星眼を望む (前)
















日差しが強く照り付ける今日このごろ、ここ周城でも、各省庁が長期休みに入る前に決裁をもらおうと、書類が城内を走り回っていた。
その書類の吹きだまりの一つが、楊ゼンの机である。
彼の両脇には、その頭よりも高く書類が積まれており、彼の正面には、急ぎの決裁を必要とする書類を持った文官が部屋の外まで溢れていた。
「ご苦労様です、楊ゼンさん! お師匠さまに持っていく書類はありますか?」
そんなぴりぴりした熱気も何のその、太公望の自称一番弟子、武吉が風とともにさわやかに入室してきた。
手と耳を休める事なく、楊ゼンは顔を上げてこけた頬を少しゆるませる。
「ありがとう、そこにあるのを持っていってくれるかい?」
周においてかなりの権限を与えられている楊ゼンなので、決裁のほとんどは彼で済んでしまい、太公望まで回すのはよほどの重要事項だけだ。
今回も武吉一人で事足りるほどの量しかない。
書類を両腕に抱えて、風とともにさわやかに去っていった武吉を見送ると、両脇のうずたかい山を見上げ、廊下の曲がり角まで並んでいる、いやおそらくもっと長いだろう列を目で追って、彼は小さなため息を吐いた。
「楊ゼンさま、休憩なさいますか?」
斜め後ろで雑務をこなす楊ゼン付きの文官が、上司には珍しいそれに気づいて声をかける。
「いや、いいよ。休み前に終わらせた方がいいだろ」
自分を気遣ってくれた文官に感謝しながら、それでも手と耳を休めることなく答えた。
「太公望さまが、どれだけ楊ゼンさまを信頼なさっているか、この仕事量はその証ですよ」
普段の言動から楊ゼンが太公望に敬愛の念を抱いていると感じる文官は、慰める意味で言う。
「そうだね」
この多忙さは、太公望に能力の高さを認められたからこそなのだ。最近は太公望と顔を合わせる事も少なく、たまに合わせたと思ったら険しい顔で仕事の遅滞か不備を咎められるばかりだが、逆を返せばそれだけ期待されているという事になる。
太公望に敬愛以上の念を抱く楊ゼンは、そこで初めて手を休めて心から笑った。



そう、僕は師叔にとって唯一無二の存在なのだから。



その笑みを合図にするように、またもや風を連れて武吉がやってくる。
「楊ゼンさん、先ほどの書類をお師匠さまから預かってきました!」
「ありがとう、そこに置いといて」
あとは、太公望の印が押されたその書類を関係部署に送るだけだ。だいぶ慰められた楊ゼンは、武吉の持ってきてくれた書類に手を伸ばす。
愛しい人の香りが移っているかもしれないが、書類を鼻に近づけたくなる衝動を強靭な精神力でぐっとこらえて、楊ゼンはそれを解いた。




「それから、お師匠さまからの伝言です! えっと・・・『すべてやりなおしだ、馬鹿者が』・・・だそうです!」




楊ゼンは、『不可』と大書された朱文字の上に音を立てて突っ伏した。














夜もだいぶ更けて、昼間のうだるような暑さが嘘のように涼しい空気が城を包む。
ようやく仕事のめどがついた楊ゼンは、文官らに小休止を言い渡して部屋を出た。
回廊から中庭に出ると、眼前に満天の星空が広がる。
夜空一杯に浮かぶ想い人の顔は、楊ゼンに微笑んではくれなかった。
重くため息を吐いて、楊ゼンは目を伏せた。長いまつげが回廊からの灯りを受けて白皙の頬に影を落とす。


「楊ゼンさん、そんなところで何やってるさ」


突然背後から声をかけられて、物思いに肩まで浸っていた楊ゼンはうかつにも身を震わせて後ろを振り向く。
そこには欄干を飛び越えて、こちらにやってくる天化が見えた。
「楊ゼンさんも休憩中さね?」
楊ゼンはとっさに返事も出来ず、あいまいにうなずいて力なく微笑んだ。
彼にこのような笑いをさせる原因など一つしかない。天化だけではなく、周の首脳陣は誰でも知っていることであるが、育ちのいい天化は楊ゼンの自尊心を傷付けないためあえてその事には気づかない振りをする。
「何か心配事でもあるさね?」
「・・・まあ、そんなとこかな」
ふーん、と頭の両腕に手を回して組んだ天化は、思い出したように言う。
「悩み事や、心配事を解消したい時、そういう時は、流れ星にでもお願いしてみるさ」
「流れ星に?」
楊ゼンはいぶかしげに天化を見上げた。
流れ星は凶事の前触れとされている。そんなものに願掛けなど・・・。
「俺っちがコーチにスカウトされる前、まだちっちゃかった頃、うちにずっと西の国から来た客人が言ってたさ。
流れ星が消えるまでに3度願い事を言うと、星がその願いをかなえてくれるって」
「へえ・・・」
仙界で生まれ育ち、人界の知識など封神計画のために必要最低限を詰めてきただけである。そのような異国の民の風習など上にいた時は興味もなかった。
「まあ、やってみても損はないさ」
「そうだね、気休めにはなるよね」
興味を抱いたらしい楊ゼンの口調に、少しでも役に立ったと天化はうれしくなる。多少恋愛対象の趣味が悪いところがあるが、何といっても武人として憧れの人である。
「じゃあ、俺っちそろそろ天祥んとこ行くさ」
身軽に走り行く後ろ姿を、楊ゼンは目で追って見送ってから、再び星空を見上げた。
「流れ星か・・・・・・」
そうつぶやいた途端、楊ゼンの目の前を流れ星が走りぬける。
とっさに楊ゼンは頭の上で両指を組み、ぎゅっと目をつぶった。



「太公望師叔が僕にやさしくしてくれますように!
たいこうぼうすーすがぼくにやさしくしてくれますよーに!!
はいこおうぼうふーすがぼくにやさしくひてくれますよーい!!!」



しばしの間。



楊ゼンは我に返ると、組んでいた指を慌てて解き、姿勢を正すと、きょろきょろと辺りをうかがった。
天才道士の痴態の目撃者はどうやらいないようだ。
確認すると、ほっと胸をなで下ろして、三度星空を見上げる。
とうに流れ星は消えていた。
「はあ〜」
美しい中庭にたたずむ憂える佳人の姿が、青白い月の光に照らされる。


相変わらず夜空一杯に浮かぶ想い人の顔は微笑んではくれなかった。




























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相変わらずワンパターンのバカ話ですが、もう少しお付き合いください。




















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