は
  完全に消え、息を呑む緊張の瞬間
を見事に表現している。その後静かに回想シーンが差し挟まれてゆ
  き、やがて音が戻ってくる。そしてウソップの一言を機に緊張がほどけていく・・・。

   この「空気」の表現は、見事としか言いようがない。ストーリーも去る事ながら、その、場面ごとの「空
  気」を見事なまでに描ききる。それによって、読者を臨場感あふれるステージへと引き摺りこむのであ
  る。


208話 ”守護神”(200151号掲載)

   ストーリーの都合上、途切れ途切れになってしまっているルフィ VS クロコダイル戦であるが、その迫
  力・緊張感はやはり秀逸である。何度も立ち上がってくるルフィに気味の悪さを感じ、その不安を振りほ
  どくため必死に「所詮てめぇのような〜楯突いていい相手ではなかったのさ」「今にもくたばりそうな負け
  犬にはお似合いの…虚勢…根拠もねェ…!!!!」など、つぶやき、安心を得ようとするクロコダイルのさま
  が、印象的。
また、その微かな不安と、それを否定しようとする、クロコダイルの葛藤の表情を見事に描
  いている尾田氏の画力も、また注目すべき
といえよう。特にこの回の「虚勢…根拠もねェ…」の表情は、
  素晴らしいの一言。

   そして、この回主役(のはず)のペルであるが、はっきり言って、この展開に持っていくには、直前の出
  番があまりに少なすぎる。7&ファーザーズデーに狙撃されたところで、
読者の中では完全に「味方のザ
  コキャラ」の位置に落としこまれていた
ので、その後のフォローがなかった状況では、やはり、唐突。ドラ
  マ的には最大の盛りあがりであるのだが、悲しいかな、完全には乗りきれないところがあるとすれば、や
  はりそういうところが原因といえるだろう。   


209話 ”越えて行く” (200152号掲載)

   頭上で巨大な爆発が起こっておりながら、戦いを止めない、人々の狂気。そう簡単に止まらない、人の
  業と、もはやなす術なく叫び続けるビビ。絶望的というか、凄まじい雰囲気である。この寒気を覚えるよう
  な、群集となった人々の狂気。夢あふれる少年漫画の題材とは思えない迫力がある。ここまで重ねてき
  た国王軍・反乱軍の闘いの描写と、背景も含めて少しづつ盛りあがって来た憎しみの連鎖の描写があ
  ったからこそ、
この狂気の迫力がリアリティを盛って迫ってくるのである。

   はからずも、この回の掲載は、2001年9月11日の同時多発テロを受け、アフガニスタン進攻へと人
  々の狂気が走り始めた時期と重なるのは偶然だろうか。

   個人でなく、集団が「狂気」へと導かれていくさまを描いた少年漫画、「ONE PIECE」。なんと恐ろしい
  作品であろうか。


210話 ”0”(2002年1号掲載)

   広場爆発イベントの決着と合わせて、クロコダイル×ルフィ戦も決着し、アラバスタ編も決着に入る。
  これまでのクリーク編やアーロン編では、全ての周辺ドラマが決着した後でゆっくりルフィ×最終ボス
  の闘い、であったが、今回は同時並行で決着である。

   ワンピにおいてはたいがい、単なる戦闘だけの回はそれほど面白くなく、それが続くと間延びして
  しまうことが多かった。今回のこの試みは成功したと言っても良いだろう。

   そして、クロコダイルの陰謀、日照り、王家への不信によって始まった反乱が、クロコダイルの敗北、
  雨、戻ってきたビビの声、とそれらの要素を全て解消して終結する、という構図が、美しく決まっている。
  表題の「0」はMr0、ということだけでなく、全ての要因が片付いた、ゼロになった、という意味も含んで
  いるようで、感慨深い。


211話 ”王”(2002年2号掲載)

