月の明るい夜であった。
その夜、周の軍師太公望は仕事を一段落させて、久々の深い眠りを味わっていた。
彼の疲れた身体をいたわるように、窓からは月光がやさしく降り注いでいる。




だが、今まさに彼の人の安らかな眠りを脅かさんと、邪気を持った影が忍び寄る・・・・・・。













或る夜のこころ











わずかに開けた扉からするりと音もなく入ってきたのは、部屋の主である太公望の片腕、楊ゼン。
後ろ手に扉を閉めると、彼は一つ息を吐いた。
見えなくても気配で感じる。愛しい人のそれに、楊ゼンの胸は痛いほど高鳴っていた。
何度も自分の気持ちを打ち明けているのに、のらりくらりとかわして真剣に自分と向き合ってくれない、つれない人。
受け入れてもくれず、拒絶もされない。そんな行き場のない楊ゼンの愛情は彼の深いところで徐々に淀み、歪んでいった。
歩を進める楊ゼンはこれから自分が行なうことを想像し、暗い感情を身体一杯に満たしていく。
月明かりに青白く浮かび上がる、薄く笑みを張り付かせた顔は壮絶なまでに美麗だ。
あの人はどのように抵抗するだろうか。だが純粋に力勝負では自分のほうに分がある。いつも余裕の笑みで自分を口先でもてあそぶあの人の幼い顔が、恐怖と屈辱に彩られることを想像するだけで欲望が熱く疼いていく。
寝室の扉に、整った手をゆっくりとのばす。





――愛しい太公望師叔・・・・・・。あなたは今夜、僕のモノになるのです。





扉の冷たい感触が、指先に触れた。















「ビービービー、侵入者アリ、侵入者アリ。指紋照合ノ結果、排除対象K-105、楊ゼント確認。パターンRヲ実行。直チニ排除シマス」
けたたましいブザーと赤い点滅ランプに、慌てて楊ゼンは扉から離れる。
と、裾をかすめるように今まで楊ゼンのいた場所に上から何やらしっかりとした重量のある物が落ちてきた。
床がめり込む。
「な・・・な・・・?!」
突然の展開に楊ゼンは口をぱくぱくすることしかできない。だが彼にそのような暇は与えられてはおらず、背後から迫るものから身体を捩り、かわす。
今度は、今いたところが音を立ててこげた。
何かわからぬまま楊ゼンは第二弾もかわす。今度は視界の端に光の筋が見えた。
・・・・・・レーザー?
なぜ太公望師叔の部屋にこんな仕掛けが? 頭をよぎった疑問は、続く第三弾・四弾によって通り過ぎていった。
さらに、壁から伸びてきたものがレーザーをかわした楊ゼンを捕らえようとする。
その先には見知った手袋がはめてあったが、そのようなことはもう彼の知ったことではなかった。最終的には四本になったそれは、先端の指の部分をわきゃわきゃさせながらどこまでも楊ゼンを追っていく。
しかし次第に状況に慣れてきた楊ゼンは自慢の脳細胞をフルに回転させ、これらの行動パターンを読み、かわし、破壊しながら確実に目的地へと進んでいった。
もう一度寝室の扉に手をかけると、左右からアームが楊ゼンに覆い被さろうと迫ってくる。しかし間一髪、楊ゼンが部屋に身体を滑り込ませ、扉を閉めるほうが早かった。


















奥に寝台を置いただけのその簡素な部屋は、先ほどの喧燥がうそのように静まり返っていて、ただ規則正しい寝息だけが楊ゼンの耳を心地よく刺激するだけであった。
隣室のような防犯機能を警戒して気を探ったが、宝貝や機械の類が隠されているようには感じられない。安心して楊ゼンは寝台に向かう。
寝台の帷をそっと上げると、月の光が夢の住人の無防備な顔を照らして、やわらかな産毛まではっきりと見えた。軽く開かれた薄紅色の唇に、寝乱れてはだけた襟元からのぞく鎖骨と、裾からはみ出した太股。欲情をそそってやまないその肢体に、たまらず楊ゼンは寝台に上がり、覆い被さる。

