その部屋は外界からの光をすべて遮断し、部屋のすみにある明かりも布の被いをかぶせられて薄暗い。
焚き染めてある薬香がたゆたう床は、足を踏み出すたびに香が渦を巻いて絡み付く。
「生者のいる部屋ではない」そんな思いがよぎり、打ち消すように慌てて頭を振った。
そしてこの部屋で唯一の調度品――寝台へゆっくりと歩を進めた。
「よう、太公望。ひさしぶり。元気してたか?」
近づく影に、寝台の主はそう言ってにかっと笑った。
昔と寸分違わぬ笑みだった。
夏之日 冬之夜
こけた頬。かさつき、血の気のない肌。落ち窪んだ目。
きらきらと少年のように光る瞳だけが、彼を生者足らしめる証拠であった。
しかし、それは巨星が落ちる寸前の、最期の輝きにも見て取れた。
その激しいほどの輝きに一瞬目を奪われた太公望であったが、寝台の上で身じろぎをする姫発に慌てて我に返る。
「何をしておる。いいからそのままでおれ」
礼をしようとした姫発の肩を押さえ掛布を掛け直してやる。
「なっさけねえな。せっかく来てくれた師尚父に対して身体を起こすこともできないなんてよ」
明るい口調だったが、口の端が歪んでいた。
「おぬし、いつからそんなに礼を重んじるようになったのだ」
からかうように言うと相手もそれに合わせる。
「誦が生まれてから邑姜のやつが・・・前からうるさかったけどよ、言うんだよ。
『父親のあなたがそんなことではこの子に示しがつきません!』
ってよ」
「よほど言われたのだな、よく似ておる。目に浮かぶようだ。
だが、先ほど誦に会ったが礼儀正しく、聡明そうな子であった」
「そうだろう。もう可愛くて可愛くて・・・、昔の俺を彷彿と・・・・・・」
「邑姜の躾がよほどよかったと見える」
「あ、ひでえ」
在りし昔に戻れとばかりに。
休みなく近状を話し続ける姫発に、身体に障ると太公望はいい加減止めようとした。
「のう、姫発・・・・・・」
だがそれは次の姫発の言葉で遮られた。
「太公望、俺と一緒に寝ねーか?王の寝床だ。寝心地は保証するぜ」
今までの世間話の続きのように笑顔で尋ねられたが、太公望には“寝床”の意味を正確に捉えた。
分かっていて、だがしかし軽口で返す。
「だあほ、何が悲しくておぬしと同衾せねばならぬのだ」
「角で飾った枕、絹の衾、そんな豪華な寝床にひとり寝するなんて、さみしすぎるよ。なあ頼むよ、太公望」
姫発は、よよ・・・と泣き崩れる真似をした。
そんな彼に太公望も芝居のかかった所作で一瞥して言い放つ。
「埴輪でも抱いておれ」
「あーっ、ひっでぇー!見てろよ、遺言で残してやる。王の権力をなめるなよ」
「そんなことに権力を行使するでない・・・・・・」
はぁ、と大仰にため息を吐いた太公望を姫発はしばし見つめた。
視線を感じて、だがあえて太公望は顔を上げなかった。
「わりいな、親子二代で見送らせちまって。誦は最後まで見なくても・・・・・・、他のやつに任せていいからよ」
「あたりまえだ、姫昌に頼まれたのは国ができるまでだ。孫の面倒まで見きれるか」
「で、早くこっちに来てくれよ」
もう既におぬしは違う世界の住人になってしまったのか。
「百年といわず、五百年でも千年でも待ってるぜ」
「それは普通『百年後にはわたしもそちらにまいりますから、安らかに待っていてくださいね』であろう。おぬしが誘うな」
「おまえどうせ言ってくれないだろう。だから、自分から言わなきゃ」
太公望はすねたようにぷいと顔をそらした。
「おぬしの今際の際にでも言ってやるよ」
だから今は言わない。まだ早い。・・・・・・早すぎる。
「なあ、ちょっとそこ開けてくんない」
姫発に言われて、太公望は幾重にも掛けてある窓の被いをゆっくりと持ち上げる。
薄暗い部屋に光が大量に溢れてきて、太公望の目が細まった。
目を開けると、そこには雲も風もなくどこまでも青い空が広がっていた。
「・・・・・・いい天気だな」
「ああ」
「・・・・・・静かだな」
「ああ」
姫発の目には青い空しか映っていなかった。いや、青い空は映っていただけで実は何か他のものが見えていたのかもしれない。
彼は空を瞳に映したまま二言三言つぶやき、口元を少しほころばせた。
「っあー、ねむいなー!」と思い出したように姫発は一つあくびをした。
「・・・・・・疲れたであろう。もう寝てもかまわぬよ」
太公望は寝台に近寄ると、姫発の掛布を丁寧に掛け直し、長く伸びて少し乱れた前髪を優しくかきあげてやる。
「わりいな、そうさせてもらうわ」
そう言って、かさつき血の気のない唇でにっと笑うと、姫発の目がゆっくりと閉じられた。
「いいもんだな、仕事も何もかもすることがなく寝られるってのはよ」
「・・・・・・ああ」
太公望は空を見上げた。
そこにはどこまでもどこまでも青い空が広がっていた。
雲も風もない。
耳が痛かった。
――了
−−−
姫発死にネタ。
姫発に関してはなぜか後日談ばかり思い付きます。
しかも死にネタは他のシチュもあるし・・・・・・。
なーんで進軍中のギャグネタが書けないのかしらね。
楊ゼンネタならぼろぼろ出てくるのに。
小説を書く時にはなるべく心情を入れないようにしています。
ねこが書くと説明口調になるから。
あと、恥ずかしいから(本音)。
同じ理由で愛の言葉もささやきません。
泣いてすがったりもしません。
そういうわけで、読んでて物足りなかったらゴメンなさい。
勝手に心情をお入れください。
だってこっぱずかしいんだもん(赤面)。
情景描写も苦手です。
これはボキャブラリー不足。
それに自分の頭の中に情景がもうできているので、あえて文にするのがまどろっこしい。
読者さまは無視。もの書きとしてサイテーです。
申し訳ありませんが、こちらも勝手に情景をお入れください。
要勉強。
今回のネタも詩経から。
『葛生』。好きなんですよ、この詩。
でも解釈は相変わらずいいかげん。
コッチ方面詳しい人、専門外ということで大目に見てくださいな。
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