この広い空の下には、どこか僕の知らない秘密の場所があるにちがいない。
彼しか知らないその場所は、いつも明るい日だまりで満ち溢れているのだ。
ねこに未来はない
僕は最初あまりねこが好きではありませんでした。
もともと動物が好きではないのです。
まあ犬くらいなら。
かれらは利口で忠実で、主人の思っていることを読んで行動してくれるようなところがあります。
けれども他の動物は、わがままで自分勝手で飼い主を主人だとは思いません。
そんな僕が何の因果か、ねこの世話をしなくてはいけないことになってしまいました。
恩ある人から頼まれたのです。
僕はいやだったのですが断りきれず、仕方がないので「飼い主がほかに決まるまで」と条件をつけて引き受けることにしました。
それから彼と僕の生活が始まりました。
預かった彼はまだ仔ねこで、僕や僕の部屋をかぎまわっていました。
慎重なその様子に僕は品定めをされているような気がしました。――主人は僕なのに・・・・・・。
とりあえず彼に乳を入れた皿をあたえて、僕は出かけました。
帰ってきて、なにげなく部屋に足を踏みいれて、僕は呆然としました。
乳を入れた皿はひっくりかえされて、しかもその上を歩いた後があります。床には机の上に広げてあった書類が散乱していました。かろうじて机上に残っていた書類も花瓶の水でずぶぬれです。壁はいたるところに引っかき傷が。
僕はその惨事をおこした張本人をさがしました。
寝台の敷布の大きなしみの横で、きれいな掛布にくるまって、彼はそこで幸せそうにまるくなっていました。
次の日からは彼をそこにおいて出て行くことはやめました。
出かけぎわにひょいと彼を持ち上げた時、僕は彼が満足げな顔をするのを見ました。
信じてくれなくてもかまいませんが、本当にそんな顔をしたのです。
早く飼い主を見つけるように催促したのは言うまでもありません。
彼はとても好奇心が旺盛です。
よく彼は、外を這っていた甲殻虫の後を興味深げについていっています。ときどき感慨深げに立ち止まり、またついていきます。
穴のあいたところはかならずのぞきこみます。
ゆれるものも好きで、その小さな手を伸ばします。
そんな様子に油断するといけません。
ある日僕の使っているお椀が床に伏せてありました。何だろうと手に取ると、立派な甲殻虫がのっそり出てきて、僕は本当にぎょっとしました。
彼のいたずらなのです。
その証拠に、僕がぎょっとした時はいつも少しはなれたところで「してやったり」という顔をしているからです。
信じてくれなくてもかまいませんが、本当にそんな顔をするのです。
早く飼い主を見つけるように催促したのは言うまでもありません。
また、彼はとても甘えん坊です。
乳は僕がいちど口に含んであたためたものしか飲みませんし、食べ物も僕がよくかんだものしか口にしません。
彼は僕が出したものをよく確かめて、たとえば僕がちょっとかむのをおこたった時などはぷいと顔をそむけます。
そんな時僕は、もういちど新しく彼のためによくかんだものを皿の上に置き、優しく彼の背をなでて、機嫌を直してもらうのです。
でも彼は素直ではありません。
彼の背をなでている僕を無視して、部屋のすみに行ってしまいます。僕が彼を追いかけて首すじから耳にかけて愛撫してあげるとにげ腰になっていやそうな顔をします。
彼のお気に入りの、僕の長い蒼髪で彼の鼻先をくすぐってやるのもだめです。
しかたがないので、皿の前で寝台によりかかって待っていると、そろそろと出てきてそっと僕の背に体をすりつけてきます。
僕が笑って彼にあやまると、彼は「しかたがない、この辺で許してやるか」といった顔をしてようやく食べ物に口をつけるのです。
信じてくれなくてもかまいませんが、本当にそんな顔をするのです。
その場所は軒の下を、塀の下を、細い路地をいくつも通ってたどり着く。
ただその秘密の場所にむかって急いでゆくのだ。
出かける時に、肩に乗せる彼がだいぶ重くなりました。大きな食べ物も自分で食べられるようになりました。――乳はいまだに僕があたためたものしか口にしませんが・・・・・・。
そんな彼がある日、口に何かをくわえて帰ってきました。
よく見るとそれは仔ねこでした。
「それをどうするつもりなのだろう・・・・・・」困惑する僕の足もとに、彼はその仔ねこを置くと「ぼさっと突っ立ってないで手伝え」といったように僕の顔を見上げました。
シュウと名づけたその仔ねこを彼はよく面倒を見ました。
僕が出かける時もひらりと肩に飛び乗ることはせず、シュウと留守番をしていました。
