「太公望師叔、愛しています!」
「毎度毎度、公衆の面前で何をするか!ボケがっ!!」
そして爆発音。
よく晴れたある日の午後。周軍の入城にもようやく落ち着いたメンチ城にて。
周軍にとってはもはやありふれた日常の一幕であるので、特に誰も驚きはしなかった。















ひとときの安閑















暖かい日差しもさわやかな風も表の喧騒も無縁の部屋。
お空にあった研究室にはとうてい及ぶべくもないが、(自分にとっては)わずかな実験器具と書物に囲まれたこの不健康な空間は自分の肌になかなか合っている。
だが今は徐々に近づく女官らの黄色い声が、部屋のよどんだ空気に細波を立てる。自らの訪れがそのような形で他者にわかられることは何とも便利なことで・・・と、書物に目を落としたままのんびりと太乙真人は思った。
今日はいつもよりも女官の声が艶っぽい気がする。おそらくマメに愛想を振り撒いているのだろう。



「失礼します。太乙真人さま、三尖刀のメンテの方はいかがですか」
部屋の淀みを一掃する涼やかな声に、太乙はのんびりと顔を上げた。
そろそろ来るだろうと思って置いておいた卓子の上を顎でしゃくる。
取り澄ました様子で大股に歩み来る楊ゼンに、この優雅な午後を邪魔された仕返しとちょっとからかってやることにする。
「さっきの爆発音はひときわ大きかったね。・・・・・・百戦錬磨の色男がだいなしだねえ」
含みを持って笑う太乙真人に、楊ゼンは余裕の笑みで見返した。
「かまいませんよ。あの人が僕を愛してくださっていることはもう揺るぎのない事実ですから」
三尖刀を手に取り、軽く振った後、満足げに袖にしまう。
そして芝居のかかった仕草で太乙の方に振り向くと、長い髪をかきあげた。
「先ほどだって書庫で調べものをしていたら、後ろからあの人が抱きついてきてくださったんですよ」
よほど恥ずかしかったらしく、すぐに離れて逃げていってしまったが。2人きりならば大胆に愛情を返してくれるのだ。
遠くの世界を見ながら顔の部品がこぼれおちそうなほど笑み崩れる楊ゼンに、からかったことを激しく後悔する太乙。
だが、すぐに楊ゼンは真顔に戻った。
「それに、あの人に知っていて欲しいんです。僕の気持ちはいつでも変わることがないんだと。いつ何時であろうと少なくとも僕だけはあの人の味方なんだって」
おのれのふるった采配で多くの仲間を失った。その傷は未だ癒えているはずがないのに、平素と変わらぬ様子がかえって痛々しい。周軍の軍師として、封神計画の祭司として皆に頼られることはあれ、頼ることはできず、また彼の性格からして頼ることを許さないだろう。
「先の戦いで、僕がいかに愛された存在であるかを知りました。今まであの人には愛情を求めてばかりしていたけれど、これからはあの人を支え、見守っていきたい。・・・・・・たとえ何の見返りがなくとも」
そのためならばまわりにどんなに無様な格好をさらそうとかまわないと、ちょっとおどけて楊ゼンは笑った。
自信家で二枚目の色男を気取ることもあるが、目の前の青年の本質は実直で誠実なことを太乙は知っている。もう今はいない自分の友人と楊ゼンの姿が一瞬重なって見えた気がした。


「いい子に育ったねえ。お兄さんはうれしいよ」
そう言いながら乾いた目元を手ふきで拭う太乙。
「・・・・・・あなたの場合、“叔父さん”では」
楊ゼンのつぶやきは、盛大な鼻をかむ音でかき消された。
出てもいない洟を拭ってから、太乙は楊ゼンを見上げる。
「まあ、いいけどね。君たちがそれで幸せならば」
いつもの無責任そうな明るい声で言われたそれに、楊ゼンは微笑んで会釈し、背を向ける。




しっかりと背中に糊付けされた張り紙には、どこかで見た筆跡で大書されていた。






――絶倫大将軍








楊ゼンの退室と同時に、入り口付近で待っていたらしい女官らが一斉に声を上げる。
入ってきたよりもさらに人数が増えているようだ。



「・・・・・・まあ、いいけどね」


女官らの黄色い声が徐々に遠ざかり、やがて部屋のよどんだ空気が凪いでいく。
何事もなかったかのように、太乙はまた読みかけの書物に目を落とした。



















その日のメンチ城の話題は、天才道士さまの背中についた張り紙の真偽についてであった。
また、市場のにぎわう夕暮れ時の空に明らかに憤怒のオーラをまとった銀の長髪の妖怪仙人が浮かんでいて、街は一時期騒然となったが、周軍兵士らの迅速な対処によってやがて落ち着いていった。
対処にあたった兵士らが何故一様にうんざりとした表情であったのか、その時のメンチ城の民はとても不思議がったが、半月後には憤怒のオーラをまとう銀髪の妖怪仙人を兵士と同じ表情で見ている自分たちに気付くこととなる。














いつのまにかやって来て、自分のために入れてもらった茶を当たり前のようにすすっている弟弟子に、太乙真人はのんびり声を掛けた。
「君、また彼をからかっただろう。かわいそうに、彼はあんなに君にことだけを想っているのに・・・」
その声の方に、太公望は椀に口をつけたままちらりと一瞥する。
「あやつはああやってわしに尽くし、あそばれることで満足なのだ。わしはわざわざ尽くさせてやっておるのだから、感謝されることこそあれ、非難されるいわれはあるまい」
うそぶいて、茶菓子にも手を伸ばした。
口一杯に菓子をほおばった太公望に、太乙は椅子から立ちあがって近づく。
「彼が半妖態になると空気がちくちくして読書に集中できないんだよね」
男性にしては細く白いうなじを髪の上から撫でる。どうやらそれが本音らしい。
太公望はふんと鼻を鳴らすと、口の中の菓子を飲み込んで、にやりと笑った。
あまりに人を惹きつけるその艶やかな笑みにちょっと肩を竦めたが、ふと気が付いたように太乙は窓に近づき、上半身を乗り出して上を見上げる。
そしてすぐに得心がいったような表情で首筋を撫でながら身体を起こした。

「まあ、君たちがそれでいいならばいいけどね・・・・・・」
太乙は自分で茶を注ぐと、2つめの茶菓子を半分以上食べた太公望の横に座り、のんびりと茶をすする。




表の喧騒とは全く無縁に、2人の優雅な午後はゆっくりと過ぎていった。





















――了





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本当は別の物を書いていたのですが、まとまらないまま11月も終わってしま〜う!!と急きょかいたものです。
毎回ワンパターンでごめんなさい。
楊ゼンの背中の張り紙の文句が、気の利いたものが浮かばなかったのが心残り。(心残りそこだけ?!)


みんなのお兄さん的な太乙さんが好きです。



















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