右手に何か暖かいものが触れる感触を覚えて、男はうっすらと目を開けた。
眉をひそめて自分を覗き込む少女の顔を見て、右手がその少女のぽやぽやとした両手に包まれている事を知る。
経てきた年月以上に刻まれた頬のしわを動かすと、それは笑みを形作った。
「シアン、また来てくれたのかい? いつもありがとう」
力ない声であったが、少女はそれでも満足したらしい。
シーツに散らされた男の長い蒼髪の一房を手に取って、キスをする。
「あのね、今パパね、寝ながら笑っていたのよ」
どんな夢を見ていたの?と小首をかしげたその様子に、先ほどまで見ていた夢が思い起こされた。
小さな、愛しい愛しい人。
ああ、だがもう瞼に映るあの人の顔は不鮮明で。
「ねえ、シアン。机の上から2番目の引き出しを開けて、・・・うん、そう、そこに写真立てが入っているだろう。・・・・・・見つかったかい? それを、こっちに持ってきて、僕に見せて。・・・・・・ありがとうシアン、いい子だね」
夢から醒めたら
男はフリーの戦争カメラマンだった。
銃弾飛び交う戦地の最前線に、彼は飛び込みシャッターを切る。
そんな命懸けで撮ったネガもせいぜい一週間分の酒代にしかならず、本国の新聞には彼の名さえ記されない。
それでも男は夢を見続ける。いつか栄えあるピュリッツァー賞を受賞し、富と名声を得るのだと。
今日も彼は埃にまみれた古いカメラを首に、銃弾飛び交う戦地に赴く。兵士らの表情を写すため、兵士よりも前へ、――まさに最前線へ。
死んでも哀しむものはいなかった。彼は天涯孤独の身であったのだから。
むしろ今では感謝すらしている。誰にも束縛される事のない、この自由の身を。
左足に焼け付くような痛みを覚えて、男は高台から転げ落ちるようにして倒れた。
一瞬気が遠くなったが、すぐに回復し、口の中の乾いた砂を少ない唾液とともに吐き出して起き上がろうと手をつく。
だが、支えた腕に力が入らず、男は肩から倒れ込んだ。
とっさにかばった命よりも大切なカメラが、男に受け身を取らせなかったのだ。
身を捩って、男は先ほど痛みを覚えた箇所を見た。
左足のふくらはぎが血で染まっている。震える手で触ってみると、掠っただけのようだ。
すでに痛みはなく、ただ規則的に脈打っているのがはっきりと感じられる。
命には別状ないらしい。失血と全身の打ち身で意識が遠のく中、カメラをいっそう深く懐に抱いた。
次に目が覚めたのは、暗く狭い部屋の中だった。
藁の上に敷かれたシーツの上に寝かされているようであった。
男は覚醒の原因の方へ顔だけを向けた。
「気がついたかい?」
英語だった。
軍人然とした見た目を裏切らず、連合軍で下士官をしているという誠実そうな青年は、今の男の置かれている状況を簡潔に説明してくれた。
自分たちは捕虜である事、食事や健康面で待遇は悪くない事、待っていれば定期的に行なわれる両軍の捕虜交換で釈放されて本国に戻れる事。
左足には包帯が――あまり清潔そうではないが――が巻かれていた。
「まあ、めったにない捕虜生活だ。楽しめよ」
そう言って、たいして年の変わらなそうな下士官の青年は、横たわる男の肩を叩いて笑った。
――冗談じゃない。
釈放は身一つでだ。
被弾する直前に写したモノが、男の頭には現像した形で蘇る。
あれを本国の新聞社に売り込めば、今年のピュリッツァー賞は確実だ。
――カメラとフィルムは何としても取り戻さねば。
――続
もどる