三方を海に囲まれ、小国ながら“宝石箱”ともたとえられるほどに資源にも恵まれたこの王国も、今は夜も更けて、その宝石箱もふたが固く閉じられている。
今宵は満月。だが月の光は厚い雲に覆い隠されて、宿直の明かりも届かぬ城の裏側に、きらめく光が二つ、ゆっくりと降り立った。
堂々と立派な体躯をもつ猛禽。それは畜生の身でありながら、黄金の両眼には理性の光が瞬き、行動にははっきりと意志の力が感じられる。
猛禽は辺りを見回すように小首をかしげたが、その瞳には荒れ寂れた古い離宮の一室にあるバルコニーしかうつらない。
瞼を閉じてぎこちなくバルコニーの縁を二・三歩歩くと、かすかに高い音を立ててそれの姿が歪み、全く別のものへと変化した。
同時に雲の切れ目から月が現れ、その者の姿を照らし出す。
夜空に溶けるほどの深い蒼の髪と青い瞳をもつ美しき――ヴァンパイア。
風にはためいた漆黒のマントを身体に引き寄せると、彼は固く閉ざされた窓の向こうにやさしく微笑んだ。
「お迎えに上がりました。僕のかわいい姫君」
甘美な契約
ヴァンパイアが女の生き血をすするというのは誤解である。正確には気を吸うのだ。
気は頚動脈付近に流れているものが、一番量も豊富で皮膚に近いために吸収しやすい。その際はただ唇を寄せるだけであるが、首筋に鬱血の跡が残ってしまい、それが噛み痕と間違えられてしまうのだろう。
また、所有の印(と勝手に人間が呼んでいる)をつけられた乙女は、その後もヴァンパイアの魔力で逃げる事も出来ずに餌食となり、やがてやせ衰えて死んでゆくといわれているが、これも大きな誤解である。
彼らは一度口を付けたものには、二度と口を付ける事はしない。他人の食べたものならばなおさらだ。
だが、ヴァンパイアは概して見目がよく、身のこなしも洗練された者が多い。
真夜中の寝室に、人間離れした美しさをもつ男が闖入し、甘い言葉と下にも置かない振る舞いで扱われ、口付けを請われるのだ。
人間の女には過ぎた甘美な夢。
それで乙女は二度とこない待ち人を想って、食事も喉を通らず、恋焦がれて衰弱していくのだが、それは相手の勝手というもので、ヴァンパイアからすると大変迷惑なことである。
窓に向かって歩を進めていたヴァンパイアは、その動きを止めて窓に手をかざした。
強い護りの力が感じられる。それもご丁寧に三重も。
人間が張ったものにしては上出来だ。よほどの力あるものでないかぎりただでは済むまい。その辺の雑魚ならば跡形もないだろう。
彼にとってはさほどではないが、全くの無傷というわけにはいかないだろうし、何より力技など美学に反する。中にいる姫君を脅えさせてもならない。
ヴァンパイアは手をかざしたまま慎重に結界の構成を探り出しにかかった。
彼がそこまでするだけの価値と理由が、その姫にはあった。
今、三重の厚い帳の向こうで安らかな眠りについているだろう淑女は、その身に莫大な力を秘める数百年に一人の聖なる乙女。
優しく、賢く、気高い、まさに国の至宝と民衆の誰もが敬愛する彼女は、第一王位継承権を持つ貴い身でありながら――それゆえに継母妃から疎まれていた。
生母妃は彼女を生んですぐに亡くなり、また有力な貴族の後ろ盾も無い身は、成長していくにつれて増してゆく聡明さと、垣間見える人ならざる力に恐れを抱いた一部の臣と、王子に恵まれない継母妃に命を狙われることとなった。
そして後半年で15歳の誕生日を迎える彼女に王命が下る。王位継承権を返上し、王立修道院にて神に生涯を捧げるように。
修道院は神の領域である。神とはいっても、それは勝手に人間が崇めているだけで、彼にとってはたいした力の違いはない。だが他人の領域に勝手に侵入することは、彼らの世界では規則違反である。
何としても修道院入りする前に彼女を手に入れねば。
この世にあまねくすべての力あるものにとって至上の甘露となる、慈愛に満ちた、類希なる美貌をもつ薄幸の王女。
神の下で枯れ朽ちるよりも、この僕の傍らで咲き誇ることこそ相応しい。
最後の結界も解除して、ヴァンパイアが軽く窓に触れると、まるで彼を歓迎するかのように音も無く窓が開かれた。
