ルーズソックスこそ下火になりつつあるものの、金茶色の髪に挿した大きな花、

すんなり伸びた脚を無防備にさらすミニスカート、とにかく装飾過多な服装で話題

をさらう女子高生。高い声で笑いさざめきながら、我が物顔で町を歩く彼女たちは

、世代の異なる人間にとっては特異な存在にしか見えない。まぶしいものを見るか

のように目を伏せ、路肩によける男子高生、眉をひそめて煙たそうな視線を送る

サラリーマン、嫉妬とちょっぴりの羨望を向けつつ、傍観する中学生。「女子高生」

をブランドにし、カルチャーにまでのしあがってきた彼女たちのパワーは、とにかく

他の世代を圧倒している。しかし、彼女たちはそんなに特殊な存在なのだろうか。

かつての女子高生たちとはまったく別の奇異の存在なのだろうか。

 今を去ること数年前、いわゆる「女子高生」時代が存在した。当時はバンドブー

ムのまっさかり、ホコ天バンドの青田買いに青春を賭け、インディーズバンドのメ

ンバーとどれだけ顔見知りになれるかがステータスであった。ストリートブランドの

長袖Tシャツにカットオフジーンズ、ニーハイソックスに脚を包み、ラバーソウルで

武装。電車の中で座り込み、年配者に煙たがられるその姿は、形こそ違え今の

コギャル世代と同じようなもの。女子高生という人種は、いつの世代も他世代から

見ると目障りな存在なのかもしれない。

 このように単なる視野狭窄、強すぎる自意識からその存在を強烈にアピールして

いると思われがちな女子高生だが、そればかりを彼女たちの行動理由としてしま

うのは、危険だろう。その世代の人だけが感じる圧倒的な不安感、自分という不確

かな存在に対し、何らかの見解を出そうともがきつつもままならない息苦しさに彼女

たちは苛まれている。雑踏の中でもわけもなく急激な不安に襲われ、座り込みたくな

る感覚、内臓がとけるような女性ならではの憂鬱にようやく慣れつつも、どこかそれ

を自分のものとして認められない未成熟な生理感覚。肉体的にも精神的にも不安定

な彼女たちは、その世代にしか感じられない微妙な違和感を日常的に感じている。

そんな世代特有の感覚に対抗すべく、彼女たちは装甲を厚くしていくのだろう。さらに

近年の女子高生は、もうひとつの不安を感じている。それは、「平成」という時

代の不安定感である。暮れゆく「昭和」の情景は、今や見る影もない。古来からの土

地のつながりによる空間的な共同体の概念は形骸化し、共同体と異界との境界は

消滅、ボーダーレス時代に突入していく。膨大な情報に翻弄されるものの、その実

隣人の顔すら知らない閉鎖社会、それが現代である。ただ内的な共同意識のみが

異様なまでに強まり、コミュ−ンを形成。些細な相違点から人を差別し、自分たちと

相いれないものは徹底的に排除していく。この傾向は、女子高生世代に最も顕著に

現れている。そして、これら共同体は昭和的なつながりとは一線を画すものとして特

徴づけるものである。古来、共同体に生きる人々は、停滞しがちな日常生活に刺激

を与えるため、みずから異界との接触を図っていた。民俗学的に言うハレとケの概

念の実践である。一方、共同体の殻にとじこもり、外部からの刺激をシャットアウトし

ている彼女たち世代は、停滞を免れ得ない。内へ内へとこもり、収束していくその傾

向は、共同体内部に歪みを生じさせる。不安定に揺らぐ閉鎖社会に生きる彼女たち

の内面で、何かが狂いはじめたとしてもなんら不思議はない。

 世代特有の感覚、そして時代特有の感覚。このふたつの相乗効果により、現代女

子高生たちは底知れぬ恐怖、圧倒的な不安感を感じているに違いない……。