   イガラムの話に素直に耳を傾ける反乱軍や、Mr1にやられたのに兵器で生きているカッパ少年、
  国王の、人々に対してではなく国そのものに対するような「アラバスタ王国よ!」の叫びに多少違和感
  がある(たしかに、「国とは人なのだ」というコブラの考えからすれば間違ってはいないのだが)が、何は
  ともあれ、終結である。

   力を使い果たして全員で倒れこんでしまう様子は、ここまで引き続いた緊張感から読者をも解放して
  くれる、うまい演出であるし、サンジの、コブラ国王に出くわして出た「ああ…あんたの背中のやつ…」
  のセリフが、とっさに言葉の出てこない一瞬の混乱を見事に表現していて、秀逸。

   大きなドラマのつくりだけでなく、こういう細かいところに上手さがある。


212話 ”いくつかの正義”(2002年3号掲載)

   黒檻のヒナ登場の回。どことなく怜悧さと優雅さが漂う雰囲気に対して「ヒナ心外」のセリフのギャッ
  プが見事に嵌って、彼女を一発で印象深いキャラクターに仕立て上げている。セリフのない表紙連載
  で登場し、そのイメージを先に膨らませていたがゆえに、この初登場のセリフが、効果を発している。

   また、ルフィ達の寝相は、それぞれのキャラクターがうまく表されており、なかなか面白い。

   しかし、この回の秀逸は、やはり、スモーカーの行動であろう。真実に対して、信念に対して誠実な
  生き方。子供の頃に読んでいても、やはりカッコイイと思ったとは思うが、社会に出て働き出すと、
  余計にこの行動の困難さが分かるゆえに、スモーカーの行動に痺れてしまう。
   この作品を読んだ子供達のうち、いくらかでも、このスモーカーの行動に何か触発され、社会に出て
  からも誠実な行動を取れる人間になってくれるよう、願ってやまない。(自分の事は棚上げします())


213話 ”VIP”(2002年4・5合併号掲載)

   予想外のお色気シーンの回。いくらなんでも「幸せパンチ」はやり過ぎな気がする…。ワンピースほど
  にもなればお色気シーンは皆無でも十分やっていけるのであって、イヤだと言うわけでは無いが、
  不思議に思ってしまう。変なサービスよりも、ナミの服は露出が高い事が多いので、普通に描いている
  自然なシーンの方が却って色気があったりするものである。

   この回で、ゾロも賞金首となった。ルフィのときは初頭逮捕が3000万と言うのは異例の破格、と言って
  おきながらゾロは初頭6000万かい、と言いたいところだが、それについてはこちらで解説したので、
  ご参照あれ。


214話 ”砂の国脱出作戦” (2002年6・7合併号掲載)

ジャンゴ&フルボディの登場の回。ギャグも切れており、見事な復活を遂げている印象である。表紙
連載のキャラクターが本編に登場するのは2回目になるわけだが、コビーとヘルメッポを飛ばしていき
なり“表紙連載第三段”だった彼らを登場させるところがにくい演出である。これによって
「表紙連載に
なったからとて、本編に出てくるとは限らない」
ということになり、読者にいい意味でのワクワク感を与えて
いるといえよう。

演出的にもなかなか巧みで、イガラムがドアを開けるとビビだけなぜか取り残されており、あとでその
理由が明かされるという作りになっている。ここまで読んできた読者にとって、一番の気になる点、「ビビ
は仲間になるのか?」について、確信犯的に引っ張って読者をドキドキさせる何とも憎い演出である。


215話 ”Last Waltz(2002年8号掲載)

   この回の一番の見せ場は、なんといってもMr2・ボン・クレーの囮作戦である。Mr2の能力を見事に
生かして、知性派ヒナを煙に巻く作戦に驚かされるのと同時に、Mr2の決め台詞が利いている。