部屋に満ちる密やかな空気に同化するように、流れるような無駄のない動きでヴァンパイアは寝台に近づき、そしてそっと薄い天蓋を押し上げる。
やわらかな羽毛の枕と絹のシーツにくるまれながら、小さな寝息を立てて夢の世界でたわむれる高貴な姫君。
だが、こちらに背を向けているため、せっかくの美貌が拝見できない。業を煮やしたヴァンパイアが、長い片足を寝台に乗せると、かすかに揺れたマットレスに反応して王女が仰向けに寝返りを打つ。
ヴァンパイアは、肩から零れ落ちる自慢の長い蒼髪を無造作に掻き揚げながら、寝台に乗せた片膝にさらに体重をかけて身を乗り出した。
優しく、賢く、気高い、宝石箱の至宝・・・・・・。
「・・・・・・まだ子どもじゃないか」
口元に微笑みを浮かべて眠るその人は、まだ“あどけない”と表現せざるを得ない顔立ちで。
少年のように短く切られた黒髪が、さらにその印象を強くする。
シーツからはみ出した小さな手についている桜色の爪も、髪の毛同様長く伸ばして手入れすることなく短く切り揃えられている。
薄いネグリジェに包まれた肩は、女性特有の丸みに欠け、青い果実を連想させる。
そして緩やかに上下する胸は、ようやっと膨らみかけてきたというところだ。
脳裏に描いていた理想とのギャップに少なからず失望を抱いたヴァンパイアであったが、すぐに思い直す。
バラの花びらをくわえたようなふっくらとした赤い唇。
明敏さをうかがわせる眉宇と額。
真珠のように内側から白く輝く頬。そこにしらしらと降り注ぐ月の光を受けた長い睫が優雅な影を落とす。
後頭部と背に腕を入れて上半身を抱き起こすと、思っていたよりも更に軽く華奢な身体。服越しにじわりと伝わるあたたかな体温。
シーツに零れる指も、ネグリジェから覗く鎖骨も、仰け反り露わになった首も、すべてがまるで象牙細工のように繊細で。その上にすべやかな肌膚が覆っている。
何よりも、先ほどから鼻孔をくすぐる芳しい香り。
他の乙女とは明らかに格を違えるもの。
今までの女とは違い、この姫とは共に永き時を過ごすのだ。
未完成である方が、自分好みに育てる楽しみがあっていいではないか。
蜜に誘われる蝶のように、ヴァンパイアは少女のほっそりとした首筋に唇を近づける。
その時、身体を動かされてか、少女の長いまつげが細く震えた。
覚醒の兆しにヴァンパイアは動きを止めて、王女が自分を認識できる距離だけ顔を離した。
そして、女性であれば誰もがとろけるような笑みを浮かべて、彼女の瞳に自分が映るのを待つ。
「夜分遅くに失礼。お初にお目にかかります、望王女」
間近で響く、ささやくような低い声に、王女は二・三度瞬きをすると、海の底の青玉のような眼でヴァンパイアを見つめた。
月明かりの下、空と海の瞳が交じりあう。
小さな唇がかすかに動いた。
紡がれる声を聞こうと、ヴァンパイアが視線を唇に移した。・・・・・・その時。
「はぁうっっ?!!」
美しきヴァンパイアは、もんどりうって床に転がり悶えた。――両手でしっかり股間を押さえて。
ようやく男性特有の痛みも治まり、目尻の涙を拭きつつ立ち上がると、痛みの元凶は寝台の上で片膝を立ててその青玉を見下すように向けていた。
突然の無礼な行動とその視線に腹を立てないではなかったが、彼女を手に入れるまでの辛抱と、ヴァンパイアは優雅に貴婦人に対する礼をする。
その頭上に涼やかな声が投げかけられた。
「で、おぬしはわしに何をもたらしてくれるのだ」
はっ?っとヴァンパイアは顔を上げた。しかし愛らしくも聡い相貌は、彼がどのような目的で自分の元へ訪れたのかを熟知しているようであった。
「貴女のその類希なる美貌に、永遠にかわらぬ時を」
生半可なごまかしで手に入れることは出来ないと覚った彼は単刀直入に、女性ならば誰もが身体の芯が疼くような低音でささやき、微笑む。
だが百戦錬磨で無敗の武器は、ここにきて初めて土がついた。
「ふん、それでは他の奴等と変わらぬ」
王女は強い意志を感じさせる眉をつゆほども動かさず言い放つ。
自信を無くし、肩を落としかけたヴァンパイアであったが、彼女の言葉尻が気になった。
「あの〜、『他の奴等』とは?」
質問の声もつい気弱になってしまう