「知っていますか、太公望師叔。月のきれいな夜は、ヒトは狂ってもいいのだと・・・・・・」

うっとりと笑うと儀式の始まりを告げるように、少しかさついた小さな唇に触れるような口付けを送る。そしてすべやかな頬に手をそえて、あごの線に沿って舌をはわせていると、やがて太公望に覚醒の兆しが見えた。
楊ゼンは愛撫をやめ、顔を太公望の目線に合わせた位置に持っていく。
意外と長いまつげに縁取られた瞼がゆっくりと持ち上がり、目の前の人物に焦点を合わせるために、太公望は二・三度瞬きをした。
「楊ゼン・・・・・・?」
まだ完全に頭が起きていないのだろう。ぽやぽやした声で問いかける人を可愛く思いながら、楊ゼンは艶やかな笑みでそれに応える。
「・・・・・・そうか・・・しくじったか・・・」
その言葉に楊ゼンは勝利を確信した。だが、太公望が枕元にぶら下がっている紐に手をかけるのを見て、楊ゼンは寝台から飛びすさった。そして十分距離を置いて不敵な笑みを浮かべ、言い放つ。
「あんな罠で、ぼくをどうこうしようだなんて、甘くみられたものですね。そろそろおとなし・・・ぐふっ!」
自信たっぷりの楊ゼンの言葉は、頭上から落ちてきたものが頭に鈍い音を立てたことで遮られた。目の前に星が飛び、彼は頭を抱えてうずくまる。
落ちてきたものを視野に認め、おそらくこの仕掛け人であるだろう人に目を向けた。彼は半身を起こし、乱れた寝間着をそのままにしどけなく笑っていた。

「わしはおぬしがあのような罠でどうこうされるとは思っておらんかったよ。楊ゼン」
もう一度手の中の紐を引っ張る。


楊ゼンが膝をついていた床が口を開けた。















翌朝の豊邑の話題は、夜半に爆音と共に城より飛び出した“物体”についてであった。
夜襲ではないかとの憶測もされたが、上から警戒するようとの言もなく、昼過ぎにはいつもの人騒がせな仙道さまの仕業であろうということで落ち着いていた。















「言ったとおりであっただろう。やはりアナログのほうが臨機応変に対処しやすい。相手が頭に頼るようなやつならなおさらだ」
「うーん、ちゃんと対楊ゼン用にプログラムしたのになあ。でもまあそこそこデータも取れたし、うちの子を楊ゼン相手に戦わせるわけじゃないからね」
「ところで楊ゼンはどこに落下したのだ?」
「それがねえ、玉鼎の寝室に落下地点を定めたはずなのに、彼んところの弱水の池に落ちちゃったみたいなんだよね」
「昨夜は雲もなかったし、火薬の量を間違えたのではないか。爆音がいささか大きかったぞ」
「そんなことないよー。ちゃんとシュミレーションどおり打ち上げたって」
「ならば上空に風があったのか・・・・・・。例年とはいささか気象が異なるのう。作物に影響が出ねばよいが」
「まあとにかくこれは報酬と賭けの分の桃ね。また機会があったら呼んでよ。新作造って待ってるからさ。
・・・・・・あ、あと雲中子も試したいものがあるから誘ってくれって言ってたよ」
「うむ、いつでも来るようにと伝えてくれ」












窓から兄弟子を見送った太公望は、卓子に山盛りに積まれた桃の一つを手に取り、美味しそうに齧り始めた。
そして寝台に腰掛けると、楽しそうに足をぶらぶらさせる。
「あのような罠でどうこうされるとは思っておらんかったよ、楊ゼン」
足元に転がる物を爪先で軽く蹴飛ばして、またもや桃を齧る。















角を大きくへこませた金だらいが、部屋のすみまでころがっていった。















――了





−−−
『イクミの空間』さまへ送らせていただいた作品です。
こんなのばっかり書いていますが、管理人は楊ゼンさんを愛しています。
いえ、ホントに(笑)。
どちらかというと、書いているときは楊ゼン視点で、「どうやって師叔をモノにしようか」と鼻息荒く意気込んでいるわけですよ。
だから、毎回師叔に返り討ちにあってしまうのは、甚だ不本意で・・・。
彼を手に入れるのはまだまだ功夫が足りないようです。
題名は・・・なんだっけ?
きっと何かから取ったんでしょうけど忘れました(ダメ)。








もどる