閨の所作












「どうした楊ゼン、何ぞ書類にでも不備があったか?」
突然の真夜中の来訪者にためらいもせず扉を開けた太公望は、開口一番そう尋ねた。
来訪者は彼の片腕、楊ゼン。
太公望はすでに寝間着姿だったが、肩越しに見える机には広げた書類や筆などが散乱している。
今までこのような時間に彼が部屋を訪れたのは数えるほどしかなく、それもすべて急ぎの仕事だった。
だから今度もそうだと思ったのも無理はない。
しかし扉を後ろ手に閉めた楊ゼンは、何を言うでもなく食い入るように太公望を見つめている。
太公望は、相手が何を言うかと声をかけずに待っていたが、その場の空気に堪えられなくなったのか、困惑した表情を浮かべた。
「のう、用があるなら早う言って欲しいのだが・・・・・・」
今丁度仕事が片付いたところだったのだ、と続けたが、その言葉は目の前の男に抱きしめられてもがもがとしか聞こえなかった。
「今夜の用件はこれです」
何とか顔を上向けて窒息を免れた太公望だが、それ以上はどんなに力を入れてもびくともしない。
楊ゼンは太公望の細い鎖骨から首筋にそって唇を這わせ、耳たぶのところまでたどり着くと、そっと舐めた。
それまで腕の中でもがいていた太公望が身を強張らせる。
やわらかい耳たぶの感触を唇で感じながら、楊ゼンはおとなしくなった太公望にささやいた。
「あなたはずるい。僕の気持ちを知っていてなお、僕にあなたの優秀な参謀の役を強いる。
僕があなたの期待を裏切れないことを知っていて・・・・・・」
しなやかな右手が背骨をなぞってゆっくりと降りていく。
「僕を軽んじているのでしょう。僕の性格を分析して、この程度にあしらえばよいと。
でもね師叔、どんなに理論的な分析を行ったところで、所詮は推論の域を出ない。必ずしもあなたの思い通りには"楊ゼン"は動いてくれないんですよ」
下に降りていた右手が太公望の太股をいっきにすくいあげる。そして横抱きすると、楊ゼンは隣室の寝台に抱えていた太公望をおろして、そのままその小さな身体に覆い被さった。
「現実の"楊ゼン"はただあなたの横にいるだけでは満足できないんです。今夜はそれを知っていただこうと思ってやってきました。
一晩かけて教えて差し上げますよ。・・・・・・あなたの身体にね」


端麗な口もとが笑みを形作った。――美しく、冷たく、危険な微笑。


太公望のふっくらとした唇に己の唇を重ね、手を寝間着の襟にかけていっきに引き落とした。
部屋のわずかな明かりが白く華奢な上半身を浮かび上がらせる。
一度身体を離して、楊ゼンはその身体を眺めやった。
狂おしくなるほどの衝動。何度も自分の気持ちをもてあまし、しかしそのたびに何とか押さえつけてきた。
自分の理性を壊す存在。それが今、眼前にあるのだ。
実際に行動に移してしまえばなんてことはない。今まで必死に押さえつけてきた自分がばからしい。
薄く肋骨の浮いた胸を撫でさすり、太股に手を伸ばすと、もう一度唇を寄せた。――今度は深く味わうために。
と、不意に視線に気がついた。自分をまっすぐに見つめる強い視線。
だがそんなことでは楊ゼンは揺るがなかった。完全に開き直ってしまった彼には、逆に余裕さえある。
唇を寸前で止めて、真っ向から視線を受けた。
「何か言いたげですね。どうぞ何でもおっしゃってください。
最も何を言われたところで、この行為を止めることは有り得ませんが・・・・・・」
か弱い獲物を手中に捕らえ、すぐには食さず弄る肉食獣の表情。
ののしりの言葉でもかまわなかった。むしろそれは太公望が、自分の思考が完全に楊ゼンの行動を把握しきれていなかったと、敗北を認めることになる。
暗い喜びが全身を駆け巡った。
太公望は一度大きく瞬きをし、口を開く。







