楊ゼンが帰国して半年ほど経ったある日、ラジオから流れた情報に太公望は思わず椅子から立ちあがった。
太公望のあの仮説が実験で証明されたとのニュースであった。
その研究チームの最高責任者は、楊ゼン。
ほどなく、太公望の祖国がとある小国を占領した。
辺境で、軍事拠点には到底使えないその国は、しかしウランの産出で有名であった。
それは、楊ゼンの率いる研究チームが新型兵器――核爆弾――の開発に着手したことを意味する。
太公望が最も危惧していたことであった。
発表から三日間、太公望はろくに食事も摂らずに部屋に閉じこもっていた。
そして、三日後の朝早くに彼は政府高官を自宅へ呼び付け、一通の手紙を渡した。
“――親愛なる大統領――
・・・・・・ウランが新しい重要なエネルギー源になるのは遠くないことだと思われます。極端に強力な新型の爆弾が作り出されることも考えられます。政府はこのことに十分注意し、場合によっては迅速な措置を必要とすると考えます。・・・・・・”
太公望は、もはや絶対平和主義では解決できないと悟ったのである。
科学者として自分に出来る最善のことは、ファシズムを掲げる祖国の政府よりも早く新型爆弾を開発すること。
連合国軍の中でも第一の地位を占めていたこの国の政府にとって、太公望の協力は願ってもないことであり、すぐさま彼を受け入れた。
こうして、連合国軍でも核爆弾の開発が始まる。
奇襲攻撃により、初めこそ優勢を保っていた祖国は戦争が長引くにつれて、層の厚い連合国軍に押されることとなり、敗色を濃くした。
爆弾製造には関わっていない太公望は自室で一人、ラジオから流れる祖国への爆撃成功のニュースを聞きながら、日々を過ごしていた。
主要な軍事施設は破壊され、占領地からは連合国軍によって撤退を余儀なくされ、すでに誰の目にも戦敗は確実で、後は降伏を待つだけという状態であった。
ある朝、寝起きの太公望にラジオが臨時ニュースを知らせた。
連合国軍によって、祖国へ新型爆弾が投下されたとのことだった。
いまさらそのような物を使うまでもなく、降伏は時間の問題であったのに・・・・・・。
太公望は何か言おうと口を開いたが、そこからは何の言葉も漏れることはなく、ただ、立ちすくんでいた。
ファシスト政権の崩壊と無条件降伏により、ついに長期にわたる大戦は終結した。
太公望は、人を使って祖国に残した従妹の行方を捜させたが、収容所に連行されたきり、そこで消息は途絶えていた。
自分が信じた科学では祖国どころか、一人の少女も救うことは出来なかった。その無力感と罪悪感から心労をわずらった彼は床に就くことが多くなった。
――科学は人類を幸福にするものではなかったのか。
自問自答を繰り返す。人を大量に殺傷することができる火薬、離れた国へ兵士や弾薬を迅速に運ぶことができる車、海を越えて高度から安全に爆弾を投下することができる飛行機・・・。
すべて、人類の暮らしを楽にするために、人類の夢や憧れを現実にするために作られたはずだ。
自分の研究も、そう遠くない将来確実に枯渇する化石燃料の解決のために行ったのに。
見渡す限り焦土と化した祖国。跡形もなく燃え尽きた人々。助けを求める声、最愛の者を亡くした嘆き、悲しみ、憤り・・・。
――そんなことのために造ったのではない・・・!
科学は人を不幸にしか出来ないのか。科学への否定は、やがて自己否定につながっていった。
そんな無機的な生を送っていた太公望の前に現れた訪問者は、彼の生活を一転させることとなる。
訪問者は太公望の最愛の従妹である邑姜を伴なって来た。
彼女は多少衰弱していたが、瞳には変わらず知性の光が輝いており、驚いている太公望を見て浮かべた笑顔も昔のままだった。
とりあえず彼女を、いつも自分の身の回りの世話を頼んでいる近所の老婦人に任せて、太公望は気を落ち着かせるために茶を入れ、一つを訪問者である男に出すと、自分もゆっくりと一口含んだ。
「私は楊ゼン博士の代理人です。彼は私に頼みました。それは邑姜という少女を捜し出して、太公望博士、あなたのもとへ送り届けることです」
かつての友人の名を耳にして、太公望はカップを口につけたままぴくりと反応した。
主義思想を異にして最悪な別れ方をしたにもかかわらず、あの男は昔の約束を覚えていてくれたらしい。
「しかし邑姜さんはすでに収容所へ連行された後でした。楊ゼン博士は新型爆弾の製造の協力を条件に、邑姜さんの収容所からの釈放を求めたのです。それからも博士は彼女の国外脱出のために、方々に手を回していました。私は、研究所に軟禁状態であった彼の手足として直接に行動したのです」
「それで、・・・楊ゼンは今どうしておる」
男は一瞬口篭もったが、すぐにはっきりと答えた。
「楊ゼン博士はお亡くなりになりました」
敗戦国の科学者とはいえ、戦争が終わったのにあれだけの才能を持った男がいつまでも世に出ないはずがない。覚悟していたことだった。
「そうか・・・・・・やはりあの爆弾か?」