「ん、ヴァンパイアはおぬしで4人目だ。それに狼男だろ、上位精霊も何人か来たな。それから・・・ああ、はるか西から神々が大勢来たが、わしの目からすればどうしても象やカバや馬にしか見えんでな、遠路はるばる悪いがお引き取り願った。後は、わしが行くことになっている修道院先の神から『早く来い』と幾度も催促が来ておるし、・・・・・・」
王女の力は内に秘められたものであるため、おいそれとはその存在を知られないはずだが、それにしてもあまりの競争率で言葉も無いヴァンパイアに、彼女は少女特有の無邪気な笑みを送った。
「まあ、多数の応募があるのだから、出来るだけ条件のよい奴にしようと思うて選別をしておるのだよ。どうせ永き時を共に過ごすのだから」
よいしょと掛け声をかけて少女は寝台から降り立ち、ヴァンパイアの周りを回って観察し始める。
「ふむ、見目は悪くはないな。ほら、服を脱げ。・・・・・・体つきもしっかりしておる。腹も出ておらぬな。口を開けよ。・・・口臭もなしか。この髪は自毛か?・・・・・・」
あれよあれよという間に上半身を脱がされ、べたべたと無遠慮にあちこちさわられ、動かされ、引っ張られる。
呆然となすがままのヴァンパイアに、可愛い口は矢継ぎ早に質問を浴びせ掛けた。
「家族は?」
「・・・僕一人ですけど」
「本当だな? 礼儀やしきたりにうるさい姑なぞおらぬだろうな。
収入は? 住居は? ・・・・・・?・・・・・・・・・!?」
半刻後、かつて経験したことのない疲労感に襲われたヴァンパイアは、自慢の長い蒼髪が汚れるのもかまわずに、半裸のままぐったりと床に手をついていた。
「それでは、次に契約内容だが・・・」
「まだあるんですか?!」
がばりと音を立てて立ち上がったヴァンパイアに、いつのまにかに寝台に戻った王女は、何を当たり前のことをと見返す。
「今までのは最低条件。それを充たした者が契約に進めるのだ」
ちなみにここまで持ち込めたのはおぬしが初めてだ、と言われたが、何だか素直に喜べない。
もしかしたら・・・と胸にとどまりかけた不安は、彼女の言葉で押しやられた。
「おぬしからわしへは、わしの気をおぬしに与えること。それでよいのだな」
少女が小首を傾げた弾みで魅惑的な香りが届き、彼は誘われるようにうなずいた。
「わしからもひとつ。お茶の時間には必ずモモかアンマンを用意すること。ちなみにアンマンは丼村屋のものしか食わぬ。それがわしからの条件だ」
ヴァンパイアは思わず「それだけですか?」と聞き返す。
今までの彼女の調子からすると膨大な条件を突きつけられるものと思っていたからだ。
だが、少女は「それだけだ」とうなづく。
いささか拍子抜けの感はあるが、条件が少ないならばそれに超したことはない。王女の気が変わらないうちにと、ヴァンパイアは床に放られたマントから契約書を探す。
「そういえば、おぬし、名は何という?」
思い出したように何気なく問われたそれに、マントをまさぐっていた彼も何気なく答える。
「楊ゼンです・・・・・・」
一瞬の沈黙。
「・・・・・・?!!」
ヴァンパイアは慌てて口を押さえた。わずかな希望を託して、そっと少女の顔をのぞき込む。
そのわずかな希望をみごとに裏切り、可愛らしい笑顔は邪気満点だ。
その笑顔のまま、王女はサイドテーブルの引き出しを開けて、一枚の羊皮紙を取り出す。
「何で、人間である貴女がそんなものもってるんですか!」
「知り合いの魔術師から、ちょっとな」
ひらひらとヴァンパイアの鼻先に突き付けられたのは契約書。
内容は今まで少女が提示してきた条件だが、平等な契約ではなく、主従関係を結ぶものである。
そしてすでに主人の名を記す欄は、王女の本当の名で埋まっていた。
残りは主人に仕えるしもべの名を記す欄のみ。
ほれほれ、と誓約書とペンを突き付けせまられたが、名を取られては逃げられない。がっくりとうなだれたまま、ヴァンパイアは少女の名の下に署名した。
「それでは契約成立だな。わしの名は太公望だ。これからよろしく頼むぞ、“楊ゼン”」
「ヨロシクオネガイシマス、太公望師叔・・・・・・」
永き歴史をもつ誇り高きヴァンパイア一族の中でも、最も尊き血を引くこの僕が、こんな人間の小娘に仕える事になろうとは!!