男の道をそれるとも 女の道をそれるとも 踏み外せぬは人の道
散らば諸友 真の空に 咲かせて見せよう オカマ道

なんとも、オカマに生まれてオカマとして生きる、Mr2の人生の覚悟と美学がこめられた詩ではなかろうか。
いわゆる普通の男としても、いわゆる普通の女としても、生きることが出来ず、しかも、ルフィたちとの初
接触時に明らかになっているように、彼はおそらく「男好き」ですら、おそらくなく、いわゆる普通のオカマで
すらない。(一般的なオカマイメージどおりに男好きであれば、そういう描写があってもいい(少年誌としても
それほど問題とは思えない)のに、そういう描写がないことが、つまり「男好き」ではないのではと推測される)
 つまり彼は普通の人間が持てる人間関係「男女(愛情?)関係」を持つことができない運命であり、そんな
彼に残された人間関係は、唯一「友情関係」だったのである。

それゆえに、その「友情関係」だけは、人の道として、譲ることが出来ない。そういった決死の覚悟と
信念が、今回の行動に繋がったのだろうと感じさせてくれる。「もろとも」は普通は「諸共」と書くのだが、
あえて当て字で「諸友」と書いているのもまた憎い。

そしてボンクレー軍団と海軍との戦いのシーンに効果音・効果線が全く入っていないところが、却って
決死の覚悟と激しく悲壮な戦いを盛り上げている。アラバスタ編屈指の良エピソードと言える。

ちなみに、題名にもある“Last Waltz”だが、これは、「最後のワルツ」という意味ではない。“Last”
は、“The Last”と、を示すように見えるが“The Last Waltz”だと「最後のワルツ」という意味になるが、The
がないので、「一つ前の」という意味になる(Last year(去年)のように)。なので、この回の日本語訳は
実は「一つ前のワルツ」であり、逆に言えば次回のワルツ、
つまりボンクレーの再登場があることを暗示
していたりする。


216話 ”ビビの冒険”(2002年9号掲載)

   ビビとの別れの回。ビビが大観衆の前にいると見せかけて、実は約束の場所に到着しているという、
心憎い演出。そして、友情の×印で、別れを告げる・・・

   でもちょっと待った!・・・213話のお風呂のシーンで、みんな×印綺麗に流れ落ちてるみたい
なのだが・・・無粋なことはあまり言うのも何なのだが、また全員書き直したのだろうか。

そんなことを考えているうちに個人的には感動するタイミングを失ってしまった回であった。一回前の
ボンクレーの覚悟に感動してしまったばかりに、余計に・・・。私、普通の人とずれているかも・・・。

 

(おまけ:巻二十四 ”人の夢”より)

217話 ”密航者”(200210号掲載)

   2000年のジャンプフェスタであったか、作者である尾田氏は「アラバスタ編終了後、一人
  仲間が増えます」と宣言し、ネット上でも「仲間になるのは誰なのか?」と話題になった。
  人によって諸説分かれ、おおむね有力だったほうから挙げていくと「ビビ説」「マツゲ説」
  「ボンクレー説」「ミス・オールサンデー説」「たしぎ説」「コーザ説」「スモーカー説」「ヒナ説・
  ジャンゴ説・フルボディ説」「イガラム説」「ペル説」「チャカ説」果ては「クンフージュゴン説」まであった。

   アラバスタ編終了までの数回が、その正解発表にいたる回でもあったわけだが、
  前二回でボンクレーとビビが否定され、この回は、見事なまでにその説を次々「ヒナ説はずれ!」
  「コーザ説はずれ!」「チャカ説はずれ!」・・・と、否定していき、最後に「正解は・・・ミス
  ・オールサンデーでした!!」と正解発表、という構造になっている。

   この回ほど、ネット上でその発言を知っていたファンにとって、わくわくドキドキさせた回は
  なかった。尾田氏が狙っていたのか分からないが、昔であればジャンプフェスタの作者の
  話など、一部のコアなファンしか知らないわけで、こういう楽しみ方が出来たのはインターネット
  が発達した故で、新しい作品の楽しみ方だと言えよう。実際、ネット上ではかなりの盛り上がりを
  見せていた。こういうやり方もまた、尾田氏の凄いところである。

   しかし・・・・・・絶対“マツゲ”だと思ったのになぁ(笑)

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