「違う」







予想とあまりに外れた言葉に楊ゼンは面食らった。
その簡潔な言葉を頭の中でゆっくりと二度反芻し、その意味を考える。
今までの自分の発言のどれかに対する応えだろうか。忠実に思い返してみると、どれにも当てはまらなくはないが何だかしっくりこない。
しかしここで動揺してしまってはせっかくの主導権をまた握られてしまう。あくまで余裕の表情で、幼子を相手にするように尋ねる。
「何が違うんですか、師叔」
「手順が違う」
またもや簡潔すぎる言葉に、今度こそ楊ゼンは表情を崩した。
眉をひそめる楊ゼンを見て、太公望は言葉を付け足す。
「閨の所作が違う。気を扱う仙道にとって初歩中の初歩であろう。
もしやおぬし、知らぬのではあるまいな」
そう言って太公望は半身を起こした。展開の読めない楊ゼンは、動揺のあまりあっさりそれを許してしまう。
「まずは男は女の右側に、女は男の右側に向かい合って座する。・・・・・・おぬしが男役をやるのか?ならばここに座れ」
寝台にちょこんと座った太公望は、自分の右側をぱんぱんとたたいた。あまりにも自然なそれに、楊ゼンもおとなしく座ってしまう。
「そして男は女の左肩に手をかけ、ゆっくりと押し倒す。・・・・・・ほら」
動こうとしない楊ゼンの右手首をつかんで、自分の左肩にかけ、そのまま一緒に倒れこんだ。
「・・・・・・そして右手は胸をさすり、左手は脇腹をさする。口は二回浅く吸って、二回深く吸う。舌を強く吸って、下唇も吸う」
初めはなすがままだった楊ゼンも、このころになると思考が回復してきた。そして真剣な顔付きで自分を導く太公望を見て、このままでもいいかと思ってくる。
主導権は握られてしまったが、相手がせっかくやる気なのだからわざわざそれを壊すこともない。それにやはりむりやりやるよりもお互い合意の上でやった方がいい。

――僕が欲しいのはこの人の身体だけではないのだから。

楊ゼンの手が太公望の手を離れて自分で動き始めた。なめらかな脇の輪郭をていねいになぞって、右手は胸の突起を指に挿んで細かく震わす。
「お、なかなかうまいではないか。楊ゼン」
弟子を誉める師のような口調でそう言うと、太公望は楊ゼンの首に手をのばした。扇情的なしぐさに誘われるように楊ゼンは顔を近づける。
床に伸びるお互いの影が重なるか重ならないかという位置で、太公望の口の端が上がった。
「楊ゼン、房中にあって禁じられていることは何か知っているか?」
楊ゼンが動きを止め、答えを思い出す前に再び太公望が講義をするかのように言った。
「房中術の極意は陰陽の気を循環させること。それゆえ精をいたづらに放出することはならぬ。具体的にはまず第一が『口唇愛撫』。第二に『肛門性交』。そして第三に・・・・・・」
楊ゼンの首筋に太公望の手が触れる。







「『同性愛』だ!」







「疾っ!」との声と共に太公望の手が楊ゼンの首筋に流れている気をせき止めた。力の抜けた楊ゼンは身体を支えることができずに太公望の上に倒れこむかのように見えたが、その前に太公望はするりと寝台から抜け出す。
手は楊ゼンから離さない。
そして手際良く楊ゼンの身体を仰向かせると、四肢の急所を的確に突いた。
「な、何を?」と尋ねたつもりだったが、喉から出たのは空気の洩れる音。
首から手が離れても楊ゼンは指一本動かすことができなかった。
太公望ははだけていた襟を正す。
「一国の軍師として、また封神計画を預かる者として、この有事に気を損ねる行為など愚の極み。どうしてもわしとしたいというのであればおなごに変化でもしてくるのだな・・・・・・」
楊ゼンの首根っこをつかむと、ずるずると音を立てて窓まで引きずり、窓枠に引っ張りあげた。
下を見下ろして高さを確認すると太公望は、これから起こる自分の運命を未だ受け入れられていない顔をした楊ゼンを見た。
そしてためらいもなく支えていた手を放す。

「・・・・・・さすれば相手をせんでもない」


秀麗な口もとが笑みを形作った。――愛らしく、甘く、危険な微笑。


楊ゼンの身体は万有引力の法則に従って、地面に引っ張られる。
背後の鈍い音に振り向くことなしに太公望は寝台に潜り込み、やがて規則正しい寝息が部屋を満たした。











朝、周公旦が廊下を歩いていると、晴れ渡った空の下、遠くで人だかりができているのを見つけた。
不審に思った彼はその黒山に近づく。
皆何かを遠巻きに見ているようだ。その人垣に周公旦は顔を突っ込み、中をのぞきこむ。
それが何かを確認すると、片眉をぴくりとあげてこめかみに手を当て、そのまま何もなかったかのように無言でその場を立ち去った。
彼の頭痛の種がまたひとつ増えたのは言うまでもない。











その日の豊邑の話題は、半身を中庭にめり込ませたまま声もなく涙を流し続ける美しき天才道士さまであった。
どうやら軍師さま作であるらしい、その中庭の作品は夕方まで放置されていた。











昼休みに自室に戻った太公望は、眼下の人だかりに目をやった。
それを肴にモモをかじる。







――いつになったらわしの推論から出てくれるのやら。







余裕の笑みが豊邑の空に映える。


























――了





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この作品も『封楊太域』様に送らせていただきました。
テーマは"愛"(爆)。
しかも楊→太ではなく、楊←太(大爆)。
わたしの書く太公望の楊ゼンへの愛はちょっと屈折しているらしいです。
でも、好きな人には強くなって欲しいという心の現われです・・・かね?
基本的に心楊ゼンなので、楊ゼンにはがんばって本懐を遂げて欲しいものです(笑)。
参考文献に某ファンタジーノベルス大賞作品を。













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