「ほれ、では約束だ」
だが、首筋から立ち上る甘い匂いの誘惑には勝てなくて・・・。
それにしてもベッドの上で寝乱れたネグリジェもそのままに胡座をかき、自ら首筋をさらしてヴァンパイアを誘う姫君というのはいかがなものだろうか。
それが今や自分の主人なのだ。
これからの長い人生の先行きを案じつつ、楊ゼンは白い首筋に口付けた。
まずは芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、そしてしびれるような一瞬の感覚の後に全身を充たした、とろけるように甘く芳しい聖なる気。
身体の奥底に眠るヴァンパイアの力がすべて目覚めたような充実感は快楽さえ感じさせ、楊ゼンは無我夢中で首筋から気ををむしゃぶりすする。
ああ、下僕の身分だろうと犬だろうと手に入れられてよかった・・・・・・。
「たわけ!限度を知れ」
「!!!」
陶酔感の余韻を抱きつつ、再度の股間の痛みに楊ゼンはうずくまって耐える。
「あーもう、だるいー、ねむいー。そういうわけでわしは寝るから、おぬしの城へ運んでゆけ」
何を勝手なと楊ゼンは股間を押さえつつ思ったが、シーツから覗く手のもともと白い肌が、透き通るほどに青ざめていることに気づき、気を吸い過ぎたと反省する。
極上の宝飾品を扱うように、楊ゼンは横たわる太公望の身体を絹のシーツでくるんだ。
上着を着直して彼女の体を抱き上げると、やわらかな重みと共に、激しい争奪戦の勝利者という実感が湧いてくる。
この至上の乙女は僕のモノなのだと、これからずっと自分の好きにすることが出来るのだと――いささか認識が間違っているが――そう思うだけで涎が垂れてきそうだ。
本当に今にも頭から食べ出しそうな貴公子らしからぬ笑みを浮かべる楊ゼンに、シーツの中から声がかかる。
「そういえば、おぬしを倒せは無条件でわしとの契約が引き継げる事になるな。
まあ、おぬしが倒されるのはかまわぬが、次の下僕が牛やサルや竜王のマザコン三男坊だのというのは遠慮願いたいのう」
この世の約束事をすっかり失念していて自らの髪ほどに青くなる楊ゼンに、太公望はシーツの中から鼻の頭までをちょこんと出して、眼だけでにやりと追い討ちをかける。
深い海の青が月光を受けてきらきらと瞬いた。
「もっと条件のよい男が現れるということもあるからな。寝取られぬよう、せいぜい精進せいよ」
銀の光を背に浴びて夜空を駆ける、ひとりの麗しきヴァンパイア。
彼の白皙の頬を濡らしたものは、念願の甘美な宝玉を手に入れた歓喜の涙か。
それとも・・・。
――了
−−−
急遽変更、400hitを踏まれたあきサマからのリク。
(ダメ管理人ここに極まれり・・・)
リク内容は
>「絶対楊太で」
>「女スーでパラレル」
なにげなーく思い付いたネタなのですが、よく考えればリク内容を充たしているし、短いし、暗くない。
差し上げモノでゲッター様がリクしてらっしゃらなければ、長くて暗いものは避けようと思っていたんですよ。
でも、これまではどうしても思いつかなくって。
あきサマ、こちらでよろしいですか? もしよろしくなければ、どうぞご遠慮なくおっしゃってください(ビクビク・・・)
相変わらず書きたいところから書いていって、しかもその時のテンションがまるで違うので、読み返してみるとムラのある文章になってしまいました。反省。
しかも無駄に長いし。
いいところだけ簡潔に書くのが今後の課題。がんばれ(笑)
今回の世界は、ねこの中の“異界観”です。
人間に比べたら力はあるけど、特別なことやってるわけじゃない。
「世界に完全な秩序を!」とか「世界を混沌の闇の中に!」とかって、そんなにがんばってないと思う。
人間が勝手に神や悪魔として分類して、ランク付けまでしちゃってるけど、当の“神”や“悪魔”からしたら、まあ勝手にすればーといった感じ。
本当は顔見知りってくらいなのに、聖書の中では敵対関係にされちゃったりとかね。
あとは、「何であいつの方が格が上なんだ!!」って怒ってるかも(笑)
ヴァンパイアや狼男だって、その種族内で力の優劣はあるかもしれないけど、ヴァンパイア一族や狼男一族が“神”と比べて劣っているというわけではない。
そんなイメージです。
さて、相変わらずの下僕楊ゼン。
彼への試練はまだまだ続く(ウソ)
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