食べ物も僕がよくかんで与えたものを彼はさらにかみ、シュウに与えるのです。
うまく体をなめられないシュウの背中をなめてやったりもしています。
シュウもそんな彼をたよって、いつも彼の後ろをついていきます。
彼はシュウを連れ立ってさまざまなことを教えてやりました。
この甲殻虫はどこへいくかだとか、鼻を突っ込んではいけない穴だとか、いたずらのしかただとか。
彼はよい生徒のようです。・・・・・・僕は身をもってそれを知っています。
細い路地はたくさんの分かれ道がある。
彼は分岐点のたびに迷い、時に立ち止まりながら一度決めた道は躊躇せずに進んでいくのだ。
シュウがだいぶ大きくなったある日、彼はシュウに攻撃をしかけました。何の前触れもなく。
シュウは戸惑っていました。様子をうかがうように彼のまわりをうろうろするのですが、やがてさとったように彼を見つめると、ふりむくことなしに窓からよく晴れた外へとびだしました。
彼は身じろぎもせずじっと窓に顔を向けていました。
僕はそんな彼の背に「ごくろうさまでした」と声をかけました。
また彼と僕だけの生活が戻りました。
シュウがいなくなっても、彼は出かける僕の背に乗らなくなりました。
帰ってきて、部屋にいないと思って外を探すと、彼はその辺で一等明るい日だまりで静かにまるくなっています。
僕がそっと声をかけると、うるさげに僕をちらっと見てのびをし、三歩ほどはなれて今いた場所に僕をすわらせて、彼は僕のひざの上でまたまるくなるのです。
月のきれいな夜は彼といっしょに晩酌をします。
見かけによらず強い彼と一晩中、酒をなめながら月を愛でるのです。
寒くなると、寒がりな彼のために掛布を少し持ち上げて「一緒に寝ませんか?」と誘うのですが、意地っ張りな彼は布張りの椅子の上でちいさくまるまっています。
僕があきらめて眠りに就こうとすると、彼はそっと椅子から飛び降りてそのしなやかな身体をするりと掛布に忍び込ませ、僕はその彼のやわらかい体温を感じながらいつも眠りに落ちるのです。
そうして季節が何度も巡りめぐりました。
僕は仕事を辞め、街の喧騒から遠く離れた郊外へ居を移しました。
そこは、目の前に彼を魅了してやまない甲殻虫もふしぎな穴もゆれる草花もあるのです。
しかし彼はそのようなものにはもはや関心が薄れたようで、ひたすらその辺で一等明るい日だまりで静かにまるくなっています。
僕がそっと声をかけても、ちらりと僕を見てお愛想程度に顔をすりつけて、またまるくなります。
そんな彼の鼻の頭を少しくすぐってみました。
彼はくしゃみでもしそうな顔で「じゃまするでないよ」と僕の顔をにらみました。
ある日僕は都合で半日家を空けなくてはいけなくなりました。
それを彼に伝えるため、僕は彼を探しました。
彼はやっぱりその辺で一等明るい日だまりで静かにまるくなっていました。
僕は「ちょっと出かけてきますね」と声をかけました。
彼は「どこにでも行ってこい」といったふうにちらりと横目で僕を見て、また目を細めてしまいました。
さびしさを感じて、僕は彼の首すじから耳にかけて愛撫をしてあげました。
彼は素直に僕の愛撫を受けました。
「おみやげを買ってきますね」僕は出かけました。
帰ってきた僕に彼の出迎えはありませんでした。
外を探してみましたが、そこにはもはや小さな日だまりもありません。
僕はいつものように彼のために買ってきた食べ物をよくかんで皿の上に置き、皿の前で寝台によりかかって待っていました。
ずっとずっと待っていました。
この広い空の下には、どこか僕の知らない秘密の場所があるにちがいない。
彼しか知らないその場所は、いつも明るい日だまりで満ち溢れているのだ。
なつかしい部屋や庭から離れ、たったひとりで、昼でも薄暗い路地を通りぬけてたどりついたその場所は、彼のために一等明るい日だまりを用意していてくれる。
彼は疲れた身体をそっと横たえ、その一等明るい日だまりで静かに静かにまるくなるのだ。
しずかにしずかに。
――了
−−−
これはー・・・、えっとー・・・、こんなのいいんでしょうかねえ。
一応楊太・・・のつもり。
しかもこんなに有名な小説の題名をそのまま使ってしまって・・・。
自分の死に際には、親しい人を悲しませないようにそっといなくなって、一人秘密の場所に向かうというのが師叔を連想させたんですよ。
ファンの方ごめんなさい。悪気はないんです。
やっぱ隠した方がよかったかしら。
ううっ・・・・・・、脱兎(逃)!
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