内心の動揺を隠すために持っていたカップをテーブルに置き、せめて安らかな最期をとため息を吐いて問うた太公望に、次の男の言葉は予想だにしなかったものであった。
「いえ、・・・・・・国家への反逆罪です」
太公望の目が大きく見開かれる。
「な・・・に・・・・・・」
茶で潤したばかりの喉から出た疑問は、乾いた小さなものだった。
「何故・・・何故あやつが反逆罪などに・・・。
あやつは・・・、国で第一位の科学者であったはずだぞ・・・・・・」
「・・・・・・博士は国家に協力的な態度でいて、実はデータの改ざんなどで新型爆弾の開発を意図的に遅らせていたのです。
慎重にやられてはいたでしょうが、遅々として進まない開発にさすがに不審に思った党の科学者によって知られるところとなり、密かに処刑されました」
ふらりと足元をよろめかせた太公望であったが、かろうじて椅子の背を掴んで体重を支えることで転倒は免れた。
しかし急激なショックにより、視界が狭まって頭ががんがんする。吐き気も込み上げてきて、立っていられなくなり、慌てて椅子に腰掛けた。
それが意味するところを知ることを太公望の身体は必死に拒否していた。
「終戦の一月前のことでした」
嘘だと思いたかった。
楊ゼンの代理人は自分の義務を果たすと、長居もせずに帰っていった。
ひとり部屋に残された太公望は椅子の上で微動だにせず、整理のつかない思考を抱えていた。
告げられた事実は、別れたときに見せた冷たい眼差しの彼とつながらない。彼の真意がわからない。
無意識に緩く頭を振ると、太公望は顔を上げた。すでに薄暗くなっていた室内に気づいた彼は、緩慢な動作で明かりを点けて、ふとテーブルの上の物に気がついた。
『それから、これをあなたに渡すようにと頼まれました』
絹のハンカチーフに丁寧に包まれた物。
手のひらに乗るくらいのその小さな包みを解いてみると、中の物が照明の光をやさしく反射した。
使いこまれた銀の懐中時計。
信じられない思いで太公望は書斎に飛び込み、机の一番上の引き出しを開ける。
そこには、彼と決別したあの日から無造作に突っ込んでいた懐中時計。
何故、今まで気が付かなかったのか。硬質な光を反射するそれは、くすみもへこみもない、新品同様の。
震える手で太公望は机にしまわれていた時計の蓋を開けた。
蓋の裏側には卒業生の名が彫られている。
“YOU ZEN”
太公望は手の中の懐中時計を拉げんばかりに握り締め、小さくうめき声を上げると、その場に崩れ落ちた。
大戦後、核を自国の陸軍によって管理しようとする大国に、太公望は平和運動を再開する。
各国においては平和的手段による問題解決を勧告するとともに、原子力という巨大な力を解放した科学者にはすべて管理責任を負っているとした。
その後も彼は全世界に核兵器廃絶を訴え、その活動は生涯続けられた。
そんな太公望の亡命を手助けし、自らも天才科学者として有望視されていた楊ゼンだが、最終的には友人である太公望を裏切り、ファシズム政権のもとで核兵器開発の第一人者として従事した彼の名は、すべての学会から除名され、やがて人々の記憶から消えていった。
現在、祖国の小さな教会の裏手にある小さな彼の墓は、人が訪れることもなく、彼の魂は一日中陽の射さないところでひっそりと眠っている。
太公望は庭にスコップで浅く穴を掘ると、そこに無造作に絹のハンカチーフで包まれた小さな物をそっと置き、土をかぶせ盛った。
その脇に摘んできたばかりの花束を供える。
「・・・・・・それでもわしは、いつか科学が人類の幸福にのみ使われる日が来ると信じておるよ」
盛土に慈しむような目をしてやさしく話しかけた。
「太公望博士、お迎えに上がりました」
出発を知らせに来た男に、振り返りもせずに手で合図を送って、太公望は立ち上がり一つ大きく伸びをする。
もうそんな時間かと、慣れた手つきでポケットから銀の懐中時計を取り出して、確かに約束の時間であることを確認した。
「ではな、行ってくるよ、楊ゼン」
よく使いこまれた手の中の時計をもとのポケットにしまうと、用意した古い革のボストンバックを手に庭を後にした。
一年中暖かい日差しが降り注ぐその明るい庭には、よく手入れされた草木が花を咲かせ、訪れる小鳥たちでいつもにぎわっていた。
――了
−−−
ようやく終了。
史実とは若干違っていますが、それはページの都合ということで・・・(ダメ?)。
文章がぶつぶつ切れているのもページの都合ということで・・・(ウソ・力量不足です)。
シリアスでもやっぱりかわいそうな楊ゼンさん(笑)
ちなみに彼は全くのオリジナル。アインシュタインさんの友達にそんな人はいません。
まあ、話的にはよくありますけどね。どれだけ自分は愛されていたかがわかったときには、すでにその人はいないって。
こんなイタイ話に長々と付き合ってくださりありがとうございました(謝)
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